其の二八 俺、立ち上がる。弐
俺は早速窮地に陥っていた。
「クソ、ここは何処だ………?」
道に迷ったのである。
普段実戦経験が余りない弊害がここで出てしまった。
何とかなるものだと思っていたが、自分の現在地を把握するのに精一杯で、とてもじゃないが二人を探すなどといった事が出来る余裕はない。
もしもこれをやらずに本番を迎えていたらと思うと、ゾッとする。
「ここの木は確か歩き始めて二、三分の時に見たか………ら………」
記憶を辿りながら俺はきょろきょろと周囲を見渡す。
方角に当たりを付け、水溜まりに、パシャリと音を立てて足を踏み入れた瞬間だった。
「!?」
踏み入れた水溜まりの水が、俺の足首を這い上がりながら、凍り始めたのだ。
一度味わったことのあるこの感触は………間違いなく、トイだ。
「ッ ぬあッ、!?」
だが今度は以前とは違い、動いても全く壊れる気配はなく、炎を近付けても溶けない氷である。
まるで鋼鉄じみたその硬さは、俺を絶望させるに余りある。
かつてなくおどろおどろしい感覚に顔を歪ませる内にも、氷は足をよじ登り、腰の辺りまで到達していた。
「ひぃッ!?」
腰まで凍ってしまっては、最早体をねじる他に取れる行動はない。
必死にもがけど、炎を出そうと、完全にパニックに陥った頭では冷静な判断等出来やしない。
やがて胴体は完全に凍り、腕も侵食され始める。
「………ゥ、あッぁぁあぁあ!?」
気合を入れる為ではなく、純粋に恐怖によって出された声は、もう一人をも呼び寄せてしまったらしい。
周囲の枯れ枝や枯葉が宙を舞い、俺の全身を埋め尽くす。
全身を完全に木の葉で埋め尽くされてしまった俺は何とか体を動かそうとするが、上手くいかない。
「むッ、むゥゥッうううゥッ!?」
かなり強い力で押されているのか、まとわりついているのは枯葉や枯れ枝の筈なのに、それらはビクともしないのだ。
俺一人ではもう覆しようのない状況に、悲鳴を上げることすら出来ず、俺は只只絶望の涙を零す。
その時には、これが訓練だなどという意識は完全に捨て去っていた。
「あ、ぁぁ」
氷は遂に頭まで到達した。
口、鼻、目、全てが凍らされていく。
全身が凍り付き、無様で哀れな氷像と化した俺を見詰めるのは、雪女と天狗。
俺は死ぬのだ。
ごめん、奏。
………そう思った時。
ドロォ、と氷が溶け始めた。
同時に、枯葉と枯れ枝がハラハラと落ちて行く。
すっかり腰の引けた俺は、開放されると同時にへたりこんでしまった。
先程までは悪友の様に思われた彼女達の顔が、今は悪魔の顔に見える。
「………どうだった?」
聞くのは天狗の悪魔だ。
「絶望した………完膚無きまでにやられたよ」
「………怖、かっ、た?」
今度は雪女の悪魔が聞く。
「ああ、怖かった。これまでにないくらいに」
「………そ、う」
二人は俺に近寄り、片腕ずつ持って俺を立ち上がらせた。
「勘違いしないで欲しいのは………これは絶対に必要なことだって事」
「………死ぬ恐怖、は、体験しないと、分からないから」
「今回の依頼は、下手したら誰かが死ぬかもしれない、危険なもの」
「………それは、奏ちゃん? かも知れないし、弟子君の可能性もある………それでも」
「「貴方には立ち向かう覚悟がある?」」
二人は俺の顔を覗き込み、真剣な調子で問う。
要するに、俺に命をかける覚悟があるのか、と聞いているのだろう。
「………」
直ぐには答えられず、考え込む。
ある、と言いたかった。
しかし………先程の体験をしてしまった以上、そう簡単に命は掛けられない。
もしかしたら先程のものよりも遥かに残忍な殺し方だってあるだろうし、犯行グループの中に二人よりも強い力を持つ者が居る可能性もある。
俺は既に一度は死んだ身である。
出来れば自分の命は大事にしたい。
───だが、譲れないものもある。
「………ああ、絶対に誰も死なせない覚悟はある」
俺は一度死んで、さ迷っていた所を奏に救われた。
どれほどの事があって、この先に何が待ち受けていたとしても………その恩だけは絶対に無くならない。
俺が真剣な顔で返すと、二人はフッと表情を和らげた。
そして笑顔で言う。
「いやー、ここでもしも『命をかける』なんて言ったら、絶対連れていかないとこだったよー」
「………うん、うん」
「………そうか」
最初はそうも考えていたけどな。
奏を助けたのに俺が死んだら、奏がきっと悲しむだろう。
だから、方向転換するした。
「………さあ! じゃあ、トロン君も本気になった所で、続きやりますか!」
「………うん、そう、し、よう」
「………応! 宜しく頼む!」
俺はべチンと頬を平手打ちして気合を入れる。
待ってろ奏。
………絶対に助けるから。
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