裏庭在住
何度か、その痩せこけた男を見かけたことがある。どういう理由で座っているのかもよく分からない。ただ時々物憂げな情緒に浸りながらずっと一点の壁の窪みを見つめている。気味が悪くて、誰もその男の話題を真面目にとりあげようとは思わなかった。男は裏庭にいて、三角座りをしていた。尻は痛まないのか、と尋ねても一切無視だ。生きてはいるらしいが、どんな飯も食わない。雨が降ってもそこにいた。ワイシャツのようなものと化学繊維が織り込まれているらしいズボンを着用し、ベルトを身につけている。もう襟も服の袖もぼろぼろで、上下どちらの衣服ももともと長袖であったと思わせるような痕跡は残っているようだが、長さだけなら七分袖とさほど変わらない。逃げてきた犯罪者にしてはあまりにも落ちぶれすぎている。人との関わりなどないだろうし、我々家族も誰かに見せるつもりはなかった。一番下の娘には、裏庭には怖い犬がいるから入ってはいけないと言いつけてあったが、ある日裏庭のドアを開けっぱなしにしてしまい、娘が興味を示してその奥の禁じられた場所へと入っていった。娘はそれを見た途端わあっと泣き出して家の中へ駆け込んできた。
「お父さんお母さん、あれは何。私たちの手に負えないものがいたわよ」
彼は実際哀れではあったが、それすらも何か自業自得のように感じた。何の罪も知らぬが故に、座り続ける行為そのものが贖罪であるかのようだった。抱えたなら体は軽く、軽く触れたら体臭が手にこびりついて離れないに違いなかった。
ある日、私は玄関の花壇を取り払おうと二階でシャベルを探していた。妻に部屋を散らかしたことを呆れられながら、戸棚の隙間からようやく目的のものを取り出した。ところが、つまづいた拍子にシャベルが手から滑り、窓から落ちていく。隣人の敷地ならまだしも、あろうことか裏庭へ落ちてゆく。私はこれまでになく慌てて階下へと降り、勢いよく裏庭への扉を開ける。天気がいいのにそこはひどく薄暗かった。落としたはずのシャベルは跡形もなく、いつも通りその男が座っていた。私は駄目元で問うた。
「シャベルが落ちてゆくのを見なかったか」
沈黙。動かない。
「君はシャベルのありかを知っているのか」
なおも静かで動かない。私はいよいよ苛立ちながら問う。
「何か答えてはくれないか」
やはり無理だ。彼では話にならない。結局近所の誰に尋ねても心当たりはないと言うだけだった。
結末は思っていたよりもすぐに、しかも簡単に訪れた。ある晩、例の場所から何かを壊すような音が聞こえた。家族を起こさないようそっと立ち上がり、裏庭への扉をおそるおそる開けると、垣根がめちゃくちゃに壊されていた。汚れた男は逃げ出してしまっていた。ふと、私は彼が何かの真実を知っていたのではないかと思ってしまった。しかし、どう考えてもそれは根拠のない妄想だった。とにかく、悩まずともよくなったのだ。私は明日から会社や家族の心配をすればよい。ほっとしていると、上階から悲鳴が聞こえた。
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