其の二九 俺、表明する。弐

 一体何が………と思ったが。

 一之助さんは部屋の隅で静かに佇んでいたリシャール君に視線を向けた。


「リシャール君………今の反応は、分かりますか?」

「………はい。分かります」

「では………主犯達が何処に居るかも、分かりますか?」

「………分かりません。確信はありません」

「構いません。ここだと思う場所を私に伝えてください」


 二人の間で情報の交換が行われたらしく、スクリーン上にも変化が現れた。


「これは………黄色の点が増えて?」


 オレンジ色の光だけでなく、黄色の光が追加された。

 しかし黄色の光はよく見ると点滅しており、時折オレンジ色の光が顔をちらつかせる。


「あの………これは一体どういう事ですか?」

「黄色の点は絞り込んだ点です。ここ以外のオレンジ点は無視して構わないでしょう」


 地図からすぅっとオレンジ色の光が消え、二、三個の黄色の光が残る山がアップされる。


「リシャール君はこういった状況では非常に冴えているのです。恐らくここが犯行グループの潜伏地だと思われますが………信頼して頂けるでしょうか」

「信頼って………」


 そもそも俺がここに居るのは、ここの皆に頼ろうと思ったからだ。

 そう思った時点で信頼は出来ているし、何よりも………


「リシャール君が言うんだったら、信じますよ」

「………本当ですか?」

「はい。リシャール君、とても気が利いていい人ですし、わざと嘘を吐く様にもにも見えませんから」

「………! ありがとうございます」


 リシャール君がこちらにお辞儀をしてくるので、微笑で返した。

 お茶の時も、スクリーンの時も、リシャール君は自分から動いていた。

 それはきっと、彼が仕事のできる優秀な人材だという事だ。

 お茶の時だって、隠せばいいのにトイがスポーツドリンクが苦手な事を公にしていた。

 良くも悪くも、そうした嘘が吐けない人間だということだろう。


「まあ、最悪そこに居なかったとしても、その後に他のオレンジ座標を巡ればいい話ですから」

「ええ、はい。そうですね」


 一之助さんはゆっくりと頷き、シンミとトイも柔らかな笑みをリシャール君に向けている。

 仕事仲間の信頼が嬉しいのだろう。


「では………何処に誰が向かうかですが」

「あ、そうですね………」


 一箇所一箇所を一つ一つ全員で回っていたら時間を食うだけだ。

 一人では危険も付きまとうだろうが、俺はもうそれを受け入れる覚悟を決めている。

 シンミとトイなら、十分に自衛をしつつ捜索もこなせるだろう。

 そんな俺の考えを読んだのか、一之助さんが申し訳なさそうに言った。


「お恥ずかしい話ですが………私とリシャール君は戦闘能力がほとんどありません。付いて行っても足を引っ張るだけでしょうし、我々はここから皆様に指示を飛ばします」

「はい、分かりました」

「ですので………彼女達を存分に頼って下さい。本当に信頼出来る、いい子達ですから」


 右手で妖怪の女の子達に向けて、本当に感情のこもった声音で彼は言う。

 その先では、彼女達がポーズを決めていた。

 俺にはよく分からないが、きっと気合いの入る、もしくは格好のつくポーズなんだろう。

 それを横目で見ながら、彼の言葉に応えるべく、俺は俺で心を込めて返す。


「はい。知っています。二人ともとても頼れる師匠ですし、とても尊敬しています」


 込めたのは、俺なりの誠意、真心。

 それ以外には、何も要らないだろう。


「あー、うー」

「………ぬ」


 二人を見遣れば、先程の謎ポーズを解除して、何やら頬を抑えたり、指でかいたりしている。

 ………なんだろうか?


「さて、わなないている二人は置いておくとして、誰が何処へ向かうかを決めましょうか」

「そうですね………」


 戦える人数は、全部で三人。

 黄色の点は、全部で五つ。


「………リシャール君、これ以上は絞れない?」

「申し訳ありません。出来ません」

「そう」


 なら、一人当たり一箇所以上を行かなければならないという事だ。

 それならば、と、俺は一之助さんとリシャール君に目線を向ける。


「一番可能性が高いのは何処か、分かりますか?」

「そうですね………」


 一之助さんが唸ると、スクリーン上の黄色の光の内の一つが大きく光り出した。


「ここが、今のところ一番反応が大きい点ですね………極僅かに、ですが」

「なるほど………では、僕をそこに行かせてください」

「「………!」」


 その場の全員が驚きの、声にならない声を上げる。

 当の本人である俺自身は、全く揺らぐことなく皆を見回していた。

 前から決めていたことだ。

 『幾つか候補があった場合、一番可能性が高い所に行く』。

 そうでなければ、奏に示しがつかない。


「それってー、一番可能性が高いってだけじゃなくてー、一番危険性も高いってことなんだよー?

確かに覚悟はあるかって聞いたけど、自分から死地に飛び込む必要もないんじゃないかなー」

「………犯、行、グルー、プの、中でも、一、番、の主犯、が、居る、は、ず」

「危険です。シンミ様かもしくはトイ様が行くことを推奨します」

「トロン君、君がそうしたいと言うのなら、無理には止めませんが………命の危険は最も大きいです。奏様が助かっても、貴方が生きて帰れるかどうかは………」


 事務所の皆が、口々に心配の声をかけてくれる。

 本当に優しい人達だ。

 この人達の所に駆け込んで、本当に良かった。

 けれど、譲れない事もある。


「知っています。でも、僕はそこに行きたい………いえ、行かなければならないんです」

「ですが………」

「大丈夫ですよ。僕はもう、何も失いませんし、失わせませんから」


 シンミは優しい笑みを浮かべ、トイは我が物顔で頷き、リシャール君は生真面目な顔を崩さずに聞いていて、一之助さんは驚いたように少しだけ目を見開いた。

 俺の覚悟だ。

 奏のことだけじゃない。

 今後俺の周りに起こること全てに対して、俺は積極的になる、平穏を保とうとすると決めた。

 そうした中で、今回の様なこともいつかはあるかもしれないし、命を手に掛けなければならない時だってあるかもしれない。

 そんな時、奏の事を考えれば頑張れると、そう分かったから、俺は覚悟を決められた。


「………分かりました。では、トロン君はその場所に。シンミさんはその点から南東の点、トイさんは北東の点へとお願いします。残った二つに関しては、追々指示しましょう」

「了解ー、じゃ、私はここから西南西を目指して進めば良いってことかなー? ………にしてもトロ君もイバラの道を歩むねぇー」

「………弟子君、は、偉、い」

「いや………」


 ただ、俺なりの選択をしただけだ。


「では、行動開始は二十時ということに。犯行グループの動くであろう時間には早く、人々が山から居なくなるには十分な時間ですので」

「分かりました」

「了解ー」

「………ん」

「了解致しました」


 あと、三時間と少し。

 解散になったら、一度家に帰って休もう。


「では、解散………と、言いたいところですが。トロン君、良かったら私と《契約》しませんか?」

「え………っと」

「その方が、私から直接指示を出せるので便利かと」


 正直に言うと、確かに一之助さんの言う事は筋が通っているし、一之助さんと契約しておけば今後も安心であるとも思う。

 でも、しかし。


「すみませんが、、って決めてるので」

「───はは、私は振られてしまいましたか。では、私からリシャール君、リシャール君からトロン君のルートで連絡を取りましょう。では、彼と結んでください」

「あ、はい、それなら」


 そして俺はリシャール君と結び、その場を去った。

 家へ帰り、英気を養おう。

 作戦のためには、入念な訓練と休息が不可欠だ。




 《 * * * 》




 暗い洞窟の中、彼は包を開けた。

 中に入っているのは、一人の小柄な少女。

 その身に似合わず、莫大な存在価値を有している。

 こうして軟禁してから数時間、彼は彼女の身体の健康状況には気を使っていた。

 しかし、精神面のケアが出来ていた自信はない。

 その為、こうして指揮官である自らが出向く事で、多少なりとも害意がない事を理解してもらおうとしているのである。


「………」


 袋の中から、少女が憎らしげに彼を睨んでいる。

 その視線をいなしつつ、彼は片手に持ったトレーから焼き立てのメロンパンを手に取る。

 そしてそれを二つにちぎり分け、半分を少女の手に持たせつつ、一方を自らの口に運んだ。

 毒がない事を証明するためだ。


「………」


 まじまじと分けられたメロンパンを眺める少女。

 その様子に、一筋縄では行かない予感を感じながらも、彼は言った。


「安心してください。こちらに害意はありませんから」

「………はむ」


 口いっぱいにメロンパンを頬張る少女の姿は、とても高校生とは思えない姿であった。

 それは余程お腹が空いていたのか、それとも今までの食事が酷すぎたのか。

 どちらかは分からないが、今後は部下に要人の扱いにも気をつけてもらわねば、と彼は決めた。

 彼女がメロンパンを食べている間に、トレーの上の瓶からコップに牛乳を注ぐ。

 そしてまた、彼はそれを先に飲んでみせた。


「はむ、ぁむ………ごく」


 メロンパンが終わるや否や、牛乳の入ったコップに手を伸ばし、ぐびぐびと飲んでいく。

 この少女、身長や胸囲の関係で、牛乳を意識的に大好物にしているのであった。

 彼はその事を知ってはいなかったので、期せずして緊張を和らげられた形である。


「………ぷは」


 彼女がコップの中身を勢いよく飲み干し、口に白い髭を作った時には、彼は既にウェットティッシュを差し出していた。

 少しは硬さが取れた少女が、もう迷うことは無くそれを受け取り、自身の口周りを拭く。

 そうして落ち着いた少女は、「ふう」と一息ついてから、弛緩したように脱力し、床に手をつき足を伸ばす。

 どうやら過度な警戒は解いてもらえたようだと判断した彼は、ぽつりぽつりと語り出した。


「………我々の目的は貴女の誘拐ではなく、あくまでも協力を願う事です」

「………」


 彼の強ばった顔を伺う少女の眼は、少し穏やかで、包容感を内包していた。

 少女からすれば、ずっと前から言われていた事。

 多少、では済まないほど手荒な形になってしまったが、以前少女を訪ねた者からも予め聞いていた事。

 特に疑問を挟むでもなく、少女は耳を傾けていた。


「………ワタシからはなんとも言えませんが、恐らく貴女に命の危険は無いと思います。我々の実験には十全な安全確保策が施されていますので」


 彼は口ではそう言ったが、内心では確信が持てずにいた。

 自分と部下の働くこの会社が、そうした安全マージンを考えて活動をするとは思えなかった。

 彼の直属の上司がそう言う以上、彼には従う他に成す術がなかったのだが。


「………先程髪の毛を少々頂いたのも、そうした安全を確保する為です」


 間違いではない。

 彼が髪の毛を頂いたのは、捜索隊の動きを撹乱するためだった。

 万全に万全を期して行動するようにと部下には命じてあったが、それでも現在の部下達の様子から見て、その命を忠実に遂行出来るとは思えなかった。

 普通の捜索隊相手ならまだしも、人探しに特化した《妖怪》、もしくは《術使い》が相手では、いくらなんでも部下の負担が重い。

 それを一番に嫌う彼は、貰った髪の毛を幾つかに分け、街の至る所に設置させた。

 遺伝子を素に捜索する者に対して有効だろうと判断した為だ。

 結果それは功を奏している。

 捜索隊は、未だに彼女が何処に居るかの確証が持てていないのだから。


「………ですので、どうかお静かに過ごされて頂けませんか。我々としても貴女が傷つく事は本意ではありませんから」

「………」


 少女は終始黙ったままだ。

 恐怖によって喋る事もままならなかったので無いとしたら、何も言うべきことがないと判断した為か。

 彼は自分のすべきことを終え、トレーを持ち、立ち上がった。


「では、ワタシはこれで。あと数時間もしない内に出発の予定ですので、覚えておいて下さい」

「………ん」


 申し訳程度の仕切りである布を手で押し上げ、彼は退出して行った。

 残ったのは、少女一人。

 無論洞窟の中には何人も彼の部下が居るのだろうが、多少はリラックス出来る状態になれた。


「………ふう」


 彼女は、彼の事が分からなくなっていた。

 部下が縛った彼女の体を拘束から解放し、あろう事か直接食事を手渡しに来る。

 指揮官としては異例な人材だと思っていた。

 自分の敵であるのに、何故か強く責める気にはなれない人物でもあった。


「………」


 目の前の彼とは違う、燕尾服を纏った男との会話を思い出す。

 確かに自分は予め幾らかのことは聞かされていた。

 しかし、それは脅迫に近い形で。

 あの時自分の下に来た者が言っていたことだが、その時の者よりも、今食事を持って来た彼の方が階級が低い筈だ。

 階級が上の者の意向に従わず、部下の手本となるような行いをしている様にも見えない。


「………」


 瞳を閉じる。

 彼女は彼女の大切な人を思い出していた。

 ここに来ることを決心した理由である、とある白九尾の事を。

 あの時は、自分が彼を護らなければ、と彼女は思っていた。


 しかし、何故だろうか。


 いざここに来てみると、彼の到着を待ち侘びている自分が居るのだった。

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