其の九 俺、礼を言う。

 どれくらいの時間が経っただろうか。


「───カハッ!」


 俺は目を覚ました。

 気が付くと、そこは夕日が差し込むベッドの上。

ノスタルジックな雰囲気漂う洋館の一室で横たわっていた。


「………夢? だった………のか?」


 夢が途中で覚めてしまった時のような、如何とも形容しがたいあの感じがする。

 夢、と言ったのは、はっきり言ってあの光景は、俺からしたら不可解なものだったからだ。

 俺は妹と暮らし、単身赴任中の父とメールや電話でやり取りをして、毎朝妹の手作り朝ご飯に舌鼓を打っていたはず。

 妹との仲も、別段あそこまで悪くはなかったはずだ。


 つまり、あの光景は、今ここにいる『俺』とは全くの別人という事になる。


 本当、なんだったんだろうか。

 ………まあいい、これが何度も続くようなら、流石に気にするべきかも知れないが、一回目では異常を疑うには早い気もする。

 他人に相談したところで、いいところ、此奴は何を言っているんだと思われ、悪くて変質者と思われて通報されるやもしれないしな。


 そう考え、無理やりにでも心を落ち着かせようとする俺は、それはダメだという心の声を振り払った。




 さて。

 あれからずっと、俺は身動きが取れずにいる。

 何故か、か。

考えてみれば当たり前の話である。


「ここは、どこなんでしょうか?」


 そう、現在地が分からないのだ。

 大方綿貫邸の何処かではあろうが、今いる場所が分からなければ、どこに何があって、どっちへ行ったらいいのかもさっぱり分からない。

 こんな状況で、一体どうしろというのだろうか。

 おそらく、俺を運んでくれたのはあの女性だろうが、彼女もどこにいるか分からない。

 彼女も彼女で、思い起こせばあの時点であの質問が出てくるのは訳が分からないし………書置きぐらい残していってほしかったものだ。

 名前もわからない相手の事を探そうとするなんて、そんな非効率的なことはしたくないのが、俺のポリスィではあるのだが。

 差し当っては、ここがどこなのかを解明するとしようか。


「えぇーっと………」


 まず考えるべきなのは、ベッドは通常どこに置かれるものかという事だ。

 これは、寝室、または病室がおもな場所だと考えてもよいだろう。

 という事は、ここは寝室か病室という事になる。


「じゃあ………」


 そして次に、あの女性の姿を思い起こす。

 ………あの細身の体では、俺を一人で運ぶのは大変だろう。

それも意識を失っている状態の俺だ、難易度は膨れ上がる。

 そんな非効率的なことをするよりは、近くの人の助けを借りた方がはるかに簡単だ。

 さらに、あの場所で近くにいた人となると、綿貫邸のセキュリティが甘くなければ、十中八九綿貫家の人間だろう。

 という事は、ここは論理的にもあのお屋敷の中と考えていいはずだ。


「つまり、ここはお屋敷の寝室か病室か………いや、こんな客人をいきなり他人の寝室に運ぶことはないはずだ」

「あたりまえじゃん、そんなの」

「その通りでございますね、お嬢様」

「うおっ」


 誰もいないと思って独り言ちていたのに、扉の陰から二つの人影が飛び出てきた。

 結論を出した俺に声をかけたのは、この綿貫家の令嬢であり見た目は子供、頭脳は大人、だけど年齢は恐らく15歳、綿貫奏と、ジェントル執事の井川さんだ。

 二人とも、扉の向こうから顔をのぞかせたまま、じと、と此方の様子を伺っている。


「それじゃあ、ここはお屋敷の病室ですか」

「そうだよ。ほんと、大変だったんだから」

「左様でございました。あそこでお嬢様が私を呼びつけなかったとしたなら、今頃トロン様はあの場所であのまま伏しておられたことでしょう」

「あ、ありがとうございました」


 その点に関しては、奏と左様さんの優しさに感謝をしたい。

 病室には、優しさが溢れていた。

窓の外をちらりと見やって、懐中時計を確認した井川さんが口を開いた。


「では、私にはまだ仕事が残っておりますので、これにて失礼をさせていただきます」

「あ、すいません。俺のために」

「いえ、気にしないで下さいませ。お客様の安全を守るのも、執事の務めですから」

「………はあ」


 それは違う気がするし、そこまで含めると執事って何者だ、という話になってくる気もするが。

 それはさておき。


「では、失礼を」

「ありがとうございました。お仕事頑張ってください」

「うん。がんばって」


 井川さんは完璧すぎる角度で一礼をし、去っていった。

俺はベッドの上でお辞儀して、奏は手を振って見送った。

 とすると、後に残っているのは、この二人になるわけで。


「えっ、と」

「となり」

「え?」

「となりにすわってもいい?」

「あ、ああ。いいけども」


 そう言って、奏は部屋の隅から丸椅子を持って来て、それに座った。

言いにくそうに視線を泳がせ、太ももに両手を挟んで奏が言う。


「あの………だいじょうぶなの?」

「え………あ、なにが?」


 あの時の事を思い出す。

 そうか、井川さんの話でも察してはいたが、やはり最初に駆けつけてくれたのは奏だったのか。

 では、あの女性はどこに行ったのだろうか。


「俺なら、少なくとも今はよくなったよ、ありがとう」

「ん。きにしないでいい」

「それと………俺のいた場所の近くに、黒くて長い髪の、たくさんの楽器を持った女性がいなかったか?」

「えっ、い、いなかったよ?」

「そうか、凄く綺麗だったんだが」

「そ、そうなんだー………」


奏の声が上ずり視線は合わないが、いなかったというならいなかったのだろう。

いや、察しの良くない俺でもわかる、奏は何か隠し事をしている。

でも、それを問いただすほど距離感が近いわけでもないし、隠したいことを敢えて聞くのも野暮だろう。


「ありがとな。本当に」

「………どういたしまして!」


 に、と笑いながら俺にそう返した彼女の頬は、夕焼け色に染まっていた。








「あ、おとうさんに確認したけど、他に行くところないんだったら何泊でもしていっていい、っておとうさんがいってたよ」

「本当にすみませんが御世話になります!

それも本当にありがとう!」


 そのことを考えようと思っていて、結局考えられないまま夕方になってしまった。

 あんまり何日もお邪魔するのも申し訳ないけど、もうしばらくはここに泊めてもらうことになりそうだ。

 少なくとも全然自立する気ないように見えるな、俺………。




 [***]




 ────同日・午前十時頃────


 トロンと別れ、のっぺら坊は一人、街の片隅へと足を向けていた。


 《あいつ、大丈夫かナァ》


 妙ちきりんな色合いの和服をまとい、語尾がカタカナになるこの男、実はとある組織のボスなのである。

 この事実を知るのは、組織のメンバーに加えて数人しかいない。

 そう、彼こそは、ファースト探偵事務所に加え、陰陽師ともつながりを持つ組織のリーダー。


 《あいつさえよければ、スカウトしたくなる目をしてたんだがナァ》


 トロン少年の様子を思い浮かべながら呟く彼の名はビズ。

 彼の前に立つ扉のプレートには、≪宝石団ジュエリ≫の文字が刻印されている。

 その扉のノブをひねる時、のっぺら坊はトロン君の影響か、金髪の少女との邂逅を脳裏に浮かべていた。

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