第13話
俺は変われているのだろうか?
自分から動かず、檻の中から外の景色をただ眺めるだけの人生を変えることはできたのだろうか?
ずっと片思いをしていた凛香さんに告白して、あの日から過去の自分と決別すると決めた。
だが、それは、できているのか?
まっさらな大地。俺はまだそのまっさらな大地に水源を見つけ、生命危機を脱した状況に過ぎないのかもしれない。
過去の自分と決別できていないのかもしれない。
決別、というのは少し間違っている。過去の行いがあり、今の自分がいる。そのことを踏まえると、「はい、さようなら」とすぐ見限るのは良くない。
過去の優柔不断な俺がいて、どうにかそこから脱しようとしている俺がいる。
心の変化は少ししかないかもしれないが、その少しが俺にとって大きな一歩だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ふぁ〜……」
「ふぁ……」
夕暮れ時の空を見上げ、凛香さんはプラネタリウムで聞いたような眠そうなあくびをした。
俺もつられてあくびが出ちゃった。
「柳くんももしかして寝てたの?」
「一応、プラネタリウムが終わる頃くらいまでは起きてたんですけど。睡魔に襲われて寝ちゃいました」
「へぇ〜。あの満腹の状態で寝るのを我慢するなんてすごい」
口に手を当て、驚く凛香さん。
俺もいつの間にか「アカコ」という偽名を使っていた、自分の設定を忘れている凛香さんに驚いている。
寝起きで忘れているのだろうか。
指摘したら気まずい空気一直線なので、聞かないことにする。
「私寝ちゃってたんだけど柳くん、プラネタリウムどうだった? 最後まで見ようとしてたってことは、もしかしてハマっちゃったんじゃないの?」
「そう、なんですかね。ハマるというか、プラネタリウムの良さがわかった気がします」
「どんなのが良かったの?」
「恥ずかしいので教えられません」
好きな人とカップルシートにいけば添い寝ができ、抱きまくらにされることがあるのが良さなんて、本人の前で絶対言えない。
「少なくとも凛香さんが思っているようなことじゃありませんよ」
「ふーん。恥ずかしいのね。ま、根掘り葉掘り聞くのはやめておく」
「ありがとうございます」
その後立ち話も何なのでということになり、街をぶらぶらしながら雑談することになった。
なにか目的があるわけではなく、ただ街をぶらぶら。もうすぐ街灯がつくのではないかという時間になる。
「あっ、私ってアカコなんじゃん」
今思い出すんだ。
「バレちゃってるよね?」
「はい」
「だよねぇ〜……」
凛香さんは大きく息を吐き、脱力して。
「ねぇ、いつから気付いてたの? もしかしてなんだけど、DMしたときから気付いてた?」
ここは気を遣いたいけど……凛香さんに嘘なんてつけない。
「最初から気付いてましたよ」
「な、な、な、なんでっ!?」
「だって、アカウント名が『九条@裏アカ』ですよ? そんなわかりやすい名前、見たら一瞬でわかっちゃいます」
「で、でも私じゃない可能性だってあったじゃん?」
「たしか一度、俺のことを『柳くん』ってDMで送ってませんでした?」
「見てなかったって言ってたけど、あれ見てたんだ」
むぅ……と、不機嫌そうな声。
「はい見てました。あのとき嘘ついてごめんなさい」
「ふふふっ。そんなことで謝らないで。その嘘っていうのは、私のことを思ってついてくれたんでしょ?」
騙すようなことをしてしまった。
落ち込む俺に、凛香さんは両腕で包み込むような母性溢れる瞳を向けてきた。
「別に、嘘をついただけで怒らないよ。だって私は懐が深い女だからね」
ぐいっと胸を張る凛香さん。
「だから、そんな気にしないで。私も嘘ついててごめん。許してくれる?」
「……はい」
母性の前になすすべなく、首が縦に動いた。
凛香さんの嘘なんてバレバレだったのだが、俺に謝ってきたのは人の良さを表しているんだろう。
美少女で人間味もいい。
改めて、俺が片思いした人はいい人なのだと実感する。
「そうだ。柳くん」
「?」
凛香さんはスッと俺の前に来て、立ち止まった。
片手に持っているのはスマホ。
切り出してきたのが勢いだったのか、おずおずとスマホを前に出しながら紅色に染め上がった顔を見せ。
「連絡先、交換しない?」
「――――」
言葉が出ない。
凛香さんのテレているような顔を見たいが、そこまで気が回らない。
連絡先を交換するという、夢のまた夢のようなことを凛香さんに言われるなんて思わなかった。
てっきりこれからも裏アカのDMでやり取りするものだと……。
「嫌だったら連絡先なんて交換しなくていいよ。ほら、なにか連絡したいことがあったら今回みたいにDMですればいいことだし」
「喜んで連絡先交換します!」
「そう。よかった。もし連絡先を交換するの嫌だって言われたら、多分私、柳くんのこと嫌いになってたよ」
「凛香さんって大雑把ですね」
「ふふふっ。そんなふうに言われたの初めてかも」
そうしてこうして俺たちはラインを交換した。
俺の友達は家族以外だと橋本のみだったのだが、もう一人『凛香』という文字が追加された。
凛香さんのアイコンは夜空。
プラネタリウムでは爆睡していたが、凛香さんは本当に星が好きなのがわかる。
「柳くんって、花好きなの?」
おそらく凛香さんは俺のアイコンをみてふと疑問に思ったのだろう。
「いえ。全然好きではないんですけど、そのアイコンの花言葉が好きなんです」
「へー……」
葉が左右非対称の花、ベゴニア。
その花言葉は「親切」「愛の告白」「幸せな日々」など、色々ある。
が、俺がアイコンにまで好きな理由は――「片思い」
その言葉が花言葉としてあるからだ。
もちろん、単純に花の見た目が好みだというのもあるが。
「なんていう名前の花なのか気になるけど、もうここでお別れかな」
悲しげな凛香さんの声。
見上げるとそこには、凛香さんの家であるマンションがあった。
もうこんな歩いてたんだ……。
「じゃあ、また学校で会いましょう」
「うん。今日は楽しかったよ。じゃあね」
曲がり角。俺は、引き止めたいという気持ちを押し殺しながら、凛香さんの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
別れた後にくる、この喪失感のようなもの。
こんなもの、少し前の俺は味わうことのなかったものだ。
俺の頭は昔の自分と変わったのだという喜びと、もう少し凛香さんと一緒にいたかったなという悲しさが入り乱れようとしていた。
が。
ピロン
スマホの着信音。
通知を見て、悲しみが打ち消された。
通知はライン。
それも、ついさっき別れた凛香さんからだ。
『一人で帰ってて、なんか寂しくなっにゃった。柳くんも同じ気持ち?』
急いで打ったのか、誤字がある。
送信したいことは山ほどあるが、これは、以前喋っていて舌を噛んだ俺を笑った凛香さんのことを見返す絶好のチャンスだ。
『誤字してますよ。なんですか『にゃ』って』
『それはネコちゃんの真似。気に入ってくれた?』
なんともうまい返し。でも、ネコの真似するのなら語尾ににゃがつくのではないだろうか。
……いや、こんなことで揚げ足をとるのはよそう。
『じゃあ、今度そのネコちゃんの真似っていうやつ、俺にしてください。気に入ったので、生で見てみたいです』
『気が向いたらね』
やけに返信が遅かったが、まさか凛香さんテレてたのかな?
俺はそんな淡い期待を持ちながら、家に帰った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『あぁ、なんであんなにかわいいんだろう』
『俺って片思いなのかな……。もしかしたら、いや。そんなことないか』
『好きだって面と向かって言える勇気がない。もっと男らしくバシッと決めれるようになりたい。でも、今の自分は大好き。もちろん、それ以上にあの人のことが大好きだけども』
『好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き』
今晩の柳くんの投稿は、普段と比較にならないほど数が多い。
「うへへ」
変な声が口から漏れてしまった。
この投稿一つ一つが私に向かってのことだと思うと、嬉しい。
私のことを見てくれていて、それで私のことが一方的に好き。柳くんは私の理想の男性そのもの。
「うへっ」
「おねえちゃん。最近なにか良いことでもあったの?」
ソファで寝転んでいたせいで、双子の妹、
蘭はいつも私の変化に気付くのが早くて、同い年なのに大人の色気が溢れ出ている。背が小さくて、ショートカットなので見た目は小悪魔みたいだけど。
おねえちゃんは私なのに、と一人勝手に張り合っちゃったりしてる。
「ん?」
スマホを覗こうしてきたので慌ててスリープモードに。
柳くんの裏アカの存在が蘭にバレたら、何が起こるのか想像がつかない。
私にとって悪い方向に……というのもありえる。
ここは何も悟られないようにしないと。
「別に、これといったことはなにもないよ。いつも指摘してくるけど、今回ばかりは蘭の勘違いだよ」
「ふ〜ん。そっかそっか。それならこれ以上おねえちゃんに詮索しないねぇ〜」
ほいほいと適当に流しながら自室に戻る蘭。
この感じはバレていないのかな……?
ま、詮索してこないってことは蘭にはバレていないんだろう。
『あの爆睡していたときの寝顔、本当にかわいかった』
「って、寝顔見られてたの!?」
そんなことより今は寝顔が見られていたことについてDMで言及しなければ。
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