偽狼 1

 たった一日。たったの一日で人が五人も消えた――。

 父さんが寝ずにいたのに、だ。

 しかも恐ろしいのは五人だけではないかもしれないということである。退治屋に依頼が来たのが五人だけで、他に行方不明になっている人がいるかもしれない……。


 私は池田高校の制服に腕を通す。


「父さん。本当に大丈夫なの?」

「ああ。日が昇っている間は偽狼も出にくいだろうしな」


 そうは言っても出にくいだけだ。完全に出ないわけじゃない。


 そう思うものの私は渋々頷いてスクールバックを手に取った。


「父さん。気をつけてね」

「ああ。大丈夫だ。」

「じゃ、行ってきます」


 私は家を出てバイクに乗った。




―池田高校―


 おかしい……。


 私は高校について早々隣の席へ目を向ける。

 隣の席は眼鏡をかけた大人しめの男の子。野田のだ えいすけくんの席だ。いつも私より先に着いているのに、来ていない。それどころかもうすぐ朝のホームルームの時間なのにいない。


「陽ちゃん」


 蘭ちゃんがそんな私の様子を汲み取ったのか心配そうに声をかけてくる。


「おはよう。蘭ちゃん……。野田くんがまだ来てなくて。何か聞いたりしてる?」

「ううん。何も。昨日はそれどころじゃなかったし」


 そうだ。蘭ちゃんは昨日、鏡蛸に連れ去られたんだ。ショックなはずなのに……。それでも私に気を遣ってくれている。


「そう、だよね。なんかごめん」

「ううん。陽ちゃんこそ昨日といい、今日もなんだか大変そうだね」

「うん。実は……」と偽狼のことを説明しようとした。その時だった。


 チャイムが鳴って、担任の荒井先生が教室に入ってきた。


「あ、じゃあまた」


 蘭ちゃんは先生の姿を確認するといそいそと後方の席に着いた。


「おはようございます。じゃ、出欠確認しましょうか」


 そう言って新井先生は眼鏡を上げて辺りを見渡す。


 そういえば荒井先生は野田くんと似ている。二人とも眼鏡をかけているし、性格も大人しくて空気がほんわかしている。違うところといえば野田君が黒髪でおかっぱ頭なのに対して、荒井先生の方が茶髪で毛先をワックスで遊ばせているところだろうか。


 やがて荒井先生が私の隣の席に目を向ける。


「野田さん、がいませんね。特に何も連絡は来ていませんが。何か知っている方いませんか」


 その問いかけに答える人は誰もいない。


 荒井先生は少し首を傾げて、「あとで親御さんに連絡してみましょうか」と言った。


「それでは今日のホームルームはこれまで。また帰りのホームルームで」




 それからずっと隣の席を気にしていたけれど。結局野田くんは放課後まで来なかった。


「荒井先生!」


 帰りのホームルームを終えてから、廊下に出た先生に声をかける。先生は柔らかい笑みを浮かべて「どうしました」と振り返ってくれる。


「その、野田くんは……」

「ああ。野田さんのご家族に電話してみたのですが、昨日から帰っていないそうです」

「……」


 これって偽狼の仕業、なのかな。

 そうでなければいい、と思う。けど、あの真面目な野田くんが学校をサボると思えないし。連絡もしない、ということもないと思うし。

 偽狼の仕業、だよね。百パーセント。


 私は「そうですか」と答えて荷物をとるべく、一度教室に戻る。すると「陽ちゃん」と蘭ちゃんが声をかけてきた。


「朝の話が気になって。一緒に帰ってもいい? 邪魔しちゃ悪いかな、と思っていたんだけど」

「ううん。大丈夫だけど。部活は大丈夫なの?」

「うん。今日は休もうと思って」


 私のことも心配してくれているんだろうけれど、きっと昨日のことも気にかかっているんだろう。


 私は「そっか」と声をかけて、机に下げているスクールバックをとった。


「家まで送ってくよ」

「ありがとう。それじゃ、お願いします」


 蘭ちゃんはバスと徒歩で池田高校まで来ている。そのため蘭ちゃんと帰りが一緒の時はバイクの後ろに乗せることもある。

 とはいえ、蘭ちゃんはサッカー部のマネージャーをやっているからあまり一緒に帰る機会がないのだけれど。


 私は駐輪場に向かいながら偽狼のことをポツリと話す。


「実は昨日、かなり昔に封印していた妖怪の封印が解かれたみたいで」

「え!?」

「把握しているだけでも五人も行方不明になっている。いや、野田くんで六人目になるか……」

「………………」

「っ! あ、ご、ごめん。つい」


 蘭ちゃんが黙ってしまって、やっと父さんといる時のような口調になっていたと気付いた。


「で、でもねっ。最悪な事態を止めるのが退治屋だから」


 苦し紛れの言い訳、だと自分でも思う。それでも蘭ちゃんは笑顔で「うん。そうだよね。陽ちゃんがいるんだもん。大丈夫だ」と言ってくれる。

 本当に蘭ちゃんは優しい。


 そんなことをしているうちに駐輪場に着く。私はバイクのリアボックスを開けてヘルメットを蘭ちゃんに渡した。蘭ちゃんが後ろに乗ったのを確認してから、バイクを走らせる。


「あのさ、陽ちゃん」

「ん?」


 しばらく経って住宅街が見えてきた頃、蘭ちゃんが話しかけてきた。ゴゴゴゴとエンジン音の中に蘭ちゃんの声が聞こえる。


「昨日、陽ちゃんと一緒に男の人いたでしょ? 確か夜行さんって言ってたよね」

「ん!? う、うん」


 唐突に夜行さんの話題を振られて、思わず声が上擦る。


「『夜行さん』って妖怪だってネットに載っていたんだけど」

「……」

「陽ちゃんは夜行さんと仲間なの?」

「……」


 普段はほんわかとした雰囲気なのに、時々蘭ちゃんは鋭い。


 私は「仲間というより協力関係を結んでいる、の方が正しいかな」とそっけなく言葉を返す。


 蘭ちゃんは普通の人間だ。妖怪に関わらせるべきじゃない。ましてや公にされていない人喰いの屋敷のことなんて、絶対に話してはいけない。


「そっか」


 蘭ちゃんはしばらく黙ってしまう。後方の音から察するにどうやら何か考え込んでいるらしい。


 しばらくすると蘭ちゃんの住んでいるアパートが見えてきた。私は速度を緩めてゆっくりとバイクを止める。

 蘭ちゃんは「ありがと」とバイクから降りてヘルメットを渡してくれる。そのまま家に帰るかと思いきや、蘭ちゃんは私をジッと見た。


「陽ちゃん。私は妖怪のことも、偽狼のことも何も分からないから。力にはなれないけれど。でも偽狼のこと――夜行さんに話すべきだよ」

「…………」

「夜行さんは妖怪かもしれないけれど。でもきっと。陽ちゃんの助けになってくれるよ。山童ちゃんのこと、大切に思っていたみたいだし。だから陽ちゃんのことも大切にしてくれるよ」

「…………そう、だね」


 私が返事をすると蘭ちゃんはニコッとまぶしい笑顔を見せる。そして「今日は送ってくれてありがとう! それじゃ、また」と言って手を振ってアパートに帰っていった。


「……」


 夜行さんに偽狼のことを話す、か……。


 私はため息を吐いてから再びバイクで走る。


 蘭ちゃんには夜行さんに偽狼のことを話すと頷いたけれど――嘘だ。偽狼のことを話すつもりはない。というのも今回の件に人喰いの屋敷が絡んでいるとも思えないし。それに何よりも。

 山童のことがあるから自分から進んで会いに行きにくい。

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