トイレの花子さん 7

 私は再び鏡の中に入る。辺りはやはり真っ暗だ。それでも視界の隅に鏡蛸の姿を捉えることが出来た。夜行さんは未だ鏡蛸に巻き付かれ、身動きがとれないでいる。


「夜行さん、大丈夫ですか!」

「っ、一応……な」

「鏡蛸から逃げ出す隙を作れるかやってみます。けど駄目だった時は自力で何とかしてください」

「…………」


 夜行さんからの返答はない。先程の声もかなり苦しそうだったし、相当マズい状態だろう。


 夜行さんを助けたいけれど、正直構っていられない。今の私は鏡蛸と戦うだけで精いっぱいだ。


 私は鞘から刀を抜く。そして一歩一歩鏡蛸へ近づき、鏡蛸の前に立った。


「よくもぉ~よくもぉ~」

「……」

「獲物うぉ~返せぇ~」


 鏡蛸はぬらぬらとこちらに近づいてくる。


 ――くるっ!


 四本の足を左右分けてこちらに向けてくる。

 私は大きく後ろへ飛んで四本の足をギリギリで避けた。


 さすがに前と同じように、ふいをついて鏡蛸の前に出ても読まれているだろうし。

 こうなったら――。


 私はグッと刀を構えて鏡蛸に向かって駆けていく。


 ひたすら攻めあるのみ!!!


 鏡蛸は足を次々と伸ばしてくる。それを私は刀で抑え込む。


 やっぱり……。この足を斬るにはかなり力が必要だ。弾力がありすぎて上手く刃が刺さらない。

 一本、足を斬るだけでもかなりの労力が必要だ。


 私はグッと眉に力を入れる。

 鏡蛸は私が足を一本抑えている間、もう一本の足を後方から忍ばせてくる。だが私はあえて避けることなく、そのまま足を刀で抑え込み続けた。後方の足は素早く私をめがけてやってくる。


「!」


 私は足を抑えながら必死に体を捻じる。

 だが――。

 鏡蛸の足が左の脇腹を貫通した。


「ぐっ!!!」


 熱い――。


 一気に全身に汗を掻く。視界がぐらついて体が前に倒れそうなのを足に力を入れて踏ん張る。


「これでぇ~終わりぃ~」


 鏡蛸は一気に足をこちらに向けてくる。


「!!!」


 今だ!!!


 私は迫りくる足を無視して鏡蛸へ向かっていく。


 私の力と体力じゃ足を次々と斬るのは無理だ。なら――本体を狙うしか手はなかった。


 私は痛みを堪えてグッと足に力を入れる。そして力を入れた足を強く蹴ってジャンプした。

 肘を引いて刀を真っすぐに構える。


 よく狙って……。


 鏡蛸の頭から視線を外さず、一気に刀を目に突き刺した。


「ガァアアアアアアアア!!!」

「っ!」


 鏡蛸の悲鳴が響き渡る。だが鏡蛸は悲鳴を上げながらも足を向けてきた。


「!!!」


 マズいっ。


 鏡蛸は私の体に足を巻き付けてくる。


「ぐっ!」


 怪我をした脇腹に足が食い込んでくる。必死に刀を巻き付いた足に突き刺そうとするも弾かれてしまう。


 駄目だ……。頭がくらくらして力が出ない。


 汗が次から次へと流れる。


 こんな、ところで……。負けるわけには……。


 そう思うものの、やはり力が出ない。段々視界が暗くなっていく。

 その時――。


「グワァァァ!!!」


 鏡蛸の悲鳴が聞こえ、フッと体が楽になる。

 いつの間にか鏡蛸の足は離れ、私の体は夜行さんに横抱きされていた。


「おい、大丈夫か」

「っ!」


 夜行さんの顔が間近に見えてびっくりする。のと同時に脇腹の痛みに思わず顔をしかめた。


「おい!」

「だ、大丈夫、です」


 夜行さんは眉をひそめながらも、私を下ろしてくれる。

 夜行さんの手に大刀が握られ鏡蛸の足が真っ二つに切断されている。


 夜行さんが鏡蛸の足から逃れ私を助けてくれたってことか。


 夜行さんは鏡蛸から目を離さないようにしながら「後ろに下がっていろ」と言葉をかけてくる。それを私は「大丈夫です」と一蹴した。


「だが」

「大丈夫です。痛みには慣らされているので」


 退治屋をしていると擦り傷、切り傷は当たり前だ。だから痛みには慣らされている。……とはいってもここまでの深い傷は始めてだけれど。


 汗がダラダラと地面に落ちていく。力が出ず、顔が自然と項垂れる。

 夜行さんはそんな私を一瞬横目で見た後、「戦えるのか」と静かに尋ねた。


「っ、戦えます。でも……そんなに長くは……さすがにっ、無理かも……」

「ほんの少しでいい。やつの足を食い止めてくれ」

「……」


 私は顔を上げられないまま、目だけで夜行さんを捉える。


 本当だったら「何指図してんのよ」くらいの軽口を言いたいところだけれど、その余力さえない。

 何か策があるのか分からないけれど、今は夜行さんを信じるしかない、か。


 私は肩で息をしながら、首を縦に振った。

 その瞬間、夜行さんは鏡蛸に突進していく。私はフッと強く息を吐いた後、刀を震える手で握りしめた。

 夜行さんの行く先を鏡蛸の足が防ごうと迫る。その足を私は刀で押し返す。


「ぐっ」


 相変わらず重い。斬れない。


 脇腹の傷がにじみ、ジンジンとした痛みは酷くなっていく。

 その間にも鏡蛸は残りの足を夜行さんへと向けていく。


 させるかっ!


 グッと唇を噛んで痛みを堪えながら、思い切り刀を横に振りぬく。


「ギャァァァァ!!!」


 鏡蛸が怯んだところで、私は続けてもう一本の足に向けて刀を振り上げる。痛みをこらえながら力いっぱい刃を鏡蛸の足へとのめり込ませる。


「ギャァァァ!!!」


 鏡蛸は叫び声をあげる。


 残りの足はあと一本。

 それなのに――。


 その足は夜行さんに一直線に向かっていく。


「!」


 駄目だ。間に合わない!


「夜行さんっ!」


 鏡蛸の足は夜行さんの真後ろまで迫っている。


「いい加減、しつこい」


 夜行さんは後ろを振り返ることなく大刀をふいに上げた。かと思うと大刀を軽く振り下ろし、迫りくる鏡蛸の足を切断する。


 っ! 強い!


「きさまぁ~おなじようかいのくせにぃ~」

「同じ妖怪、ね。悪いが俺はお前のような悪趣味はない」


 夜行さんはそのまま鏡蛸を強く見据えると大刀をわずかに構え直す。


「――これで終わりだ」


 そして一気に鏡蛸の首に大刀をかけた。


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