■本編
■プロローグ
死んで足元に花畑が広がっていくのには変な感心があったが特に驚く事もない。元々感動の薄い性格だ。それが先天的なものなのか、彼の思うクソのような歴史によるものなのかは不明である。
「……っ!」
そんな彼がハッと息を呑んだのは生まれてから死ぬまで初めての事だった。
──花畑の中心に女が立っている。金色の長い髪と意匠をこらした白いローブを纏う女。その姿を形容するのなら女神という言葉が最もふさわしかった。
「あなたに使命を与えます。その知恵と勇気で異世界を救ってください」
「はい」
突然すぎる女の命令だったが、門馬は間髪入れずに頷いた。古臭い映画のプロポーズのシーンのように、自然と地面に膝をついて。
まるで冷静のようだが、まったく違う。まず女神が何ていったかなんて聞いちゃいない。
目は血走り、心臓はバクバクと高鳴っていて、しかしそんな所は見せたくないとポーカーフェイスを作る必死な男の顔だ。
門馬智彦にとってその出会いは初恋で一目ぼれであった。
友も恋人も、甘えられる親もいない灰色の人生に初めて色がついたのだ。
「あ、あの。なんでもやりますから。その、僕の……え、異世界?」
しかし人の話は聞くものだ。それを怠った門馬に突如青い雷が降り注ぐ。
彼は碌な理解も進まないままに”異世界”へと送られることになるのだった。
………
……
…。
「ただいま女神様」
それから十年後、再び門馬は女神の花畑へと返ってきた。
女神の言葉も聞かずに異世界へと転生させられた門馬だったが、行ったら行ったで順応できた。恋のパワーとは凄まじい。
それに十年間の冒険は男を成長させる。感情も元気もないもやしのような少年はすっかり余裕のある青年の貌つきへと成長していた。
「やー、またここに来るの大変だったよ。まさか植物が悪の根源だったなんてね。でも女神様の加護ってやつ? 倒さなくちゃいけない奴は黒いもやもやが見えて分かりやすかった」
「……」
「女神様。僕はちゃんと異世界を救った。今度は僕の番……だよね。ここにまた来るために僕、崖から飛び降り自殺までしちゃったからさ」
「……」
「敵を倒せば女神様に会えるシステムにしてほしかったよ。僕は貴女にこの言葉を伝えるために頑張ってきたんだ。女神様、僕は……」
「あなたに使命を与えます。その知恵と勇気で異世界を救ってください」
「え?」
女神が十年前と変わらない表情で、そう言い放つ。呆然とその美しい相貌を眺めていた門馬には再び青い稲妻が。
目が覚めると、またさっきまでとは異なる”異世界”に送り込まれていた。
「…………ふ。くくくく。はーっははははは!」
壁にネオン状の光が走るサイバティックな路地裏に彼は捨てられたようにぶっ倒れていた。さっきまではヨーロピアンな異世界だったが今度はそういう意匠の場所らしい。
「なるほど。一つ世界を救ったぐらいじゃ、確かに貴女の美しさには見合わない。……いいでしょう。あなたが望むだけ僕は世界を救いますよ」
そう決意してから、門馬はあらゆる異世界を訪れては悪とされる根源を討ち続けた。もちろん苦難がなかったわけはない。むしろ苦難の連続だ。
「久しぶり女神様! もう三十年はぶりかな。死ねば若返るのはいいね」
「あなたに使命を与えます。その知恵と勇気で異世界を救ってください」
「あらら、まだ駄目」
彼にとっての救済とはその世界に存在する悪の根源を討伐すること。
しかしその対象を見つけるのに時間がかかったり、不死だったり、そもそも門馬が訪れた時代にはまだ産まれていなかったりと毎度の事ながら苦労させられた。
特別な力を持たない彼にとって唯一の能力といえば、悪の根源とされる対象が分かりやすくマーキングされて見えることだけ。
「130年ぶりかな。これ、女神様のためにお花を摘んできたんだ。まぁここの花だけど」
「あなたに使命を与えます。その知恵と勇気で異世界を救ってください」
「今回も美声だね……だんだん声色の違いも分かるようになってきたよ。今日ちょっと元気なさげ?」
人道的な過ちもたくさん犯した。そうでもしないと特別な能力のない門馬に悪の根源を絶つ事は出来ない。
もちろん一回目の時のような冒険もあったが、暗殺者のようにひっそりと命を奪う事の方がずっと多かった。
「これで一三回目だね。僕もこの身体に馴染んできたよ。女神様もやってみる?」
「あなたに使命を与えます。その知恵と勇気で異世界を救ってください」
「え、それって僕と付き合ってくれるってことだったりする?」
だが異世界によって、普通の肉体ではどうしても太刀打ちできない事もある。十一個目の世界で全身をサイボーグに改造させた。身体能力は通常の人間の五倍以上は有しており、女神の命令を達成させる事だけに長けた機能もふんだんに詰め込ませてある。
おかげで身体の8割は機械に代わり、感情の起伏もずいぶんと元に戻ったものであるが女神への恋心だけはずっと失わずにすんでいた。
──しかし十八回目の転生を終えた後。年月でいえば既に800年の時が過ぎた頃である。
いつもの花畑にやってきた門馬を迎えたのは女神ではなく、見た事のない黒い雨であった。
「あれ……女神様? 女神様! この雨は……はっ!?」
その雨には強い酸性が含まれているのか、自分の身体が溶けていくのが分かった。恐ろしい速度でぐじゅぐじゅに溶け千切れていく肢体に対して門馬がしてやれることはなにもない。
とても立っていられなくなった門馬は花畑にうつ伏せでぶっ倒れる。鼻腔センサーを泥水の匂いが掠めた。
「一体……何が。……ぼ、僕の初恋が、この程度で終わる……と」
恨み節は豪雨の前にかき消され、やがて門馬の身体ごと全ては泥の中へと溶け込んでいった。
■第1章
「何度言ったら分かるんだアルニカ!」
「びゃあっ……!」
ギルドの集会場にある談話室。そこで響く男の一喝に少女、アルニカは長耳と猫のような白い尻尾をぶるると震わせた。桃色の前髪に隠れた瞳もうるうると潤んでいる。
「お前は”女神狩り”には参加できない。確かに多少怪我はしにくいかもしれないが、弓を引く力も槍を振るう技術もないお前を連れて行っても何の役にも立たないだろうが」
「で、でもでも。私たちは戦う人ばかりで……情報を残す人が誰もいません……やっぱり、これですと、あの……無駄になってしまう可能性が高いと、いいますか……」
「何ィ!? お前は俺たちが失敗するとでも言うのか!! えぇ!?」
「びゃうっ……」
少女はよわよわしい態度であるが、怒鳴る男よりも背丈が一回りほど大きい。なのでややアンバランスな様相を呈していた。
男──コルマは同じく長耳と黒いボサボサの尻尾を逆立ててさらに怒気を強める。
「いいかアルニカ! お前はラントとゾネの忘れ形見だからギルドに居させてやっているが、本当は村で畑仕事をするべきなんだぞ。分かっているのか? 次またおかしな事を言い出したら、お前は追放だからな……!」
「う……はい」
ラントとゾネ、というのは10年前に死んだアルニカの両親である。コルマは彼らに託されたからこそ、アルニカを危険な目に合わせたくない気持ちがあった。
しかしそんな想いを知ってか知らずか──アルニカはその危険な”女神狩り”に参加したがるので、いつもいつも頭を悩ませていたわけである。
(まったく……。おどおどしているわりに、どうして”女神狩り”の事になると意固地になりやがる。親のかたき討ちって柄でもないだろうに……)
困った娘を残していきやがったもんだ。談話室を出ていくアルニカの後ろ姿を見てコルマは亡き男に向けてひとりごちた。
そんなコルマたちの親心はどこへやら、アルニカは悶々とした想いを抱きながら山道を歩いていく。
これから”第四次女神狩り”が行われる。まだ少し時間があるが一時間後には山の麓にある前時代の遺跡──旧都市に巣くう女神を狩り殺しに行くのだ。
アルニカの両親は、その旧都市の女神に殺された。恨みの深い相手である。
しかしそれ以上に女神狩りギルド『フォリスカ』のやり方に強い不満を抱いていた。
もう四回もアレと戦っているのに、まったく狩れる気がしない。
それは一重にフォリスカに学びがないからだ。参加メンバー全員を戦わせるばかりで、記録する者がいない。昔ながらの伝統だとか、ヤノルの雄の矜持だとかそういう理由らしい。
(だ、だから私がやるって言ってるのに……。メモなら得意なのに……)
アルニカはいつも持っているメモ帳をぎゅっと握りしめる。これから行く山菜取りにはこれっぽっちも関係のない代物であるが、そんなところにも持っていくほど大事な物でもあった。
「うう……でも、確かに私に戦う力があれば」
コルマの言う事もよくわかる。実際アルニカは背丈だけは並みの雄ヤノルと同じくらい大きいが、膂力がまるでない。ちょっとした運動でしょっちゅう息切れするぐらいである。
「ぜー……ハー……ぜー……」
というかこの山道を登ることでもがっつり息切れていた。
「確かにコルマさんの言うことも合ってるんですよね……げほ……こんな私じゃ、女神狩りに参加しても……って、ぎゃああ!」
余計なことを考えて斜面を歩いていたからか、うっかり地面を踏み外してずるるるっ!と転がり落ちていく少女。整備なんてされていない山だ。茂みの先には崖が広がっていることも少なくない。
まさにアルニカは転がり滑って崖へと投げ出される所であった。
寸前のところで地面に埋まった何かを掴んだことで事なきを得る。ふぅ……と安堵の息をこぼしたのもつかの間。
「びゃああああ、て、て、手ぇ!?」
地面から生えていたものは──五本指をパーにしている手と腕。
何とか姿勢をたて戻し、腕から距離をとる。
「これは……死体……? にしては血色がいいような……しかも、子ども?」
もう少し確かめてみよう。そう思い、その辺で拾った木の棒でつつこうとした瞬間、手は真上に向けてボコン!と持ち上がった。
砂埃を撒き散らして地中より手の主が這い出てくる。それをアルニカはあわわとみているばかりだ。
──手の主は、アルニカが想定していたように子ども……というよりも青年未満といった面構えの男であった。
片目を隠すほど無造作に伸びた黒い髪の毛に全身真っ黒い服を着ている。いやアルニカにはその服装に覚えがあった。
「前時代の服装……。確か……」
アルニカはメモ帳を開く。そこには前時代についての情報を学んだ時にメモった物も載っていた。
「そう、そうだ。制服。学生服! 君は一体」
『あなたは……この異世界の住人か……』
「え、は、はい。そう……なんでしょうか?」
『僕が質問をしているのだが……』
「そ、そうだよね! ごめんね! えっと、答えになるか分からないけれど。ここはヤノルの民が暮らしている地区で、私はそこのギルドで働いてる……アルニカ、と言います」
『アルニカさん……か。こんな状況なのに、冷静に説明してくれて礼を言う。僕は門馬だ。恐らくこの世界を救うために女神に遣わされた存在だ。これ、言って通じる異世界と通じない異世界があるんだけど、君は率直にどう思った?』
「え、えっと。酸素欠乏症ってやつ、かな」
『OK。今言ったことは忘れて欲しい。僕は……そうだな、ただの行き倒れだ。ギルドがあるって話だけど、連れて行ってもらってもいいかな』
「も、もちろん怪我をしてるみたいだし連れていくよ……。でも、そのすごく気になるんだけど」
『なんだ』
「顔が、まったく動いてなくて。それで声が喉から聞こえているけど……それ、どうなっているの?」
『!? まさか』
門馬と名乗った少年は声色のみ焦った様子で自分の顔を触って確かめる。そして色々な事が分かったようで、「はぁ……」とため息をついた。
『人工表情筋がまるで動かない。これじゃ怪しまれて当然じゃないか。喉のスピーカーは生きてたけどこの発声じゃ不自然すぎるな……。ごめんね、驚かせて悪かっ……いや、あなた全然驚かないですね』
「えと、その、多分ですけど。あなたも、元の住んでいた世界からこの場所に連れてこられちゃった人ですよね……?だとしたら、そういうのも不自然じゃないっていうか。稀によくあるっていうか……」
『……僕みたいなのがたまに来るって事? 妙だな……転生者同士が異世界でブッキングすることなんてないはずだが』
「それもよくわかりませんが……転生者って言葉はよく聞きますよ」
『何故?』
「もともとこの世界に住んでいた人たちがみんな、そうなっちゃったみたいですから」
『そうなっちゃったって……!?』
門馬はアルニカの話を何とか理解しようと前のめりに聞く体制をしていた。そんな体制が崩れたのは、彼の視界に懐かしい看板が映ったからだ。
最早ボロボロで崩れかけているそれを看板と認識することすら難しいが、彼の瞳には古い物体をさかのぼって再現する機能がついていた。
【落石注意】と書かれたそれは紛れもなく、門馬智彦が転生をする前の世界のものである。そしてその経年劣化の具合を瞳のコンピューターが導き出して絶句する。
『ここは、800年後の地球? 僕が元々いた世界、なのか?』
女神の意図が分からない。いつだって門馬には殆どの説明すらなかったが、今回は異世界を救えという命令すらなかった。
あまりに不確定要素の多い異世界転生に、門馬は久しぶりに強い不安を覚えるのであった。
③女神を狩るものたち モズク @Mozukuku
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