やっぱり梅雨は嫌いだ

SEN

第1話 本編

 梅雨は嫌いだ。目の前の土砂降りの雨を見てそう思った。カバンをいくら漁っても折り畳み傘はなくて、また見上げても土砂降りの雨は弱まる気配を全く見せない。残酷な事実に深いため息をつく。スマホで天気予報を確認してみると、どうやら夜までずっと降り続けるらしい。


 どうしたものかと腕を組む。私だって現代の女子高生。雨の中を走って帰るなんてまっぴらごめんだ。でも両親は仕事で迎えは頼めないし、勉強してたから友達は先に帰ってしまっている。八方塞がりとはこのことか。


 そんなふうにうんうん唸っていたら、後ろから何者かに肩を叩かれた。振り向くともう帰っていると思っていた友達の南がいた。


「お困りかね、海ちゃん」


 そう言ってニヤニヤ笑う南の手には大きめの黒い傘が握られていた。


「まぁ、困ってるけど」

「ふむ!なら送ってあげるよ」

「えっ、いいの?」

「いいよいいよ。帰るの海ちゃんと同じ方向だし」

「そっか、ならお願いしようかな」

「わーいやったー!じゃあ入って入って!」


 南はぴょんぴょんと跳ねて勢いよく傘を開き、私をその中に招き入れた。相変わらず騒がしい子だ。でもそんな彼女を見てさっきまでの鬱蒼とした気分がすっかり晴れた。緩んだ表情を彼女に向けながら、私たちは歩き始めた。……そういえば何が「やったー」なのだろうか。


 校門から出て家に向かう。しかしまぁ……意外と緊張するなぁ。南とは気がしれた仲だから相合傘程度どうってことないと思っていた。いや、むしろそんな仲だからこそなのか。


「ねぇ海ちゃん。もっとこっち寄らないと濡れちゃうよ?」


 南が私との間にある隙間を指摘する。彼女の言う通り、私の右肩はギリギリ傘の中に入っているくらいで今にも濡れてしまいそうだ。でも、これ以上近づいてしまったら……いや、なんで私はこんなにドキドキしているんだ。


「私は別に……狭苦しいの嫌でしょ」

「ダーメッ!」


 断った私を南は無理やり引き寄せる。ふわりと花のような香りが私を包み込む。いつも近くにいるから私は南の香りを知っている。そのはずだ。なのにこの香りはひどく甘く感じられて、私の心臓の鼓動を加速させる。


 なんでだ。私と南はただの友達同士で、相合傘くらいで動揺なんてしないはずだ。けれども心の騒音は止まない。私、一体どうしちゃったの?


「よし。これで大丈夫だね」

「うん……ありがと……」


 何も大丈夫じゃない。心臓が痛いし、甘い香りでどうにかなってしまいそうだし。今日の私はなんだかおかしい。


「そういえば、なんであんな時間まで残ってたの?」


 気を紛らわすためにそんな話題を振る。南は部活に入っていないし、遅くまで残って自習をするタイプじゃない。それなのに下校時間ギリギリまで残っていたことに違和感があった。


「海ちゃん、傘持ってなかったから待ってたの」


 彼女の言葉が、ガコンと強く私の頭を打った。


「私のこと好きすぎでしょ」


 流すように笑った声で、南の言葉を冗談にしようとした。それなのに南は力強く私に寄りかかってきて満面の笑みを見せた。


「うん!大好き!」


 南が冗談が通じないタイプという事を忘れていた。臆面もなくそんな事を言ってのけるから、本気にしてしまいそうになる。雨の日のジメジメした空気がどうでもよくなってしまうほど、私の顔は熱くなってきた。


「わたし、今日で雨好きになったかも」

「えっ、なんで」


 アウトドア派で陽気で元気な南が雨が好きだなんて思えなかった。現に雨の日はテンション下がるなーとぼやいていたのを見たことがある。


「だって、大好きな海ちゃんとこんなに密着して帰れるんだもん」

「みっちゃ……!って、いくらなんでも私のこと好きすぎでしょ」

「海ちゃんだってドキドキしてるじゃん」

「んなっ!?」


 間抜けな声を上げた私を見て、南はイタズラが成功した子どもみたいに笑った。


「ぜ、全部分かってたの……?」

「ふふっ、可愛かったよ」


 全て分かった上で好きだなんて言葉をかけて、それを楽しんでいただなんて。私の陽気な友達の正体は小悪魔だってようだ。


「私の心を弄ぶなんて……」


 色々本気にしてしまったのが恥ずかしい。でも、さっきまでのあれこれが冗談であった事を少し残念に思ってしまう自分もいた。そんな時、南はさらに体を寄せてきて、耳元まで口を近づけてきた。


「遊びじゃないよ」


 私も聞いたことがない彼女の低い声が耳を撫でる。ゾワリと身体が反応して、まるで金縛りにあったみたいに動けなくなった。


「私、本気で海ちゃんのこと好きなんだよ。勉強できて真面目なところも好き。私の話を全部聞いてくれるところも好き。今みたいに好きって言ったら素直に照れちゃうところも好き。好き、好き、大好き」


 彼女が囁く愛で溶けてしまいそうだった。意識は朦朧としていて、立っているのがやっと。南が私のことをこんなにも想ってくれていることも、私を骨抜きにしてしまう愛の囁き方を知っていることも全く知らなかったし、想像もしなかった。


「それで、海ちゃんはどうなの?」


 彼女のその問いに対しての答えは決まりきっていた。でも、身体愛を受け止めすぎたせいで予後不良を起こし、言葉を紡いでくれない。


「わ、わたしも……」

「あれ?」


 ようやく口が動いたのに、南はそれを無視して空を見上げた。私も釣られて空を見ると、いつの間にか雨が上がっていた。南は傘を畳むと、雲間から差し込む光に照らされながら振り向いて悪戯っぽく笑った。


「答えはまた明日聞かせてね」

「えっ、ちょっ、まって」


 南は私の必死の訴えを無視して走り去ってしまった。路上に一人取り残された私は、胸に残る微熱を撫でて深きため息をついた。


 熱だけ残して去っていく。私はやっぱり梅雨が嫌いだ。

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