第4話

 書いた小説を読まれたい——という欲求は、正常だ。

 本来であれば、恥ずかしい、心情を知られたくない、稚拙な文章を読まれたくない——というような気持ちもあるだろう。批判を恐れ、指摘を案じ、世に出したくないと思うのもまた、普通であり、正常と言える。

 だが、この学園内においては——こそが、もっとも優先される欲求だ。

 書いた小説を読まれたい。

 評価も、批判も、賛辞も、酷評も——その全てが糧になる。

 ならば、第一歩として、読まれなければならない。

 それも、生温なまぬるい読書会ではない。

 リスクを背負った——賭け事としての読書体験。

「制限時間は三十分です」

 と、一人の男子生徒が告げる。

 彼は二つ並べられた机の前に立っていた。その机にはそれぞれ、生徒が構えている。双方、机の上にノートパソコンを置いており、両の五指はホームポジションに置かれていた。

「では、お題を発表します」

 男子生徒は続ける。司会と、競技者が二人。一見して、そんな配置に見える。恐らく、彼らを囲むようにして、数名の生徒が観衆として参加しているからだろう。二十畳以上はあるひらけた空間の中、その中心で、この催しは行われている。まるで決闘の様相だ。

「『雪』『パチンコ』『ガソリン』です。開始してください」

 男子生徒が開催を宣言すると、座っていた生徒二人は一斉にキーボードを叩き始める。瞬間、周囲から「雪だってさ」「ガソリンと雪は良いとして、パチンコはどう料理するか」などと言った雑音が漏れ聞こえる。

「……なんだこれは」

「だから、賭場カジノ字木あざなぎの問い掛けに、烏島からしまこたえる。「今やってるのは、受験科目でもある〝三題噺さんだいばなし〟だね。三つのお題を絡めた小説を書いて、より優れた小説を書いた生徒が勝利する。勝利した生徒に賭けていた生徒は、お金をもらえる」

「イカサマし放題だろ、そんな勝負」

「んにゃ、公正だよ。書かれた小説は、誰が書いたかで公開される。お金を賭けた参加者がその作品に対して甲乙こうおつを付ける。まー、生徒によって作風の癖とかあるから、イカサマしようと思えば出来るんだけど——矜持きょうじを失うリスクがあるからね」

「矜持?」

「うん。だって——もし、例えば文也ふみやと私が戦ったとして、大勢が文也に賭けたとして——でも私が書いた小説の方が面白かったら、みんなどっちに投票すべき?」

「そりゃあ……俺に賭けたなら、俺に投票するんじゃないのか?」

「勝ちたいだけならね。でも——どっちが面白かったかは、。目先の利益に目がくらんで、どちらが面白い小説を書いたか判断がつかないような生徒、というレッテルを貼られる可能性がる。もちろん、そういう人がいないわけじゃあないけど……ほとんどの場合、評価は公正に行われるよ。賭け事に参加してるうち、大半は読者の割合が多いから」

「読者って——そりゃ、読んでるんだから読者だろ」

「んーと……まあなんだろう、もちろん、みんな読むし、みんな書くんだけど……ほら、早乙女さおとめ先輩みたいなさ、のことを、読者って言うんだよ」

「なるほどな。読者と作家か」

「作家になる、小説を書きたいって気持ちで学園に入ったけど、学園生活の中で自分が書きたいものを完璧に書き上げる生徒に出会って、作家の道は諦める——っていう生徒も多いんだよ。ていうか、その方が多いって言ってもいいくらい。早乙女先輩のいる【読書倶楽部スーツ・クラブ】はそういう読者の方が多いから、いつの間にか生徒会役員になることを目標にし始める生徒もいるくらい。でも別に、誰もそれを止めないし、それを悪いことだとは思わない。だって、読んでくれる人が増えるなら、それにこしたことはないしね」

「——なるほど」字木は強く頷いた。「もしかすると、俺がそういう気持ちになれば小説家なんて夢は諦めるかもしれない……って、親は考えてるのかもな」

「校風をどこまで知ってるか微妙だけど、有り得るかもね」

 三十分間という執筆時間がどれほどのものか——小説を書いたことのない字木には正直理解出来なかった。短いのか長いのか。三題噺というものが、どれほどの長さを求められるのか——そう言った基本情報がない。だが、そんな字木にしても、視線の先で小説を書いている二人の生徒には、鬼気きき迫るものがあった。余裕ぶっている様子はない。

 ということはつまり、どう考えても——時間設定が短いのだろう、と思った。

「ルービーィーちゃん」

 と、字木が競技者たちの執筆スタイルを注視していると、二人の元に一人の女子生徒がやってきた。背が低く、髪の毛が非常に重く見える女子生徒だ。頭に真紅しんくのカチューシャをつけているが、それは髪の毛をまとめる機能を果たしておらず、目元は前髪で隠れている。もうすぐ夏が来ようという季節なのに、重苦しい灰色のカーディガンを身にまとっていた。

「あ、鏡堂かがみどう先輩」と、烏島が応じる。「良かった、先輩を探してたんです」

「そうなの? へへぇ……嬉しいな。紅玉ルビィちゃんも、お小遣い稼ぎ?」

「いえ、私は——ああそうだ、連絡は行ってると思いますけど、新入部員です」と、烏島は字木を指して言う。「はい、自己紹介」

「ああ……こんにちは。はじめまして。一年の字木です。字木文也です」

「あ〜、針屋ばりやっちから聞いてるよ。はじめまして〜。鏡堂逆影さかげだよ!」と、鏡堂は口元だけで笑顔を作り、好意的に挨拶をした。「一年生みーんないなくなっちゃったから、紅玉ちゃんが寂しいんじゃないかと思ってたけど、早速友達が出来て良かったねぇ」

「別にそういうアレではないですけどね」

「いいねえ、男女の青春……私たちの代ってさー……あ、私は二年なんだけどねえナギーくん……【第三十八文芸部サンパチ】の二年って、女二人なのよね……いいなあ、私も青春したかったなぁ……」

「なんですかナギーくんってのは」

「あだ名ー。なぎくんの方がいい?」

「漢字で書くと、で分かれるので、分離点を接合されると、なんかとてつもない違和感があります」

「あー、じゃあぎっくんにしようか〜」口元だけをへらへらとさせながら、鏡堂は言う。「とにかくぅ……なんだっけ? 何の話してたっけ」

「文也が小説を書いた経験がないということなので、学園見学ついでに、色々な執筆スタイルを見ることにしていまして。まあ、残念ながら、今の二人は一般的な打鍵スタイルみたいですけれど」と、烏島は競技者たちをあごで指しながら言う。「この位置からだと、テキストエディタもキーボード配列も分かりませんし、私が部室で打鍵しているのと変わりませんね」

「変わるよぉ。一年生にして有名人だもん、紅玉ちゃんは。こーんな十把一絡じっぱひとからげの執筆風景なんかより、紅玉ちゃんの作業を後ろで見てた方が役に立つと思うなぁ。んん? いやぁ、ぎっくんが初心者だって言うなら、紅玉ちゃんの作業は目に毒かな?」

 けらけらと、鏡堂は笑う。字木は言われていることの半分以上も理解していなかったが、中でも特に気になった『有名人』という部分に対して、「なんで紅玉は有名なんですか?」と鏡堂に問うた。

「答えなくていいですよ先輩」

「やーだぁ」鏡堂は笑いながら言って、「あーそーだ、ぎっくんは途中入学? 遅延組なんだよね。あのねぇ、紅玉ちゃんってば凄かったんだよぉ。各部が入部条件に未発表の新作を応募させてるのは、ぎっくんも知ってるよねぇ?」

「ええ、まあ……俺は参加してませんでしたけど、応募要項は知ってます」

「だよねぇ。学園の生徒になったら、学園外には小説を持ち出せないことになってるけど——裏を返すと、ことも、当然出来ないのよねぇ。ってことは、入部するための原稿をなんてことは、絶対に出来ないの。んん? 絶対でもないか。やりようはあるかもだけど、まあ基本は無理だし、バレたら退学なのね」

「みたいですね。そこは俺も理解してます」

「にも関わらず——紅玉ちゃんは、入学してからたった一ヶ月の期間で、、書き上げたの。そして、四十の文芸部に送った。稿、四十編。まぁ〜ぎっくんは脱稿童貞はじめてだと思うから感覚分からないかもしれないけど、普通、長編小説って、書くのに。短くても、だよ? 短編小説だって、全部の時間を使っても、普通は短くても。なのに紅玉ちゃんは、四十編も書いたのー! 大量生産の鬼! この生産力! しかも内容も面白い! ……だからねぇ〜? 紅玉ちゃんは一躍いちやく、有名人になったの! 各文芸部の部長たちの間で、『あの一年生は何者だ?』って話題になるくらい!」

「……いいですよ先輩、わざわざ説明しなくて」

 確かに感覚的に、字木には分からない部分だった。長編小説や、短編小説という分類の仕方さえ、しっくり来ない。無論、字木は本が好きだから、書籍を前にすれば、物語と対峙たいじすれば、何が長編で何が短編かは分かる。だが、それが数値として、何文字程度のことを指しているのかは——分からない。分からないながらも、数値とは別の意味合いとして……——それは十分に、化物じみた才能だと思えた。

「……すごいんだな、紅玉って」

「別にすごくない」

「すごいよぉ? だって一年生にして——〝自動筆記タイプライター〟って二つ名で呼ばれてるもんね」

「もういいじゃないですか」と、紅玉は顔を赤らめ、そっぽを向く。「嬉しくないですよ、学園内でだけ通用するあだ名なんて。将来何の役にも立たないし」

「……それ、ちょっと気になってたんです」と、字木は口を挟む。「確か、早乙女先輩も、〝文学少女ラプラス〟って呼ばれてるとか——」

「キョコ先輩もそうだねぇ。【第三十八文芸部サンパチ】の部員はみんなそうだよぉ。変人の集まりなのぉ。もっとも、そういう部活は他にもあるけどねぇ」

「そういう文化があるんですね。有名人というか、変わり者って言うか——一部の生徒だけなんですよね、それは」

「そりゃそうよ」と、鏡堂ではなく烏島が答える。「名誉めいよなんだか不名誉ふめいよなんだか分からないけど……まあ、一般的でないって意味では、喜ぶべきかもね。私、この学園に入るまで小説書き仲間がいなかったから、。自分を客観視出来るっていう意味では、そうやってまつり上げられるのもまぁ——マイナスとは思わないけどね」

「確かに、周りが同じこころざしを持つ集まりだからこそ、自分の特殊性が浮き彫りになるってところか。本人は普通だと思ってるけど、ってことは結構ありそうだしな」字木は揶揄やゆするでもなく、素直にそう評価した。「で、うちが全員そうってことは……鏡堂先輩もそういう風に呼ばれてるんですか?」

「知りたい? 知りたい? へへぇ……ねー、紅玉ちゃんが紹介してぇ……自分で言うのなんか急に恥ずかしくなっちゃった……」

「まあいいですけど——というか、そもそも文也を鏡堂先輩に合わせたくて連れてきたので、これが本題なんですけれども」

 烏島は一度、わざとらしく「コホン」と咳払いをすると、賭場の中央にいる生徒たちを指差しながら、「あれが普通」と言う。

「うん、そう聞いた」

「普通、小説はパソコンで書く。。でも、一般的な小説家のイメージって——原稿用紙に万年筆、でしょう。いわゆる文豪がいた時代の作家って」

「ああ——まあ確かに。でも手書きって、場所も取るし手も疲れそうだし、はなから選択肢として考えてなかったな」

「そりゃそう。普通はそう。経済的な理由とか、環境的な理由で手書きをするならまだしも、学園がパソコンをぽんと買ってくれるこの学園にいて、手書きで小説書く生徒なんて普通いない。だけど——鏡堂先輩は、そう。今、全校生徒の中で、唯一なんじゃないですか? 手書きで小説書くなんて」

「……えへへぇ、そうかもぉ……二刀流の人はいるかもだけど……」

「なのに。しかも。まあ最後の一点は度外視どがいししてもいいとして——もしかしたら文也にもその適正があるかもしれないから、紹介しておこうって思ったわけ。先輩でもあるしね。少なくとも、今期の部誌に間に合わせるには、慣れないタイピングより、手書きの方が早い可能性もある」

「なるほど、確かに」

「とにかくそんなわけで、我らが【第三十八文芸部】二年の鏡堂逆影先輩は——全校生徒から〝万年筆オールドスクール〟と呼ばれてあがめられる、超有名人なわけ」

「……すごいのは分かったけど、なんで崇められるんだ? いや非難ひなんするつもりは毛頭もうとうないけど……ひとつのスタイルだろ?」

 烏島は、字木の不思議そうな質問に対し、さらに不思議そうな表情で返す。

「……だって、万年筆に原稿用紙ってスタイルが一番格好いいでしょ? そりゃみんな憧れるよ」

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