第1話

 六月——読島どくじま生徒会長による新入生歓迎挨拶から、二ヶ月が経過していた。

『小説至上主義』という評価が決して嘘にはならないこの学園において、二ヶ月という期間は短いとも言えないし、長いとも言えない。小説の完成度には、執筆の速さは関係のないことだ。しかし事実として——二ヶ月の間にも、莫大ばくだいな量の小説は生まれ、また読まれていた。

 一年生の大半は、五月に入るまでの一ヶ月間に小説を書き上げており、それを各に対して応募していた。通常、部活動と言えば運動系と文化系に分かれ、一般的には運動系部活に属する生徒の方が多いものだが——双法院そうほういん学園において、部活動とはすなわちを指す言葉であった。この学園に、の部活動は

 そして同時に——部活動に属するために、新入生たちは『投稿』をしなければならなかった。上級生が自分たちの部活動に新入生を勧誘かんゆうする一般的な風習とはことなり、志願者しがんしゃが希望する部活動に対して、小説を『投稿』する。そして、審査を通過した生徒だけが、ようやく部活動に属することが出来る。無論、複数の部活動に同時に応募することも基本的には可能だが、ほとんどの部活動が応募作に対して『未発表作』という応募要項ようこうもうけているために、新入生たちは複数の部活動に対して『応募』する場合は、約一ヶ月の間に複数の『未発表小説』を書き上げる必要があった。

 部活動は【第一文芸部】から【第四十四文芸部】まで存在し、それぞれに様々な特色がある。短編小説を得意とする部活、長編小説を得意とする部活——毎月部誌を発行する部活もあれば、部内で厳しい審査を繰り返し、突出とっしゅつした小説のみをする部活もある。また、底辺の受け皿という呼び方はあまりに好ましくないが——速筆の才能に恵まれない生徒たちを抱擁ほうようするような、応募作を求めない部が存在しているのも、確かだった。

 高校生という立場でありつつ、実際にはクラスや学年と言った縦割り横割りは関係なく——、という問題こそが、双法院学園で生活する上でもっとも重要なことであった。

 実際、六月になる頃には、約二百名の新入生のうち九割以上が部活動に所属していた。目当ての部に入るために次の応募作を書いていたり、二ヶ月経過してもいまだにどこに所属すべきか決めあぐねている者、そもそも二ヶ月では応募作を書ききれない新入生もいるので、全員が全員、居場所を見つけられているわけではなかったが……それでも二ヶ月という期間で新入生たちの今後の動き方はほとんど決定してしまったと言っても過言ではなかった。

 そんな六月——一人の生徒が、双法院学園に転入してきた。

 いな、正確に言えば、遅延ちえんと言うべきか。四月の時点で入学することは決まっていたが、諸々もろもろの事情によって二ヶ月、入学が遅れた生徒がいた。

 字木あざなぎ文也ふみや

 正真正銘、十六歳の男子高校生である。飛び級したわけでもなければ、留年したわけでもない。家庭の事情で——居住きょじゅうすべき賃貸ちんたい物件の都合で、どうしても二ヶ月間、入学するのが遅れてしまった。もちろん、彼は入学式には参加していたし、読島生徒会長による演説もしっかりと聴いていた。クラスメートと面識はなかったものの、その存在自体は、四月時点からしっかりと証明されていた。

 が——やはり、二ヶ月間の損失そんしつは大きい。クラス内での雰囲気であるとか、友達作りであるとか、先輩後輩の関係であるとか——まあ、そういうのはどうでもいい。二ヶ月遅れたところで、関係がない。しかし部活動に入るという観点から考えれば、二ヶ月の間に新入生の入部を締め切ってしまっている部活動も当然存在しているからこそ——やはりは、一般的には大きいと言わざるを得なかった。

 しかし——対して字木は、その二ヶ月間に対して、ネガティブなイメージは持っていなかった。

 二ヶ月遅れたことも、部活の選択肢が減ったことも、どうとも思っていなかった。

 ——

 人気部誌を発刊はっかんする部活動に入ることも、有名な生徒が多く在籍ざいせきする部活動に入ることも、生徒会役員が兼部けんぶしている部活動に入ることも——

 この学園で評価を得る方法はとてもシンプルだ。

 

「だからめに来たわけか——」と、【第三十八文芸部サンパチ】の三年生である針屋ばりや秋骨しゅうこつは言った。「まあ、お前の言うことはもっともだ。えーっと、名前……なんだったかな。悪い、登場人物紹介は読まない性質たちなんだ。もっかい自己紹介してくれるか」

「字木、文也です。文字のに、樹木の。文章のに、ナリという字のです」

「字木——いいね、分かりやすい。そして覚えやすい。それは本名か? 筆名か?」

「本名です」

うらやましいよ」と、針屋は肩をすくめる。「俺はもちろん、筆名ペンネームだ。本名は別にある。が——別にどうでもいいよな? ペンネームであれ、本名であれ、それが記号であったって……。だからまあ、俺の本名は詮索せんさくせず、今後は針屋と呼んでくれていい」

「針屋先輩」

「そうだ。そして、話を戻すが——字木一年、お前が言う通り、、という問題は、正直言って。どうでもいいことなんだが、それはあくまでも、に限り——という、枕詞まくらことばが必要になる。お前がただの一般人で、ただの作家志望で、凡庸ぼんような小説しか書けない生徒だと言うなら……こんなところではなく、知名度の高い文芸部か、初心者向けの文芸部への小説投稿をオススメする」

「——しかし、クラスメートからも、先生からも、早急さっきゅうに部活動に入部することをすすめられました。各部の選考会は月末が多いと聞いています。つまり、俺が小説を投稿して部活に入れるのは、最短でも一ヶ月後——七月になってしまう。夏期休暇のことを考えると、ほとんど出遅れる形になってしまいます」

「出遅れる? いやいや、いやいや……お前、字木一年、自分で言ってたじゃないか。、別にどこに属していようがって。それは所属の問題だけでなく、期間にも適用されるんじゃないのか? 。違うか?」

「違いません。違いませんが、それでも早いにしたことはないかな、と思いまして」

「なるほど?」

「少なくとも一学期の間に——自分の名を知らしめる必要があると考えました。俺は、出遅れたと思われたくないんです。二ヶ月も出遅れた割には——そんなあわれみの評価を得たくありません。だから、四月から活動している生徒たちと同じスタートを切りたいんです。ほとんどの部活動で発行される季刊誌は、六月、九月、十二月、三月の四回に分けられる。であれば——この一ヶ月ですぐれた小説を書き上げて、他の一年生と同じ土俵どひょうに立ち、んです」

 字木の発言に、針屋は口笛くちぶえを吹いておうじた。気概きがいがある。いや、。この一年の小説など読んだこともないし、噂すら聞いたことさえなかったが——ここまで言われると、読んでみたくなる。セルフプロモーションの力はそなわっているようだ。もっとも、そんな小手先こてさきの技術、

「なんかそういう言い方されると、カチンと来ますね」と、部室内で小説を書いていた女子生徒が不満げな声を上げた。「同じ一年生として、カチンと来ます」言いながら、ノートパソコンから目を上げることなく、一定の速度でえずタイピングを続けている。

「あ……同じ一年だったか。悪い、俺は君に敵意があったわけじゃないんだが」

「敵意がないのも、それはそれでカチンと来ますねえ……だってそれ、同じ一年生である私が、、ってことですもんねえ」

「いや……そういうつもりじゃないんだが……というか、正直言えば俺は、そんな大それたことを言う資格もないような存在で——」

「まあいいですよ、別に」言いながら、彼女は振り返り、字木を見る。、字木を見ていた。つまり——ノートパソコンの画面から目を離しているのに、。「カチンと来るとは言ったものの——私が決めることでもありませんが、まあ入部してもいいんじゃないでしょうか。こんな風に大言壮語たいげんそうごく字木くんとやらの小説がどんなに面白いのか、読んでみたくなりました」

「いや、俺は自信と気合いを言っているだけで——」

「まあ確かに、紅玉ルビィの言う通りだ」と、針屋は字木の発言を無視して続ける。「意思確認はした。質疑応答しつぎおうとうもした。だがこれはじゃあない。来る者こばまず、去る者追わず——それがこの【第三十八文芸部サンパチ】の部風ぶふうだ。ただし、お前が期待しているような効果は得られないかもしれない」

「効果、ですか」

「確かにうちの季刊誌も、年に四回発行することになっている。次の発行は六月末の即売会だな。だが——字木一年、お前がどれだけ自信のある小説を書こうが、とらの物語を引っさげようが——部長の許可がなければ、掲載はされない」

「部長の許可……ですか」

「おっとぉ、今お前はこう思ったかもしれない。『それってつまり、人間関係で得をするんじゃないか』ってな。『部長と仲良くなれば掲載されるんじゃないか』って。どうだ、違うか?」

「いえ、そんな……いや、まあ、一瞬、思ったかもしれませんが」

「いやいや、いやいや。別にいいんだ。選考する者がいるなら、その選考者の好みの小説を書かなければならないんじゃないか——そう考えるのが。あるいは、子どものママゴトみてえに、人間関係を円滑えんかつにしていれば、——そういう、俺たちみたいな文系人間がもっとみ嫌うような仕組みがあると思ったとしても、おかしいことじゃない。だが……そこは安心していい。うちはそんなに、

「——つまり、針屋先輩は、平等であると」

「ん? ああ……いやいや、いやいや。そうか、ちゃんと自己紹介してなかったな。俺は確かに三年生だが、【第三十八文芸部サンパチ】の部長じゃあない。まあ、事実上の部長と言っても良いかもしれないが——肩書きは副部長だな。まだなったばかりで、慣れてないが」

「でも、ここには二人しか……」

 字木は部室の中を見渡す。ここにいるのは、紅玉と呼ばれた女子生徒と、今会話をしている針屋しか存在していない。

「まあ……うちには、毎日部室に顔を出すってルールはないからな。各々おのおの、書きやすい、読みやすい環境ってのがある。うちの部長ってのは女子なんだが——まあ、割と静かな環境を好むタイプでな。読書も、執筆も、一人でしたがるタイプだ。と言っても、社交性がないわけじゃないぜ? オンとオフをしっかり使い分けているというか……まあ、色々忙しいやつだから、大体、遅れて部室にやってくる」

 と——針屋が説明をしている途中で、コツコツと小気味よい足音が【第三十八文芸部サンパチ】の部室に近付いてくるのが聞こえてきた。その間にも、相変わらず、女子生徒によるタイピングの音は継続けいぞくされている。だが、そのリズムというか、周波数しゅうはすうというか——とにかく耳によく響く軽快な足音が近付いてくるのが、字木には分かった。

「噂をすれば、部長が来たぞ」

 針屋が言ってすぐ、部室の引き戸が開かれる。

 運動系の部活もなければ、音楽系の部活も存在しないこの学園において——放課後の雑音というものは、ほとんど存在しない。大きな音、と言えるのは、どこかで行われる会話の声と、各部から響く打鍵音くらいなものだ。そんな中、足音と引き戸を開く音は、一際ひときわ大きく、彼らの耳に届いていた。

「おはようございます。針屋くん、紅玉ちゃん、今日も元気だね」

 部室に入ってきた女子生徒は——折れてしまいそうな薄い体をした、幸薄さちうすそうな少女だった。中途半端な長さの髪を、左右にお下げにしている。

「はじめまして。そして君は——誰かな?」

「俺は字木文也です」字木は、おくすることなく自己紹介をする。「あなたが部長さんですか?」

「はじめまして。よろしくお願いします。うん、私は早乙女さおとめ京子きょうこと言います。【第三十八文芸部サンパチ】の部長をつとめています。字木君も、元気だね」

「……というわけで、今、お互いに自己紹介してもらった通り——うちの部の部長は、この早乙女だ。【第三十八文芸部サンパチ】の部長でありながら——生徒会役員でもある」

「生徒会」

 字木はその言葉から、すぐに入学式で歓迎の挨拶をしていた読島陽人ようとのことを思い出していた。ほぼ入学初日と言える今日、字木の生徒会に対する解像度かいぞうどはそこまで高くなかったが——この学園の生徒会がどのような組織であるかは、大体知っている。

「もちろん字木一年、お前も知ってるとは思うが、うちの生徒会ってことはつまり【読書倶楽部スーツ・クラブ】の会員であり、そして同時に——これで分かっただろう? うちの部の季刊誌が出るか出ないかは、こいつがに掛かっている。そう言えば、理解出来るよな? ——これがいかに

 その言葉の意味を完璧に理解出来ていたかと言えば微妙なところだったが——それでも、字木にはなんとなく、ニュアンスは伝わった。双法院学園の生徒会、つまり【読書倶楽部スーツ・クラブ】の会員たちは、

「そんなことないよ、針屋くん。もう、私は別に、ただ楽しんで小説を読んでいるだけだし、より良い小説を作るために、指摘してきしているだけなんだから。そもそも、小説ってみんな、面白いでしょう?」

 早乙女は言って——そして、字木の指先を見つめながら、続ける。

「——というわけだ、字木一年」

 針屋は愉快ゆかいそうに言って、字木に真摯しんしな視線を向ける。

「それでも、この部に入るか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る