トイレの花子さん 5

 私と夜行さんは三日後、再び池田高校のトイレにいた。今のところ変わったところといえばトイレの花子さんも私たちの隣にいる、ということだろうか。それよりも……。


「山童は大丈夫でしょうか」

「まぁ、大丈夫だろう。山童もそれなりに強いしな」


 そんな夜行さんの言葉に花子さんは頷いている。


 と言われてもなぁ。あの容姿じゃやっぱり心配になっちゃう。


 そんな私の頭を夜行さんはポンポンと軽く叩く。


「待つしかないだろ。大丈夫だ。山童はお前の友達を守って、ここへ戻って来る」

「そう、ですね」


 そう頷きながらも私の心は不安でいっぱいだった。






―山童視点―


 わたしはとあるアパートの前に立っていた。時間はちょうど夜の八時。辺りには夕飯の残り香が漂っている。


 へぇー。ここが陽お姉ちゃんのお友達の家かぁ。


 三階立てのアパートの二階、一番端に「山崎」の表札がかかっている。


 わたしはピンポンとチャイムを押す。しばらくすると「はーい」と声がして黒髪ストレートの女性が出てきた。


 陽お姉ちゃんと同い年くらい。ということはこの子がお友達の「蘭ちゃん」ね。


 わたしはペコリとお辞儀をする。


「はじめまして。山童です。陽おねえちゃんに頼まれて来ました」

「あ! あなたが山童ちゃんね。陽ちゃんに聞いていると思うけれど、私が山崎 蘭です。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、です」


 わたしは自然と笑みがこぼれてしまう。


 なんだか陽お姉ちゃんが蘭お姉ちゃんを大切に思う気持ちが分かる。蘭お姉ちゃん、とってもいい人オーラが出てるし。

 まぁ、陽お姉ちゃんもお母さんの明愛梨ちゃんに似ていい人だし。類は友を呼ぶ……ってやつなのかも。


「そういえば陽ちゃんは?」

「陽お姉ちゃんは万が一に備えて学校にいるよ」

「え!? じゃあ山童ちゃんは一人でここまで来たの!? それは大変っ! さ、早く中に入って」

「それじゃあ……お邪魔します」


 蘭お姉ちゃんに少し強引に背を押されて、わたしはアパートへと足を踏み入れる。中は正直、狭い。


 中に入るとこれまた小さなちゃぶ台が一つ。そのちゃぶ台に肘をたてて競馬新聞を見ているスーツを着た中年男性が一人。


「お父さん! 山童ちゃん来てくれたよ」


 お父さん、と呼ばれた人物はこちらをチラリと振り返って「友達ってまだほんの子供じゃねーか」と呟く。


「た、確かに見た目は子供だけど。見た目だけだし。友達なんだから!」と蘭お姉ちゃんは必死に取り繕っている。


 陽お姉ちゃんはわたしのことを式神って紹介したって言っていたけれど。蘭お姉ちゃんはお父さんにはわたしのことを友人と紹介するみたいだ。

 徳島は今もなお妖怪に敬意を払ってくれている人が多い土地だけれど、それでも急に式神なんて言われても困るだろうし。これが一番いいのかもしれないけれど。

 この見た目じゃ難しいかもしれないな。


 わたしはほんのちょっとだけ口角を上げる。


「はじめまして。山童と言います。いつも蘭ちゃんにはお世話になってます」


 こういう話し方は苦手だけど。陽お姉ちゃんの為だし、仕方ないかぁ~。


「俺は山崎 五郎ごろう。ま、近所迷惑にならないよう遊べよ」


 蘭お姉ちゃんのお父さん、五郎さんはそれだけ言うと再び競馬新聞に目を通す。

 蘭お姉ちゃんはわたしを手招きして障子で分けられた自室と思われる部屋に案内する。部屋はかなり質素だ。勉強机と布団、洋服を入れるケースぐらいしかない。


「改めて、今日は一日よろしくね」

「うん。あ、そういえば蘭お姉ちゃんのお母さんは?」


 蘭お姉ちゃんのお母さんにも挨拶すべきだろうと思って尋ねる。けれど聞いてしまった瞬間、後悔した。


 陽お姉ちゃんのようにお母さんがいない家庭だったら……。


 けれど蘭お姉ちゃんはあっけからんと笑って「今仕事中なの」と口を開く。


「私のお母さん、弁護士でね。いろいろ書類整理とかあるみたいで帰り遅めなんだ」

「そ、そうなんだ」


 わたしはひとまずホッと息を吐き出す。と同時に複雑な気持ちになった。


 陽お姉ちゃんに明愛梨ちゃんのこと、いつかは言わないと――。






 あれからだいぶ時間が経った。わたしと蘭お姉ちゃんはいろいろな話をして時間を過ごしていた。といってもその大半が陽お姉ちゃんの話と、二人が通っている池田高校の話だけれど。


 わたしは思わず大あくびをしてしまう。


 今のところ何かが起こる気配はない。三日後迎えに行く、なんて。妖怪のいたずらだったりして。


「そろそろ寝ようか。その前にお風呂に入らないとね」


 わたしの大あくびに気づいたのか蘭お姉ちゃんは手を引いて、お風呂場まで連れて行ってくれる。五郎さんはというとビール片手に酔いつぶれて眠ってしまっていた。


 風呂場は外国にあるようなシャワーと湯舟が一体になっているタイプのものだ。壁には大きな鏡がかかっている。

 その鏡に今から服を脱ごうとボタンに手をかけている蘭お姉ちゃんが映る。


 わたしも服を脱ごうと帯をほどこうとした時だった。


「迎えに来たよぉ~」

「!!!」


 急に声が聞こえる。高くもなく低くもない、中世的な声。はっきりと聞こえているのに姿が見当たらない。


「蘭お姉ちゃん! わたしの後ろに!」

「は、はい!」


 とはいえ相手がどこにいるのか分からない。


 もしもの時は――。


 わたしが着物の襟に手を入れる。と、「ヒャッ!」と蘭お姉ちゃんの悲鳴が小さく上がった。


「蘭お姉ちゃん!?」


 わたしはハッとして顔を上げる。


「そこかなぁ~」


 風呂場の鏡からぬめぬめとした触手が出てきていた。触手には吸盤がついている。ぬめぬめと風呂場を汚しながら、鏡から徐々に妖怪の頭が出てきた。

 縦長の頭に小さな金色の瞳。皮膚は赤と白の中間色。


 たこの妖怪だ。


「あれ、あれ、何!?」

「わたしも見たことないけれど。多分、『きょうしょう』だと思う」

「鏡蛸!?」

「ここ最近、噂に聞く妖怪だよ。鏡のある場所、特に水のある所に現れると聞いているわ」


 でも、詳しいことは一切分かっていない。そういう面に関しては人喰いの家と同じかも。


 鏡蛸は足を蘭お姉ちゃんへと伸ばす。


「っ!」

「蘭お姉ちゃん!」


 わたしは着物の襟から手裏剣を取り出して鏡蛸に放つ。手裏剣は見事に足に当たった。だが当たっただけで突き刺さるまでには至らない。

 蛸独特の弾力で跳ね返されてしまう。


 蛸の足はみるみるうちにわたしの横を通り過ぎ、蘭お姉ちゃんの体へと巻き付く。


「ヒャッ!!!」

「蘭お姉ちゃん!!!」


 わたしはもう一度手裏剣を放つが、やはり弾力で跳ね返される。


「っ……」


 こうなったら――。


 わたしは再び手裏剣を構える。


 その瞬間――。


「うちの愛娘に何してんだっ!!!」


 五郎さんが風呂場に入ってきた。


 さっきまで酔いつぶれていたのに。どうして!? いや、それよりも。


 五郎さんは臆することなく、鏡蛸へ突進していく。


「コノヤロォ!!!!!」

「止まって!!! 五郎さん!!!」


 必死に声を張り上げるが五郎さんはわたしの制止を聞くことなく、鏡蛸に向かい足を高く上げかかと落としを食らわせる。

 その反動で蘭お姉ちゃんに巻き付いた鏡蛸の足がわずかに緩んだ。


「!」


 ――今だっ!


 わたしはグッと力強く両手で手裏剣を握り、軽く瞳を閉じる。

 その瞬間、ブワッと下から風が舞い上がった。風で前髪が上がる。


 風よ――。いにしえの存在に力を貸して――。


 下から舞いあがった風がわたしの手に集中していく。


「いけぇぇぇ!!!」


 わたしは風をまとわせた手裏剣を鏡蛸へ強く投げつける。手裏剣は鏡蛸の頭へと真っすぐ向かう。そして鏡蛸の頭へ見事に突き刺さった。

 鏡蛸の頭から真っ黒な液体が勢いよく飛び散る。


「ギャァァァ!!!」


 掠れた鏡蛸の声が風呂場に響き渡る。


 あと少し。


 五郎さんはその間にもう一発蹴りを入れようと再び足を上げる。だが、鏡蛸もさすがに二度目は食らうまいと思ったのか、小さな金色の目が爛々と五郎さんを捉える。


「!」


「五郎さん!」と叫ぶ間もなく、鏡蛸の太い足が五郎さんを叩きつける。


「ぐっ!」

「お父さん!!!」

「五郎さん!!!」


 五郎さんの体は浮き上がり、そのままの勢いで壁に頭から打ちつけられた。五郎さんはズルズルと壁に寄りかかる形で意識を失う。

 鏡蛸は再びきつく蘭お姉ちゃんを締め付けている。


「お父さんっ……」

「っ」


 このままじゃ……。蘭お姉ちゃんも五郎さんも。


 脳内に陽お姉ちゃんが思い浮かぶ。


 この二人を……陽お姉ちゃんの二の舞にしないっ。


 わたしは風をまとった手裏剣を一つ、二つと連続で投げつける。だが鏡蛸は大きな図体に関わらず、素早い動きで避けていく。


 だったら――。挟み撃ちなら!


 わたしは手裏剣を投げた後、素早く鏡蛸の横へ回り込み二つ目の手裏剣を投げた。ギョロギョロと鏡蛸の目が動く。

 一つ目の手裏剣は避けられる。だが二つ目の手裏剣は蘭お姉ちゃんを巻き付けている足に刺さった。


「ガァァァァァァ!!!!!」


 鋭い悲鳴を上げて鏡蛸は蘭お姉ちゃんを完全に手放した。


 やった!


 そう思ったのも束の間、今度は鏡蛸の八本の足が一斉にわたしに向かってくる。


「邪魔をするなぁ!」

「っ!!!」


 辺りを素早く見回す。


 どこか、どこか。この攻撃から抜けられるところが――。


 けれど鏡蛸も甘くない。


 八本の足はわたしの周りを完全に覆って――。


「っ……」


 八本ある足のうちの一つがわたしの体を貫通した。


「ぐ……っ」


 そして一気にわたしの体から足を引き抜く。


「がっ!!!」


 ボタボタと風呂場の床をわたしの血が赤く濡らしていく。


 こんな、こんなところで……。


 わたしは足に力を入れて耐えようとする。が、耐えられるわけもなく、ぐらっと体が傾き生ぬるい床に顔を叩きつけられた。


「山童ちゃんっ!!!」


 ――蘭お姉ちゃんの悲鳴がどこか遠くで聞こえる。


 わたしはうっすらと瞼を開ける。そこには蘭お姉ちゃんが再び鏡蛸に捕らわれる姿が映っていた。


 わたしは深く息を吐いてから手裏剣を構え、投げる。けれど今までと違い、手裏剣に勢いはない。

 手裏剣は鏡蛸に掠ることすらなく、蘭お姉ちゃんの服の裾に弱弱しく刺さった。


 鏡蛸は服の裾に刺さった手裏剣を気にすることなく、蘭お姉ちゃんを連れて鏡の中へ入っていく。


 ごめ、ん。ごめんね。夜行さん。皆……。恩を返せなくて、ごめんね――。


 わたしの体が徐々に透けていく――。

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