14 姉弟子様(ぽち逃げお姉)登場

「あれぐらい、自分でなんとかしなさい。

 できるだけの力もあるし、与えているでしょ」


 怒りの収まらない顔で歩く姉弟子様こと神奈水樹お姉様の後ろを私は極力音を立てないで歩く。

 こういう時の姉弟子様は怖いので、気配も消したいぐらいだ。

 派手なスーツにはちきれんばかりの胸と尻、太ももを惜しげもなく晒すミニスカート、ウェイブのかかった黒髪が妖艶な顔を引き立て、朱色の唇からおしかりともぼやきともとれる言葉が吐き出される。

 雌豹よろしく怪しげな瞳で睨まれると大概の男は落ちる。

 世の権力者階級は、その地位にいるがゆえにこの世の理から外れる『何か』については知っており、それに備える人間を雇ってその対策に当てていた。

 この国では陰陽師と呼ばれる方々がそうであり、西洋では私たち占い師などが王の顧問として政治に関与していた。

 つまり、私たちの報酬を出してくれるクライアント様である。

 オカルトブームなどでこの『何か』については懐疑的に見られる事も多いが、それゆえに本物は否応でも時の権力者に囲われる運命にある。

 その代償として権力者の衣の下で絶大な権力を得る。

 我が姉弟子様は、そんな一人だったし、私も結局宰相まで上り詰める事になった。

 我が師に見出された時に絶大な力を発揮し、師匠亡き後の一門を背負い、私の保護者を買って出ているのだから本当に頭が上がらない。

 つけられた女帝のあだ名もむべなるかな。

 なお、妹と同じくぽちに物怖じせず、その本性を知ってもなお可愛がりする一人である。


「あ、ちょっと自縛霊なんとかしないといけないからぽち貸して」


 なんて唐突に振ってくるからぽちともどもうんざりする事もあるが。

 私がこっちに帰ってからは、何かあった事がそっこーでバレて私の力を躊躇う事無く使うので通帳の残高に銭が唸る唸る。

 なお、酔っ払ってぽちを抱き枕にする暴挙の後ぽちが逃げるので、私の中で『ぽち逃げお姉』というあだ名をつけて一人つぼに入っていたり。

 ばれたら絶対殺されるが。


 タロットカードにもあるこの女帝はどうもキリスト教以前の豊穣の地母神の名残だという。

 神の座を下ろされた豊穣の女神はそれでも人としての最高位である地位に丁寧に祀られた。

 宗教と信仰の綱引きの結果としてこの女帝は微笑んでいるのだ。

 だが、私は知っている。

 実は女帝と女皇は同じ意味で用いられるケースもあるという事を。

 また、女王という形でそれを当てはめた場合、三人の女傑がこのカートから見え隠れするという事を。

 一人は誰もが知っているプトレマイオス朝エジプト王国最後の女王クレオパトラ。

 帝国の概念が出来る前のローマ共和国においてその体と知恵を用いてローマにあがらった絶世の美女。

 もう一人は、ローマ帝国崩壊の時代において独立を図ろうとしたパルミラ王国の女王ゼノビア。

 彼女も一時はエジプトの女王を名乗っており、タロットの地母神はエジプトのイシス神という説があるぐらいだから、十分彼女も候補に上がる。

 最後は東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世の皇后テオドラ。

 娼婦から皇后に上り詰め、たびたび夫の助言者として国政に関与した結果、後世の歴史家には彼女に女帝の名を与え、タロットの女帝は彼女がモデルではないかと密かに私は思っていたりする。

 ちなみに、この女帝テオドラの有名なエピソードを一つ。

 532年の首都市民による『ニカの乱』の時、彼女は反乱にうろたえて港に船を用意して逃亡しようとするユスティニアヌスを制してこう言ったという。


「もし今陛下が命を助かることをお望みなら、陛下よ、何の困難もありません。

 私達はお金を持っていますし、目の前には海があり、船もあります。

 しかしながらお考え下さい。そこまでして生き延びたところで、果たして死ぬよりかは良かったといえるものなのでしょうか。

 私は『帝衣は最高の死装束である』という古の言葉が正しいと思います」


 この言葉に励まされた皇帝ユスティニアヌスは踏みとどまって反乱鎮圧を決意。

 その後彼はローマ法大全の編成や古のローマ帝国の領土回復など『大帝』の名で呼ばれる偉大な皇帝となる。

 我が姉弟子様の理想とするお方だそうな。

 さもありなん。


 私だったら逃げるね。

 というか逃げたし、逃げて逃げて逃げ切っての果てが王国復興である。

 やはり私は女帝ではないらしい。


「お姉様。

 穏便に解決しようと努力はしたのです。一応」


「また無駄な努力を。

 見えていたんでしょ。こうなる事を」


 世間の風も考えて表では姉妹の関係で通しており、顔を出す席では私が妹という形で姉弟子様の名前を使わせてもらっている。

 だから、さっきの話でいう処の権力者の皆様にとって、私の名前は相良ではなく神奈だったりする。

 なお、この『神奈』という名前は一門の通り名みたいなものだが、水樹姉様は元捨て子という事もあって、この苗字を使わせてもらっているとか。

 ちなみに、水樹の名をつけたのは我がお師匠様こと神奈世羅である。

 この手の一門関係は血が繋がっていない事もあって、絆は普通の家族以上に強い。

 反面、揉めるととことんまで行ってしまうのだが。

 今、私達がいるのは街中にある神奈のオフィスビル。

 このビル霊脈的にまずい立地に立ってて、私とぽちで浄化するまで誰も買い手がつかなかったわけあり物件である。

 使い勝手がいいからと水樹姉様は最近ここを拠点にする事が多い。


「見ていませんよ。

 見えてたら水樹姉様を呼ぶなんて愚行避けるに決まっているじゃないですか」


「言うようになったわね。宰相閣下。

 力は本当に必要なときだけ使うようにしなさいな。

 わかっていると思うけど」


 魂年齢だと水樹姉様とほぼ同年代になっているのだが、この人にはどうも頭が上がらない。

 それが年上の先輩というものよと水樹姉様は楽しそうに笑う。


「成長したわね。絵梨。

 私なんで絵梨の年齢の時にはあたりかまわず未来が見えていたから、そりゃもう人間不信になったわよ」


 過去の事と笑って片付ける姉弟子様。

 だが、十年に一度の逸材とうたわれて我が神奈の占い師一門中興の祖とまで呼ばれる隆盛をもたらしたこの人の少女時代は、孤独以外の文字しかないぐらい真っ暗だったという。

 それゆえに力が強まったのか、その力にその未来が引きずられたのか姉弟子様でもわからないらしい。

 こうやって褒められるとなんかくすぐったいので私は話を変えることにした。


「また香水が変わりましたね。

 今、何人です?」


「三人かな。

 絵梨もさっさと男と遊んだ方がいいわよ。

 占い師たるもの、傍観者に徹しなさい。

 それが未来を見て導く者の宿命ってね」


 我が師匠はいつもこう言っていたが、それをこの姉弟子様は曲解して、ひとりの男と付き合わないというルールにしている。

 まぁ、その事を聞いた師匠が苦笑しただけで済ませたのだから本質的な所では外していないのだろう。

 だから、基本独身が多いうちの一門において姉弟子様はそのプロポーションで既に三児の母だったりするが、皆父親が違い乳母任せという筋金入りのシングルマザーでもある。


 誰かに縛られてはいけない。

 それは縛られた誰かに占いを歪められてしまうから。

 人を愛してはいけない。

 その人の未来が見えて、その未来に介入しない事を誓えるならば。


 それをやってのけているからこそ、この人はこの位置にいるのだ。

 それは並び立つ者がいない女帝の孤独。

 女の幸せを捨てて得た栄光の代償。


「男漁りは向こうで散々やったからとてもとても」

「王の側室やってて、他の男に浮名を流せるほど絵梨はずれてないでしょ?」


 ソファーに体を預けながら、姉弟子様はここ最近お気に入りの一冊の本を片手に笑う。

 私が投げ捨てた『世界樹の花嫁』のデザイナーズノートである。

 悪意たっぷりだが、民俗学および宗教学的見地から見ると、そこそこ説得力があるあたり姉弟子様は気に入っているらしい。


「世界樹の花嫁って、これどう考えても聖娼よね。

 で、貴族社会が作られて血族が幅をきかせているのならば、そりゃ廃れるわよ」


 意外に思えるが、巫女というのは特に豊穣神系は多産を司るので処女であるはすがない。

 それが社会の進化や他宗教との融合によって清濁が分離され、濁の所は娼婦等に落とされたという側面がある。

 たとえば、日本における娼婦の名称は結構あるが、露骨に巫女系統と分かるので歩き巫女なんてまんまの娼婦が居たり。

 で、私達もそんな濁の部分に属する。


「問題なのは、私にせよ相手にせよ世界樹の花嫁に選ばれても機能を十全に生かせない所なんですよ。

 男とっかえひっかえなんて王国閣僚級がやっていれば、大スキャンダルですから。

 選ばれた後でそのまま側室として後宮か、有力貴族と結ばれる」


「で、それだと問題の根本的解決にならない。

 結局食糧生産が上がらないと詰むわよ。この国」


 姉弟子様には全てを話して私の相談役という立場になってもらっている。

 私以上に権力者の間で揉まれ続けていた姉弟子様に愚痴が言えるだけでどれだけ助かっているか。


「きゅー……」


 ごめん。ぽち。

 私の為にももうしばらく姉弟子様の抱き枕になって頂戴。

 決して見捨てたわけではない。多分きっとめいびー。


「とりあえず、早急の課題として教室内の派閥ですね。

 王子様とその取り巻きから身を守るためにも身内を送り込まないといけない訳で……」


 ぽちに頬をすりすりさせている姉弟子様はお師匠様の形見分けでもらった水晶玉を取り出す。

 ぽちが興味津々でじゃれるので良い遊び道具になっている……あれ?


「水樹姉様。

 その水晶少し見せてもらってよろしいですか?」


「よろしいも何も、師匠の形見よ。

 散々見慣れたものじゃない」


 じゃれているぽちから恐る恐るその水晶を手に取る。

 魔力が無くなっているそれを私が見間違えるわけが無い。


「こ、これ……神竜石です……」

「ちょっと待って!

 という事はお師匠様は、絵梨が飛ばされた世界の人間だって言うの!?」


 そして二人して黙り込む。

 私という飛ばされた人間がいるのだから、こちらに飛ばされた人間が居てもおかしくは無い事に。


「向こうで師匠の事を調べておきます。

 私や水樹姉様を育てた才を考えれば、必ず記録が残っているはすです」


 とはいえ、私には時間があまりない。

 スポンサーは粛清寸前で、国はチェックメイト数手前である。

 手が足りない。

 信頼できる人手がと天井を見上げてため息を漏らす。 

 しばらくして、姉弟子様の方から口を開いた。

 こっちが言いたくて言えなかったことを。


「行こうか?

 向こうに」


「……生徒で?」


「絵梨。

 後で説教。

 教師でよ。

 向こうの知識も仕入れたいし、絵梨みたいに魔法が使えたら楽しいじゃない」


 薮蛇踏んだと姉弟子様のぐりぐりに泣きながらも、こっちにとって悪くない選択にをするあたりさすが姉弟子様と言いたくなる。

 生徒側ではないが教師にこちらの味方がいるのと居ないのでは話が違う。

 で、占術学は実は魔法があるがゆえに、向こうの方が劣っている。

 私のタロットではないが、簡単な運命操作ならばできてしまうからだ。


「来る分には歓迎しますよ。

 けど、これは私の問題です」


 助けがほしいけど、私も修羅場を潜ってきた身だ。

 今更姉弟子様に助けを求めるなんて恥ずかしいったらありゃしない。

 嬉しかったが。


「じゃあ、向こうに着いたら絵梨の思い人紹介しなさいよ」


 なんでばれた!?

 驚愕の顔を晒した私に姉弟子様が追い討ちをかける。


「妹弟子の事なんてお見通しよ。

 大丈夫。

 取って食べたりしないから」


 姉弟子様の冗談に私もなんとか笑顔を作って返事を返す。


「無理ですよ。

 まだ知り合ったばかりですし……」


「出会う前に飛ばされたって言ってたわね。

 彼氏との出会いはどんなだっけ?」


「娼婦と客でして」


 生きる為に何でもしたが、決して悪くは無い人生だったと思えるのは年をとった証拠だろう。

 とはいえ、また同じような出会いをしたいかといえばお断りしたい所ではあるが。

 姉弟子様は起き上がってぽんと手を叩く。

 こういう時の姉弟子様の思いつきにろくな思い出はない。


「じゃあさ、絵梨の思い人雇って派閥に取り込んでしまいなさいな」


 なんですと!

 こっちのびっくりした顔が面白かったのか、姉弟子様は楽しそうに笑って言ってのけた。


「なんの為に占い師やっていると思っているのよ。

 で、絵梨がほれたほどの男なんだから、導いてあげなさいな」


「で、本音は?」


「絵梨をおちょくるいい材料」


 ですよねーと繋ごうとして姉弟子様の顔が真面目モードになっている。

 そこから出た言葉は私の事を心配する思いであふれていた。


「絵梨はもう一度恋をやり直すべきよ。

 恋はいやでも自分を変えてゆくわ。

 その時、変わった後でまだタロットカードを持っていたならば、貴方は私の後継者になれる。

 そしたら、私は向こうに住み着いて世界樹の花嫁でもしながら男と遊ぶから」


 この姉弟子様は何を言っているのだろう。

 だが、私の中には確信があった。

 もし魔法を身につけたならば、姉弟子様は当代きっての世界樹の花嫁になれるだろうと。


「水樹姉様。

 お子さん達に跡を継がせないんですか?」


「無理無理。

 そこまでの力も業を背負える覚悟もないわよ。

 やっぱり、お師匠様は正しかったんだろうなぁ。

 神奈は私で終わるって言っていたのよ。あの人」


 それは初耳である。

 私のびっくりした顔を感じたのだろう。

 屈託ない笑い声をあげながら、姉弟子様は続きを話す。


「その後、お師匠様が絵梨を見つけてきた時には驚いたんだから。

 だから、私は決めていた。

 お師匠様が終わると言った神奈の名を絵梨に渡すために今の私はここにいるんだから。

 まぁ、選ぶのは絵梨だけどね。

 けど忘れないで。絵梨。

 貴方には、私のあとを継ぐ未来もあるって事」


 私に見せたその笑顔は女帝に相応しく、威厳と慈愛に満ちた優しい笑みだった。

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