トイレの花子さん 8

 鏡蛸の首から一気に血が噴き出し、姿が徐々に透けて消えていく。


 良かった……。勝った。


 そう安心した瞬間、グラリと視界が揺れる。え、と思う間もなく体が後ろに傾いた。


「おい!」


 夜行さんの切羽詰まった声が聞こえて、後ろから肩を支えられた。後頭部が夜行さんの背中に当たっている。


「っ……」


 何か言わないと、と思っているのに声が上手く出てこない。その様子を見て夜行さんが後ろで何やらガサゴソとやっている。

 そして私の目の前に瓶を取り出した。暗い中よく見えないが、おそらく大百足と戦った時に山本さんに飲ませていた透明な液体だ。


 夜行さんは「口を開けろ」と言いながら瓶の蓋を外す。

 私は荒い息をしながら微かに口を開けるが大きく開けられなかったせいか、夜行さんが親指を口の中に突っ込んでくる。


「ん!!!」

「暴れるな。大人しくしてろ」


 夜行さんは親指の隙間から瓶の液体を流しこむ。


「ゔ」


 苦い!


 思わず眉をしかめる。


「こぼすなよ」


 夜行さんは親指を抜く。それと同時に私はゴクリと液体を飲み干した。


 その瞬間、一気に脇腹の痛みが引いていく。体は気だるさが残っているが、それでも自力で立てないほど辛くはない。


 私はほんの少し足と腹に力を込めて、夜行さんに寄りかかっている体を起こす。


「大丈夫か」

「なんとか。すみません。助かりました」

「いや……。それはこっちの台詞だな。助かった」


 そう言って夜行さんは少し顔を横に向けて眼鏡をクイッと上げ直す。


 ……。もしかして照れてる?


「それより急がないとマズいかもな」

「え?」

「山童のことだ」

「!!!」


 ハッとして夜行さんを見つめる。


 蘭ちゃんが家にいない時点で山童の身に何かあったんじゃないか……と、ある程度予測できてしまう。


「でも。山童の声が聞こえてましたよ」

「いや。あれは山童の術だ」

「術?」

「山童は物に自分の思念を残すことが出来る」


 物に思念?


 夜行さんはそれ以上何も言わず、歩き始めた。どこに行くの、とは聞けず夜行さんの背中をただただ追う。

 やがて白く光る縦長の穴が地面に現れる。


「出口だ」


 夜行さんは私に手を伸ばす。


 ここってもしかして私が蘭ちゃんを背負って落ちたところ、だよね。あの時は必死でこんな風になっていると気付けなかった。


 私は差し出された手を取る。そして夜行さんと共に穴に飛び込んだ。




 今度はスタッと華麗に着地が決まった。


「陽ちゃん!!!」


 その瞬間、蘭ちゃんが思いきり抱き着いてきた。


「ら、蘭ちゃん! 良かった。無事?」

「うん。私は怪我一つないけど……」


 そう言いながら蘭ちゃんは私の脇腹へとゆっくりと視線を移した。


 ああ、と心の中で私は納得する。

 今のトイレは電気が点いていて、白の巫女服が脇腹部分だけ真っ赤になっているのがくっきりと見えている。


「あー蘭ちゃん。これはね、そのー。まぁ、今は大丈夫だから」

「本当に?」

「うん」


 嘘じゃない。夜行さんがくれた薬のおかげで痛みどころか、傷も塞がっていた。


 私の言葉を聞いて蘭ちゃんは心配そうに眉をひそめるも頷く。


「話しているところ悪いが、家まで道案内を頼みたい」


 二人で話しているところに、夜行さんが後ろから声をかけてきた。

 夜行さんはジッと蘭ちゃんを見つめる。見つめられた蘭ちゃんはビクッと肩を揺らして、私の服の袖を掴む。

 私は小声で「大丈夫だよ」と呟いて夜行さんに向き合った。


「蘭ちゃんの家は私が知っています。バイクの後ろについてきて下さい」

「……分かった」


 夜行さんは素早く歩き出す。それに続いて私も蘭ちゃんの手を引いて歩き出した。


「ごめんね、蘭ちゃん。今は説明している暇はなくて。ただ……山童が危ないかもしれない」

「!」


 危ないどころか、もう手遅れかもしれないけれど……。


 蘭ちゃんは何も言わず、ただ強く頷いた。私も頷いて、一度トイレの花子さんの方を見る。


「蘭ちゃんのこと、ありがとうございました」

「いや、わたしは何もしてないよ。それより、早く行きなさい」


 私は軽く花子さんに一礼して、蘭ちゃんの手を引いてトイレを出た。




 蘭ちゃんを後ろに乗せてバイクを走らせる。時速は六十五キロ。制限速度四十キロの道で出しすぎかもしれないが、今はとにかく山童の無事を確かめたかった。

 後ろからは首無し馬に乗った夜行さんが追いかけてきている。


 意外にも蘭ちゃんは夜行さんのことも、首無し馬のことも何も聞いてこなかった。


 多分、気にはしているんだろうけれど。蘭ちゃんも山童のことが気になってそれどころじゃないのかもしれない。


 バイクを走らせて五分程で蘭ちゃんが住んでいるアパートが見えてきた。


「夜行さんここです!!!」


 バイクをアパートの横に急停止させて、ダッシュで二階まで上がり一番端にある扉を力強く開けた。

 扉を開けるとすぐに蘭ちゃんのお父さんとお母さんの暗い顔が目に入った。二人は私の姿を捉えるとハッとして駆け寄ってくる。


「蘭はっ! 蘭は無事か!!!」

「お、落ち着いて下さい」


 蘭ちゃんのお父さんにグッと肩を掴まれて私は視線を後ろに向ける。私のすぐ後ろに夜行さん、ちょっと離れたところに蘭ちゃんがいる。

 蘭ちゃんのお父さんとお母さんは私と夜行さんを押しのけ、蘭ちゃんに抱き着いた。


「お、お父さん! それにお母さんも! 仕事中だったんじゃないの」

「バカ。急に変な怪物が襲ってきて、しかも蘭がいなくなったなんて電話をもらったら、仕事なんて放り出すに決まってるじゃない」

「お母さん……」


 蘭ちゃんもそっと両親の背中に手を回す。


 いい家族だな――なんてしみじみ思っていると、夜行さんがそんな家族の横をサッと通り抜けて家の中に入っていく。


「夜行さん!?」


 そうだ! 山童は無事なの!?


 私はすぐさま頭を切り替えて夜行さんに続いて家の中に入っていく。夜行さんは他に目を向けず、真っすぐに風呂場に向かっていく。そして夜行さんは風呂場の扉を派手な音を立てて開けた。


 山童は――いた。透明な姿で今にも消えそうになりながら。


「山童!」


 私はうつむいて倒れている山童に駆け寄って手を握ろうとする。が、山童の手は透明になっていて握れない。


「っ……」

「山童」


 夜行さんがそっと私の隣に座る。すると山童は瞑っていた目をパチッと目を開けた。


「「山童!!」」

「……夜行、さんに、陽ちゃん?」


 山童の視線が不自然に左右に揺れる。耳だけで私達を判断しているようだ。


 そこに「山童ちゃんがそこにいるの?」と蘭ちゃんも風呂場に入って来る。だが蘭ちゃんには山童の姿は見えていないようだ。

 ここまで透明になってしまうと普通の人には見えないのかもしれない。


「ら、んちゃんも……無事で、よかった」


 山童はホッと息を吐く。

 一瞬、夜行さんと山童の目が合った。


「夜行さん……。わたしのこと、見つけて、くれて……。ありがとう」

「ああ」


 山童はすぐに視線をさ迷わせる。そして不自然な方向に微笑んで消えていった。


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