其の二九 俺、表明する。壱

「お茶をお持ちしました」

「お、じゃー、一旦休けーい」

「ああ、おう………」

「………ん」


 俺が決意を固めてから一時間以上が過ぎ、俺の体力が限界を迎えつつあった頃。

 ウィィーン、と音を立てて扉が開き、お盆にスポーツドリンクを載せたリシャール君が入ってきた。

 そういう所の気遣いが本当に有難い。

 ………如何せん喋り方は変だし、お盆に載せる飲み物ではない気がするけども。


「サンクスー」

「………あ、りが、とう」

「大丈夫です。水分と塩分は必要です。運動後にはケアが大事です」

「ありがとう」


 紙コップに入った無色半透明のスポーツドリンクをとる。

 疲れた体に一気に流し込み………


「うまっ! 何これうまっ!?」

「お、気づいたー? リシャール君特製ブレンドの飲み物はなんだって美味しいんだよー」

「恐れ入ります。簡単です」


 普通に、と言うかスポーツドリンクとしては格段に美味い。

 酸味が疲れた体を解きほぐし、微かに感じる甘味はゆっくりと時間をかけて体にエネルギーを蓄積させていく。

 簡単とは言うものの、恐らく試行錯誤を重ねた結果の味だろう。

 日々の研鑽の成果が遺憾無く発揮されていると言える。

 ………スポドリを日々研究し続けるのはよく分からないが。

 グイグイと行く俺と、その様子をはやし立てるシンミの横で、トイはちびちびとアルコールを飲むかのように啜っていた。

 いや、まあ、飲んだことは無いんだけど。

 とはいえこんなに美味いスポドリを運動直後に飲んでいるのに、余り気乗りがしない様子のトイが少し気にかかる。


「如何致しましたか。お味に至らぬ点でもございましたか」

「………う、ううん。ありが、とう。美味し、い」


 少し罪悪感に苛まれている顔をしたトイがリシャール君の気遣いに応える。

 その様子は、俺から見ても不自然なものであった。

 しかし、ジッとトイを観察していたリシャール君は合点がいったように頷き、お盆に残っていた最後の一つの紙コップをトイに手渡した。


「申し訳ございません。こちらがトイ様の緑茶でございます。そちらのドリンクはお下げ致します」

「………いや、いい、よ。私、は、飲みきる、から」

「あれ? トイはスポーツドリンクが苦手なのか?」


 何気なく聞いた質問、と言うよりも答え合わせ。

 そんな俺の言葉を聞いたトイはギギギ、と音を立てそうな程不自然に振り向く。


「………な、な、な、何故、それ、ををを、をを?」

「いや、動揺しすぎだろ。流石に分かる、今のを見ていたら」

「………うぅー」


 何をそこまで凹む必要があるんだろうか。

 スポーツドリンクが苦手なのはそんなに恥ずべきことなのだろうか?

 頑張って飲もうとするトイを、首を傾げて眺める俺に、シンミがちょいちょいと肩をつつく。


「あれでもねー、トイはトロ君の師匠として結構気合い入れてたんだよねー」

「? おお?」

「だから、『………好き嫌い、しない』みたいなこと言ってたのも、多分トロ君の師匠としてカッコつける為だと思うわけさー」

「………は?」


 師匠として気合を入れていた、と言うのは分からんでもないし、有難いことではある。

 しかし、その気合いの入れ方は、師弟関係と言うよりも子育てのそれではないだろうか。

 いくら何でも小学生ではないのだから、もう少しハイレベル、と言うか中学三年生に合った方針でやってはいただけないだろうか。

 そんな俺の内心を知らないトイは、此方を見ながらてれてれとでも言うように頬を赤らめ、身をよじって恥ずかしさに耐えている様子だった。


「………うう」

「はぁ………前も言ったと思うけども、トイ、トロン君は子供じゃないんだよー? 流石にもうちょっと年上の、ちゃんとした大人扱いしてあげなきゃダメでしょー?」

「………え、で、も」

「いや、だってあんな生み出しちゃうくらいには冷静に物事を見る目が出来てるんだよー。トイだって、あの初見殺し、っていうか見たことない身のこなしにはやられたでしょー?」

「………む、ぅ」

「俺からも頼む。信頼されてないのか、それか馬鹿にされてるんじゃないかと思うから、できるだけ大人扱いをして欲しい。これでも、多少なりとも小学生からは変わったと思っている」

「………………分か、った。弟子君、は、大人」

「ああ」


 シンミと俺の二人がかりの説得に、トイは納得してくれたらしく、渋々と言った風ではあるが態度を改めることを約束してくれた。

 そんな俺たちの様子を、お茶を啜りながらリシャール君が見ている。

 不思議な、理解できないものを眺めている目だった。

 ………冷静になって考えると、この大切な時間に、俺たちは何をしていたのだろうか。

 その場の皆でしばらくお茶と軽めのお茶菓子でくつろいでいると、リシャール君がふっと顔を上げた。

 こめかみに指を当てて、頷いたりしながら目を閉じている。

 あの仕草には俺も身に覚えがある、誰かの声が脳内に響いたとき、ついああいった反応をしてしまうのだ。


「ええ。はい。了解しました」


 どうやら話が纏まったらしく、こめかみから手を放してリシャール君は此方を向く。


「今しがた連絡が入りました。社長からです。終わったとのことです。皆様をご案内します」

「お、ようやくかー」

「………いつも、よ、り、ちょ、っと、遅、かっ、た?」

「そうなのか?」


 時計を見ても、俺たちが一之助さんと別れてこの部屋で訓練を始めてから、一時間と三十分ほどしか経っていない。

 十分に速いと思った思ったのだが、普段の事情を知るシンミとトイには遅く感じられるらしい。


「そんなに遅いとは思わないが、いつもより遅いのか?」


 聞くと、シンミは顎に指を当てて少し上を向き、思い出すような仕草をしてから答えてくれた。


「んー、いつもは長くても三十分ってところだからねー。流石に二・三十分は誤差だと思うけどー、一時間も長かったらちょっと心配になるよねー」

「………長い、時、は、大抵、近い反、応が、多くて、絞り、切れな、い、時」

「そうか………」


 少し嫌な予感がする。

 リシャール君に貰ったタオルで拭く額の汗は、運動後のものか、それとも冷や汗の類か。

 あまり良い展開には転ばない、そんな気がしていた。




 俺達が向かったのは、先程会議をしていた部屋だ。

 既に事務所にいた人間の全てが集まり、一之助さんの第一声を待ちわびている。

 腕を組み、少々苦々しげな面持ちで、一之助さんが言う。


「率直に言いますと………状況は芳しくありません」

「な………っ」


 思わずガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。

 長年使っているからだろうか、手をついたテーブルは若干くすんでいた。

 左隣のシンミが俺を右手で制しながら、一之助さんに問う。


「するとー、サーチは失敗したって事なのかなー?」

「いえ………失敗ではありません。兜様に頂いた遺伝子サンプルによるサーチにより、似た反応がある座標はありました」


 歯切れが悪く、尚も苦虫を噛み潰したような顔の一之助さん。

 それなら、成功した、と言えるのでは?

 俺がそう思っていた時。


「只、そのような座標の数は一つや二つではなく………」

「………ま、さ、か!」

「ええ。そのまさか………です」


 トイと一之助さんの間では会話が成立している。

 俺はさっぱり分からずにただ上げた腰を降ろす機会をうかがうだけだった。

 事情を把握したらしいリシャール君が、部屋を四方から囲む壁のうちの一枚に寄っていき、先端がフック状になった棒を取り出す。

 それを天井に向けると、真っ白な布………いや、スクリーンが降りて来た。

 そしてそれを確認すると、棒を取り出した壁の別の場所を開け、ノートパソコンを一台取り出した。

 何やら妙なオプションパーツがついている。


「ああ、ありがとう、リシャール君」


 一之助さんのお礼にリシャール君は恭しく一礼し、部屋の隅へ移動し、明かりを消した。

 同時にスクリーンの反対側にプロジェクターが下降してくる。

 一瞬にしてプレゼンテーションルームへと変貌した部屋の中で、皆がスクリーンに目を移す。

 すると………スクリーンに俺達の住む街とその周辺の地図が映し出された。


「一応トロン君に説明しますと、こちらのスクリーンとプロジェクターは妖力によって動く代物でして。私がこの部屋の何処かに触れている間は、どこからであろうと自分の考えている内容を映し出せる逸品です」

「おおっ、それは凄い………?」


 いや、待て。

 そんな技術があるのなら、別にそうしなくても良いのでは?


「あの………何故わざわざスクリーンとプロジェクターの二つに分けているんですか? 別にスクリーンだけでも良いのではないかと………」

「ああ、それはですね、この部屋を設計した職人の拘りですね。少々場所は取りますが、『少なくとも見掛けは不自然でないものを』が彼のモットーでしたから」


 苦笑しながら一之助さんは答えてくれた。

 と、なると、若しかすると、だが。


「あの、訓練部屋? を設計したのも、同じ人ですか?」

「ああ、そうです。よく分かりましたね」

「いえ、ただ、同じような拘りを感じたもので」

「なるほど」


 『見掛けは不自然でないもの』がモットーだと言うのなら、あの部屋にも頷ける。

 やや近未来感はあったが、扉自体は普通の扉と似通っていた。

 中身にこそ驚いたが、見掛けは確かにそう不自然なものではなかった。

 一之助さんと俺がやり取りを終えたのを見てとったのか、シンミが言う。


「で、これは一体なんなのさー? 見た所、いつもの地図よりもちょっとばかし色付きの点が多いような気がするんだけどもなー?」

「ああ、そうでした。話が途中でしたね」


 はっと我に返った一之助さんが重々しく口を開く。


「シンミとトイ、リシャール君は分かる事と思いますが、この色付きの点は私がサーチした結果、類似した反応が得られた座標………いえ、訂正します。今なお感じ続けている座標です」


 言われて気が付いたが、地図上では、いくつかの点がオレンジ色に爛々と光っている。

 よく刑事ドラマなんかで見る、GPS等が分かりやすいだろうか。

 その数は凡そ………

 住宅街の中、学校の傍、ショッピングモールの屋上、はたまたいつも訓練に使う山の最中。

 ここまで来て、俺にも理解出来た。

 嫌な予感は………的中したようだった。


「まさか………これ全部が?」

「ええ………全てが、お借りした遺伝子による妖力情報と類似した反応を示す点です」


 尚も苦々しい顔をした一之助さんが辛そうに告白した。

 やはり、そうだったのか。

 煮え切らない態度だとは思っていたが、まさかここまで面倒、いや、深刻な事態になっていたとは。

 自らの不手際を取り繕うように、一之助さんが意識して早口を止めようとしながら口を開く。


「こうなった以上は、虱潰しに探す他ありません。流石に住宅街の真中の道、大通りの上等の場所は除外するとしますが」


 言うと、スクリーン上のオレンジ色に光る点が幾つか消える。

 しかし焼け石に水と言うべきか、それでもなお二十箇所近くに光る点は存在している。

 このままでは、この場所を全て虱潰しに探す他ないと言う状況になる。

 それだけは避けたい話だった。


「でも! 探す時間、手間が増えれば、その分だけ奏の身の安全は………」

「分かっています。しかしながら、我々が居るのです。これだけはお忘れなきよう」


 何故か自信が復活したような顔になり、一之助さんが毅然として言う。

 不敵な笑みが浮かべられた顔は、自分が今まで見たどの顔よりもクレバーで頼れるモノであった。

 何か秘策があるらしい、心して聞かねば。

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