トイレの花子さん 1

「……ちゃん。……ちゃんったら!」

「……」

「陽ちゃんっ!」


 ハッとして窓から見えていた雀から視線を逸らす。


 いつの間にか授業は終わり、放課後になっていたらしい。紺の制服に赤のネクタイを着た生徒たちが一斉に帰り支度をしている。


 声をかけてきたのは同じ高校のクラスメイトで友人の山崎やまざき らんちゃんだった。笑顔が可愛くて、蘭ちゃんが笑うたびにロングでストレートの髪が揺れるのが特徴的だ。


「ごめん、ごめん。ボーっとしてた」と私は苦笑いで蘭ちゃんに答える。


 正直今の私は学校どころではない。


 ただでさえ『人喰いの屋敷』を倒して退治屋として父に認めてもらわなければならないのに、同じく『人喰いの屋敷』を倒そうとしている夜行さんが行方不明の母と関わりがあると知って……。てんてこ舞いだ。


 蘭ちゃんは「実は相談したいことがあったんだけど。明日の方がいいかな」と恐る恐る顔を覗き込んでくる。


「相談?」

「うん。妖怪、というか、幽霊というか。そういうのがらみで」

「!?」

「そういうの話せるの陽ちゃんしかいないから」


 蘭ちゃんは私の家が退治屋をしていることを知っている。だからといって私のことを嫌がるわけでもなく、面白がるわけでもなく普通の友人として接してくれている。それどころか今までそういう相談を一切してこなかったから驚いてしまう。


 余程切羽詰まっているんだ。


 私は頬を両手でペチンと叩く。


 人喰いの屋敷のことも、夜行さんのことも。一歩ずつ解決していくしかない。気持ちを切り替えなくちゃ。


「大丈夫。他でもない蘭ちゃんの相談だもの。聞くよ」


 私は余裕の笑顔をみせる。と、蘭ちゃんはポツリと語りだした。


「『トイレの花子さん』って話あるでしょ」

「そりゃあねぇ。確か校舎の三階で『花子さんいらっしゃいますか』って三回ノックするやつでしょ」

「うん。手前から奥にやっていくと三番目の個室で返事が返ってきて、扉を開けるとおかっぱの女の子に引きずり込まれるっていう」

「で、そのトイレの花子さんがどうかしたの」

「その……友達とこの前やってね」


 蘭ちゃんは潤んだ瞳で恐る恐るこちらを見ている。

 私はハァと大げさにため息を吐いた。


「私、普段から言ってたよね。興味本位でそういう悪いモノに関わらないようにって」

「ごめんなさい……。断り切れなくて」

「しかもトイレの花子さんって。小学生ならまだしも、高校生で?」


 私はもう一度ため息。そして「仕方ないか」と思わず呟いていた。


 蘭ちゃんは優しい子なのだ。ただ優しすぎて相手の頼みを断れないのがたまに傷で。

 現に、何度も「悪いモノに自分から近づかないように」と言っていたにも関わらず、誘われたからと自分から悪いモノ関わってしまったのだから。


「ちゃんと断るべきところは断らなきゃ駄目だよ」

「うん……」


 蘭ちゃんは肩を落とし、視線を下に落としている。


 まぁ、今日はこのくらいでいいか。


 私は「次から気をつけなきゃ駄目だよ」と一言注意してから、蘭ちゃんに続きを話すように促す。


「この学校の三階でやってみたの。手前から奥にドアを三回叩いて。そしたら手前から三番目の扉を叩いた瞬間、『はい』って可愛い声が聞こえてきて」

「!? 時間帯は」

「夜中の二時……」


 人がいるはずのない時間だ。もしいたとしたら蘭ちゃんと一緒で肝試しのようなことをしていたか、忘れ物を取りに来たかだろうけれど。夜中の誰もいない学校のトイレをノックされて返事を返せるだろうか。


 私はゴクリと唾を飲みこむ。


「……扉を開けたの?」

「ううん。返事が聞こえた瞬間、パニックになっちゃって。皆逃げ出しちゃって」


 皆逃げ出しちゃって? その言い方に嫌な予感がじわじわとせりあがってくる。


「蘭ちゃんは?」

「私はびっくりしすぎて足が動かなくて。そしたら――」

「そしたら?」

「声が聞こえてきて。その……『三日後に迎えに行くね』って」

「!?」


 嫌な予感的中。三日後に迎えに行くって……きっと悪い方だ。蘭ちゃんの身が危ない。


「それからはなんとか足を動かして。全力で逃げ帰ったんだけど。これってヤバい……よね」

「かなりね」


 私が苦い顔をしていると蘭ちゃんは私の両手をグッと握ってくる。そして潤んだ視線で私を見つめてきた。


「なんとか、なんとかならない……?」

「ゔっ」


 蘭ちゃんの瞳には涙が溜まっている。今にもこぼれ落ちそうなくらいに。


 私は蘭ちゃんに向かって強く頷く。


 蘭ちゃんは私の大切な友達だ。見捨てることなんか無いに決まっている。それにこういう妖怪に困っている人を助けるのが退治屋の務めだ。


「大丈夫。私がその花子さんを倒して蘭ちゃんを助けてみせるよ」

「本当に?」

「うん。だから蘭ちゃんは安心して」


 すると蘭ちゃんは私の両手から手を離し、今度は私の背中に手を回しギュッと抱き着いてきた。


「ら、蘭ちゃん!?」

「ありがとう、陽ちゃん。私、これからは絶対危ない所に行ったりしないから」


 蘭ちゃんの瞳からは涙が堪えられず、ボロボロと落ちている。

 私も蘭ちゃんの背中に手を回した。


 絶対、蘭ちゃんを守らなきゃ――。

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