『ワールド!ワード!ワー!』

福岡辰弥

プロローグ

「人間の本質とは何か!」

 壇上だんじょうから、しんのある明朗めいろうな声がひびく。

 四月——新たなる生活が始まる入学式において、新入生たちが公式に聞いた、在校生による第一声だった。

「人間の本質——それはすなわちだ!」

 登壇とうだんしているのは、私立双法院そうほういん学園の生徒会長である、読島どくじま陽人ようとだった。

 つまりそれは、今年度の学園を代表する生徒による言葉だった。

 双法院学園において、通常〝生徒会〟と呼ばれる集団は、正式名称を【読書倶楽部スーツ・クラブ】としているが——しかし便宜上べんぎじょう、あるいは形式上、または一般的な高校生活の風習として〝生徒会〟という言葉に代替だいたいされる。故に、現在登壇している彼、読島陽人は【読書倶楽部スーツ・クラブ】の代表でありながら、周囲からの認識としては〝生徒会長〟の方が強く浸透しんとうしていた。

という言葉には多少の力強さが含まれる。そのためあえて、ここでは〝言葉〟というもちいることにするが——我々が知る〝言葉〟は、簡単に二分することが出来る! 俗っぽい言い方をすれば、『全ての言葉はことが出来る』というものだ」

 読島は講演台こうえんだいの前に立ち、両手を左右に広げた。そしてそのうち、開いた右手を強く握りしめながら——

「一つは〝法律〟である!」

 と、断言だんげんする。

「君たちがこの学園の生徒である理由は何だ? 何を持ってして、君たちはこの場に、この学園の生徒として立っている? 何故なぜ誰もそれを疑わない? 同じ制服を着ているからか? いな、君たちが休日に私服を着ていようと、君たちはこの学園の生徒である。学生証を持っているから? では、何故学生証をもらえた? 学生証を発行するにる証明は——? そうした疑問を突き詰めていくと、最終的には〝法律〟に行きく」

 読島は突き上げた右手をゆっくりとおろし、次に開いた左手を上下に振りながら、「であれば、〝法律〟ではない〝言葉〟を何と呼ぶべきか? 法律と呼ぶほど誠実ではない言葉は? 完全なる虚構きょこうの言葉は? 日常会話は? それらを総称そうしょうして、我々は何と呼ぶべきか——」

 読島は左手を強く握りしめると、天高く突き上げる。

「すなわち〝〟である!」

 読島の発言に、新入生の空気が張り詰める。そう、そのために彼らはここにいるのだ。

「我々に〝法律〟をさだめる権利はない! 生まれた瞬間から、あるいは死ぬまで、我々は〝法律〟にしばられ、おびやかされ、ふうじられている。しかし! 我々には〝自由〟が認められている。言葉をあつかう自由。言葉を理解する自由。〝法律〟以外の言葉を使用する! 何の変哲へんてつもない日常会話。退屈な日々をしるしただけの日記。だますつもりもなくかれたうそいとしい人を束縛そくばくするための愛のささやき——その全ては、一つの言葉に集約される。それこそが〝〟である!」

 読島の演説に、気の早い生徒たちからの感動にまみれた拍手が始まる。まだ話は終わっていない。まだ演説のオチがついていない。にも関わらず、新入生たちは先走さきばしって拍手をし、うなずき、中には涙を流し始める者もいる。

 新入生のほぼ全てが、この話の流れを知っている。

 その理念りねん賛同さんどうしているからこそ——彼らはこの学園に入学したのだから。

「人間として生きる上で、〝言葉〟を生活から切り離すことは不可能である。我々は対話する動物であり、解釈かいしゃくする動物である。あるいは美術、あるいは音楽と言った、言葉を必要としない表現は限りなく存在するだろう。しかし——しかし諸君しょくんらは知っているはずだ。分かっているはずだ。そうした芸術に対する〝評価〟も〝感想〟も〝感動〟も——その全てに、宿。言葉なくして、我々は人間り得ない。誤解をまねかぬよう忠告ちゅうこくしておくが——言葉がすなわち〝日本語〟であるとは限らない。言葉とは伝達でんたつする手段である。共通の解釈を可能にするための、単なる機能である」

 読島は講演台の中から一冊の本を取り出すと、その本を手に取り、かかげる。

「少なくとも日本に生まれ、日本で育ち、義務教育を満足に受け——この学園に入学した諸君らには、日本語を理解する力がある。頭の出来が多少悪かろうが、運動能力が多少おとろえていようが、芸術的才能に多少ひいでてなかろうが——読むことが出来る。諸君らには、物語を——〝小説〟を読む自由が、! 容姿にめぐまれなくとも! 知能に問題があろうとも! 病弱びょうじゃくであろうとも! 何の才能も持たずにただ生まれ、ただ生き、ただ死ぬだけであろうとも! 人類には平等に、〝小説〟を楽しむ!」

 新入生の中から歓喜かんきの声が上がり、拍手の音が強くなる。渦巻うずまく感情の中で泣きくずれる者もいる。血の気が多いのか、叫び出す者もいる。しかし全員に、読島生徒会長の演説を邪魔じゃましようとする意図はない。あふれ出た感情が、行き場をくした激情が、虚空こくう穿うがっているだけに過ぎない。

「教科書も日記も辞書も! 漫画も雑誌も新聞も! ネット記事もSNSもコメントも! 全てが〝言葉〟であり! 全てが〝小説〟である! 諸君らには今日から三年間、その貴重であり、同時に陳腐ちんぷでもある青春の全てを——〝小説〟にささげてもらう!」

 歓声かんせいは高まり、場はおごそかな空気を失ったまま、熱狂ねっきょうまみれる。

「そして出来ることなら、この学園をるまでの一年間に——傑作けっさく上梓じょうしし、私に読ませてくれ! 私という人間の価値観を、人生観を——人間性を変えてしまうような傑作を書き上げ、! 君たちには〝小説〟を読む自由以上に——〝小説〟を書く自由が存在する!」

 読島は掲げていた本を講演台に叩き付けると、羽ばたくように両手を広げて、マイクを介さず、肉声によって新入生に告げた。

! 〝小説〟によってのみ隣人りんじん尊厳そんげんを破壊し、くるわせろ! 熱狂ねっきょうさせてくれ! 一行一句いちぎょういっく全てを記憶するまで読み直させてくれ! 続編を渇望かつぼうさせてくれ! 監禁かんきんしてでも書かせたくなるような狂気を私にくれ! 現実リアルを忘れるほどの真実ファクトをくれ! 君たちにならそれが出来る。君たちにしか出来ない! 君にだけしか書けない物語を——書いてくれ!」

 新入生たちは熱狂し、嗚咽おえつを漏らす者もいれば、拳を突き上げながら咆吼ほうこうしている者もいる。人生が変わる。今までの平凡へいぼんな生活とは違う——決定的にことなる舞台に、自分たちは今立っている。今この瞬間から、人生が激変げきへんする——否、人生を変える。他人の人生に介入かいにゅうするのだ。その陳腐な世界観を根底から否定し、自分の脳内にある物語の熱狂的信者ファンに、変える。

 言葉によって。

 物語によって。

 小説によって。

「——以上を新入生歓迎の挨拶として代えさせていただく。【読書倶楽部スーツ・クラブ】代表、読島陽人。諸君らによる、新たなる物語の創世そうせいに期待する」

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