其の一三 俺、戦う。
春風に肌が撫でられ、髪が靡く。
「………そっちが、一発入れるか、こっちが、降参、させるか、一時間、経過で、終了」
揺らめく足元の青草が服越しに感じられこそばゆい。
「………それまで、は、常識の範疇、で、なにしても、おーけー」
が、今はそこに意識をとられるわけにはいかないのだ。
「解った。了解だ」
新しい師匠を引き受けてくれた、トイとの訓練が始まろうとしている。
形式は模擬戦、というか打ち合い、殴り合い。
天狗とのっぺら坊が固唾を飲んで見守る中、俺は足を一歩踏み出す。
俺にとって、初めての………戦闘に。
「………警戒心が、足りない。マイナス」
柔らかい調子で、冷たい声を口にするその姿は、正しく雪女。
それにしても、警戒心とは。
既に前傾し間合いを測っている俺に一体何のことを、と思ったが、足に冷たさを感じ、目をやると、ふと気づいた。
踏み出したはずの俺の足は、一切動いていない。
足が凍らされていたからだ。
「うおっ!?」
足元から膝下あたりまで周囲の草と共に凍らされている、という言いようのない恐怖、初めての感覚に、小さく声が漏れてしまった。
《高炎》を使えば溶けるかと考えたのだが、俺の出した炎は軽く氷の表面を溶かしただけで、根本の解決にはならなかった。
………何気なく使ったけど、俺って炎出せたのか。
ビズと二人の頃は業火どころかお世辞にも炎と呼べるものは出せなかったのだが、やはり実践すると違うということか。
「………そんなに、きつく、してない」
言いつつ、トイは手を地面に翳しながら氷を生み出し、それで何かを作り始めた。
俺がまったく溶かせなかったあの氷が、まるで水飴のようにうねって形を変えてゆく。
やっぱり妖術って凄い。
ふと我に返り、先ほどのトイの、そんなにきつくしてないという言葉を思い出す。
十中八九、彼女は俺の足枷について言っているのだろう。
ならば、と、足に思いっきり力を込める。
炎によって何かが起きていたのか、思いの外簡単に割れた。
今気づいたのだが、氷は俺の足を地面ごとコーティングしていただけで、俺の足が凍りついていたわけではなかった。
バリン、と音を立てて崩れ落ちた氷を拾い上げ、試しに全力で握ってみる。
しかし、拳に収めた今度はなぜか割ることは出来なかった。
「………こっちは、かたい」
雪女の新たな声に、俺は顔を上げ、彼女をまっすぐ見据えた。
どうやらさっきこねこねしていたのは、細めの氷柱らしい。
鉄パイプ程の直径で、一メートルちょっとの長さの氷柱は、さっきよりも『かたい』ようだ。
俺が思いっきり握っても割れないこの氷よりもかたい、とのこと。
………当たれば只では済まないですね、分かります。
すると、トイは竹刀でも持つかのようなポーズを取り、形のいい唇を動かす。
「………ふっ」
そして、手に持つ氷柱を振り下ろしてきた。
それを避けた瞬間、俺は驚きに愕然とした。
構えからある程度軌道が読めたので、避けるのは簡単だった。
問題は、俺に当たらなかった氷柱がどうなったか、だ。
当然地面に打ち付けられたそれは、一切欠けることなくその形を保っている。
どころか、触れた地面に十センチ程めり込んでいた。
………人どころか生半可な妖怪でも耐えられる威力ではないだろうな。
氷柱の暴威は、それだけでは終わらない。
二度、三度、何度も振り回される凶器は、俺の髪や獣耳、尻尾を掠めてゆく。
次第に構えから軌道を読めるようになり、少しずつ後退して避けてはいるが、このままではジリ貧だ。
ならばいっそと、かなり距離をとる。
その距離およそ十メートル。
ここまで離れれば、さっき拾い上げた氷の破片たちを持つ俺が有利だ。
一発当てればよ良いのだから、飛び道具を持つ俺が圧倒的に優勢。
長い武器を持つとは言え、精々一メートル程しか攻撃範囲を持たないあちらは決定的に劣勢。
踏み込みがあっても十メートルの距離は詰められない筈だ。
そう、思っていたんだ、この時は。
俺が離れた後一秒もしないうちに、トイは新たな行動を取った。
プロ野球選手か何かのように半身をこちらに向けた構え。
こちら側にある左足を踏み出しつつ、バットの如き氷柱を勢いよくスイングする。
何をするつもりなのか分かりかねた俺が取り敢えず出方を窺っていたその時、俺の左半身に鈍い痛みが走った。
何が起こったのか、当事者の俺も一瞬理解できなかったが、何のことはない。
氷柱が延びていたのだ。
孫悟空の持つ如意棒のように。
十倍もの長さまで。
よくよく考えれば当然のことだった。
あの棒は只の硬いだけの氷ではない。
雪女であるトイの妖術、妖力によってできたものであり、いわば妖力の塊だ。
流し込む妖力の量を変えれば、長さの調節など朝飯前だろう。
先程の足枷氷の硬度が変わったように感じられたのも、この現象が関係しているのかも知れない。
衝撃により、二、三メートル転がった俺だが、トイはそんな俺にも容赦はしなかった。
痛みに顔をしかめる俺の前で、厳しい師匠は再び息を吐いた。
「………ふっ!」
一息ついたかと思えば、彼女は地面を蹴っていた。
氷柱をまっすぐ振り上げ、今まさに俺の頭を打ち据えんとする師匠の姿に、俺は次の行動を考えた。
………もう油断は許されない。
今の俺が出来ることは何か。
彼女はすでに宙に舞っている状態だ、ここから軌道を変えるのはかなり難しいだろう。
ならば、狙い撃つのは一点のみ。
攻撃とも呼べない行為をするため、俺はよろよろと立ち上がる。
「せいっ」
「ん、うっ」
大きく振りかぶって、左手に持った氷を、迫り来る氷柱に向けて投げつけた。
そしてすぐさま右手に別の氷の欠片を持ち、氷柱に一発目の氷がぶつかり砕け散ったその隙に投擲して後退する。
パリン! と、先ほどよりは軽い破砕音が鳴り、即座に顔を氷で覆ったトイだが、衝撃によって多少押し戻される。
初めて反撃らしい反撃をした瞬間だった。
驚いた顔、と言うよりそう来なくては、と言いたげな表情の雪女を尻目に、俺は駆け出す。
戦略的撤退というやつだ。
地力で負けている相手に対して、いくら何でも無謀すぎた。
策を練ろう、戦いは、そこからが本番だ。
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あの敵前逃亡から約五分、俺は林の中で身を潜めていた。
今回はさっきとは違い、きちんと作戦を用意している。
………もしこれが通用しなかったとしたら、その時点で俺の詰みが確定する。
「………どこに、行った」
音や姿でおびき寄せたトイが、そうとは知らずに近寄ってくる。
ただでさえ動きづらい林の中で長い氷柱まで持っているトイは、俺の居場所の特定はできていないようだった。
こちらにとっては、非常に好都合である。
にしても、あの様子だとホラーゲームに出てくる殺人鬼と喩えてもおかしくない言動だな。
………否、決して好都合ではない、寧ろ見つけて追ってきてくれないと困る。
今までしゃがみ込んで機会を待っていた俺だったが、あえて立ち上がり、そして 自分から対戦相手に近寄った。
伊達メガネなのか、特に瞳が歪んでいないレンズ越しに、訝しむような視線が向けられる。
「………窮鼠、猫を………噛、む?」
『窮鼠猫を噛む』か、有り得ない、俺は狐だ。
俺は自分の顔を、意識的に挑発の色に染め上げる。
「かかってきな」
とだけ。
ビズとの訓練中、ビズにやられたことだ。
感情の機微による妖術発動条件を探る為、ビズが今のようにしてくれたことがあった。
結構苛立つもので、あの時も草を焦がしたものだ。
俺から見たビズよりもトイから見た俺の方が格下に見えるだろうから、イラつきはより激しいものになるだろう。
それに、今回はこれに加えて、策とも呼べない策を使わせて頂く。
「ふ………プラス」
ニヤリ、と雪女は口を歪める。
次の瞬間には、彼女は地面を蹴っていた。
ガイン! と、まるで金属同士がぶつかるような音が響き、手のひらにびりびりと振動が伝わった。
俺は今の一瞬で氷柱を作り、トイの打撃を受け止めたのだ。
「………っ!?」
トイは少しだけおののいた顔をして、そしてまたキリリとした顔に戻った。
俺の氷柱はトイのそれよりずっと脆かったらしく、ヒビが入ってすぐに割れてしまったが。
それに通常ならこれほどの硬さは出ない、逃げてから手元の氷片と自分で作り出したものを比べて実用に足りないと判断した。
だから、これは芯と外周に拾った氷片をくっつけて、自分の氷を沿わせるようにして肉付けしたもの。
さて、頃合だ。
刹那、俺は脱兎のごとく駆け出してトイから距離を取った。
先の焼き直しのように、トイはまたあの構えを取る。
そして、伸ばした氷柱を振り回し始めた。
それを、俺はするりと、最小限の動きで避けた。
遠くにいたから分からなかったが、恐らくトイは再び驚いた事だろう。
一回目はまともに食らってしまったが、実はこの攻撃、避けるのはそう難しくはない。
伸びるとはいえ元はただの直線なので、最大でも、トイを円の中心とした半径およそ十メートルの円形にしか攻撃は届かない。
攻撃範囲と速度、軌道さえ読めてしまえば、こういう攻撃はほとんど意味を成さないのだ。
再び俺は駆け出し、相手が追うのを待つ。
相手が自分と打ち合えるだけの力を持ち、なおかつ自分の攻撃を避けられるとしたら。
おそらくトイは、追ってくる。
この戦いの最中で何度か見たあいつの挑戦的な笑み。
間違いない。
トイは見た目とは裏腹にかなり好戦的な性格をしている。。
そして、戦い好きなら、今、この状況を楽しみ始めたはず。
相手の誘いとわかっていても、きっと乗る。
それを利用し、俺は師匠を俺のホームに誘い込む。
………そら来た。
後ろから、まるで獲物を追う肉食動物のようなオーラを放つ雪女の足音が響く。
走りながら木々を利用して立体的に立ち回り、上下に動くことをインプットさせ、振り返りつつ立ち止まる。
トイが走ってくるのが見えたため、再び逃げるように跳びはねる。
それを見たトイは軽く屈んで勢いをつけて飛び上がる。
手に持ったままの氷柱を振り上げ、そして。
「な、っ」
雪女は、ツタでできたフラフープを目にした。
それを作るツタは木に巻き付いており、戦闘経験のある彼女は、それが即席の仕掛けだと推測できた。
迷わず氷柱で払おうとすると、草の輪は火の輪へと変貌する。
視界が赤い光に包まれた彼女は、それでもなお、前へ進む。
曲芸団の獅子も真っ青の火の輪くぐりを見せた彼女は、再び前を見据え、そして標的がいないことに気が付いた。
彼女は愚を犯した、戦闘の最中、敵以外に意識を割いたのだ。
そのことを彼女が察した瞬間、彼女の背中に柔らかい衝撃が走った。
一発入れたことを確認した白い九尾の狐は、火の輪を凍らせたのだった。
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