其の三四 俺、走る。壱
白九尾:トロン
森の中を、なるべく物音を立てないようにして進む。
目的地までの最短距離を、リシャール君を通して一之助さんがナビゲートしてくれるので、迷う事はない。
順調に進んでいる。
偶に怪しい集団に出くわさないではないが、まあ問題はない。
一之助さんには、こうした遭遇を避ける為に、不審な動きをする集団の連絡も頼んではいるが、如何せんワンクッション置いている為にタイムラグがある。
なので、仕方無いとも言えるが、一々遭遇したら無力化するのは少しだけ面倒ではあった。
念の為になるべく妖力を使いたくないけれども、奏を発見した時に群がられても面倒だ。
だから結局は発見次第無力化して回っているのだが。
****:**•**
彼等は草むらの中を歩いていた。
自分達は本隊とは別の、言わば囮の隊であり、歩く事こそが仕事である。
彼等の連帯感、結束力はとても強く、仲間の為なら自分の身を差し出しても構わないとさえ考えている。
そんな彼等の意志は、組織としてはある意味で最適解なものの、個人で見た時には何処か危険を孕んでいる様に見える。
大佐、と呼ばれる者が危惧していたのもそれであり、命と言うモノの価値をどうにも下に見ている節がある。
それはどうにかしたいが、この地での任を終える為にはある程度の自己犠牲精神は必要で。
優しい大佐は堂々巡りに陥り、『帰った後でしっかりと教育する』と言う先送りにしているのだった。
彼等の仕事はひたすらに歩く事である。
予め設定された目的地に向かって、真っ直ぐに進む事である。
しかし、当然それだけでは無く、もう一つの任もある。
それは、『不審者及び敵対者には、遭遇次第応戦、本隊に連絡し、本隊に敵が辿り着く時間をなるべく遅らせる』と言うものだった。
受け取り手がどう受け取ったかは別として、命に危険がない範囲で応戦し、そして可能な限り時間を稼いでくれ、と言うのが発令者の思惑である。
しかし、それは実質『遭遇しなければ歩くだけ』に他ならない。
であれば、会わなければ何も無い。
彼等の上司は何事も無ければいいと思っているのだが、必然、囮隊の気は緩む。
「済まない………少し良いか?」
退屈に耐えかねた一人が口を開く。
よく統率された兵ならば、任務中に私語など論外であるが、此処に居るもの全てが訓練を受けている訳でもない。
最初に話し掛けた者がどちらかは一目瞭然の事と思われるが、他の者はどうなのかと言うと。
「何か用か? 三番」
任務中に作戦に関係の無い会話かどうかを判断する為、一応応える者が一人。
勿論行軍の真似事は継続しており、全体の進行に影響を及ぼす事はない。
「何、別段何がある訳でもないが、少し話をしようかと思うのだ」
「そうか。現時点で特に差し迫った用がある訳でもない。聞こう」
別段差し迫った用でも無いのに、任務中に話を聞く事自体には特に触れずに、話の先を促した。
一方で、促された側はと言えば、特に何も話すネタを考えていなかった為、一瞬迷う。
さして時間が経つ前に、三番と呼ばれた者は言った。
「そうだな。十七番は、この任が終わった後どうするつもりだ?」
「どうする、と言うのはどういう意味だ」
「言葉通りの意味だ。因みに私は、大佐殿に何か労いが出来ればと思っている」
「そうか。奇遇だな。私もそう出来ればと思っていた」
長期任務中にはありがちな会話。
帰った後に何をするかの会話ではあったが、彼等は全員が大佐に何かしてやりたいと思っている。
そういった事を部下が考えるくらいには、大佐は部下からの信頼が厚く、良い上司であると言える。
もっとも、大佐自身は部下達にはゆっくりしてもらいたいのであって、本人が知ったら複雑な心境になるだろうが。
「ふむ。となると、十七番には何か考えがあるのか?」
「特に考えてはいなかったが、どうやら一般に、カイシャと言う物では仕事が完了した際に皆で騒ぐというしきたりがあるようだ」
「騒ぐ、とはどういう事だ?」
「詳しくは分からん。ただ、街頭で情報収集の任に当たっていた際、ドンチャンサワギ、という単語が聞こえたので注意して聞いていただけだからな」
「成程………」
社会の一般的常識に疎い彼等が、『打ち上げ』の概念を理解していないのは、仕方の無い話であった。
騒ぐのはあくまで親睦を深める、楽しむ為であって、騒ぐ為に騒ぐ訳では無いのだが。
中途半端な理解のせいで、目的と手段が入れ替わっていた。
「皆で騒ぐ事にどれだけの意味が有るのかは分からないが、広く一般的に行われているのだったら、それを試してみる価値はあるだろうな」
「そういう事だ」
話は纏まった。
これから二人で案を作成し、今回の任務に当たっていた者達に同意を得る。
それら全てを、大佐に悟られなければ完璧だ。
であれば、今からは誰もが納得する『ドンチャンサワギ』の諸々を立案せねばなるまい。
そう考えて、三番と呼ばれる者が口を開こうとした、その時だった。
「………っ」
ギシ、と動きが鈍ったので見れば、足元が動かないようになっている。
自分一人かそうなったのであれば、草木に絡まった可能性を考えて、そこまで大事にせずに目もくれずに振り払うが、今回はそうでは無かった。
歩みを共にする仲間の全ての足元に、薄く、それでいて頑丈な
その事に気が付いた時、十七番と呼ばれる者は咄嗟にある一つの可能性に辿り着く。
「………敵襲」
大佐から予め警告された妖怪の一人に、雪女なる者が居た筈である。
その時はかなりの力を持つと言われていたが、それにしては氷に込められた妖力が薄い気がする。
勿論身動きを封じるのに十分であり、勿体無いからと言う理由で節約している可能性もあったが、話に聞く雪女の性格がそうであったとは思えない。
お世辞にも優秀とは言えない彼等囮隊の思考能力も、こと戦闘となれば話は別になる。
今彼等を襲っている者は警告されていた雪女では無い事は推測出来た。
しかし、ならば一体誰が………?
彼等の、こと戦闘においては優秀な思考能力が動いたのは、その時までだった。
白九尾:トロン
「………」
遠方に向けていた注意を、自分の身に引き戻す。
また一つ、部隊の無力化に成功した。
秘訣と言う程の事でも無いが、それは、『俺にしか出来ない事』の一つである。
まず俺の肉体的能力を振り返ってみると、俺の体は狐と人間の要素が入り混じっている事が分かる。
体の多くは人間、顔の造形も基本的には人間、髪の毛もあれば掌に肉球がある訳でもない。
肉球に関しては、無いのが少しだけ残念ではあるが、今はそこではない。
俺の体の狐的特徴………それは、鼻と耳と尻尾である。
鼻は狐の、野生動物のそれになり、格段に嗅覚が向上している。
耳は飾りかと最初は思っていたが、先程の特訓で、妖力を流すと外部の妖力の波導を感じる事が出来る事が判明した。
要するに、今回の様に索敵をしながら出来るだけ敵に遭遇しないようにするミッションは、大得意だと言う事だ。
鼻は狐のそれと同じく、人間の千倍から一億倍、耳の妖力の波導の感知能力は、凡そ百メートルは軽々届く事は判明している。
届く距離の限界は定かでは無いが、それでも木々が密集した夜の森では、十分すぎるアドバンテージになっていた。
加えて、俺の妖術。
先日のトイとの訓練で使用した、擬似サーフィンの要領で、もっと他に出来る事が無いかと考えた。
要するに俺の強みは、バリエーション豊かな戦術を取れる事なのだ、と思ったからである。
思索の結果思い付いたのが、投擲ナイフであった。
氷で切れ味の良いナイフを用意し、風を使って加速、及びコントロール。
足元を氷で一瞬でも固定出来れば、風の力で狙い撃つ事が出来る。
妖力の流れや嗅覚を頼りに狙撃しても案外成功率は高く、現時点で、投擲した相手全てを無力化出来ている。
余りにも上手く行き過ぎている気がしないでもないが、この際運に頼ってでも救い出す事は決意済みで、問題は無い。
一之助さんの指示の下、指定されたポイントに全力で向かうだけ。
周囲に敵影が無い事を確認し、俺はまた一歩を踏み出し、風で加速する。
人間・****:****・アメジスト
手持ちのナイフで敵の意識を刈り取って行く。
予めエメラルドから渡されたこのナイフには、斬り裂いた相手の内部エネルギーの流れを暴走させる効果がある。
最速ペースを維持しながら、狐の少年が撃ち漏らした敵を、音を立てずに処理して行くにはうってつけと言って良かった。
「………はぁ」
出発前に精神的な休憩を得たものの、それで身体的な疲れが抜ける訳では無い。
日頃の激務に耐えかねた体は、既に悲鳴を上げかけていた。
その結果、癒やした筈の心にもとばっちりが行き、どんどんと精神的な摩耗が増えている。
溜息を吐いてしまうのも仕方が無い、と自分に言い聞かせていた。
「………」
しかし、考えてみれば、激務で疲れた体でもこなせる程度の仕事と言う事になる。
私自身、普段とはかなり違った仕事内容に戸惑いを隠せない部分もあるが、それでも何とか成立出来ている。
内容自体の難易度の問題もあるだろうが、何よりも狐の少年の実力による所が大きいでしょう。
聞くところによれば、彼はつい先日此方の世界に来たらしいですが、それにしては妖術の扱いが上手い。
勿論『戦神両翼』や私達、探偵事務所の彼女等や『陰陽師』の連中と比べればたどたどしくはあるけれど。
まぁベテランの私達と比べるのは土台無茶な話、駆け出しにそれだけの期待を負わせるのも過酷な事。
もし、今彼がやっていることを私達の内の誰かが代行すれば、撃ち漏らしなどせずに完遂出来るでしょう。
あぁ、勿論エメラルドは論外ですが。
しかし結局は、後輩がやりたいことをさせてあげるのが先輩の務め。
その上で、何かあればサポートに回るのが、出来る先輩というもの。
私はボスに指示された通りの仕事をこなすまでです。
「………さて」
ボスに言われていた仕事の一つ、相手方の身元の特定。
先程からそれをしようとは思っているのですけれど………相手のトップも中々に頭が切れるのか、今まで遭遇し処理した者は、その全てが組織のマーク等は身に着けていません。
全員が無機質な灰色で全身をコーディネートしており、私の記憶上にそうした制服を使用している怪団体は無かった筈。
しかし、二つ程挙げられる特徴がある。
「やはり此の者達も」
浅く生えた草の中に膝を下ろし、首筋に刻まれたソレを目にする。
私が既に首から先が無い者の首の筋を見れば、三番、と数字が刻まれている。
隣の者は十七と刻まれている。
明らかに尋常では無い。
確かに数字によって兵を統率するのはどのような軍隊でも行っている事であり、そこに然程不自然さは無い。
だけれど、全ての者の首筋に入れ墨をするなどと言った話は、聞いたことが無い。
それだけなら、まだ『そういう団体』として割り切ることが出来ないではないけれど、不審なことに、入れ墨を入れている者とそうでない者の二種類が居る。
特徴の一つはまさしく首筋の入れ墨についてだった。
「………」
周りを見渡し、やはり不自然な点があるのに気が付く。
入れ墨を入れていない者達の顔は至って普通、格好の良い顔もあれば少しばかり不細工な者も居る。
そちらは何の不思議もないけれど、対して入れ墨を入れている者の顔は等しく同じ。
顔の作りから目や鼻の形、流れている妖力まで全く同じだった。
本来、妖力と言うものは個人個人によって微妙に特性が異なり、それによって同じ種族の妖怪でも扱える妖術に差が生まれる。
それが妖怪の常識であり、似た性質の妖力を持つ者達は居れど、全く同じソレを持つ者など存在しない筈であった。
妖怪にとっての遺伝情報とも言える妖力が、完全に一致すると言うことは………
「………いや」
私は首を振り、余計な思考を振りほどく。
今私がするべきことは、狐の少年のサポートに徹することだ。
細かいことは、帰ってからボスなりエメラルドなりに相談すれば良い。
立ち上がって靴の爪先を数回地面に打ち付け、再び少年を追って私は走り出した。
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