偽狼 6

 偽狼が岩へと変わり、静寂が訪れる。聞こえるのはザァッと風が木の葉を揺らす音だけだ。

 私はジッと父さんを見つめる。頬からはタラリと汗が流れ落ちた。


 偽狼を封印するとき、円陣の中には私と夜行さんがいた。あの封印は円陣の中にいる妖怪全てを封印するものだ。そう、妖怪全てを――。

 父さんは偽狼だけじゃない。円陣の中にいる夜行さんごと封印しようとしていた。


 私は父さんに気を配りつつ、夜行さんに目をやる。と目が合った夜行さんは「どうした。腹でも減ったのか」と意地悪な笑みを浮かべた。


 ……駄目だ、こりゃ。


 私はガックリと肩を落とした。その時、父さんは刀を抜いて一気に距離を詰めてきた。すっかり油断していた夜行さんは大刀を構える余裕がない。


「っ!!!」


 ――嫌だ!!!


 気が付けば私は刀を握って父さんと夜行さんの間に割って入っていた。


「そこを退け」といつになく冷たい声で父さんは言う。けれど私は首を縦に振らない。


「父さん、どうして!?」

「妖怪を退治するのが退治屋の仕事だからだ」

「で、でも。夜行さんは偽狼を封印するのを手助けしてくれましたし。それにっ」


 大百足の時も。鏡蛸の時も。私のことを助けてくれた。

 確かに退治屋の仕事は妖怪を退治することだけれど。ここで夜行さんを退治してしまったら、退治屋以前に一人の人間として終わってしまうような気がする。


 私は「とにかく止めて!!!」と声を張り上げる。だが父さんは私の言葉を振り払うように刀を向けた。


「っ!」


 ガキン、と鈍い音が響く。私は咄嗟に父さんの刀を受け止めた。けれど。


 重い!!!

 さすがは父さんだ。一撃が物凄く重い。


 なんとか刀を振り切ろうとするものの、重くて押すことも引くこともさせてはくれない。

 頬からは次々と汗が流れ落ちる。

 父さんはさらに強く刀に力を込めてくる。私は刀の勢いに圧され一歩後ずさった。その瞬間、父さんの右足が素早く動き私の腹にめり込んだ。


「ぐ!!!」


 足に力が入らず、思わず後ろに倒れそうになる。それを誰かが、いや、夜行さんが後ろから支えた。


「おい、退治屋!」

「……だ、大丈夫、です。それにしても……。さすがは……父さん。蹴りが物凄く……痛い……」

「それだけ喋られるなら大丈夫そうだな」

「…………実はそうでもないんです」


 私は蹴られたお腹を押さえ、その場にうずくまった。これ以上動くのは難しそうだ。


 夜行さんは私を背に庇い、父さんと対峙する。


「やはり陽はお前と会っていたのか。明愛梨をたらしこんだ時と同様に」

「言っておくがどちらもたらしこんでない。それから、嫉妬深い男は嫌われるぞ」


 父さんと夜行さんはバチバチとお互いを睨みつけている。父さんがゆっくりと刀を構えた。夜行さんも大刀を構える。そしてどちらからともなく地面を蹴った。一瞬にして刀と大刀が交わる。


 力の差はほぼ互角――――かのように思われたが、父さんが一気に刀を振り抜くと夜行さんの体は宙に舞い、私の真横を通り抜けて遥か後方に飛ばされた。


「え!!!」


 私はお腹の痛みも忘れて立ち上がり夜行さんを振り返った。夜行さんは背中から地面に打ち付けられて顔をしかめている。

 父さんはゆっくりと夜行さんに歩み寄る。


「お前が俺に勝てるわけがないだろう。お前のような弱い妖怪が」

「ん???」


 弱い? 夜行さんが?


「えぇぇぇえええええ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 だって夜行さんはいつだって余裕で。大百足も鏡蛸も倒してしまったし。むしろ強い妖怪だと……。


 父さんは刀を持ちながら夜行さんに近づいていく。


「父さん!!!」


 父さん……。本当に夜行さんを退治するつもりなの?


 私は左手でお腹を押さえながら必死に走り、今度は私が夜行さんを背に庇う。


「母さんと、夜行さんが……どういう関係だったのか。私には、分からない、けれど。でも。これだけは言える。夜行さんは悪い妖怪じゃない」


 自分がそう思いたいだけと言われたらそれまでだけれど。


「……甘いな」

「…………」

「…………」

「…………」


 私と父さんは静かに睨み合いを続ける。


 このままだと埒が明かない。けれど父さんは頑固でこの場を収める気はなさそうだし。その父さんの血を引いている私ももちろん、この場を引く気は毛頭ない。

 さてどうするか。私じゃ父さんに勝てそうにないし。一歩踏み出しただけで返り討ちに合いそうだ。


「…………」

「…………」


 私達はお互い睨み合ったまま指一本動かさなかった。やがて父さんは摺り足でこちらに一歩踏み出す。


 ――くるっ!!!


 反射的に刀を構えた。その時――。


「アイタタタタ……」と能天気な声が聞こえてきた。


 気絶させられて寝ていた野田君がいつの間にか体を起こしている。


「野田君!?」


 私は刀を鞘におさめて野田君に駆け寄る。


「大丈夫? 野田君!?」

「あれ? 日髙さん。どうしてここに……。って偽狼は!? あの伝説的な!?」


 野田君はキョロキョロと辺りを見回し、偽狼がいないことを確認するとガックリと肩を落とした。


「せっかく。会えると思っていたのに……」

「あのー。野田君。どうして偽狼のこと、知ってるの?」


 私は野田君が起きたら真っ先に聞こうと思っていた質問をぶつける。


「ああ。僕はオカルト部の部員だからね」

「オ、オカルト部???」


 そんなマニアックな部活あったんだ。私は退治屋の役目があるから部活に入ってないし。池田高校の部活動といえば蘭ちゃん経由でサッカー部のことしか分からないんだよなぁ。


「それで偽狼が復活したなんてそんな情報どこで」


 いくらオカルト部といえど得られる情報には限りがあるはず。偽狼の復活は私と父さんしか知らなかったはずだ。


「聞いたんだ。偽狼が復活するって」

「「誰に!?」」


 父さんと夜行さんの声が被る。二人は数秒睨み合うがすぐに視線を外した。野田君はそんな二人の様子を困惑して見ている。


「野田君。私も知りたい。一体誰に言われたの」

「それが……。あれ……? えっと」


 野田君は急に視線をさ迷わせて頬を掻き始めた。


「どうしたの?」

「それが。思い出せなくて。一体誰に言われたのか」

「思い出せない?」

「うん。なんだか見知った人物だったのは覚えているんだけど。それに自分のことを変な名前で名乗っていて。なんだっけな。屋敷がどうのこうのって」

「っ!!!」


 それって。


「「「人喰いの屋敷!!!」」」


 三人の声が重なった。


「そう! その名前だったよ」

「!」


 人喰いの屋敷……。まさかこんな近くにいるなんて。


 父さんは野田君の両肩をがっしりと掴んで「見知った人物ということは人型だったのか」と詰め寄る。


「は、はい」

「何でもいい。特徴は思い出せないのか」

「すみません。何も……」

「そうか」


 父さんはバッと後ろを振り返って夜行さんを一睨みして、続いて私を見る。


「陽。お前は野田君を送っていきなさい」

「え。でも」


 ここで私がいなくなったら父さんと夜行さんを残す形になる。また夜行さんに刃を向けたら……。


 そんな私の考えなどお見通しで父さんは空を見上げる。いつの間にか空は白んできていた。


「もうすぐ夜明けだ。妖怪は太陽が出ると力が弱くなる。俺には弱い者いじめをする趣味はない」

「…………」


 夜行さんは父さんを一瞥すると着物を翻して首無し馬に颯爽と飛び乗って去って行ってしまった。


 夜行さん大丈夫だろうか。せっかく偽狼の封印を手伝ってくれたのに。


 今すぐ夜行さんに駆け寄りたい気持ちをグッと堪えて野田君に向き合う。


「それじゃ野田君。送っていくね」と口を開けた瞬間、野田君は早口で話し出す。


「ねぇ!!! 今のって首無し馬だよね。ってことはさっきの人は夜行さん!? 凄い!!! 日髙さんって妖怪と知り合いだったんだ」

「あ、いや。私は」

「もしかして日髙さんは妖怪を引きつけやすいとか? いいなぁ。羨ましいなぁ」

「いや。そういうのじゃ」

「そうだっ。今度妖怪を紹介してよ!!! いろいろ質問したいんだ!!!」

「う、うん。機会があったら」


 野田君の圧にやられて私は曖昧に頷く。


 それにしても山本さんといい、野田君といい、恐いもの知らずの人多くない?


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