絞首台

「あれが見えますか」

「はい」

写真家は地方議員の問いかけに気乗りしない様子で返事をした。写真家はもっと別の議員の醜聞を文字に起こして彼のメモ帳に刻むことができるものと期待していたが、そんな気配はなかった。港から船で三十分ほど揺られてやってきた対岸の施設は一面の荒れ地で、気味の悪い秋の真昼とぴったりの肌寒さが漂う場所だった。階段ピラミッドの頂に絞首台が用意されている。風が砂塵を運んで黄色くなっているが、それに対して微動だにせずに日光を跳ね返している。

「特注の縄を用意してあの絞首台に括り付けます。支柱二本の上にほら、懸け橋のように銀の棒があるでしょう?あの重心部分には穴が開いていて、そこに縄を通します。縄は片方にストッパーがついていて、もう片方が円になっています」

酔った男性が絞首台のふもとに座り込んでゼイゼイ息を吐いているのが遠目に見えた。写真家は目が悪く、正確なことは分からなかったが自らの経験上はそうなのではないかと思っただけだった。天候は快晴らしかったが、大気は汚れてその素光をしばしば遮った。

「あの絞首台がいつ作られたのかは誰も知りません。歴史家の老人は絞首台の謎を解き明かそうとして果たせず、元首に絞首刑を言い渡されました。それからというもの、ここには処刑を見る、もしくは処刑を執り行う以外の目的でやってくるものはいなくなりました。私個人としてはそういった探究者がいなくなってしまうのは心苦しいことですが、まあ命以上に探究心を重要視する者がいないのもまた仕方のないことではあります。」

写真家は自分の首からぶら下げている立派なカメラを気にしているようにちらちらと視線を落とした。政治家はそれに気づかないか、あるいは気づいているのにも関わらず知らぬ素振りを決め込んでいるかで言及しなかった。

女性がピラミッドのすぐ近くの地面に自分の荷物をおろしていた。しかし砂が降りかかるのを見てすぐにその荷物を手にもって何かを待っていた。大声を上げてその後ろから男の子が駆け寄ってきた。しばらく女性と会話した後、男の子は酔っている男性のもとに歩み寄ったが、すぐに追い払われた。

「ここでなにか取材できるようなことと言ったら、あの絞首台くらいしかございませんでして」

そんなはずはない、と写真家は直感的に思った。これは部外者に対する防衛機構の一種で、かつそれを有効であると考えている徴にちがいないとほぼ断定していた。

人が続々と集まり始めた。この場で何かが行われるとすれば、それは処刑以外ないはずだった。写真家は土地そのものに対してさえも嫌悪感を抱いた。人道的観点から考えて、こんな悪趣味な催しに興じる群衆やそれを育むような文化はあってはならないと眉をひそめ、むき出しになりそうな嫌悪感を辛うじて押し込めた。同時に、やはり議会の醜聞に関する情報よりもまずこの処刑についての情報を発信しなくてはならないと強く思った。発信して、処刑が世界中からの非難を受けたのなら、流石に改めざるを得ないだろう。

「いかがです、写真を撮影なさいますか」

「是非」

写真家は政治家の後に続いてピラミッドをのぼった。砂が足を滑らせようとする。

「あなたが撮る前に私にも一枚、撮らせていただけませんか?」

政治家は途中で振り返って、にこやかに注文した。政治家の腹の内を知りたい気持ちもあって、写真家は首肯した。

やがて頂に着いた。写真家はカメラを手渡した。すると政治家はいつの間にかついてきた秘書に耳打ちしてカメラを首にかけた。秘書はピラミッドを降りて、一番最初にここにたどり着いていた酔っぱらった男を連れてきた。もうすっかり酔いは醒めて、厚い胸筋が反り返っていた。

「さあどうぞ、こちらへ」

写真家は絞首台にぶら下がった縄の前に立った。それを確認して、政治家はピラミッドの麓でひしめく群衆に向かって大音声で言い放った。

「これより処刑を執行する」

写真家は男に拘束されて動けなくなった。秘書が慣れた手つきで縄を首にかけ、それからすました顔で正面を向いた。太陽が見えない。群衆の顔が見えない。正面に何も見えない。

写真家は受け入れるよりほかなかった。写真家自身の中にそれ以外の選択肢はなかった。

「執行」

それが最後だった。群衆は沸き立ち、政治家は興奮したように皮肉な笑みを口端に浮かべた。男は興奮して涎を垂らしていた。秘書は無事に自分の役目をはたしてどこか安心したようだった。後に残るのは死んだように死んだ写真家の肉塊だけだった。

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