3:愚者の金

◆◆3◆◆


 パスタやミートソース、ビールの泡にフォークやナイフなどといった食器が散乱する受付ロビー。

 その真ん中にいるシャーリーはうろたえている不思議な本ドロシアを見つめていた。


『私、どうしてこんな身体に……というかどうして本なの!? あ、あぁ、どうして、どうしてこんなぁ』


 泣いているようにも見えるドロシアに、シャーリーは同情する。


 どうしてそんな姿になったかわからないが、とりあえず本人曰くものすごい美人だったようだ。なら全く原型がない本の姿になったことは大変ショックだったかもしれない。


 そう考えていると、ドロシアはムクリと起き上がりシャーリーに叫んだ。


『ねぇ、どうしてよ! どうしてこんな姿になってるの! 教えてよ!』

「え、えぇー! そんなこと言われてもわからないですよぉー!」

『なら励ましてよ! そのくらいできるでしょ!?』

「そ、そんなこと言われても……」


 無茶なことを言われたシャーリーは頭を抱えた。

 そもそも初めて会った人(見た目は本)にどんな言葉をかければいいかわからない。

 というか人並みの励ましの言葉をかけて満足する人物なのかもわからない存在だ。しかし、ドロシアはずっと期待に満ちた目で見つめている、ように見える。


 とても困る。だが、その期待を裏切るのは気が引けた。


「えっと、美人さん、なんですよね? その、元の姿を見てみたいなぁー。なんて」

『……ハァ』


 ドロシアにとても残念がられた。

 なんだか悔しい思いをシャーリーは抱く。

 だが、これで怒るというのはバカらしい。だから彼女は誤魔化すように笑うことにした。


『まあいいわ。それより、なんだか物騒な奴らがいるわね。もしかして山賊?』

「え? 物騒?」


 ドロシアに言われてシャーリーは振り返る。

 よく見ると鎧に身を包んだ大男達がシャーリーの周りを取り囲んでおり、全員が槍と剣を持って睨みつけていた。


 どうして、とシャーリーは一瞬考えたがすぐにアネットから言われたルールの一つを思い出す。

 ギルド内で騒ぎを起こさないこと、というルールを。


「来てもらおうか、君」


 シャーリーの顔は青ざめた。一

 瞬逃げだそうとしたがすぐに腕を掴まれ、そのまま拘束されてしまう。

 泣きながら「私じゃないです! 何もしてないですー!」と叫ぶが誰も信じてくれない。


 そんな彼女を見ていたドロシアは、あらあらと他人事のように見つめる。

 しかし、ドロシアも持ち上げられ、しっかりと縄で結ばれて一緒に連行されたのだった。


『ちょ、ちょっと! なんで私もなのよ!』

「すごいな、この本。人の言葉を発してるぞ」

『はーなーせー! 私はアクビしただけよー!』

「なんだか気持ち悪いな。燃やしちゃうか?」

『人殺しぃー! 私は人だぞー!』


 シャーリーは絶望しながら泣く。

 迷宮探索者になってまだ一日目であるのに、騒ぎを起こして捕まってしまった。もしかしたらこのまま牢屋に連行され、生涯を過ごすかもしれない。

 それだけは避けなければならないが、打開する手段がなかった。


 シャーリーはもう一度絶望する。

 何もできないままギルドの外へ連行されていく中、突然扉が乱暴に開いた。


「あン? 何の騒ぎだコリャ?」


 騒然としていたロビー内が急に静かになる。

 シャーリーが思わず顔を上げると、そこには黒髪の痩せ細った男がいた。漆黒のマントに漆黒の鎧、漆黒のシャツとズボンを身にまとった何もかも黒い男性だ。


 その男が足を踏み出すと、シャーリーを担いだ大男が慌てて道を譲る。

 よく見ると大きな袋を担いでおり、それを受付嬢アネットへ向かって持っていった。


「……いかがいたしましたか?」

「大金を出しやがれィ。いいモンを持ってきてやったからなァ」


 乱暴に大きな袋がテーブルに置かれる。中からは鈍色の岩石がくっついた黄金の輝きを放つ鉱物があった。

 それを見たアネットは目を大きくする。

 思わず漆黒の男に目をやると、彼はとても不敵な笑みを浮かべていた。


「どうしたァ? さっさと金を出せ」

「……一応、鑑定を致します。少々お時間をいただきますが」

「ダメだ。今すぐ用意しろ」

「規定です。お待ちください」

「なら他に持っていく。文句は、ネエだろ?」


 アネットが険しい表情を浮かべる。もし本物ならば大きな損失になるが、即決できない理由があった。

 ここは少しでもいいので鑑定する時間をもらいたい。そう考えるが、目の前にいる男はそれを許してくれない様子だ。


「またグレイズの奴、ギルド職員を困らせているよ」

「アネットさんかわいそうだな。今日ギルマスいたっけ?」

「ちょっと遠出してるって聞いたな。だから狙ってきたんじゃね?」


 みんながヒソヒソと話す中、漆黒の男グレイズはテーブルを叩いた。

 一気に周囲は黙り込み、それを確認した彼はアネットに詰め寄る。


「どうするんだ? 買うのか買わないのか?」


 アネットは唸る。

 グレイズは三つ星の迷宮探索者。本来ならば五つ星になっていてもおかしくない人物だが、素行の悪さがあって上に行けていない。


 その理由の一つが、偽物を本物だと言い張って買わせる行為だ。だいたいが偽物だが、時折本物を持ってくる。しかも稀少な素材をだ。

 もし切れるなら切りたいものだが、グレイズが持つ価値を上回る迷宮探索者は少ない。ここで失えばギルドにとって大きな損失になる。


 その事情をよく知るアネットは、頭を抱えた。完全に足下を見られていることはわかっている。

 だが、ここで理由なく突っぱねてしまえばギルドの信頼性に影響が出てしまう可能性があった。


 グレイズがいい思いをさせず、かつギルドの信頼性を落とさない方法はないか。

 そんなものを探していると、一人の少女が顔を出した。


「わぁー、金だぁー」


 それは思いもしない人物でもあった。

 アネットが目を点にし、鉱物を持ち上げているシャーリーを見つめる。

 グレイズはというと、怪訝そうな顔をして「なんだテメェ」とドスの利いた声をぶつけた。

 だが、シャーリーは怯まない。というか気にしない。

 鉱物をいろんな角度から見て、質感などを確かめていた。


「うーん、これ本当に金ですか?」

「アッ? 何言ってんだテメェ?」

「えっとですね。これたぶん、偽物ですよ」


 シャーリーがそう指摘すると、途端にグレイズの顔が歪んだ。

 まるで苦虫を噛み潰しているかのような表情である。アネットはそれを確認し、敢えてシャーリーに問いかけてみた。


「どうしてそう言い切れるんですか?」

「え? だってこれ、もうボロボロになってますよ。たぶん空気中の水分を吸ってこうなってるかも。金だったらこんなことならないし」

「な、何言ってんだテメェ! これは金だ! その証拠に黄金の」

「金色に輝いてますけど、他にもそういう鉱物はありますよ」


 シャーリーはそういってどこかから小さなハンマーを取り出した。それを鉱物から欠けて落ちた金色の物体に思いっきり打ち付ける。


 途端に火花が散り、テーブルが焦げた。

 何が起きたかわからずアネットは呆然としていると、シャーリーが説明し始める。


「金なら叩いたら伸びるだけ。でもこれは火花を散らせてボロボロになってるじゃないですか。この特徴から考えられることは、この鉱物は金じゃなくて黄鉄鉱ってことかな。黄鉄鉱は元々、金と見た目が似てるからよく間違えられていたって聞きますよ。だから〈愚者の金〉って呼ばれてもいます。あ、もしかしたらおじさんも間違えちゃったかも。特徴を知らなきゃわかりませんからね。そうですよね、おじさん」

「て、テメェ……!」


 シャーリーの指摘にグレイズは震えていた。アネットは今にも殴りかかりそうな彼を見て、シャーリーを守るように立つ。

 そして強い眼差しでグレイズに言葉を放った。


「お引き取りください。それとも、正規の値段で引き取りましょうか?」


 グレイズは舌打ちをした。

 そして黄鉄鉱がたくさん入った袋を置き、机を叩く。


 そう、今回の商談は完全にグレイズの負け。

 シャーリーというイレギュラーの存在によって、完全に騙し取る算段が取れなくなったためだ。


 去っていくグレイズをシャーリーは見つめる。

 グレイズはというと、不愉快な顔をして彼女を睨みつけていた。


『へぇー、やるじゃない』


 そんな光景を見ていたドロシアは、感心する。

 周囲もまたシャーリーに感心していると、アネットが唐突に身体を抱きしめた。


「ありがとうございます。あなたのおかげで騙されずにすみました」

「え? アネットさん騙されそうになってたの?」

「とても困っていました。詳しいことは、後で教えますね」


 素敵な笑顔を見せるアネットに、シャーリーは照れくさそうにしながら笑い返した。

 みんながみんな、思いもしない活躍をしたシャーリーを見つめる。

 中には興味を持つ迷宮探索者もいた。


 そんな中、縄で縛られていたはずのドロシアがシャーリーの元へ飛んでいく。

 そして、あることを持ちかけた。


『ねぇ、あなた。名前を教えてくれない?』

「シャーリー。シャーリーって言います」

『シャーリーね。ふーん、なるほど』

「え、えっと?」


『あなた、鉱物に詳しいのね。さっきはお見事だったわ』

「は、はい! 幼い頃からいっぱい図鑑とか見てたので、それで」

『ふーん、なるほど。ねぇねぇ、あなた。どうして本を読んでたの?』

「特技が欲しくて。でも、すぐにできないから知識をつけようかと」


『なるほどねぇ』


 ドロシアは楽しげに笑う。それはどこか嬉しそうな笑顔だった。

 シャーリーが不思議に感じながら見つめていると、ドロシアはこんな提案をする。それは思いもしない言葉だ。


『これも何かの縁かしら。シャーリー、あなた〈錬金術〉を学んでみない?』

「れんきんじゅつ?」

『ええ、とってもためになると思うわ』


 それは思いもしない技術の出会い。だからこそ様々な道が開かれる。

 シャーリーはまだその可能性に気づかない。だが、ドロシアとの出会いによってその可能性が開かれた。


 シャーリーの運命。それがこの瞬間に始まりを告げた。

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