間話 止まらぬ王女


私は王族失格だ。

守るべき民達を犠牲にして、愛する自分の妹達のために彼らに戦わせているのだから。


二万人。


この数日間でそれだけのリュミオン人が戦死、もしくは戦闘不能に陥っていた。ここにいるリュミオン兵も既に満身創痍。


無茶な城攻めを数の暴力だけで行い、その数の暴力が効かないハドレ城相手に無茶な特攻を仕掛けて更に兵が戦死した。


敵将を討ち、功績を挙げれば名誉バドラギア人にする。そう言われて彼らはここに立っていた。


だが、私達は知っている。その名誉バドラギア人とやらになれるのは、ここにいるわずか数十人だけであると。


それ以外のリュミオン人は、たとえこの戦に勝利し生きて帰れたとしても、褒章も何もない。これまでと何も変わらない奴隷としての生活が待っている。


私は今からそれをかつての友国であったポルネシア王国、ひいてはポルネシア人に押し付けようとしている。


ああ……私は愚かな王族だ。身内を守るために他者を犠牲にする愚かな人間だ。


だけど止められない。妹達を守る為、王城で首を吊られて逝っていった偉大なる父と愛する母、そして兄弟達の無念が私を突き動かす。

妹達を助ける為、体が突き動かされるのだ。


自分の意思ではもう、この激情は止められない。


ポルネシア人よ、すまない。私はもう、私の意思ではこの身体を止められない。

妹達を助ける為、目の前の敵を全てを薙ぎ倒すまで止まらない。


誰か、誰か私を止めてくれ!!




ハドレ城から数刻程東に駆けるとそこには巨大な谷、カーノ渓谷に差し掛かる。


「姫様、上は無理そうですな」

「ああ、となると谷間しかあるまい」


上を見上げると首が痛くなるほどの断崖絶壁が立ち塞がり、軍を広く展開するほどの幅もない。もしこんなところで待ち伏せでもされたら強行突破しか出来なくなる。


そしてこの渓谷の出口にはそれほどの大きさはないものの、渓谷からの侵入者を防ぐカーノ砦があり、それを落とせばいよいよポルネシア王国が誇る最強の矛、オリオン公爵領へと入る。


現在、密偵の報告によると、オリオン公爵は王城より西の貴族達から兵を募りつつ、急ぎ足で西進していると聞く。しかし公爵領に着くまでにはあと一日はかかるらしい。


それまでの間にカーノ渓谷を抜けたい。そう思っていた矢先であった。


「姫様! 斥候より報告が! カーノ渓谷内に敵軍を確認致しました! 数は五千!」

「五千? それも渓谷内に……?」


それはおかしい。いくら渓谷内が狭いからと言って三万を五千で止められるわけがない。

それに戦略的に見ても渓谷内で立ち塞がるよりも罠などを仕掛けてこちらを疲弊させ、カーノ砦で持久戦に持ち込んだ方が圧倒的に優れている。


「伏兵は?」

「今のところその影すらございません」


おかしい。


あと一日待てば西進してきているオリオン公爵率いるポルネシア西部軍が到着するのだ。


その数、約九万。


さらにオリオン公爵の私兵三万を加え、約十二万もの大軍勢。


我々はその軍に為す術なく蹴散らされるであろう。

それにも関わらずカーノ渓谷内に兵を展開するとは何事か。


民衆からの支持の高いオリオン公爵が、まさかそんな兵の命を無駄にするようなことをするとは思えないが。


ああ、そうだ。旗印の紋章を聞いていなかった。もしかしたら別の領地の貴族がはやって馬鹿なことをしでかしたのかもしれない。


そう思って報告してきた兵に聞いてみる。


「旗はあったか?」

「はっ! 旗はオリオン公爵家の紋章でした!」

「そうか……」


ますます分からない。捨て駒なのか。それともこちらの強さを図る物差しにでもするつもりなのか。


「いかが致しますか?」

「進軍以外あるまい」

「畏まりました」


捨て石だろうがなんだろうが蹴散らすのみ。




だがしかし、渓谷内に展開されたオリオン軍を見て考えを改める。


「姫、あれは……」

「ああ……」


一目見たら分かる。あれは精鋭であると。寄せ集めの民兵にすぎないこちらと違い、一兵一兵が整然とした装備と、専属の騎士にも劣らない高い風格を備えている。

翻る旗は間違いなくオリオン公爵のもの。

つまりあの軍隊はオリオン家の一族が率いているものだ。


彼我のレベル差は歴然。


間違いない。

向こうは五千でこちらを追い返す気だ。


我々はそれを数の暴力で押し返さなければならない。


「姫、激戦となります。お覚悟を」

「ああお前もな」


お覚悟を。六倍の差があってなおこちらは敗北する可能性があるということか。


せめて平原であれば包囲殲滅が出来るのだが、百Mとない横幅ではそれも無理だろう。


正面衝突しかあるまい。


そう覚悟を決め、突撃を開始しようとした時、オリオン軍が割れ、一人の美少年が歩いてくる。


まだ弓すら届かないほどの距離があるが、それでもはっきりと分かる整った顔。短髪で、なおかつ男用の服装をしていなければ少年とは思わなかったであろう。

その少年は、それほどまでに整った顔立ちをしていた。


そんな少年がただ歩いているだけ。


それにも関わらず、私の体は震え、額からは汗が吹き出し始める。


なんだ。これは……。


正体不明の感覚に疑問を持っていると、歩いてきた少年が声を張り上げる。


「我らが友国であるリュミオンの兵達よ! 聞け! 私の名は、レイン・デュク・ド・オリオン! オリオン公爵家当主、ロンド・デュク・ド・オリオンの嫡男である!」


その言葉に私を含めたリュミオン軍全体に動揺が走る。


(今、なんと言った。オリオン家の嫡男?)


あそこにいるのが、かのオリオン家の次期当主だとでもいうのか。


三万の軍勢を前に、精鋭とはいえたった五千しか率いていないあの少年がそうだというのか。


分からない。


悩む私に、レインと名乗ったその少年は更に言葉を続ける。


「私達はリュミオン王国第二王女リリー王女と第三王女ルナ王女を保護している!」


な……んだと……。二人は今、バドラキア国内にいるはずでは。少なくとも私達はそう聞いている。


「ハッタリですよ、ミルハ王女。騙されないように」


私達の監視のためについてきた元リュミオン王国貴族で、名誉バドラキア人の男、ベトレイが私に囁く。


分からない。どちらが真実なのか。


確かに結局この五年間、二人の顔を見ることはなかった。

頭を悩ます私に、ベトレイがさらに囁いてくる。


「ふむ、ミルハ王女殿下は迷っておられるようだ。これはグリド王子にご連絡しなければ!」

「なっ……くっ……」


ベトレイの言葉に私は呻くことしかできなくなってしまう。レインの言っていることが本当なら今すぐベトレイを切り殺して投降しなければならない。


しかし、嘘であればバドラキア国内にいるであろう大事な家族が危険に晒される。さらには、バドラキア国内で奴隷のように働かされているリュミオン王国人の扱いもさらに悪くなるだろう。


俯き、悩む私にレインがさらに説得を続ける。


「我々に剣を向けるということは、同時にリュミオン王家に剣を向けるということである。貴方方リュミオン軍が強制的に戦わされていることは知っている。もし投降するというのであれば、我々ポルネシアはその罪を許し、貴方方を受け入れる準備がある!」

「嘘に決まっています! お忘れですか? 貴方方がこの数日間でどれほどのポルネシア人を殺したのかを」

「……」


揺れる私にベトレイが囁く。


「それに、ですよ。あくまで仮に! 仮にかのレインなるものの話が本当だとして、投降してお二人に会えたとしましょう。そこからどうなさるおつもりなんです? 貴方方三万が抜けたところでこの四カ国連合は止まりませんよ?」


そのベトレイの言葉に私は思わずはっとする。


「そう! かのレインなるものの言葉が本当であれ嘘であれ関係ないのですよ! この戦争でポルネシア王国はなくなるのですから。ならば! 貴女のやることはもうお分かりですね?」

「……目の前の軍勢を倒しカーノ渓谷を攻略する」


呟くようにその言葉を口にする。そんな私を見て喜んだベトレイが、さらに念を押す。


「その通りです! グリド王子もまさか貴方方がオリオン城を落とせるとは思っておりません。しかし、かのレインが本当にオリオン家の嫡男であるというのであれば、捕まえれば大手柄でございます! 仮にリリー王女とルナ王女がポルネシアにいたとしても、改めて貴女が保護し、バドラキア王国にて一緒に安全に暮らせば良いではございませんか!」

「……」

「このまま降伏して、数週間後には滅ぶポルネシアで明日をも知れぬ生活をするよりも、バドラキア王国に尽くし、二人の安全を保証してもらう方が、二人にとってもいいことのように私は思いますがねー」


その言葉を聞いて、私の心は決まった。


「グリド王子も鬼ではない。もし……」

「分かった……」

「はい?」

「レインを捕らえる」


そういうと、ベトレイは一瞬呆けた顔をしたがすぐに満面の笑みになる。


「それは良かった! それにご安心を! 貴女が敵の諫言に騙されそうになったことは報告しないように致しますから」

「ああ……」

「では、失礼いたします」


そう言ってベトレイは後方に下がっていった。


それを見送った私は少しの間放心していた。


ああ、私はまた、罪を重ねるのか。


人質などという卑怯な作戦に手を染め、私達の国の危機を幾度も救いに来てくれたオリオン家すら裏切る。


「堕ちたものだな……」


馬の上で俯き卑屈に呟く。


「姫様、そろそろ……」

「ああ、分かっている」


俯いていた顔を思いっきり上げ、私は叫ぶ。


「リュミオン人よ! 我らが同胞よ! 騙されるな! オリオン公爵家の嫡男が高々五千しか率いずに我らの前に立つわけがない! 妹達はバドラキア王国にいる! お前達の家族もだ!」


ああ……。


「ならば、我々のやるべきことはただ一つ! 我らが家族のため、バトラキアに住まう同胞の為、目の前の敵を討ち倒すのみ!」


誰か……。


「全軍、突撃せよ!」

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーー!!!!」


私達を、止めてくれ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る