かずら橋 6

 先程までの喧騒は消え、川のせせらぎだけがくっきりと聞こえてくる。


 私は夜行さんに人喰いの屋敷について質問攻めにしたいという気持ちを堪えて倒れている男性に駆け寄る。


 男性の頬に手を当てる。異様な冷たさだ。

 思わず冷や汗が流れた。


 どうしよう……。男性がこのままだったら。


 大百足の毒は男性の体力を徐々に奪っていく。


「医者を呼ぶか?」


 夜行さんが声をかけてくる。私は力なく首を振る。


「人間の医者には治せませんよ……。父ならともかく」


 もし今から父を呼んだとしても、かずら橋は私の住んでいる神社から距離がある。……きっと間に合わない。

 男性が助からないかもしれない。


 私はグッと唇を噛みしめる。と、夜行さんは男性の横に膝をつく。


「いや、人間の医者じゃない」

「っ! それってまさか妖怪の」

「ああ。呼べば猛スピードで来てくれるいい医者がいる」

「それは……」


 果たしていいのか。妖怪の医者を呼んで……。でも。この男性を助けるには夜行さんの提案に乗るのが一番いい。


 私はチラリと男性の顔に目を向ける。男性の顔は青くなっている。

 私は唾を飲んでから再び夜行さんに目を向けた。


「その妖怪は信用していいんですよね」

「もちろんだ」

「それじゃあ、お願いします」


 夜行さんは頷くと、親指と人差し指を口元へ持っていく。そしてピーと指笛を吹いた。

 二、三秒の静寂。

 すると空からバサバサと翼が羽ばたく音が聞こえてきた。


「!」


 空に視線を移す。

 くすんだ白い翼が真っ先に目に入ってきた。その次に目に入ったのは少し赤みがかった顔と外人のような高い鼻。かっこいい顔立ちには似合わない修験者の服を着ている。


 この妖怪は喫茶店にはいなかった。けれど、白い翼に赤い顔、高い鼻に特徴的な服。思い当たる妖怪は一つしかない。


「――天狗」


 イメージと顔立ちはだいぶ違うけれど。


 夜行さんは眼鏡に手を当てながら「さすがだな」と呟く。夜行さんは立ち上がって天狗に向き直る。


「そこの男が大百足の毒を浴びた。治せるか」

「それならいい薬がありますが……。その前に夜行さん、その左肩は……」

「!」


 ハッとして夜行さんの左肩を見る。黒の着物と青の羽織が暗闇にまぎれ一見するとよく分からなかったが、血が服に滲んでいた。


 大百足に噛まれたところだ。


 夜行さんは「ああ」と左肩を横目で見る。


「この程度、何ともない。俺のことより男を頼む」

「分かりました。でもその後は貴方ですからね」


 天狗は少しくすんだ黄色の鈴懸すずかけから小瓶を取り出す。中には透明な液体が入っていた。そのまま天狗は倒れた男性の口に瓶を持っていく。

 ゴクリ、と微かに音を立てて男性が液体を飲む。


「ゔ……」


 男性がわずかにうめき声を漏らす。まだ目を覚ます気配はない。けれど飲み込んだ瞬間から男性の顔色が明るくなっていく。


 さっきまで顔面蒼白だったのに。


「これで彼は大丈夫でしょう」

「さすがだな、天狗」

「次は貴方ですよ」


 天狗は着物からもう一瓶取り出す。

 夜行さんは苦い顔をしながらも渋々と瓶の中身を飲み干した。


「相変わらず苦いなぁ」

「『妙薬口に苦し』と言いますからね」


 夜行さんは苦い顔をしながら「お前ももらうか」と空き瓶を私の目の前で揺らす。


「いえ、大丈夫です」


 私はちょっと傷を負っただけだし。妖怪に頼るほど弱くない。それに父さんならいい薬持っているだろうし。


 私は夜行さんから目を背けて倒れている男性の肩を軽く叩く。


「ゔ……」


 男性はまたうめき声を上げる。しばらくして男性はハッとしたように目を開けた。


「!? 大丈夫ですか。しっかりして下さい」

「……ここは……」

「ここはかずら橋です。貴方は倒れられたんですよ」

「そうか」


 男性はどこかおぼろげなままゆっくりと立ち上がる。その瞬間男性は顔色を青くさせる。男性は夜行さんとバッチリ目が合っていた。いや、夜行さんの後ろにいる天狗と目が合っていた。


 夜行さんは見た目は普通だけど、天狗がな……。顔立ちは良いけれど赤い顔に白い翼は普通の人であればかなり異様なはずだ。


「ね、姉ちゃん。あ、あれは何だ……。それにあの化け物は!」

「大丈夫です。落ち着いて下さい。あの化け物は倒しましたから」


 倒したのは夜行さんだけれど。

 と思いながらもさらに私はまくしたてる。


「それにここにいるのは皆私の使い魔です。安心して下さい」

「そ、そうなのか」


 ホッと男性が息を吐く。


「はい」


 もちろん大嘘だ。

 けれどその嘘で男性が落ち着いてくれているのだからいいと思う。それに夜行さん達も下手に騒がれるより、そっちの方がいいだろうし。

 まぁ、大百足を倒してくれて男性を助けてくれたちょっとしたお礼だ。


「姉ちゃん、スゲーな。あの化け物を倒しちまうなんて」

「ま、まぁ、それほどでも。妖怪の退治屋ですし」と苦笑いをしつつ「それよりも」と強引に話題を変える。


「歩けそうですか。近くの駐車場にバイクを止めてあるので送りますよ」

「いや、大丈夫だよ。俺も車停めて来ているから、運転して帰るさ」

「そうですか」


 男性はふう、と長いため息を吐く。


「まるで悪い夢でも見ていた気分だ。……俺はもう帰るよ。疲れたからな。姉ちゃんも夜遅いし帰りな」

「え……」


 私は夜行さんをチラリと見る。


 本当は『人喰い屋敷』について知っているのか聞きたい。どうしてここにいるのかも聞きたい。聞きたいことだらけだ。

 でも、私は退治屋とは言えまだ高校生。父さんも心配しているだろうし。それに――。夜行さんは喫茶『百鬼夜行』に行けばまた会える気がする。


 男性はフラフラと歩いていく。私は夜行さんが苦笑いをしているのを見つつ、男性に「途中まで送っていきますよ」と声をかける。


「それじゃあお願いしようかな」


 男性は無理に笑って、先程より幾分かしっかりと歩き始めた。私も男性の後をついていくように歩く。


 それにしても夜行さんは何故かずら橋にいたのだろう。それに――何故私を助けてくれたのか。

 明日『人喰いの屋敷』と一緒に聞かなければ。

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