トイレの花子さん 6
―陽視点―
スマホの画面は夜十時を指している。山童はまだ来ていない。
私達が学校に来たのは八時前。おそらく山童もその頃には蘭ちゃんの家に辿り着いているはずだ。
とするとやっぱり……。
「遅すぎる」
「!」
夜行さんの呟きにビクッと肩を揺らす。
「や、やっぱりそうですよね!? 一旦蘭ちゃんの家に行った方が……」
退治屋は妖怪を退治することが仕事だけれど。一番大事なのは妖怪の脅威から人間を守ること。つまりは――人間第一でなくてはならない。
私はグッと拳を握る。
蘭ちゃんの家に行くなら早くしないと――。
足を一歩踏み出す。だがその瞬間、夜行さんに腕を強く引かれる。
「っ!」
「待て。一人で先走るな」
「でも」
蘭ちゃんが……。
そんな私の焦りを「まあまあ」と花子さんもなだめる。
「ここは夜行さんの言うことを聞いた方がいいわ」
「でもっ」
「山童なら陽さんの友達を守ってくれているわよ」
そう言われると私は俯くことしか出来ない。
今まで戦ってきたから、誰かをただ待つということに慣れない。こんなにももどかしい……。
その時、「陽お姉ちゃん」と山童の声が聞こえた。
「!」
トイレの入り口をハッと見るが山童の姿は見えない。
幻聴? 山童のことを考えていたから?
「どうした」と夜行さん。
「あ、いや。山童の声が幻聴で聞こえて」
「幻聴……? っ! もしかして!」
夜行さんは急に辺りを警戒し始める。
「あの、夜行さん? どうしたんですか」
「おそらく山童の能力だと思うんだが」
「能力?」
そんな私の問いかけに答えず夜行さんは鋭い目つきでトイレを見渡す。そして手洗いをする水道の前で立ち止まった。
私も夜行さんの隣へ並ぶ。
「!!!」
目を凝らしても特に何も見えないし、怪しいものも見当たらない。けれど……。「陽お姉ちゃん」と山童の声がずっと聞こえている。
「夜行さん! 山童の声がまた! しかもずっと!!!」
一瞬夜行さんは少し切なげな表情を見せる。だがすぐに元の鋭い目つきに戻り、「どこから聞こえるか分かるか」と問いかける。
私は息を吐いて目を閉じた。
――陽お姉ちゃん。こっちだよ。
「っ!!!」
ハッと目を開く。
視線の先には鏡がある。鏡には強い目をした私の姿が映っている。だけど確かにあの鏡から――。
「夜行さんっ!」
「ああ」
私の短い一言で察したのか夜行さんは大刀を鏡に向けて突き刺した。だが鏡は割れることなくグニャリと歪んで夜行さんの大刀を半分飲み込む。
「「!」」
思わず夜行さんと顔を見合わせた。
もしかしなくても山童はこの中にいるんじゃ。と思うのと同時に蘭ちゃんのことが心配になってくる。
「退治屋」
「はい!」
「行くぞ」
「言われなくても!」
夜行さんはためらう素振りを微塵も見せず、手洗い場に足をかけ鏡の中に入っていった。それを見て私も手洗い場に足をかける。
すると「陽さんや」と花子さんから声がかかった。
「くれぐれも気をつけなさいね。あなたもわたしの可愛い子供のようなものだから」
「こ、コドモ?」
「ふふ」
花子さんは私の問いかけに答えることなく微笑む。
まぁ、何年もの時を生きる妖怪にとっては人間なんて子供みたいなものなのかもしれないけれど。
私は花子さんから視線を外して鏡と向き合う。そしてグッと目を瞑って鏡の中へ入った。
中は何も見えない。真っ暗闇だ。山童の姿も、前に入った夜行さんの姿も見えない。だけど何かがズッズッと這っている音だけは聞こえてくる。
私は刀を鞘ごと床に突き刺す。キン、と甲高い嫌な音が辺りに響き渡った。その音からどうもこの場所はトイレのような縮こまった場所ではなく、かなり広い場所だと推測できる。
それに音の響きで相手はかなり巨大だと分かる。
退治屋の対する相手は妖怪。夜の生き物。
暗闇には慣らされている。
……このくらい、対応できる。
それに夜目だって。父さんほどじゃないけれど、ある程度時間があれば目が慣れてくる。
ズッズッと巨大な妖怪は私の少し前を移動しているようだ。
足はそんなに速くない。これなら――。
私は鞘から刀を抜いた。その瞬間、「退治屋!」と私を呼ぶ夜行さんの声が聞こえる。
「右だっ!」
「っ!」
私は反射的に刀を右に振るう。
「ぐ!!!」
重い!!! というより感触がおかしい。斬れている触感がしない。何か弾力のあるもので遮られているかのような。
「負けるかっ」
グッと刀を握り、力強く刀を真横に振りぬく。ピシャッと生ぬるい液体が頬にかかる。
「ガァァァ!!!」
妖怪の中世的ではあるが掠れた気持ち悪い声が響く。
目が慣れていないから何が起こっているのか分からないけれど、おそらく妖怪の腕を斬ったはずだ。
だが……。
「安心するな!」
「!」
夜行さんの怒号が聞こえる。
「奴は足が八本ある。お前が斬ったのはそのうちの一本だ」
足が八本……。そんな妖怪いたっけ、と頭の中でいろいろな妖怪の名前が駆け巡る。
そんな中、夜行さんが「鏡蛸だ!」声を張り上げた。
「鏡蛸!?」
聞いたことはある。『人喰いの屋敷』と同様、ここ最近になって出てきた妖怪だ。ただ詳しい情報は耳に入っていない。
「鏡蛸は鏡のある場所に現れると聞いている」
現れるというより、こうなると鏡の中に住み着いているのほうが適切なような。
そんなことより……。
鏡蛸のズルズルと移動する音が聞こえてくる。――だが、夜行さんの移動する音が聞こえてこない。
まさか……。
最悪な事態が頭をよぎる。
「夜行さん! 無事なんですか!」
「正直、かなりマズい」
「!」
「お前の友達と一緒に蛸の足に巻き付かれている」
蘭ちゃん!!!
私はギッと奥歯を噛みしめる。
ひとまず、人命第一だ。蘭ちゃんを助けないと!
息を吐いてから目に力を込める。
最初にここに来た時よりは、だいぶ目が暗闇に慣れてきているはずだ。
私は目を細めたまま辺りを確認する。
私の数メートル先に大きな巨体、鏡蛸がいる。そしてその鏡蛸の足に蘭ちゃんと夜行さんが巻き付かれていた。
二人が鏡蛸に捕まっているのはかなりの痛手だ。けれど……。元々八本の足が六本、いやもう一本足を斬って五本になっているのだから、まぁラッキーと思うようにしよう。
フッと自嘲気味に笑う。
「よくもぉ~よくもぉ~」
ぬめぬめと鏡蛸はこちらに近づき、一斉に五本の足を延ばしてくる。
「っ!」
いきなり一斉攻撃か! この暗闇でこれはさすがにキツイ!!! だけど。
――舐めるなよ。
私は刀を構えながらあえて鏡蛸の前に躍り出る。鏡蛸の足は突如前に出てきた私の行動に少し遅れをみせた。
よしっ。
その間に一気に鏡蛸との距離をつめて蘭ちゃんに巻き付いている足をめがけて刀を振るう。だが、鏡蛸もそう簡単にやられない。すぐに態勢を整え、足をこちらに向けてくる。
遅い!
私は足が到達するより前に鏡蛸の足を斬った。
「ガァァァ!!!」
黒い液体が勢いよく飛び散る。
私は液体を気にもとめず、足に向かって刀を深く突き刺した。
「グワァァァァァァ!!!」
鏡蛸は先程より高い雄たけびを上げて、蘭ちゃんを離す。私は咄嗟に蘭ちゃんを左手で受け止める。
スゥスゥと蘭ちゃんから息が聞こえた。
よかった……。とりあえず最悪の事態は免れた。
私がホッと肩から力を抜いた瞬間、「返せぇ~!!!」と鏡蛸の野太い声が辺りに響き渡る。
「ぐっ!」
それに伴って夜行さんに巻き付いている足が締まっていく。
「!」
マズいな……。夜行さんのことも、蘭ちゃんのことも。
私は蘭ちゃんを背に庇いながら刀を構え直す。その時――。
――陽お姉ちゃん。
「っ!」
また山童の声が聞こえる。
どこから声が……。
ふと蘭ちゃんの服の裾に刺さっていた手裏剣に目がいく。
なんで手裏剣? 鏡蛸が使うと思えない。夜行さんは……と思ったけれど、夜行さんは大刀を使っているし。もし使うとしたら。
――陽お姉ちゃん。
「!!!」
また声が聞こえて、私は手裏剣に目が釘付けになる。
やっぱりこの手裏剣から山童の声が聞こえる。
「陽お姉ちゃん。蘭ちゃんを連れて逃げて」
「!」
それって夜行さんを見捨てろってこと!?
「返せぇ~!!!」
そうこうしているうちに鏡蛸は足をこちらに向かって伸ばしてくる。
「っ!!!」
構え直した刀を鞘へと素早く戻す。そして蘭ちゃんを背におぶさった。
「陽お姉ちゃん。こっちだよ」
蘭ちゃんの服の裾に刺さった手裏剣が柔らかい光を放って、暗闇に一筋の道を作る。
なんとなく分かる。この光を辿って行けば出口だ。
蘭ちゃんを背負いながら、必死に光の道を辿って走る。その間にも鏡蛸の足が迫っている。
「っ!」
鏡蛸の足が私の背にほんの少し触れたのと同時に、急に体が軽くなり、足元から地面がなくなった。
「へ?」
そして――落ちた。
「グエッ!」
急に足元から地面がなくなったのと蘭ちゃんを背負っているせいか着地が上手くできず、顔から地面に突っ込んだ。
鼻がヒリヒリするけれど、それ以外に体に問題はなさそう。
私は息を吐く暇もなく、地面に手をついて体を起こそうとする。と――。
「大丈夫かい?」
目の前に手を伸ばされる。
ハッとして顔を上げると手を伸ばしていたのはトイレの花子さんだった。
もしかしなくても池田高校に戻ってきたの?
私は蘭ちゃんを背からゆっくり降ろしてから、花子さんの手を取る。
「よかった。二人とも無事みたいだね」
「でも……」
夜行さんが……。
私は手洗い場にある水道に目を向ける。そして花子さんに目を向けた。
「花子さん、あなたを信頼して頼みたいことがあるんです」
「頼みたいこと?」
「蘭ちゃんをお願いしたいんです」
ジッと花子さんの目を見る。
夜行さんと山童の知り合いだからか、は分からないけれど。トイレの花子さんは信用してもいい気がする。
「あなたはどうするの」と花子さん。
「私は……」
刀の鞘を撫でる。
「鏡蛸を倒しに行きます」
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