其の三七 俺、邂逅する。弐
<>(^・.・^)
二人は全身の妖力を勢いよく循環させる。
身体の不調を走査する時の要領でソレを行う、今回は不調を確認する以外にも目的がある。
木の上のトロンは赤とも橙ともつかない色に、ナサニエルは紫とも青ともつかない曖昧な色で全身を覆っている。
そこを見るに………二人とも同じ考えを持っている様だ。
と、思い付いたようにナサニエルが背中の少女を下ろし、近くの木々に柔らかく結び付けた。
纏っていた色を消したナサニエルに、怪訝な顔で、こちらも色を掻き消した狐が言う。
「………良いのか? 俺は奏を助ける為に此処に来た。その為なら何も惜しまないし、名誉なんてこっちからかなぐり捨ててやる腹積もりだが」
もっともな意見。
一騎打ちを要求したものの、ソレに応じるとも言っておらず、その上その言質も真実とは限らない。
狡猾さを受け入れた狐に対し、あまりにも温く、厳しさのカケラも無い行い。
厳しい言葉の刃に背中を刺されつつ、細心の注意を払う為に視線は少女から移さないナサニエルが言う。
「俺は彼女を傷付けたく無い。理由はそれだけで十分ではないか?」
「いや、それでも………」
「それに………貴様がこの少女の前で姑息な手は使いたがらない事は分かっている。更に言えば、貴様はもう俺との一騎打ちを受ける心積もりだろう? 違うか?」
「………」
狐は口を噤んだ。
如何に狡猾になる決意をした彼であろうと、一騎打ちを断って奏を掠め取って行く積もりは無かった。
「貴様も、俺が不意討ちをするとは思わなかったろう。つまりはそれと同じだ」
「………」
結局、狐は全て見通されていた。
自分から持ち掛けた一騎打ち、それを始める前に不意を打って危険要素を排除しても、誰も文句は言わなかったろう。
組織の目的達成の為には、それが一番手っ取り早く、確実な方法であるのだから。
しかし、狐はそうは考えなかった。
それは、目の前の相手が自分と同じ境遇だと、分かってしまったから。
違いがあるとすれば、護るべきモノが、人か信念かの違い。
そして、覚悟を決めたタイミング位だ。
タイミングの話で言えば、狐の方が幾らか上等かも知れないが………
「それに、俺には貴様を打倒する絶対的な自信が在る」
結び終えて立ち上がり、ナサニエルが言った。
覚悟のタイミングがどうであれ、そう易々と越えていかれる程に、彼の屍は軽く無い。
何よりも、健闘してくれた部下達への追悼の意を込めて、絶対に目の前の相手を倒す、という気概に満ちていた。
復讐の想い、と言うよりも殆ど殺意に近い衝動に身を駆られる彼の姿は、正しく悪鬼のソレであった。
しかし、それで気圧される様な男なら、この場には来ていない。
ぽつり、ぽつりと狐は言う。
「………俺には、お前に勝てる自信は、無い。でも………それでも、奏を連れて帰る未来だけは譲れない」
確固たる意志。
纏っている妖力、はたまた身体の奥底に眠る力。
持ち得る全てを、未来を描く事に向けた少年の言葉。
未だ社会の荒波に揉まれておらず、余りにも真っ直ぐなその強い視線………それを向けられたナサニエルは顔を逸らした。
《余りにも未来を望み過ぎる。力が無ければ、それは………苦しいだけだろうに》
寸前までの自分に、幼さと無謀さを足したかのような狐の言い分。
しかし。
それに畏怖、悲しみ………或いは惜しむ様な感情は生まれるが、哀れみや見下しは湧いてこなかった。
何故ならば。
《………俺も少年の言葉に当て嵌まる。今の
それは、今の彼を突き動かす衝動そのものを否定する事。
言い方を変えれば………今の彼自身を否定する事とも取れるだろう。
それだけは、出来なかった。
そしてそれは、狐も同じ。
今の行動を省みて後悔することはあるかも知れない。
けれど、今の自分を成り立たせている衝動だけは、未来永劫消える事はないだろう。
「待たせた………それでは、始めようか」
「ルールは決めないで良いのか?」
「必要とあらば。然し………俺は、ただ果たし合うだけと踏んでいるが」
「なら問題無い。俺も似たようなモノだ」
そして二人は、どちらからともなく妖力を纏い始める。
刹那、赤橙色の突風が、木の上からナサニエルへと向かう。
一瞬だけ彼は後退り、体勢を整える。
そして、狐は脚を振った。
「………シィッ!」
口から声が漏れる。
大きく振りかぶってから振り抜かれた脚は、寸分の狙い違わずナサニエルの首元へ襲い掛かった。
重力、そして妖力による全身の瞬発力、耐久力強化も加わり、人一人を殺すには十分な威力の蹴り。
妖怪の蔓延る世界でなければお目にかかれない程の、超人的な動き。
しかしそれを………ナサニエルは、濃い青紫色の両腕で、完璧に止めていた。
「………ッ!」
多少なりとも衝撃は伝わっているのだろうが、妖力による影響で痛みは伝わっていないだろう。
それはトロンも同じ事ではある。
しかし………精神的なショックは同じでは無かった。
「オォ!」
ナサニエルが、両腕を勢い良く払い除け、トロンを引き剥がす。
吹き飛ばされた彼が木々に衝突する寸前で、体勢を立て直して何とか木の幹を踏み締める。
トロンが傷を負う事は無かったが………瞬間、攻守が逆転する。
飛ばされたトロンのもとへ、まるで丸太の様に膨れ上がった両腕を振りかぶったナサニエルが迫ろうとしていた。
トロンは全身に妖力を巡らせたまま飛び退け、喰らえばひとたまりもないであろう攻撃を避けようとする。
彼が飛び退いた直後、ナサニエルは振りかぶっていた右腕を勢い良く振った。
腕が空気を切る音がする中、悪鬼の如きナサニエルから目を離すまいと、視線を彼に向けていたトロンの目が僅かに見開かれる。
「………チィ」
ナサニエルの右手の進路には、何もなかった。
彼は、トロンが居た木の手前に向かって腕を振りかぶり、そこを目掛けて振り抜いた。
であるならば、腕の進行方向には木の幹があって然るべきである。
ならば、衝撃で一瞬でも隙が生まれ、体勢を崩す筈。
そう、トロンは踏んでいたし、そこを突こうとも考えていた。
然し………現実はそうはならなかった。
既に伸ばされた右腕は、決して細くは無い………半径一メートル程の木を貫いていた。
それも、真正面からの一撃、貫通したのはもっとも厚い直径の部分である。
しかも、その跡が余りにも美し過ぎる。
穴の形は綺麗な拳の形で、穴以外に余計な力を加えていない為、木が揺らぐこともない。
「随分と静かな一撃だな………ッ」
「此方としても、外部の者の干渉は出来るだけ避けたいのだ。それに、貴様は必ずこの手で屠って見せる」
今でこそ彼は隊長と言う地位にいるが、本来の彼は、組織の中でも、真っ当な戦闘においては無類の強さを誇る。
トロンは知らない事だが、彼は戦術的な妖術を持たない代わりに、幾つかの単純な権能が与えられていた。
一つは、組織の長としての、部隊運用能力。
数名の瞬間移動、配下の強化・及び鼓舞、更には配下生成まで。
その身体に与えられた組織運用の権能の一端は、既に今宵の戦闘で御目見えさせていた。
外見が微妙に異なり、個体番号を持たない配下は、彼が創り出したもの。
そして、個体の妖力循環速度を元の二倍程にまで高める技法。
他にも、権能と呼ばれる程の物でもないが、目線を合わせた者の思考推定、部下の気配感知等がある。
それらを使い
そして、個人戦闘用の、身体強化能力。
これは先述の部下を強化する能力の転用で、外界を介さない代わりに出力を上げたモノである。
効果は単純な身体強化。
効果範囲が両腕にしか無い代わりに、両腕の通過領域の物を問答無用で押し退ける力を持つ。
腕の速度を越えて高速で動く物体や、妖術等で硬化された物体以外を対象とする時では、今のように十分な威力を発揮する。
振りかぶってから振り抜くまでが発動のトリガーとなっている点はあれど、十分に個人戦闘では有用な能力だ。
自ら前線に立ち、部下を鼓舞し、尚且つ自身が圧倒的な戦果を挙げる。
そんな理想の隊長として、半ば採算度外視で
「………」
勿論、トロンがその事を知る由もない。
だが、知らなくても立ち向かう他無い。
ゆっくりと余裕を持って振り向いた悪鬼の姿に、まだ若き狐は少しの戦慄を覚えた。
然し、直ぐに頭を振って気の弱さを追い出す。
「フッ………!」
一瞬の間に生成した、簡素な投擲用氷片を右手に持ち、そして投げる。
この時、動揺から狐は風で速度を上げる事を失念していた。
必然、非力な少年の腕の力だけでは、そこまで速度は上がらず。
大鬼の腕にソレは捉えられる。
「………」
ブォン、と音を立てて振られた左腕が、矮小な氷片を撃ち抜く。
その特性上氷片は砕ける事はなく、異常に薄い氷の膜となって、鬼の左腕に張り付いた。
………此処迄は、狐の少年の
木っ端微塵に砕かれることが無いのは、先程の尊い木の犠牲によって分かっていた。
あの時、木の粉が舞い散ったりは、しなかったのだから。
だからこそ、試して見る価値はあると思い、実行に移した。
そして、布石が効果を発揮する。
「ッ!」
氷片に仕込まれた、草の束。
それらが一斉に発火した。
熱と光を持った、純然たる炎に焼かれ、鬼の腕も無事では無い。
彼の腕に着けられた力は、自分以外の妖力を込められたモノには通用しないのだから。
氷は、『それ自体が妖力』である為に、圧縮して押し退ける事が可能だが、それに隠された『妖力によって固定された』物体には彼の権能が及ばなかった。
しかし、普通なら、所見の相手がそこまでの想像を付けられる筈は無い。
筈が無い、のだが………狐の少年は、彼の師匠の教えを思い出していた。
『良いー? 知らない相手と相対する時に気を付けることはー、冷静で居ることなんだよねー。そーゆー手合いってさー、大体自分のペースに持ち込むのが上手いんだよー』
『基本的に妖怪、若しくは術使いってのはー、初見殺しが命な所はあるんだよねー。だからこそー、皆が自分の力を秘匿したがるのさー』
『でもねー。そーゆー相手でもー、いざ戦闘が始まるとー、全ての力を出さずに対応するー、なんてのは無理なのさー』
『まず様子を見てー、一つ相手の力が判明したらー、ソレに効きそうな攻撃を仕掛けてみるー。これが鉄則ー』
『此方が相手の事を知らないのと同時にー、相手も完全には此方の事は掴めない筈だからねー。無理に攻撃は受けずにー、無難に躱すか、妖術か何かを使って対抗して来る筈だよー』
『そこで新しく相手の力が判明すれば良しー、判明しなくてもー、繰り返せばー、相手の戦闘スタイルの癖が分かってくる筈だからねー』
………飄々とした風貌を装う、天狗の少女。
彼女は、その経験則から導き出した答を、既に弟子に伝授していた。
弟子はそれを実践しただけ。
この緊張感ある場面でも、狐がそれを出来たのは、探偵事務所での模擬戦のお陰であった。
アレのお陰で、死なない為の動き方を掴んだ少年が、今鬼の前に立っていた。
《………長引けば、此方が不利、か》
狐の少年は手数を活かして様々な試しをしてくるが、此方に出来る事は大して多く無い。
様々な妖術を使い熟す為に、彼の身体には膨大な妖力生成器官が備えられているが、それをフルに活用しても個人戦闘では殆ど活かせるものが無いのだった。
身体に纏う妖力は衝撃減衰や身体強化の意味を持つが、一度に纏える妖力の量は然程多く無い。
腕に回す妖力が少なくても妖術は発動する仕組みなので、そちらには特に妖力を割く意味が無い。
更には、彼には任務遂行の為に時間的期限が設けられていた。
《だが、絶対に、ギリギリ迄は逃げないッ!》
だが、彼の覚悟は既に決まってしまっている。
それを覆す事は今の彼には出来ず、出来るだけ早く相手を屠るしか道はなかった。
数秒も無くして、ナサニエルは腕に着いた炎を消す。
見ればそこは立派に火傷になっており、十全に力を込めることは出来なくなっていた。
然し、未だ許容範囲。
利き手でない方の手を潰されたとて、そこまで彼にデメリットではない。
それに、今の一合をもう喰らわない事は断言できる。
さぁ、試合を続けよう。
そう意志を込めた瞳で狐の少年を睨もうとするが………その姿は何処にもない。
………不思議に思い、しばし油断をしたのが彼の落ち度であったろうか。
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