第7話
「————で、なんで
午後十時。普通の高校生なら帰宅していなければならない時刻だったが——
三年生の
一人いれば御の字、と思っていたが、予想に反して、部室には字木、
「
「いやいや、いやいや……話が分からんて。何をやられたんだよ。可愛い女子に面食らったってこと?」
「セクハラですね」
「すみませんでした」針屋がすぐに言う。「あーでも、なるほど?
「なんですかその分類は」
「要は——執筆スタイルを模索して色々
「だねぇ」と、鏡堂が賛同した。「まあでも、天傘ちゃんの書き方? 喋り方? を見て、ぎっちゃんの中に疑念が生まれたのはそうだと思うから〜……物理的な、感覚的な違いを思い知らされたっていう点では、良い経験だったかもねぇ」
「……」
字木はノートパソコンを前にした状態で、額を机に置き、突っ伏していた。寝ているわけではないが、反応はない。正真正銘、意気消沈だった。意志消滅、と言い換えても、この場合は大差ないかもしれない。
「実際書くまで、こいつらがどれほどの化物かっていうのは案外伝わらないだろうからなぁ。むしろ——字木一年が今まで平静さを保って紅玉たちと会話出来ていたのが異常だったんだろうな」と、針屋は愉快そうに笑い、鏡堂が座るソファにゆっくりと腰掛ける。「まあでも落ち込むなよ、字木一年。おかしいのはこいつらだ」
「失礼ですね」と烏島が不満の声を上げる。「おかしくはないですよ。
「普通はないんだよ。普通の人間には出来ないんだ。
「しかしですね!」
死体のように動かなかった字木が、突然顔を上げて叫ぶ。
「うわびっくりしたぁ」烏島が仰け反る。
「確かに、自分でやってみるまでもなくこれは無理だと思いましたが——
「諦めろ、字木一年。こいつらはお前と同じ人間じゃない」
「失礼ですね」
「ひどいよぉ針屋っち〜」ソファの上で毛玉のように丸くなっている鏡堂は、小さな抵抗の拳を針屋に突き立てる。「まるで異端者みたいな扱いしてぇ」
「それこそ——
「抗議しまぁす」と、鏡堂が言う。「私はプレーンな物書きだもんねぇ。原稿用紙に、万年筆。物書きの具現化みたいな存在だもんねぇ」
「はは……笑わせる。一体、いつの時代に存在したんだよ。
「やっぱりおかしいですよね!?」と、字木は再び声を荒げる。「普通じゃないんですよね? いいんですよね、それで。やっぱり、紅玉と鏡堂先輩は、普通じゃないんですよね?」
「ああ、胸を張れ。こいつらは普通じゃない」
「怒る気も失せてきました」烏島は言いながら、しかし一際大きな音を立てて、エンターキーを叩く。「鏡堂先輩、もっと針屋先輩にパンチしてください」
「えいえい」
「一昨日はまるで早乙女の眼鏡に適わなかったから一年が全員辞めた——ような言い方をした気がするが、これで分かっただろう。【
針屋は薄ら笑いを浮かべながら、字木に向けて言う。
「
「ぐっ——」
「今度はパワハラですね」烏島が言う。「でも実際、私は
「えぇ〜……ぎっちゃんいなくなるの寂しいなぁ。男の子少ないんだもん。ねぇ針屋っち。針屋っちも、男の子の後輩いた方が嬉しいんじゃなぁい? ねぇ?」
「んまー……別に仲良し小好しの部活ってわけじゃないからな、そこんとこはどっちでもいいんだが——確かに紅玉の言うことも一理ある。普通に小説を書いて、普通に読まれて、普通に作家を目指すんだったら——絶対にそっちの方が良い。普通の悩みを抱えて、普通に意見を交換して、普通な執筆活動を送るなら、普通の部活に転部した方が、明らかに得だ。そういう普通の活動が出来ないから——【
「ぐ、ぐう……」
「ぐうの音が出てる」一定のリズムを崩さないまま小説を書きつつ、烏島は鋭い突っ込みを入れる。「ちなみにまだ会えてないけど、もう一人の部員——鏡堂先輩と同じ二年生の
「御伽花先輩……その人も、二つ名とやらが付いているのか」
「まあ、二つ名というか、あだ名というか……御伽花先輩は〝
「ぎばぎばはねぇ……おかしいよねぇ。私は絶対無理ぃ」
「何者なんだ、この二人がおかしいって言うなんて——!」
「ま、このままここに残るも良し、残った挙げ句やっぱり無理って思うのも良し。お前の人生だ、好きにしろよ字木一年」言って、針屋は立ち上がり、腕時計を見る。「さて、俺はそろそろ帰る。別に部室には戸締まりの習慣もないし、早く帰れというつもりもないが……健康的な執筆習慣は健康的な肉体に宿る、と俺の先輩は言っていた。俺はその先輩の
「はい、お疲れ様でした」
「おやすみぃ針屋っち。また明日ねぇ。明日来るか分かんないけどぉ」
「——いや、ちょっと待ってください」
ほとんど体調不良に近い状態であった字木は、力を振り絞り、帰ろうとする針屋を引き留める。帰宅を
「早乙女先輩、紅玉、鏡堂先輩、御伽花先輩——分かりました、俺が普通か劣っているとした場合、どこか特殊な人たちがここに集まっていることはよく分かりました」
「私は普通だって言ってるんだけど」
「私もぉ」
「ややこしいので静かにしていてください。まあ
字木の発言に一番に反応したのは烏島だった。「確かに、針屋先輩もおかしいですね」と、今気付いたと言わんばかりの様子だった。
「おかしいか? ……いや、普通だろ」
「どうかなぁ。針屋っち、普通って言えば、普通? ——普通だけど、普通じゃない、みたいなぁ? うーぅん、どうだろ。普通って何?」
「失礼しました。普通の定義はさておくとして——少なくとも、入ったばかりの一年生がすぐに辞めていくような部において、三年生でまだ在籍している針屋先輩にも、どこかしら人と異なる部分があると推測しました」
「まー……言われてみれば確かに? あんま考えたことなかったな」
「でも確かにそうですよね。針屋先輩、執筆スタイルこそ、外部モニタと外部キーボードを使っていて、超一般的ですし、むしろ模範的とさえ言える環境ですけれど——そうですね、一目置かれてますもんね」
「一目って言うか、単に速いだけだろ俺は。生産性で言ったらどう考えてもお前らの方がおかしい」
「速い——って言うのは、つまり、書くのが速い、ですか?」
「んー、まあ、速い……これ褒められることか?」と、針屋は往生際が悪そうな物言いをする。「去年の初めくらいに、賭場で小遣い稼ぎしてるうちに、まあ、あだ名というか、うーん……確かに変な認識はされたかもな」
「針屋先輩って自分のことになると途端に気弱ですよね」と、烏島が突っ込む。
「針屋っちのそういうところ、かわいいよねぇ。
「なんて呼ばれてるんですか?」
「お前なあ、字木一年。そういう恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく聞くもんじゃないぞ。ピュアッピュアな視線を俺に向けるな」
「針屋先輩は〝
「お前らには言われたくないんだよ」
「なんですかその〝
「いや……自分で説明するのも恥ずかしいが、まあ俺が付けたわけじゃないし——まあ単に、
「ということは、恐らく全人類の中で一番速いですね」
「でも別に、どうでもいいだろ、速さなんて。小説の完成度には関係ないんだし」
「それは私もそうですが」
「そうだそうだぁ」
「……すみませんでした」と、針屋は深々と頭を下げる。「生意気なことを言ってしまいました。許してください」
「——すみません、俺はあんまり、その、速さとか文字数とか——そういうことがよく分からないんですが……どれくらい速いんですか? 感覚値だけでも、教えてください」
「えらく食い下がるな」
「自分がここにいて良いのか分からなくなっているので、針屋先輩が普通であることを祈ってるんです、俺は」
「そういう意味だと——」烏島が引き継ぐ。「今日、賭場で二戦目に見た試合。タブレット使いとノートパソコン使いがいたけど、三十分で〝三題噺〟を書いて——一方は千文字、もう一方は千三百文字くらい、だったかな。それでも割と、
「そう聞くと——紅玉がおかしい気がしてくる」
「でも、私は別に
「そこまで話してくれたんなら紅玉が言ってくれればいいだろ……」
「散々異常者扱いされたので、自覚していただこうかと」
「こんな技能で持て囃されたくないんだが……」言いながら、針屋は指を折りつつ、自分の速度を計算して、「まあ、紅玉の例に倣って言えば——五百文字から六百文字くらいか? まあ、面倒だし、五百文字ってことにしとくか」
「五百文字……一分間に?」
「まあ、大体そんくらいだな」
「つまりはまあ——針屋先輩は、一時間に
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