かずら橋 4
夜が更けた頃、私はいつもの赤いバイクに乗り山奥にあるかずら橋へと向かう。
祖谷川にかかっているコンクリートの大きな橋、祖谷渓大橋を渡り近くにある駐車場にバイクを止める。
かずら橋は立派な観光地だ。そのため山奥なのに駐車場が多くある。
私はバイクを降りて木々に囲まれた中を歩いていく。しばらくすると
蔓で出来ているといっても今は安全のために蔓の芯にワイヤーが入っているけれど。
私はフッと息を吐いてからかずら橋へと足を踏み入れる。
かずら橋の足元は木の棒が一定間隔であるだけで、昼間なら川が流れているのがよく見える。けれど今はかろうじて木の棒が見えるだけで、深くまでは見えない。
せせらぎ音だけが聞こえてくる。
「……」
私は辺りに気を配りながら、橋を歩く。
川があるからか薄っすら冷気を感じる。
今のところは妖怪の姿は見えない。けれど気配は感じる。……確実に何かがいる。
気を張り詰めながら橋の中間あたりに差し掛かる。と、「おーい!」と向こう側から男性が大きく手を振りながらやって来た。
「!」
誰!?
男性からは妖怪独特の気配、というものはしない。だけど……。
この男性、どこかで見たような。
男性は橋をユラユラと揺らしながらこちらに向かってくる。私は刀へとゆっくり手を伸ばした。
妖怪の気配はしないけれど、もしも、ということだってあり得る。注意しないと。
男性は目の前までやってきて止まる。
「やっぱり! その巫女服、昼間喫茶店にいたコスプレの姉ちゃんじゃねーか」
「あっ!」
『コスプレの姉ちゃん』の響きでようやく目を凝らして男性の顔を見つめた。喫茶『百鬼夜行』にいた私の隣にいた中年男性の客だ。そしてかずら橋に妖怪がいると教えた張本人だ。
「どうしてここに?」
「いやー」
男性はボリボリと頭を掻いてから話始める。
「喫茶店では同僚がキャンプに行ったと言ったが、実はキャンプに行ったのは俺自身でな。同僚の友人がいなくなったんじゃなくて俺の友人がいなくなったんだ」
「そうでしたか」
「まだ友人がここにいるんじゃないかと思って。たまーにここに来てるんだよ」
風がビューと吹き、橋が軋む。
私はハァとため息を吐いた。
「気持ちは分かりますが、あまりここには来ない方がいいですよ。ここには妖怪がいます」
「え? でもあんなの噂じゃ」
「いえ、気配がします。気持ちは分かりますがもうここには来ない方がいいですよ」
この男性に悪気がないのも本気で友人を心配しているのも分かる。けれどもこういうオカルト関係はド素人が踏み入っていいものじゃない。
私は男性の手を掴み一刻も早く橋から遠ざかろうとする。だが――。
「ヒヒヒヒ……」
「!」
どこからか女性の声が聞こえて思わず立ち止まる。一度刀から離れかけた手を元に戻した。
気を張り詰めながら辺りを素早く見まわす。けれど妖怪の気配はするものの、妖怪自体は相変わらず姿を現さない。
どこ、どこにいるの?
周りは暗く遠くまで見えないのが難点だ。
「ヒヒヒヒ……。釣れた、釣れた。二匹も釣れた」
私は鞘から刀を抜く。女性の声はすぐ近くから聞こえるのに、やはり見えない。
「お、おい! 姉ちゃん!」
「大丈夫、私の後ろから離れないでください」
……とは男性に言ったものの状況はかなり不利だ。灯りがなく、真っ暗闇。相手の姿は見えず、足場は悪い。そして男性を庇いながら戦わなきゃならない。
ザァと生暖かい風が髪を撫でる。
――くるっ!
その瞬間、バキッという音と共に巨大な足が橋の下を突き破って現れた。
「っ!!!」
咄嗟に私は男性の手を引いて後ろへ飛ぶ。
「美味しそうねぇ~」
巨大な足が橋の下、いや裏側から出てくる。
なるほど。妖怪は橋の下に張り付いていたわけか……。
暗闇の中、徐々に妖怪の全貌が見えてくる。
人間を超える大きな体。多くの足がうねうねと動いている。体が鉄でおおわれている巨大な虫。
妖怪、『
人喰いの屋敷ではなかったけれど、大百足もやっかいな妖怪だ。何せ元々は百足。それ故に毒液を吐き出す。
私は鋭い切っ先を大百足に向けた。その瞬間、大百足が大口を開けて毒を吐き出す。
「!」
私は咄嗟に刀で向かってきた毒を薙ぎ払う。けれど液体を斬れるはずもなく、わずかに頬に毒が当たった。ジュッと嫌な音と共に頬に激痛が走る。
「っ!」
「姉ちゃん!」
「大丈夫、大丈夫ですから。それよりお怪我はないですか?」
本当は大丈夫じゃない。――けれども人を守るのが退治屋だ。まだ見習いだけれども……。
「お、俺は何ともないよ」
「そうですか。ならよかった」
私は再び刀を構える。
とはいってもこの先どうすればいいか分からない。このまま大百足に向かっていけば攻撃出来るけれど、男性に何かあった場合対処できない。かといってこのまま守りに入っていても膠着状態、いや私の方が確実に負ける。
「どうする……」
思わず小声で呟く。
「ヒヒヒヒ」
考える隙も無く大百足は無数の手足を動かしてこちらに突進してくる。
っ! 早い!
大百足は大きな口を開け私に嚙みつこうとする。
「させるか!」
私はグッと刀を構える。そして大百足の口めがけて一気刀を突き刺した。
「ギャアアアアア!!!!!」
大百足の口から大量の緑の液体がかかる。
倒した――と思った瞬間、ジュッと嫌な音と共にあちこちに激痛が走った。
体自体が毒で出来ているということか。
思わず悲鳴をあげそうになるところを、必死に唇を噛んで耐える。
だが――。
「ぐっ!!!」
「!」
後ろから聞こえてきた声に私は咄嗟に振り返る。
後ろで庇っていた男性にも大百足の緑の液体がかかっている。もちろん、私ほどじゃない。
それでも私は鍛えているし妖怪との戦いで痛みには耐性があるけど、普通の人ならばこの毒に耐えられない。
「大丈夫ですか!?」と私は男性に駆け寄ろうとする。けれどその前に男性の体は急に横に傾き、地面に倒れた。
「っ! 大丈夫ですか? しっかり、しっかりしてください!」
私は必死に男性の体を揺さぶる。
「……」
男性は私の声に答えることなく、地面に倒れたまま指一本動かさない。
「これであとはオマエだけ。美味しそう、美味しそうねぇ~」
大百足は口から緑の液体を流しているのにも関わらず、余裕の笑みを浮かべて話している。
全くダメージを受けていない……。
私は男性に背を向けて大百足を鋭く睨みつける。
負けるな、負けるな、負けるな。この男性をなんとしてでも守る。そのためには何としてでも勝つ。
でもどうする。大百足を刀で倒したとしても毒がかかる。倒さなくても毒を吐いてくる。
倒す術がない――。
大百足はまた「ヒヒヒヒ」とこちらに向かってくる。
「!」
私は一瞬刀を構えようとするが、すぐに躊躇してしまう。
駄目だ。だってここで大百足を刺したら、液体は男性にかかってしまう。
私はゆっくりと刀から力を抜く。大百足は大口を開け、私のすぐ目前に迫っている。
負けたら駄目だ。勝たなきゃ……。でも刀で斬りつけたら毒の液体が……。駄目だ。私には倒せない。
私はギュッと目を瞑る。すぐ近くに大百足の息づかいが聞こえた。
――殺されるっ!!!
そう思った瞬間、独特の足音が周りに響いた。パカラ、パカラという三つの連続する音。
馬の音?
私はゆっくりと瞼を開ける。すると私の真上を何かの陰が通り過ぎるのが見えた。
あれは馬? だけど首が……。
真上を通り越した馬は私と大百足との間に降り立ち、そしてこちらを向いたかと思うと後ろ足で一気に大百足を蹴り上げた。
「!」
大百足の体は宙に浮き、橋の端まで一気に飛ばされる。
「ギャアアアアア! キサマ、獲物を横取りするつもりか!」
大百足が遠くからこちらを睨みつけているのが分かる。
今のって私を助けてくれた、よね。
そう思いながらも刀を再び強く握る。もしかしたら大百足の言う通り、獲物の横取りかもしれないからだ。
私はジッと目を凝らして馬を見る。
やっぱりこの馬……。首がない。
「『首無し馬』か」
思わず呟いてしまう。
『首無し馬』は文字通り首のない馬の妖怪。日本各地にいろいろと伝承は残っているけれど、徳島では人に襲い掛かったり噛みついたりする妖怪だ。また『夜行さん』と共に大晦日や節分に姿を現す妖怪としても知られている。
「やっぱり知っていたか」
「!」
急に上から低く艶のある男性の声が聞こえてきた。
「誰!?」
私は目を細めながら顔を上にあげる。だが人の姿は見当たらない。
「こっちだ」
男性の声は首無し馬の方から聞こえてくる。
「!」
再び首無しへ目を向ける。と、いた――。
今まで首無し馬に誰も乗っていなかったのに男性が跨っている。
黒髪で眼鏡をかけている二、三歳年上の男性。
この人……。今日喫茶店『百鬼夜行』にいた男性店員の……。
「『夜行さん』!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます