贖罪と覚悟

 翌日、学校は休み。私は喫茶『百鬼夜行』の前で深呼吸をしていた。


 いろいろ謝らなきゃいけないことが多すぎる。

 この前の父さんのこともそうだけど。山童のことも。


 私は夕暮れの空を見上げ、一度深く息を吸ってから「よしっ」と気合を入れる。


 こういうのは早く謝ってしまった方がいい。


 どしどしと店の入り口まで歩いていき、自分で引き戸を開けた。すぐにドタドタと足音が聞こえ、雪女が現れた。


「!」


 雪女は私の顔を見ると、分かりやすく顔色を変えた。私はそれを気にとめない態度を装いつつ、深く頭を下げる。


「お店が終わる時間なのにすみません。夜行さんに会いたくて」

「……」


 雪女は黙って私に目を向ける。そして深くため息を吐いた。


「いいわ。ついてきて」


 私はコクリと頷いて雪女の後ろを歩く。雪女はいつもの席、日本庭園が見える席に私を案内する。


「で、オレンジジュースでいいの」

「あ、うん。お願いします」


 飲み物を聞いてきた雪女はその場で立ち尽くす。


「……」

「……」

「……」

「あの」


 沈黙に耐えきれず私は口を開く。と、雪女は「あんたのせいじゃないわよ」と話し出す。


「え?」


 あんたのせいじゃないって……。


 雪女は何故かこちらをキリッと睨みつける。


「あんたがずっと根に持っている山童のこと。山童のことバカにしないでよ」

「! そのことについては本当に申し訳なく思っていて。ごめんなさい」


 急に山童の話題をされて思わず肩がすくむ。責められる――と思った。だが。


「だからバカにしないで。あんたのせいで死んだなんて山童のこと、バカにしているとしか思えない」

「えっと」

「山童はああ見えて長い年月生きているし。自分のした行動に責任だって持っているの。だからあんたみたいな小物の退治屋ごときが責任感なんて感じないで」

「……」


 その冷たい雪女の言葉に一瞬戸惑った。が、すぐに「あれ?」と首を傾げる。


「あの。もしかして、ですけど。励まして下さっていますか?」

「そんなわけないでしょ。ただ……。あんたのせいだなんて。勘違いしないでほしいだけ」


 そう言って雪女は踵を返してキッチンへ入っていく。その姿に私は頭を下げる。頭を上げた時には雪女はすでにいなくなっていた。

 私はほんのりと口元を緩ませて日本庭園に目を向ける。夕暮れなのに日は高く、植物が青々と茂っている。

 もうすぐ夏だ。


「待たせたな」

「夜行さん……」


 黒の着物に青の羽織。黒の眼鏡をかけている店員。夜行さんがオレンジジュースを持って私の隣に座る。


「それで。俺に会いに来たんだって?」


 そう言って夜行さんは意地悪そうに笑う。父さんのことなど気にしていない様子でちょっと居心地が悪い。


 私は夜行さんに向かって「すみませんでした」と一気に頭を下げる。


「私の父が失礼なことをして。せっかく助けてくれようとしていたのに」

「別にお前がしたわけじゃないだろ」

「そうですけど。でも。……すみません。それに」


「山童のことも」と言葉を続けようとするが、先程雪女に言われたことを思い出してすぐに口を閉じる。


 きっと山童のことについては謝ることが大事じゃない。鏡蛸を倒した時、決めたように。強い退治屋になることがきっと一番の贖罪だ。


 グッと言葉を飲みこんで、かわりにオレンジジュースに口をつける。夜行さんはゴクゴクと喉を鳴らしてオレンジジュースを飲む私をジッと見つめる。そして「会いに来たって。まさか謝る為だけに来たのか」と口を開いた。


「え? あ、はい。そうです、けど?」


 私が首を傾げると夜行さんは一瞬目を丸くした後、フッと笑った。その様子に私はもう一度首を傾げる。


「普段は似ていないのにそういう律儀なところは母親譲りだな」

「え?」

「いや。すまない。母親と比べるつもりはなかったんだが」


 夜行さんはふいと視線を逸らす。日の光が夜行さんの黒い髪を照らした。私は夜行さんの艶やかな黒髪に見惚れつつ「そんなに気にしてないです。それに……私はもっと母さんのことが知りたいっ」と必死に言葉を返す。

 すると夜行さんはまたフッと笑った。


「そうだな。気の強い女だったよ。どんなに苦しくても泣かなかった」


 そう言った夜行さんの目があまりに慈愛に満ちていて、私は思わず父さんの言葉を思い出していた。


 ――やはり陽はお前と会っていたのか。明愛梨をたらしこんだ時と同様に――


 もしかして。


「夜行さんって」


「母さんのこと好きだったんですか」と、聞こうとしたその瞬間、「おっ! コスプレの姉ちゃんじゃねぇか」と後ろから声がして遮られた。


 この独特な呼び方は山本さんだ。山本さんは休日だというのにスーツを着ている。さすがに今日は暑いので上着は着ておらず、長袖のブラウスを着て腕まくりをしていた。


「山本様。もう閉店の時間を過ぎているのですが」

「いいじゃないか。姉ちゃんもいるんだし」


 夜行さんは分かりやすく苦笑いをしている。そんな夜行さんを気にもとめず、山本さんは「俺、アイスコーヒーね」と後ろにいる天狗に声をかける。

 天狗は「すみません。夜行さん」と軽く頭を下げる。


「いや、大丈夫だ。それよりアイスコーヒーを」

「はい」


 天狗は足早でキッチンへ入っていった。


「まぁ、そんなに邪険にしないでくれよ。面白い噂を聞いたから休日出勤の後だっていうのに、わざわざ来たんじゃないか」

「「面白い噂?」」

「そう。このあたりに池田高校っていう学校があるんだけどよ。その学校から新しい妖怪がたくさん生まれているっていうんだ」

「「!!!」」


 私の通っている高校だ!!!


 私と夜行さんが黙りこくるなか、何も知らない天狗が「お待たせしました」と山本さんの前にアイスコーヒーを置く。カラン、と静かにアイスコーヒーの氷が音を立てた。

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