其の三〇 俺、眠る。

 一之助さんから告げられた時間まで、残り三時間ほど。

 最初はまた訓練場で時間を潰そうかと思ったが、これ以上体を動かしても意味がない、どころか逆効果であるとシンミやトイに言われた為、今俺は家にいる。

 いや………正確には、奏が暮らし、俺が居候する家、だ。

 家の中で、俺は自分にあてがわれた部屋の中で微睡んでいた。

 かれこれ此方の世界に来てから一か月以上が経ち、すっかり見慣れてしまった天井を見ながら、ふと思う。

 そう言えば、イザナミとの通信手段があるのに、あまり使っていなかった。

 最後に自分から語り掛けたのは、確かこの部屋に初めて横になった時だ。

 あの時は自分の未来に対して楽天的だった。

 今は違う、と自信を持って、はっきりと、胸を張って言えるが。

 俺の意識が変わったのは、奏のお陰だ。

 努力が実って奏の奪還が達成できたなら、きっと奏に伝えよう。

 俺がこの世界で生き抜く原動力になっているのは、間違いなく奏の存在であり、それは未来永劫決して揺るがないことであることを。


 ………さて、先ほど思い出したイザナミとの通信であるが。


 《おーい、イザナミー? 居るかー? 居るならちょっと返事してほしいんだけどー?》


 少しずつ間隔を開けて、何度も試してはいるものの、何の応答もない。

 向こうは向こうで立て込んでいるのかも知れないし、俺以外の者と会話(念話?)をしている可能性もあるし、或いはもっと単純に、俺からのメッセージが無かった為、むくれているのかも知れない………と思うのは俺のうぬぼれだろうか。


 《居ないのかー? 俺、今結構立て込んでて、助けが欲しいんだけどー?》


 一之助さんのところのリシャール君の意見に従うと決めた以上、これ以上何もなければあの座標に向かうことになる。

 しかしそこで神のマップ指示が得られるのなら、そちらに従うほうが賢明と言うものだろう。

 いわば、俺は神に対して、ある種のカーナビのような役割を担ってもらおうと考えているわけだ。

 そのことに対して特にためらいはない。

 奏の救出こそが現時点の俺の最優先目標であり、その後のことなど考えている暇はないからだ。

 ………少し罰当たりか、とは感じなくもないが。


「………少し寝るか」


 以前、訓練中に聞いた事がある。

 あれはトイだったか、シンミだったか、それともビズだったかは忘れたが、とある妖力に関する事だった。

 曰く、『積極的休養よりも消極的休養の方が妖力は回復しやすく、妖力を司る器官も成長しやすい』と。

 妖怪と言うものは、本当に微々たるものらしいが、生きているだけでも少しずつ妖力を消費しているらしい。

 運動の際も、食事・消化による化学エネルギーが主ではあるものの、少しずつ妖力のエネルギーを用いているそうだ。

 ただでさえ、先程かなりギリギリまで体を酷使したため、体の疲弊はかなりのものである。

 自分で分かるほど身体に疲れが溜まっているのなら、自分の見えないところではより一層負荷がかかっていると考えるべきだ。

 そう、これはあくまでも呑気に眠ろうと言うのではなく、少しでも万全の状態で作戦に臨む為だ。

 確かに最近は、慣れない綿貫家の執事の仕事や訓練で疲れていたが、それとこれとは別である………と信じたい。


「えっと、毛布は何処に………」


 本格的に布団を敷くと起きられる自信が無いので、何かブランケットのようなものが無いか探す。

 自分の部屋や風呂場、脱衣所、リビング等々、今まで入ったことがある部屋は軒並み巡ってみた。

 しかしどうしたことか、ブランケットは見当たらない。

 最悪バスタオルを敷いても良かったには良かったが、俺はあまりそういった寝方は得意ではない。

 ソファの上で眠ることの出来る人の事は心から尊敬する。

 さて、どうしても見つからないブランケットの事は諦めた。

 今まで入ったことの無い部屋、それは奏の自室だったからだ。

 流石に本人の居ない間に勝手に入るのは気が引ける上に、自分だったら勝手に部屋に入っては欲しくない。


「………ぅん!?」


 部屋に戻ると………大量のぬいぐるみが俺を出迎えた。

 可愛く二頭身にデフォルメされたリスやウサギ、クマやタヌキ、キツネなんかの虚ろな瞳が俺を凝視していた。

 勿論俺には心当たりはないが、俺の部屋にある以上無視する訳にも行かない。

 新種の虫でも触るかのように恐る恐る手を伸ばし、その柔らかな手触りを確かめる。


「………は」


 ついずっと触っていたくなるもふもふ感を味わってしまっていたが、結局このぬいぐるみ達がここにいる理由は分からない。

 なぜだか少々気恥ずかしくなって手を引っ込め、誰もいないのに手を口に当ててゲフンゲフンと咳をする。

 先程触った時に気が付いたが、ぬいぐるみには全てある店名が刻印されたタグがついていた。

 それは確か、奏のお気に入りのぬいぐるみの店の名前だと以前聞いたことがあった。

 ということは、このぬいぐるみの群れは奏の部屋にある筈のものか。

 そこまで考えた時、先程まで虚ろだったキツネのぬいぐるみの瞳に光が宿った。

 傾いている陽の光が反射しているだとか、俺の気の所為だとかではなく、本当に内部から光っている。

 キツネのぬいぐるみは、確か奏が一番のお気に入りだと言っていた、と思っていると、そのぬいぐるみはにわかに信じ難い事に、声を上げた。


『………あー、テステス。聞こえてます?』

「ッ!?」


 軽いホラー体験である。

 暗くなってきた部屋の中、知らない間に大量のぬいぐるみが発生し、そしてそれは喋り出すのである。

 お化け屋敷でも中々やらないタイプの驚かし方である。

 咄嗟のことで飛び退いたが、悲鳴を上げなかった俺を誰か褒めて欲しい。


『えーっと、反応があったってことはこれ、聞こえてるって事で良いんですかね?』

「………聞こえてるよ」


 返答を求められているのは、恐らく俺だろう。

 そう思って返事をした。

 それは果たして聞こえたのだろうか、ぬいぐるみの耳に向かって語り掛けたが、それで良かったのだろうか。

 俺は痛いOLでは無いから、ぬいぐるみに向かって語り掛けた経験など、当然ながらゼロである。

 ああ、それと、若干邪険な感じの言い方になってしまったのは、俺が相手を警戒しているからだ。

 奏の救出作戦が目前に迫った今、余計なことで疲労したくは無い。


『あ、大丈夫なんですね。じゃあ良かった。いや、良かったですよ、さっきのリアクション』

「………お前は何者だ?」

『まあ当然の質問ですね。リクエストに応えてお教えしますと………』


 ごくり、と唾を飲む。

 何故だか不思議な貫禄に溢れた声に、未だ俺の警戒は解かれてはいない。

 しばらくしてから、ぬいぐるみは口を開いた(あ、いや、実際にぬいぐるみの口がガバァと開く訳では無い)。


『………そうですね、いきなりお教えしても芸がありませんから、少しずつヒントを出しましょうか。あなた、暇でしょう?』

「………暇、って言えば暇かもしれないが」

『じゃあ良いですね。では、まず一つ目。「私はあなたをずっと見ていました」』


 きつねのぬいぐるみが右手をピッと挙げて、そんな事を言う。

 いや、確かにやることは無いけれども。

 とはいえ相手の正体も気になるので、誘いに乗ってやることにした。


「ずっと見ていた、って………まさかお前、イザナミか?」


 真っ先に思い付いた可能性だ。

 今まで俺が全くの音信不通だったことに腹を立て、怖がらせて復讐をしたのではないか。

 だとしたら申し訳ないが………ぬいぐるみは困惑したような調子で答えた。


『え、いや、違いますけど。なんですか、大分混乱してますか、もしかすると馬鹿なのですか』

「随分だな。そんなに言わなくたって良いだろうに………少し心当たりがあったからだ。違うならそれだけを言ってくれ。と言うかそちらこそヤンデレじみたヒントだったと思うが」

『はぁ。まあこっちにはこれっぽっちもそんな気持ちはないんですけど………じゃあ、二つ目ですけど………』


 早くもやる気をなくしたような声音でぬいぐるみは喋る。

 そして今度は左手を挙げる。


『「私は貴方よりも先にここに居ました」』

「ここ、ってどこだ? この家か、それともこの部屋か、もしくはこの街、それかもしくは………」


 世界か。

 そう問おうかとも思ったが………なんとなく憚られた。

 俺の身の上を話すことにもなるかと思ったのもあるが………不用意にそういった事を知らない者に説明することに対しての悪い予感があったからだ、と、思われる。

 紡ぎかけの俺の言葉を歯牙にもかけず、人形はまたうんざりしたように言う。


『一々細かいですねぇ。そんなことを気にしているとモテませんよ? あ、もしかしてまだ童貞とかですか?』

「五月蠅い。かなり大事なことだろうが。で、どれなんだよ」

『どれ、と断言しろと言われると中々面倒ですので………どれで受け取っていただいても結構です』

「………」


 ふむ。

 家でも、部屋でも、街でも問題ないと言うことは………


「………」

『あ、もしかして分かりました? でしたらもう一度回答権を差し上げますが』

「………いや、さっぱりだ」

『あ、そーですか』


 元が只の男子中学生である俺に、そこまでの推理力を期待しないでほしい。

 今分かったことは、此奴が俺よりも年上なのにものすごい勢いで俺をイジる容赦のない、大人げない性格だと言うことくらい、か。

 考えても分からないので、早く次のヒントを聞く事にした。

 人形は、最早なんとも思っていないような声で三つ目のヒントを告げた。


『「私の外見はかなり意外なものです」』

「外見?」


 こくこく、と人形は頷く。

 意外、と言うと、想像していたものと実際のものとの差異に困惑するような様子を指すものだと思われるが、俺が想像している外見と言うものは、とある後輩である。

 実際の俺の後輩ではなく、千葉県のとある高校で生徒会長を務めることとなる、サッカー部のマネージャーの、なんだったか、ちりぬるをさん?

 強いて言えば一番近いのがそれだったのだが、それが意外なものである、と言われた以上、そのイメージは撤回せねばならない。

 だが、逆に言えば、それがヒントになっていると言うことを逆手に取れば、外見から相手の像が見えてくると言うことではないか。

 だとすれば、俺がするべきことは、取り敢えずイメージ通りの外見ではないと言うことを認識することだ。

 とはいえ、ソレだけ分かっていても仕方がない。

 早く次のヒントをもらうとしよう。


「………次のヒントをくれ」

『えー、じゃあ、次が最後ですよ? そろそろ分かると思うんで………「私は幸福をもたらす存在です」』

「幸福………ぁ」


 分かった。


「すまん、一回だけ確認させてくれ。お前、妖怪か?」

『はい、そうですよー』


 何処かニコニコとした様子でぬいぐるみが答えた。

 その瞬間、俺の中の予想は確信に変わる。

 ………と言うか今気が付いたが、俺今日二回もクイズさせられてるのか。

 絶対にそんなことはないと断言できるが、危機感が無いように感じるな。

 やるせない気持ちを一回飲み込んで俺は答えをぶつけた。


「お前は、お前の正体は………………………座敷童ざしきわらしだ」


 ぬいぐるみ、否、座敷童はニヤリと口を歪めた。

 恐らくそれが答えだろう。

 しかし悪い顔である、ぬいぐるみがしていい顔ではないくらいには。


『ご名答、ご名答ー。よく分かったねぇ。カミサマの名前を言い出した時は頭大丈夫かなって思いましたけど、杞憂に終わってホッとしましたよ』

「ご期待に応えられて何よりだ………それで、世間話もできないで恐縮だが、その座敷童様が俺に何の用………」

『あ、私の名前は………シラと呼んでください、ほら、座敷童ざシきわラしのシとラですよ、分かりやすいでしょう?』

「じゃあ、シラ。お前の要件はなんだ? 此方とて、何の用もない奴の相手をするほど暇じゃないんだが」

『いやだな、怖いこあい。これから同居人、いや、同居妖怪か? ともかく、一緒に暮らす相手にする言葉遣いじゃないよ、それー』


 ひらひらと両の手を動かしながら、シラが言う。

 その姿には真剣さの欠片も感じられず、正直に言って阿呆臭く見えた俺は、いっそ無視してやろうかとも思った。

 ともかく仮眠の為に毛布を取り出そうと思って立ち上がったところで、シラが少しだけ焦ったように口を開いた。


『わ、わ、ちょ待ちぃ、悪かったって、只面白そうだと思って絡んでただけじゃなくてさ、キミ、トロンを激励してやろうと思ってさ』

「激励?」

『そそ。激励』


 仕方がないので座りなおす。

 心なしか、シラの様子が少し真面目になったような気がした。


『だって、私、ていうか座敷童と家って一心同体っていう概念があるからここから動けませんし? トロンには私の分まで働いてもらわにゃならんわけですよ』

「だから、激励?」

『まあ、激励ってか、吹っ切れさす、って感じ? かな』


 よく分からない。

 既に俺は覚悟を決めている。

 自分の身と奏の明るい未来のどちらも命がけで守るという、少々どころではないくらいに欲深い願いを叶えるための、覚悟を。

 シラが落胆したかのように肩を落とす。


『そこそこ、そーいうとこだぞ、私が危ういと思ってるのは』

「?」

『命かける、ってとこ』


 こいつ、俺の頭を読んで?

 いやでも、家の者の幸福を叶えるのが座敷童の役割なら、その技術を持っていても不思議ではない、のか?


『察しが良くて助かるよ。いいかい? 心して聴く事』


 そういってシラは一呼吸を置く。

 そうすると、フッと雰囲気が大人っぽくなった。


『いくら妖怪で、同年代の人間よりもいくらか身体的に強くたって、どれほど優秀な師匠に教えを請っていても、いくら奏ちゃんのことが大切でも………トロンはまだまだ子供で、未熟な青二才だ』

「でも、俺がやらなきゃ………!」

『わかってる。トロンが自分を責めていることも、十分体に気を付けてやっていけるだけの力を身に着けたことも。ただ、これだけは覚えておいて』


 そしてシラは立ち上がる。

 白九尾と小さなホンドギツネのぬいぐるみが向き合った。

 その様は、どこか魔法少女と使い魔を想起させるものであったかもしれない。

 そうした場合、いつだって支えられているのは魔法少女側だ。


『トロンには、未来が溢れてる。奏ちゃんに決して、決して劣らないほどの輝かしいソレが』

「………」

『もちろん、誰かを守ることも、人生では大切だ。それをすることによって、人間は、いや、心ある生き物は皆強くなれる。でも、それを理由に自分の未来を壊していいことには絶対にならない』

「………要するに?」

『要するに、トロンには未来が溢れてる、だから死ぬな、ってこと』

「それだけか?」

『うん、それだけ。でもね、人生って案外そういうことが一番大事だったりするの』


 言い切ったシラは、先輩のアドバイス、と笑う。

 俺にもわかるように言ってくれたのだろう、まだまだ未熟な俺にも。

 なら、今後の良好な関係を築いていくためにも、俺の答えは一つだ。


「分かった。お帰り、って言う準備をしててくれ」


 すると、またシラの雰囲気が若干幼くなった。

 悪戯っ子のそれだ。


『クッサ! クサいよそれ、本当に。うまいこと言おうとして全然うまいこと言えなかったパターンじゃん!』

「………もう寝る」


 せっかく人が見る目を変えようとしたところに、これである。

 もう俺はシラと話す気をなくし、布団をテキパキと敷いて眠りだす。

 だからこれは、俺が見た夢の内容なのか、それとも事実なのかは分からない。

 俺は夢だと思っている………


『一つだけ、勇気の出る話をしてあげよう。私なりの、だけど』


『………………………弱点、って知ってるかな、人の弱み。それって大抵の場合は、自分が持っているものになる訳なんだよね』


『要するに、その人の過去全てが、その人の弱みたりうる資格を持っているってこと。そうした時に、一回考えてみようか』


『過去が人を弱くするのだったら、逆説的に言えば、未来は人を強くする。何も持っていないからこそ、勇気を出して飛び込める、そんな機会もあるかも知れない』


『私はトロンに無茶はして欲しくないけど、トロンが願いを持っていて、それはどうしても止められないものだということは重々承知しているつもり。だから、ちょっとだけ背中を押してあげる』


『矛盾してるって感じるかも知れないし、過去の全てがトロンを弱くする訳じゃないし、未来の全てがトロンを強くする訳じゃないかもだけど。まあ、私の要件はそれだけ』


『………おやすみなさい』


 これを俺が夢だと思っている理由。

 それは。


 シラがこういった良い事を言う奴でないと思いたいからだ。

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