2 侯爵家の事情、統合王国の事情、私の事情
「お前が召喚された花嫁か?
娘によく似ているじゃないか。
オークラム統合王国宰相にしてシボラの街の君主、リラック・ヘインワーズ侯爵だ」
自己紹介をした冷徹なる野心家と評判のヘインワーズ侯はドS系イケメンだった。
おそらく年は30前後だろうか、野心の為か体からでるオーラというか気魄が凄い。
この国では、身分が分かるように勲章をつける風習がある。
彼の胸についている勲章は執政官章という勲章で、宰相とよばれる王国国政中枢の人間の証である。
何でこいつと大賢者モーフィアスがつるんでいたかというと、世界樹の花嫁を異世界から召喚するためのスポンサーが彼だったらしい。
召喚儀式の後、遺跡近くの建物での会見である。
「どうした?
じっと俺を見て」
「いえ。
色々と思う事がありますが、それを言うのはやめておきます」
「宰相閣下。
彼女は我らの後に生まれし花嫁。
我らの末路を知っている者ですぞ」
大賢者モーフィアスがよけいな事を言って、ヘインワーズ侯の視線が更にきつくなる。
あえて何も語らなかったら、ヘインワーズ侯が皮肉めいたため息を漏らした。
「どうせ近く失脚して降ろされる身だ。
その名前で呼んでくれるな。
で、この様子だと俺の野望は失敗した訳だ」
「成功の確率はそれほど高くもなかったでしょうに」
うわぁ。
こちらの微妙な態度で己の野望の失敗を悟りやがった。
これだからイケメンチートってのは。
しかも失敗の可能性高いのに野心剥き出しで博打していたとは、それに付き合うというか金を出させた大賢者モーフィアスもいい性格してやがる。
「で、俺の野望の果ては結果としてどうなった?
言え」
「それを私が言う義理があるとでも?」
こっちも伊達に陰謀渦巻く宮廷に長く身を置いた身だ。
これぐらいのイケメンの脅迫に屈するほど私は軽くはない。
設定資料だと国王パイロン三世が近く親政を行う予定で摂政としてグロリアーナ王妃をつけ、宰相位を廃止しようとしていた。
もちろんからくりがあって、政治経験の無いグロリアーナ王妃に摂政ができる訳も無く、補佐という形で実務を握るのが第一王子のアリオス殿下で、摂政もアリオス王子に近く変わるだろうと噂されていた。
そして、ヘインワーズ侯とアリオス王子の関係はあまり良いとは言えなかった。
「確かにないが、お前は俺の娘になるのだからな。
娘の事は知ろうとしない親はいないと思うぞ。
幸い、容姿も娘と似ているからな」
「特に、世界樹の花嫁になる娘ならばですか?」
ヘインワーズ家は商人出身で、その経済力から爵位を買って国政に関与できる法院貴族と呼ばれる成り上がりの代表格である。
世界樹の呪いによる不作は穀倉地帯である南部諸侯の没落をもたらし、彼の代でその南部諸侯の名家たるシボラ伯の娘と縁組した事で領地を持つ諸侯となり、宰相である執政官の地位について権勢を大きく伸ばした。
だが、そこから先は王家や諸侯に阻まれて執政官の地位を降りざるを得なかったという乙女ゲーにあるまじき権力闘争が背景としてある。
シボラ伯の娘の一人が側室として王家に嫁ぎ、第三王子であるカルロスを生んだからだ。
彼を王位につけて、彼の娘を世界樹の花嫁という箔をつけて王妃にするという野心の為、主人公への意地悪は露骨に政争が絡み、ヘインワーズ侯の娘よりその取り巻きからの容赦ない攻撃が主人公を襲うという実に陰湿ないじめの集中砲火を最後まで浴びる事になるのだが、その末路も政争がらみだからしゃれでなくえぐい。
ヘインワーズ侯の反乱と処刑によって取り巻き達も巻き込まれて、領地没収、御家断絶、爵位剥奪、財産没収の上追放と完膚なきまでに一掃される事になる。
これがその後の統合王国崩壊の引き金になるのだから、世の中ってのは分からない。
ゲーム開始前だから、まだ宰相閣下な訳で、失脚も決まっていると。
そりゃ、逆転の手を娘に賭けたくもなる。
「で、本来居るはずの娘さんはどちらへ?」
私の質問に、ヘインワーズ侯の顔が苦虫を潰したように渋くなる。
触れたくないのだろうが、そもそも、本来の登場人物であるヘインワーズ侯の娘エレナが居ないがためにこんなとりかべばやが起こっている訳で。
「お前が出た事で、縁談が決まる。
ベルタ公の次男とな」
ベルタ公。
封建貴族だけでなく王家の血を引く諸侯の取りまとめ役で、ヘインワーズ侯のライバルでもある。
ヘインワーズ侯と同じ執政官章を持ち、この国の議会である王室法院の議長を務める要職にあり、王からの信任も厚い。
『世界樹の花嫁』における、主人公側の支援を行う貴族なのだが、普通の町娘である主人公がこの古参貴族から支援を得られたのは、主人公がお約束の王家のお姫様であるからに他ならない。
かくして、意地悪をしていたヘインワーズ侯派は主人公の正体暴露によって、王室侮辱罪に問われ、そこから一発逆転を狙ったヘインワーズ侯の反乱という形に流れてゆくのだ。
で、王家の忠臣としてベルタ公が宮廷を差配するのだが、それに世界樹の花嫁がそばにいればまだ良かった。
しかし、自由恋愛の結果ついに世界樹の花嫁は現れないという最悪の結末を迎える。
徐々に深刻化する不作と急騰する穀物相場に貴族だけでは対処できず、ヘインワーズ侯粛清の結果、新興貴族や商人層がそっぽを向き、国民の怨嗟が王室に降り注いで……後はまた語る事にしよう。
話がそれたが、エレナとベルタ公次男の婚姻だが、狙いは明確に世界樹の花嫁阻止以外にない。
「……ベルタ公の次男?
もしかして、キルディス卿ですか?」
「ほう。
そなたでも知っている名前か。
庶子ゆえ宮廷にも顔を出していない騎士なのだが」
言えない。
主人公側の護衛騎士で、攻略キャラで、王道カップリングの相手だと言えない。
たしか、ヘインワーズ侯は一人娘のエレナしか子供が居ない。
この国では女子に爵位継承ができるが、この場合は庶子であるギルディス卿に爵位を渡して彼を表に出すつもりなのだろう。
とりあえず、私は話を変えることにした。
「そんなに嫌なら、お止めになればよろしいのに?」
「臣下の争いを憂慮した陛下のご意向だ。
無碍にする訳にはいかぬ。
婚姻の持参金としてかなり裕福な領地をベルタ公は出しているしな」
貴族と新興貴族の違いは土地を持っているかどうかである。
土地収入によって生活し自前の軍事力を持つのが古くからの貴族で、彼らの事をこの国では封建諸侯と言う。
投資など商業によって爵位や領地を買い、その経済力で傭兵や冒険者を活用するのが新興貴族。
ヘインワーズ侯みたいに成り上がって爵位や領地を買い、立法府である王室法院の貴族席を買った事で法院貴族と呼ばれている訳だ。
領地つきの婚姻というのは、領地を持っていない法院貴族が諸侯として振舞えるという意味でもあるのだ。
事実、ヘインワーズ侯はシボラ伯との婚姻でシボラの街という領地を得て諸侯として振舞っている。
わざわざ、ベルタ公と縁組をする必要は無いはずなのだ。
表向きは。
「失礼ですが、ヘインワーズ侯。
あなた何をやらかしたんですか?」
もちろん知っているのだが、こうやって相手に振らないとその事を口にできないのがつらい。
で、向こうも薄々知っているだろうがという顔でにやけてその理由を口にした。
「ベルタ公を追い落とす為に次代の国王の王妃にエレナを据えようとした。
感づかれて、失脚寸前に追い込まれているがな」
『世界樹の花嫁』は乙女ゲーらしく攻略キャラに王子様達がいる。
ヘインワーズ侯の狙いは娘が世界樹の花嫁になった上で王子に見初められて、その王子が王となった時に后となってその子供が王家を継ぐというある種オーソドックスなものだった。
その時は世界樹の花嫁そのものにも権威があるので王子に見初められなくても次善の策が打てるはずだったのだろうが、ベルタ公に先手を打たれて駒そのものを潰されたという所だろう。
「それで、代わりの人間を急遽引っ張ってきたと?」
頭が痛くなるのをぐっと堪える。
まさか、そんな理由でまたこの世界に呼ばれようとは。
「来たという事は、お前はヘインワーズの縁者なのだろう。
何しろ成り上がりだから、どこにどんな血が隠れているか分からないからな」
実に楽しそうに笑うヘインワーズ侯。
せっかくだ。
ゲーム内の偉人に一つ訪ねてみよう。
「何故王妃を?
成り上がりとはいえ、領地を買った貴方ならば野心さえ見せなければ封建諸侯として迎えられたでしょうに」
以前から聞きたかったことだ。
ぽっと出の成り上がりと違って、宰相までつとめたヘインワーズ家は南部諸侯のシボラ伯の領地を買い、封建諸侯と同じ土地持ち貴族になっている。
代替わりして数代もすれば、封建諸侯として振舞えただろう。
彼の野心、統合王国王座の地位をどうして目指すのかを知りたかったのだが、その質問に彼は嬉々として答える。
「決まっているだろう。
そこが頂点だからだ。
行商人からはじまったヘインワーズ家が、300年もの長きに渡ってこの大陸を統治していた統合王国の頂点に立つ。
散々身分のみで馬鹿にしてきた諸侯の馬鹿どもを見返すのに、これ以上の理由があるとでも?」
うわぁ。
それ、めっちゃ分かる。
なまじ体裁を整えたから、かえって差異がはっきりと出たのだろう。
で、宰相職を降ろされそうならば恨みもある訳で。
私も立場的に法院貴族や商人側だったから、復興後生き残った貴族と折り合いが悪かったのだ。
元の世界に帰るという名目で宰相職を辞したのもそのあたりが絡み、復興して力を戻してきた諸侯に王宮側が配慮したという側面があったり。
「野心の根源については納得しました。
けど、縁も縁もない私を分家筋という形にして養女にするって思い切った事をしますね」
「大賢者殿に頼んだのは縁者の召喚でな。
このヘインワーズの縁者を時空より呼んだ訳よ」
実に満足そうにヘインワーズ侯が笑う。
その笑みがモーフィアスに向けられたものと察するのに少し遅れる。
「娘とよく似ているお前を見て、他人の空似と思うのは無理でな。
それに、新興貴族の良い所は女遊びは派手で商売女も囲って血も入っているし、三代も遡れば誰も分からぬ。
俺も親族も心当たりはいろいろあるのでな」
私は堂々とため息をつかざるを得ない。
まあ、認知してくれるのならばしてもらうべきだろう。
なお、彼の発言を後に同じように言った人間が居ますよ。私だけど。
「エリー。
エリー・ヘインワーズ。
それがこちらでの私の名前です」
「何だ。
本当に俺の末裔か!」
「まさか。
あなたのやり口にあまりに似ていたので、名前を押し付けられたのですよ」
私がげんなりとした顔で吐露するとヘインワーズ侯も面白そうに笑う。
けど、大賢者モーフィアスはこの会話で私が隠したかった事を容赦なく突いてくる。
「称号は?」
「……お答えしたくありません」
名前の前に称号というものをつけ、称号の後に爵位がくるのが正式な自己紹介となる。
具体例として、私のこちらでの正式な自己紹介を出そう。
オークラム統合王国宰相にして主席宮廷魔術師かつ神竜を従えし者 エリー・ヘインワーズ 侯爵
ほとんど早口言葉である。
こんな称号を持つ羽目になったのもただの庶民(というか異世界人)が多大な功績をあげちゃったものだから、復興後の貴族達のいやがらせをさける為に戦乱前に滅んだヘインワーズ侯爵家の庶子という形で経歴をでっちあげたからだった。
だから、ヘインワーズ家の家紋である『秤に乗る金貨と剣』は私の紋章でもあったりする。
彼の胸に輝く執政官章はもちろん隠しているが私も持っているのだ。
案外、そのあたりで召喚に引っかかった可能性もなきにしもあらず……
「あら、貴方が私の新しい妹なの?」
そんな声が聞こえてきたのでその声の方を振り向くと、私が居た。
違うのは、私が黒髪ストレートなのに対して、声の主の私は金髪でウェイブかかっているぐらいだろうか。
「貴方がエリーね。
本当に私によく似ているわ。
私の名前はエレナ。
貴方の姉という事になるのかしら?
シボラの街の君主の娘、エレナ・ヘインワーズよ。
よろしくね」
金髪の私は一方的な自己紹介後、私の手を取る。
エレナ・ヘインワーズ。
本来、悪役令嬢になる予定の彼女は、成り上がりゆえにお嬢様たらんと努力して、それ以外の政治の部分で没落の引き金を引いた女。
美しい金髪とそれを魅せつける薄色のロココ調のドレスが良く似合っている。
こちらが黒髪なのに対してエレナが金髪なので見た目の違いははっきりしているが、顔つきとか目元とかのパーツがよく似ているのだ。
お互い華やかな飾り紐がつけられ、姉妹らしさを醸し出している。
なお、こちらも挨拶するというので、向こうで作った赤のお姫様ドレスを着込んでいたり。
「エリー・ヘインワーズと申します。
どういう縁なのか知りませんが、ヘインワーズの名前は汚さぬよう努めてまいります。
エレナお姉さま」
受けるにせよ受けないにせよ、ここは私が下手に出る。
にっこり。
笑顔とは、友好的な相手に向ける攻撃の意志の別名である。
「ありがとう。
頭の回転が早い妹を持って私は幸せだわ」
「ほほほ」
「うふふ」
お互い腹の底では何を考えているかわからないが、表面上破綻しない姉妹関係というのを作ることに成功。
彼女の登場は顔見世でもあったのだろう。
彼女の視線が肩で寝ているぽちに行く。
ぽちぐらいだと、お嬢様の眼光で怯みもせずに惰眠を貪れるからさすがだ。
「手は出さないほうがよろしいですよ。
これでも神竜クラスの守護竜なので」
先にネタばらしをしてトカゲと侮られないように釘をさしておく。
高い知能と強大な魔力を持ち、守護竜として契約するのに莫大な資金と知識と魔力が必要なこれもこの世界ではステータスとなる。
「お父様。
私もこれ欲しいですわ」
「勘弁してくれ。
それ一匹で、家が傾くぞ。
姉妹同士仲が良いことだ」
もちろん彼女も本気で言っている訳ではないが、後にそこそこ高価で強力な守護獣を使役する彼女の姿を見ることになる。
それに協力したのは私なのだが。
わざとらしく、ヘインワーズ侯が咳払いをして話を打ち切る。
「お父様。
ずるいですわ。
わたくしに隠れてこんな可愛い妹を作るなんて」
こっちの様子を伺っていたのだろうヘインワーズ侯爵が声をかけると、エレナ義姉様がヘインワーズ侯爵に甘える。
待てよ。
ヘインワーズ侯の年で、この年の娘ができるって事は……
「さてと。
エレナは向こうに行っていなさい。
エリーと少し難しい話をしないといけないからな」
「ええ。
おやすみなさい。お父様。エリー。
今度一緒にお茶しましょうね」
エレナが笑顔で部屋から出てゆく。
ドアが閉められて、その音が聞こえてから空気がすっと変る。
「さてと、本題に入ろう。
お前が世界樹の花嫁を目指す代償に俺は何をすればいい?」
このあたりの切り込みはやり手だと感じずには居られない。
こちらが話を聞くという事が条件次第で受けてもいいとシグナルを送っていると感づいているからだ。
「今のところは何もしなくて結構。
むしろ大人しくしていてください。
取り巻きも不要です」
というか、勝手に取り巻きが動いたら詰む。
話は私にとって最大の懸念事項に移る。
「エレナ様はどのように?」
「最初は姉妹として出すつもりだったが」
それを聞いて私が途中で遮る。
ろくな事にならないのが目に見えているからだ。
「王都の学園で問題はないかと。
世界樹の花嫁は私が目指すのでしょう?」
世界樹の花嫁を目指す場合、世界樹がある街の学園に行く必要があった。
だが、世界樹の花嫁はその特異性から俗世の権力からの中立を謳っており下手な介入ができず、王都の貴族専門の学園の方が質も警護も高い。
「一番恐れるのは、エレナ様の方を狙われて、手も足も動けなくなることです。
全てを私に任せて頂きたい」
それがこっちの最低条件だ。
とはいえ、傲慢な要求にヘインワーズ侯が苦笑する。
「それを断る事は?」
「貴方がそれを望むとは思えない。
私との会話で、貴方の野心が潰えた事を悟った貴方です。
分の悪い賭けだからこそ、危険は排除するべきでしょう?」
分の悪い賭けなのは彼も分かっている。
だからこそ、その掛け金に全額をつぎ込む必要はない。
暗に切り捨てろという私の要求にヘインワーズ侯は呆れたような溜息をついた。
それを肯定と受け取った私は、大賢者モーフィアスの方を向く。
彼に頼まないといけない事の方が大きい。
「送還用のゲート管理をお願いします。
私にも向こうの生活があるので、同意の上での召還ならば魔力も少なくてすむはず。
向こうに帰る。
これが私の最低要件です」
「儂への弟子入りは要求せんのか?」
大賢者モーフィアスの問いかけに私は笑って答えた。
「だって、私が行くのは世界樹の花嫁を輩出する学校ですよ。
そこから学ばなくて、何を学べと言うので?」
ついでだから、魔力が枯渇した世界樹の杖の修理もお願いしておこう。
手っ取り早く直すのには世界樹の枝が必要で、世界樹が枯れた『ザ・ロード・オブ・キング』では修理にえらく時間がかかったのだ。
大賢者モーフィアスは私の杖を受け取って、笑って承諾したのだった。
「折角だから聞いておきたい。
虫のいい頼みではあったが、それでも受けたお主の理由とは何だ?」
会話も終わって、帰る為にゲートに入った私に、モーフィアスが尋ねる。
それに答える必要もなかったが、魔法陣が光って彼の姿が見えなくなる前に、その理由を告げた。
「やり直したい過去があったって事ですよ。
私にも」
聞こえたがどうか分からないが、光が消えると私は現在に帰っていた。
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