第14話



 好きな人のエプロン姿。それは、学生の俺たちが普通に生活していて拝むことができない神聖な鎧だ。

 そんな鎧を纏った片思い中の凛香さんは、今俺の横にいる。

 明確には取り巻く女子たちの外に、だが。


 周りにいる女子、それに、俺もエプロン姿。

 そう、今から始まるのは家庭科の調理実習。


 最悪だ……。


 凛香さんのエプロン姿、それも料理をしているところを見ることができる合法的な機会だというのに、俺は早くも後悔していた。

 下を向き見えるのは、白と黒のシマシマ模様のエプロン。早いところ、俺はダサいエプロンを持ってきてしまったのだ。

 

 俺とは違い、胸にハートマークが薄っすらと描かれている凛香さんのエプロンは言わずもがな、かわいい。もし周りに女子がいなければ、クラスにいる男子が飛びついていたのかもしれないと恐れるほどに。

 早く愛のメッセージを投稿したいところだが、ここにはスマホがない。


 なので。


「かわいいかわいいかわいいかわいいかわいい」


 周りに聞こえないように、愛のメッセージを呟く。


 このおかげで、モヤモヤとしていた心は雲ひとつない快晴にのように変貌したのだが。


「っ!?」


 後ろから俺の右肩に手が乗せられた。


 学校生活の終了を合図する右手。

 その主に怯えながら、恐る恐る振り向いた……のだが。


「てめぇっつうのは、裏アカだけじゃなくて声にまで出してんのか?」


 声をかけてきたのは五十嵐だった。

 それも、明らかに不機嫌そうな五十嵐。


 ひとまず俺の学校生活が終わらなかったことに一息つこう。


「って、俺の話聞いてんのかッ!」


「聞いてる聞いてる。そんな大声出さないでくれよ。俺のダサいエプロンがクラスの人にバレちゃうじゃないか」


「んなこと一目見ればすぐバレるわ。……チッ。なんで俺がてめぇみてぇな奴と同じ班になんねぇといけねぇんだ」


「それは、お互い余り物になったんだから仕方ないだろ」


「余り物はてめぇな。俺と九条は一人ぽつんと残った哀れな子羊に手を差し伸べた神様なんだから、もっと敬えバカ」


「本当にありがとうこざいます」

 

 こればかりは深々と頭を下げる。


 橋本が唯一の綱だったが、その班が満員になったときは底が見えない崖に落ちるような絶望を感じたもの。

 なので、その絶望から助け舟を出してくれた二人には感謝してもしきれない。


「さっ、皆席について! 今から今日作るものを紹介するわ!」


 家庭科の先生の声かけに、俺たちは席についた。

 

 三人。なので、一人は隣がいないい席になる。

 俺はてっきり凛香さんと隣同士になれると思っていたが。


「なんで隣が五十嵐なんだよ」


「しょうがねぇだろ。てめぇが九条の隣なんて座ったら、周りからどう思われると思ってんだ。いじめられても知らねぇぞ」

 

 五十嵐はふん、と荒い鼻息をたて俺から視線を外した。

 

 凛香さんとの仲を縮められたと浮かれていたせいで、学校ではそんなもの関係ないということをすっかり忘れていた。


 気遣いができる五十嵐。

 なんていい奴なんだ……。

 


 

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 


 

 

 調理実習として作るのはクッキー。

 なんでも、配分を間違えたら命取りになるとかなんとか……。


「クッキー作るらしいね。柳くんって作ったことある?」


 周りの目を気にしていないのか、凛香さんは五十嵐が俺に言ってきた忠告と真逆で、普段通り喋りかけてきた。

 

 俺は五十嵐とは違い、いずれ周りも納得するような関係になりたいので臆することなく返答する。

 

「いえ。クッキーどころか、普段から一切料理しません」


「ふーん。もしかして柳くん、料理は配分なんてどうでもよくて勘でなんとかなると思ってるタイプ?」


「え、はい。よくわかりましたね」

 

「ふふふっ。私も柳くんのように思ってたこともあったよ。……今回のクッキー、どっちが上手く作れるのか勝負しない?」


「――望むところです」


 俺はどちらがクッキーが上手く作れるのか、ということにさほど興味はない。

 興味があるのは、クッキーを味比べするときに食べることができる凛香さんが作ったクッキーだ。


 手作りお菓子がこんなタイミングで食べられるなんて思ってもいなかった。


「おい二人。周りからの目、見えてねぇわけないよな?」


「もちろん。もぉ〜五十嵐ってば心配性なんだからぁ〜。柳くんはそんなこと、気にしてないでしょ?」


「え、えぇ。もちろん。俺の凛香さんへの愛に比べたら、この程度の嫉妬の視線どってことないです」


「チッ。んなこと言うんなら、もう知らねぇぞ」


 五十嵐は最初喋りかけて来たときと変わらず、不機嫌なのが治らないまま一人でクッキー作りを始めた。


 怒る狼が必死になってクッキーを作るなんて、そのギャップのある光景を見るだけで面白い。


「おいてめぇ! 俺のことを見て面白いだとか抜かしやがったか?」


 ピキピキと、血管が浮き彫りになった顔を向けてきた。  


 もうこれじゃ狼じゃなくて鬼だ。


「面白いなんて、そんなこと思って……」


「や、柳くん。五十嵐ってば、怒りながらクッキー作ってるよ。ぷぷっ。怒りながらクッキーって……。五十嵐ちゃ〜ん。かわいいところあるんでちゅね」

 

 あの凛香さんが赤ちゃん言葉を使って煽ってる。

 もし俺がこんなことされたら、ご褒美でしかない。


「九条まで……。チッ。早くてめぇらもクッキー作りやがれ」


 凛香さんが絡むと案外スッと手を引く五十嵐。


「じゃあ柳くん。私たちも作ろっか」


「……はい!」




  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 




 幾度となく死闘を繰り広げ、なんとかクッキーが出来上がった。


「?」


 いや、これは果たしてクッキーなのたろうか?

 なんとか原型は保っているが、真っ黒焦げの表面。割ってみるとサクッとしておらず、材料の配分が間違っていたのかグニョっとしている。

 匂いは……焦げ臭い。


「ぺっぺっ」


 少し味見してみたが、クッキーの甘みなんて皆無。これはただのクッキーもどきのゲテモノにほかならない。

 

「ふっ」

  

 隣りに座っている五十嵐が鼻を高くしてクッキーを見せてきた。

 小包にくるまれているそのクッキーは、まるでお菓子屋さんで売っているようにきれい。

 俺とえらい違いだ。


「どうしてそんな上手くできたんだよ……」


「てめぇとは違い、俺にはクッキー作りの経験があったからな。恨むんなら材料の配分をガン無視して適当に作った自分を恨みな」


 たしかに俺は面倒になって適当に作った。 

 なので、五十嵐の正論に反論なんてできない。


 凛香さんとのクッキー作り勝負。

 もうどんなものを作ったのかわからずとも、俺の敗北は目に見えている。


「わ、私もできたよぉ……」


 正面の席に座り、俺のクッキーに目が釘付けになる凛香さん。


「俺、もう全然だめでしたよ。意気込んで「望むところです!」なんて言ったのに、こんな焦げ焦げのクッキー作ってごめんなさい」


「そんなこと言ったら、私も同じだよ」


 頭を下げようとしたとき目の前に出されたのは、俺のとそう変わり無い黒い物体。クッキーだった。


 凛香さんはてへっと小さく舌を出し。


「適当って、やっぱりなにかを作ることにおいて絶対しちゃいけないことだよね」

 

「クッキー作りが始まる前同じようなこと言ってませんでした?」


「言ってたよ言ってた。ま、けど、人って同じ失敗を繰り返すって言うじゃん? これで失敗したのは……多分5回目! これは経験というやつだよ」 


 誇らしげに「5回目!」と言ってきたが、果たしてそれは誇れることなのだろうか。

 凛香さんはえっへん、と良いことを言ったつもりで胸を張っているので、聞かないのが賢明な判断だろう。


「いや5回も失敗して、そんなこと言えねぇだろ。せめてそういうことをいうのは2、3回の失敗のときだろうが」


 俺の気持ちを代弁した五十嵐。


「たしかにそうかもしれないねぇ〜」


 心の中ではそうだと思っている凛香さん。


 この二人は幼馴染というだけあって、お互いのことがよくわかっているように見える。

 カップルのそれではなく、信頼し合っているような。

 俺もいつか同じようにとは言わないが、信頼し合える関係になれるだろうか。

 いや、なる。

 カップルとは信頼がなければなれないはずだから。


「じゃあどっちがクッキー作り勝負の勝者にふさわしいか、早速味比べしちゃおう。あ〜む」


「ちょ!」


 凛香さんが俺の丸焦げでクッキーもどきのゲテモノを口にしてしまった。

 

 最初はやせ我慢で顔色一つ変えなかったが、徐々に崩れていき。

 眉間にシワを寄せ、うるうるとした瞳を向け、最終的にはぶるぶると体を震わせながらも、ごっくんとゲテモノを食してしまった。

 

 慌ててコップいっぱいの水を喉に流し込み。


「中々なお味で」


 凛香さんは俺のことを気遣ってくれてた。


 こうなったら、俺も食べないと不公平だ。

 というか、本心はクッキーじゃない食べ物でも凛香さんが作ったものなら何でも食べたい。


「じゃあ俺も。いただきます」


 焦げの苦味がツンとくる……と思っていたのだが、ゲテモノというような味ではなかった。

 もちろん焦げの苦味はあった。

 あったのたが、それをかき消すような砂糖の甘さが口の中を支配してきた。


 砂糖を手で掴んで直で食べるような、砂糖クッキーと言っても過言ではないほど砂糖の味しかしない。


「凛香さんの勝利で」


「えっ? 嘘。もしかして美味しかった?」


「はい。こういうのが好きな人は刺さる味でした」


「ふーん……。じゃあ私も食べ比べちゃお!」


 勝敗の結果は凛香さんも俺と同じだった。

 

 最終的に俺のクッキーは廃棄することになった。

 が、最後に……と自分のクッキーを食べたのは間違いだった。もし過去に戻ることができるのであれば、俺は喜んでクッキーを捨てる。




  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 




 そんな楽しい楽しい調理実習は終わり、もう放課後。

 いつもなら偶然遭遇した凛香さんと一緒に帰るのだが、俺は今日先生からプリントの整理を任せれていた。

 1時間ほどかかり、ようやく終わったプリントの整理。

 

 人気のない廊下を、体を伸ばしながら歩いていると。


「ねぇ、ちょっといい?」


 透き通った声の女性が俺の前に立ち塞がってきた。


 黒髪ショートカット。

 俺より顔一つ分身長が小さい。

 だが、なぜか、この女性から大人の女性のような雰囲気を感じる。


「っ」


 見た目に反してうっとりとした瞳で、俺のことを舐め回すように見てきた。

 

 この人は誰なんだ?


「あぁ、私は蘭。いえ。九条蘭くじょうらんと言ったほうがわかりやすいかな?」

 

「九条」


「えぇ。私の双子のおねえちゃんはあなたが大好きな九条凛香だよ」


「お、おね……」


 凛香さんに双子の妹がいるということは、知っていた。

 だが、なんで俺に話しかけてきたのか?

 その理由が全くわからない。


 と思っていたが、凛香さんの妹さんの右手に持っているのはスマホ。

 話しかけてきた理由が嫌なことにわかってしまった。


「私はあなたが裏アカでおねえちゃんについて変なこと投稿してること、知ってるの。もし、。いい?」


 凛香さんの妹、蘭さんから言われたら言葉は一番言われることを恐れていた言葉だった。


 弱みを握られ、俺は何も言い返すことができず……。


「よ、喜んで……」

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