薄毛おっさんはかつらを被れない
厳島くさり
第一章 大ダンジョンの町 マキルス
第1話 おっさんハンター
「ごめんなさい、恋人にはなれないわ」
申し訳なさそうな顔で言うと彼女は早足で去って行った。
去り際に、ちらりと俺の頭部を見たのは気のせいではないだろう。
俺の名はノーデン。三十代も後半に差しかかろうという年頃の男だ。
このたび、半年という時間と、少なくないお金が晴れて水の泡となった。おっさんと呼ばれることにも慣れてきたこの身でも、失恋は酷く心を痛めつけるものだ。
俺は通い慣れた商店街を歩幅もまばらに歩いている。目的地は我が家だ。今はどこにも行きたくないし誰にも会いたくない。
先ほど去って行った女性の名前は――既に話す必要も無いだろう。彼女はこの商店街にあるパン屋に勤めている人だ。誰もが認める美人という訳ではないが、心優しく素朴な人柄に俺は惚れていた。何度もデートを重ね勇気を出した結果がこの様だ。
はっきり言おう。振られた原因に心当たりがある。この頭だ。おでこから頭頂部にかけて美しい肌色が主張しており、それをサイドの黒髪が支えている。二十代半ばから若干の違和感はあったが、三十歳にもなると隠しきれない光沢が出てきた。
振られたのがこの
とぼとぼと歩いていると、もう遠くに我が家が見えた。空はオレンジがかり日が落ちようとしている。
どこかの家から流れてくる夕飯の匂いを感じていると、
「ハゲのおっさんじゃん。今日は何狩ってきたんだ?」
声の主は近所に住むくそg…もとい少年のカイトだった。手に太めの木の棒を持っている所を見ると、いつものように剣士ごっこをしていたのだろう。
俺は正直に説明する気にもならず、
「今日は狩りに失敗したんだ」
とだけ話し、すれ違って家へと急ぐ。
するとカイトは子どもながらに何かを察したのか、
「次は頑張れよ!」
と珍しく俺を罵倒せずに走り去った。お前の家はそっちじゃないだろ。俺は振り返って「早く帰れよ」と叫ぶと、再び帰路についた。
部屋に入ると俺は着替えもせずベットに仰向けになる。目を閉じると彼女との思い出が次々に浮かび上がってくる。少しずつ仲良くなっていくのが嬉しかった頃の思い出だ。
――邪魔だ。消えてくれ。そう願うほど彼女の笑顔や台詞が再生される。
――恋人になる気が無いなら最初からデートなんてするなよ。それともデートとさえ思ってなかったのか……。
無益な言葉が脳内に溢れてくる。実際には発されることのない言葉だ。悪いのは俺。魅力が無い俺が悪いのだ――。
――ベッドに転がってからどのくらい経ったのだろうか。俺はしっかりと目を見開く。あるアイデアが浮かんだのだ。
よし、ダンジョンに行こう。
俺はおろしたての洋服を投げ捨て、いつもの革鎧へと着替えると、小走りでダンジョンへと向かった。
一般にダンジョンというと、洞窟や地下迷宮のようなものをイメージするだろう。実際この大陸にはそういったダンジョンも多く存在する。
しかし、俺が住むこの町、マキルスのダンジョンはそうではない。ゲートと呼ばれる光の門をくぐると、その先にはもう一つの大陸があると言ってもいい。海や山、森もあれば、その広大さは未だに正確には分かっていないほどだ。
マキルスは大陸中でも有数のダンジョン都市であり、あらゆる物資をダンジョンから運び込み、流通させることで経済が成り立っている。
俺のような、都市を拠点としてモンスターの狩りで生計を立てる人間はハンターと呼ばれ、モンスターの素材を売ったり、他の業者の護衛をすることで食っているというわけだ。
いちいち歩いて行くのが面倒なので、俺はゲートにほど近い場所に部屋を借りている。俺は小走りで来たにも関わらず、息を切らすこともなくゲートに到着した。
簡単な受付を済ませ、専用のロッカーに預けてあるバックパックと愛用の棍棒を担ぐと、早々にゲートの光へと向かった。
光の門をくぐり抜けると、見渡す限りの草原が広がっている。夕方にもなると夜行性のモンスターに襲われる危険から人はまばらで、ぽつぽつと仕事終わりの人が帰り支度をしているばかりである。
俺は棍棒を右肩に担ぎ、モンスターを探して移動を始める。
いつもであればダンジョン内にある他のゲートをくぐって、仲間とともに中級のモンスターがいる区域へと向かうのだが、今日は一人であり、目的ははっきり言って憂さ晴らしだ。
自分より圧倒的に弱いモンスターを叩いて気分を持ち直したいのだ。
褒められた行為では無いが、この世は弱肉強食、モンスター達には諦めてもらいたい。一撃で仕留めてやるから。
恋愛面では弱者の俺だが、本業の戦闘でぐらい調子に乗ってもいいじゃないか。と誰にともなく言い訳をしていると、視界の中で何かが動いたことに気付く。
もぞもぞと地面を這っているのはレッサーワームだ。体長は1mほどもあり、緑と黄色のコントラストが実に気持ちが悪い。要はでかいイモムシだ。
俺も最初は見るだけで背筋がゾワゾワとしたものだが、ハンターとなる者は大抵初心者のうちにレッサーワームをわんさか狩ることになるので、直に慣れてしまうのだ。
俺はのろまなそいつに素早く近づくと、頭部を一閃。腰の力を利用して一発で弾き飛ばす。レッサーワームは一撃で動かなくなった。
初心者の頃は力も技量も無いもんだから、滅茶苦茶に叩いたり切ったりしてそれはもう酷い有様だったのを思い出す。動きが遅い代わりに体液に麻痺の作用があるため、上手く仕留められないと、痺れる体で肉食巨大イモムシと血みどろファイトしなければならないのだ。
ハンター稼業を甘く見ている者の中にはこの最初の試練でつまずく奴も少なくない。もちろん気持ち悪さという意味でも。
俺は棍棒が汚れていないことを確認すると、次の獲物を探して歩き出す。レッサーワームの死体は他のハンターかモンスターが持って行くだろう。
歩いているのは初心者の頃によく通った獣道だ。この辺りは見晴らしが悪く、不意打ちを食らうことも多い。中級ハンターといえど油断は禁物だ。いよいよ日が落ち、腰にぶら下げた灯りだけが頼りになってきている。
慎重に歩いていると、地面に生えた草が不自然に折れ曲がっている箇所を見つけた。範囲から言って、何者かがここで争ったのではないか。
更に近くで地面をよく観察してみると、ところどころ赤い血の痕が確認できる。また、土の部分には靴跡が幾つかと、それとは別に特徴的な足跡が残されていた。
「間違いない。ゴブリンだ」
俺は小さく呟くと、次の行動を考える。先ほどの血痕は新しく、間違いなく人間のものだ。何故ならこの区域のモンスターの血液は緑色だからだ。
つまりここで人間がゴブリンに襲われ、生死は不明だがどこかへ運ばれた。
暗すぎて痕跡を追うのは難しい。明るくなるのを待った方が早いくらいだ。
性分から言って無視することはありえない。助けられる命があるなら助けたい。
……そういえば。この辺りにはゴブリンがよく根城にしている洞窟があったな。奴らは狩っても狩っても雑草のように湧いてくるので根絶することができず、逆にその洞窟はお手軽にゴブリンに出会える狩りスポットになっていたはずだ。俺も二回ほどお世話になった記憶がある。
とりあえず行ってみよう。俺は棍棒を担ぎ直すと、記憶を頼りに周辺の探索を始めた。
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