第6話

 プログラム的には第四戦、字木あざなぎ主観では第二戦目に当たる戦いは——しかし、字木にとっては大して面白くない戦いだった。タブレット端末を利用した競技者と、ノートパソコン利用者の対決。

 注目していたのはタブレットでの執筆だったが——12インチのタブレットを机の上に配置し、ガラス面に指を滑らせながら行われた執筆は、確かに便利そうで、未来的ではあったものの——そこに字木自身、良さは感じられなかった。

 良さ——良さというか、憧れ、だろうか。

「あんまりお気に召さなかったみたいだね」と、烏島からしまは言う。「文也ふみやとしては、物理的な反発があった方が好き——って感じ?」

 投票の精査が行われている最中だった。鏡堂かがみどうは投票所で他の生徒に捕まり、対岸で何やら会話をしている。字木と烏島は元の位置に戻り、群衆を遠巻きに眺めていた。

「うーん……イメージが湧かない、の方が近いかな」

「そんなことないでしょ。毎日スマホ触ってるんだし、一番身近な入力デバイスなんじゃない? タップとか、スワイプ操作って」

「まあ、確かに連絡手段としては使ってるけど——俺はあんまり、日常の延長線上に、小説を置きたくないのかもしれない」

 言われるがままに、問い掛けに対する返答として口から自然と出た言葉だったが、字木本人にも自覚がなかったものの——それは本心なんじゃないか、と字木は思った。自分はどうやら、小説を書くという行為を〝特別視〟しているようだ。

「なるほど? まあ、書き慣れている方法がそのものでは必ずしもないもんね。そもそも、書きやすい方法ですらなくて、でやるのが一番良いんだから——そうしたら良いんじゃない」

「ああ」

「で、三題噺はどうだった? 上級生たちの書いた——即興の三題噺は」

「すごいと思った」

 と、字木は素直な感想を漏らした。

 その反応は、烏島には意外だった。もっと傲慢ごうまんで、尊大そんだいな発言が飛んでくると思っていた。「大したことないな」とか、「つまらなかった」とか。正直言って、烏島は字木のことを、多少なりとも見くびっている。小説を書いたこともないのに——自分にも小説くらいは書けると思っている人間。

 そういう人間は、この世の中に大勢いる。

 否——

 自分も書けるかもしれない。これくらいの物語なら、自分でも書けそうだ。頭の中に物語は出来ているから、アウトプットする時間さえあれば、自分でも書けるはずだ——と、そう考える。それが普通だ。時間さえ、環境さえ、余裕さえあれば、自分でも今読んだ小説と同等の小説を書けるはずだ——と、普通は考える。

 それは別段、痛々しいことではない。

 誰もが平等に抱く感情だ。

 だが——一文字書いた瞬間に、戸惑う。

 あるいは——、迷う。

 

 書き出しに適した文字は何か? 地の文はどのくらいの割合で切り上げるべきなのか? 台詞はどれくらい連続して良いのか? ここの漢字は開くべきか? 読み仮名は必要なのか? 記号はどれくらい出現して良いのか? 一人称は? 語尾は? 人物描写はどれくらい書いて良いのか? 背景描写は事細かにするべきなのか? 数字は英数字? 漢数字? それとも旧字体? どんな基準でカタカナを使えば良い? どんな基準でひらがなを使えば良い? そもそも仮名ってなんだ? 仮名かめい仮名かなって、同じだ。平仮名と書いたら、誤読されるか? 仮名ってなんだ? 仮名、仮名、仮名——ゲシュタルト崩壊が起こる——そもそも、? 

 そんな風にして、文章の絶え間ない牢獄に囚われることになる。一文字一文字、誰かに確認なんか取れない。書き終わるまで、せめて誰かに読んでもらえるレベルになるまで、一人で向き合うしかない。そんな地獄の作業が執筆であり——だからこそ、それは書き始めるまで、書いてみるまで、一度でも飛び込んでみない限り、分かりようがない。

 だからもっと、不遜であるべきだった。

 字木は一度も小説を書いたことがないのだから——もっと傲慢な読者でいるべきだった。

 だが、違った。

 それは、作者に敬意を払った雰囲気とは明らかに異なった。同じ土俵で、同じ目線で物事を考えた上で発される、同士への賛辞だった。

「——すごいと思った、か。なるほど」

「まあ、小説の出来に関しては……俺は評価出来るほど本を読んでいないというのを前提として、それでもこの短時間で即興で考えたとは思えないほどよく出来ていたと思う。このレベルの先輩たちが、二つ名を持たない一般的な生徒だと考えると、末恐ろしくもある」

「ま、二つ名は優れた書き手に与えられるというわけでもないからね。私みたいに、ただ書き続けられるだけの人間にも与えられるし。そもそも、誰かが公式に与えてるわけじゃないしね。でも——そうだね、そういう意味では、

 烏島は人差し指を立て、その指を宙でくるくると回した。

早乙女さおとめ先輩風に言うなら、。あの人ほど基準は厳格じゃないにせよ——やっぱり、この学園で生活していれば嫌でも気付くよ。面白いのは当たり前で、そこから色とか、作風とか、文体ってものが重要になる。付加価値っていうか、スター性っていうか、個性?」

「ああ……それは、分かる気がする。そういう意味では、今読んだ二編の小説は、面白くなかった」と、字木は応える。「よく出来ていて、すごい。けれど、何も残らなかった。素通りしていって、多分、すぐに忘れてしまいそうだ」

「あー、そう、そんな感じ。文也、読者としての資質がありそうだね?」

「とは言え、自分が同じように出来るかなんて分からない。だから、単純にすごいとは思う。自分に出来ないことを出来る人は、みんなすごい」

「読者はそれでもいいんだけどね」

 ワッと歓声が上がり、二人はつられて賭場の中央に視線を向ける。結果が発表され、ポジティブな発言とネガティブな発言が互い違いに発せられていた。

「どうだった?」

「百円が百五十円になった」と、字木が言う。

「私は百円が盗まれた」

「参加してみてわかった。大金を掛ける気にはなれないけど——百円賭けて人の作品を読める場っていうのは、意外と良いもんだな。賭場カジノなんていうものが許容されている理由がよく分かったよ」

「そんなに危険なものでもないしね」

 言っているうちに、向こう側から、へろへろとした足取りの鏡堂が近付いてくる。どうやら負けたようだ、と、字木も烏島もすぐに理解した。

「さっき稼いだ二千円がパーになったよぉ……」

「お疲れ様でした。大賭けは良くないですよ、先輩」

「ふいぃ……慰めてよぉ紅玉ルビィちゃん……」

「はいはい。先輩はかわいそうですね」

 比較的小柄な烏島が、さらに背の低い鏡堂を慰めている。平均よりも背の高い字木は、その光景を、なんだか小学生みたいだな——と、失礼なことを思いながら眺めていた。猫が犬に慰められている、とか、そんな——

「次で取り返すよぉ」

天傘あまがさ先輩が出るんだから、オッズは期待出来ないんじゃないですか? かなり人気者ですよね、天傘先輩。見た目も良いですし。まあ、作家に見た目を求めるなんてどうかと思いますけれど——」

「作家と見た目は切っても切れない関係だよぉ。昔から、それこそ文豪たちが庶民から人気を博していたのは、顔が良いからなんだから。家柄が良くて、顔が良くて、文章も上手い——今で言う、ゆーちゅうばぁみたいなものだと思うなぁ」

「そうなんですかね? よく分かりませんけれど」

「そんなに人気者なんだ」と、字木が言う。「天傘——山茶花さざんか? だっけ」

「顔良し声良しスタイル良し——そして何より、。そんな、中も外も完璧みたいな先輩が出るんだから、よほどのことがない限り、みんな天傘先輩に賭けるんじゃないかな。逆に言えば、そんなに完璧な先輩でさえ、上位勢ランカーじゃないってのがこの学園の怖いところであり、良いところでもあるんだけど」

「ランカー?」

 字木が問い掛けたところで、また中央が湧いた。知らぬ間に、観衆の数は二倍ほどに膨れ上がっている。中央の席には——確かに、烏島の言う通り、美しい女子生徒の姿があった。

 腰まで伸びた黒髪はまがい物のように美しく、遠目からでも美形だと分かる鼻の高さと、顎のラインをしている。立ち姿もしく、背の高さが際立っている。かと言って、威圧感を抱かせることのないきゃしゃさがあった。スター性と言うのなら、彼女はまさに、それに当てまっている。

「あれか……」と、字木が漏らす。「確かに人気が出そうだ」

「まあ言うて共学の高校だからね。みんな小説狂いとは言っても——普通に恋愛くらいするわけで、天傘先輩は割と上位の人気者って感じ」

「あれで上位、なのか」

「もっとすごい先輩もいるんだけど、まあその辺はあんまり小説とは関係ないから置いておくとして——んにゃ、そうでもないか。そういう意味だと、上位勢ランカーでありながら、天傘先輩よりも男子人気の高い先輩はいるよ。男子人気、じゃないか。かな。男女関係なくモテまくりの先輩が一人いる。その人がトップじゃない?」

「へえ……物知りなんだな、紅玉は」

「二ヶ月もいれば大体把握出来るよ」と、烏島はなんでもない風に言う。「ちなみに、鏡堂先輩も、割とモテ女だよ」

「へえ」

「へえ、じゃないよぉ……二千円盗まれて意気消沈してたけど、思わず突っ込んじゃったぁ……割とモテるんだよぉ、私。モテてるのか、ちょろそうって思われてるのか、分かんないけどねぇ」と、自虐的に鏡堂は言う。「小動物的なモテ方な気がしてるから、あんまり褒められたものじゃないけど〜」

「先輩はかわいそうですね」

 天傘と対戦する競技者は、同じく二年生の男子生徒だった。普通、校内の人気者と対峙することになれば多少は萎縮いしゅくしそうなものだが——対して彼は、堂々としたものだった。競技の趣旨を考えれば、それも当然と言える。いくら人気があろうが、いくら美人であろうが、いくら特殊なスタイルでいようが——関係ないのだから。

 

 故に、勝負に敗れた際の敗北感は一際鋭いだろう。全てにおいて負けてしまう——見た目も、声も、雰囲気も、個性も——そして面白さも。自分には小説の才能がないのだと、面と向かって思い知らされそうなだけの強さがある。

 だが、気にする必要はない。

 

 人生を賭した小説である必要はない。否、小説を書くことは——人生を賭すことだとして、しかしそれは繰り返せるものだ。。何も命を取られるわけではない。何度も何度も、書けば良い。小説を書く自由は、全人類に、平等に与えられているのだから。

「まがちゃん今日もかわいいねぇ」と、愛玩動物的かわいさを有した鏡堂は言って、中央に向けて手を振っている。無論、天傘がそれに気付く様子はない。「さて、私たちも受付に行かないと。私はまがちゃん——じゃない方に、全ツッパだよぉ」

「私は天傘先輩」

「俺も。ほとんど読書量を払うようなもんだが」

「よぉし、オッズ次第だけど、私が買ったらさっきの負け分を取り返してもお釣りが来そうだねぇ〜! 勝ったら先輩が奢るから、一緒にお茶しばこうねぇ」

 三人は、今までと比べものにならない人数でごった返す受付に向かう。鏡堂先輩は負けそうだな、と字木は失礼なことを考えていた。とは言え、熱狂してしまうのも、分かる気がした。むしろ、読者であれば——ただ単に物語を読むのが好きな人間であれば、この学園に籍を置き、未発表の、門外不出の小説を好きなだけ読めるのだから、それだけでもこの学園に入学する価値はあるのかもしれない——と思う。

 読者落ち……とまでは言わないけれど、わざわざ自分が書かなくてもいいや、と思う人間が増えても不思議ではない。むしろ、その方が健全だと言える。

 それでも字木は、書きたい。小説を書きたかった。自分の頭の中にうごめく世界を放出したかった。そこに動機や理由はなくて、ただ意志だけがあった。

 書きたい。

 書いてみたい。

 そして、誰かに読まれたい。

 そんな単純な意志のために、自分はここにいる。普通の生活を諦めてまで——今後の人生を左右してしまうような生活を、今、している。ならば少なくとも、絶望するまでは全力で挑みたかった。何も分からないけれど。右も左も、上も下も、作法も何も分からない状態だけれど——この意志と、みなぎる自信だけは、本物だった。

「どうしたの、何笑ってんの」と、烏島が字木を見て言う。

「え? ああ——いや、すごい人がたくさんいて嬉しいな、と思って」

「へえ。読書家としての喜び?」

「いや……」

 字木は一瞬言葉を選んだが、しかし意味のないことだと思い直し、最初に生まれた言葉をそのまま口にする。

「全員叩き潰せると思うと、わくわくするよ」

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