其の四 俺、名前を名乗る。

 スズメの鳴き声が聞こえてきた。


 《おはようございます。この世界での二日目、すたーとです!》


 聞き覚えのある声で、八割方目を覚ます。

 目を開くと、見慣れぬ天井だったので、やや驚いた。

 が、すぐに落ち着きを取り戻す。

 ………そうか、そうだった。

 そう言えば、俺死んだんだった。

 で、あの少女に導かれるまま、あの子の家に泊まったと。

 ………我ながら、『何を言っているのか。頭おかしいんじゃねぇのか?』と言いたくなる。

 などと考えつつ、布団を畳んで部屋の隅に移動させてから、ふすまをスライドさせ、廊下に出る。




 もう四月とは言え、朝は少し冷えるな。

 俺は、冷えなどは自分の妖術でなんとかなるので、寒いと感じる事も無ければ、暑いと感じる事も無いのだろうけれど。

 昨日実験した時点では、俺の妖術は任意の分子の動きの操作だと思われる。

 実験の最中に、感情と言うか、テンションのようなもので妖術が暴走と言うか、誤作動を起こす事が数回あったので、今日は任意のものの感情のコントロールが出来るビズに実験を手伝ってもらおう。




 と、一日のスケジュールを立てつつ、階段を下りて洗面所に向かう時、この家に泊まれるのは一日だけだろうということを思い出した。

 流石に連泊してあの子に迷惑をかけるのは正直いたたまれないので、なんとか今日中に『衣・食・住』のうち、一つくらいは確保しておきたい。

 そして、あの子には何かお礼をしなきゃなって思う。

 と言っても、今の俺に出来る事などはたかが知れているけども。

 ここは、俺が昔よく母の日や父の日にプレゼントしていた、『何でも言うこと聞く券(※この権利が使えるのは一回のみです)』をあげて、何かやってほしい事をリクエストするのが一番得策か。




 洗面所の扉を開けて、タオルを用意してから顔を洗うが、なにしろ狐の体になったので、タオルだけでは水分を取りきれない。

 そこで、ドライヤーを勝手に借りて、顔を乾かす。

 ドライヤーの使い方としては確実に間違っていることは気にしてはいけない。

 お手洗いを済ませてからリビングへ向かうと、あの子がエプロン姿で鼻歌を歌いながら、朝食を作っている所だった。


「おはようさん」

「………おはよう。朝ごはん、ぱんとごはん、どっちがいい?」


 この子めっちゃ優しいな。

 知り合ってから一日も経ってないこの俺に、わざわざ朝食のリクエストをしてくれるなんて。

 言うこと聞く権一回だけでは失礼だな。

 五回くらいに増やしてあげよう。

 でも、中身は高校生だと知っていても、見た目がアレだから、ちょっと火を使ったりするのは心配だな。

 俺にも何か手伝える事は無いかな。

 こう見えても、俺は結構料理上手いんだぞ、というソース不明の自信が湧き上がる。


「俺は朝はパン派だけど、なんか手伝える事あるか?」

「だいじょうぶ。まってて」


 いや、大丈夫って………じゃあ左手の指先から手の甲に貼られた、おびただしい数のばんそうこうはなんなんでしょうね?


「いや、だいじょばないだろう、その左手。俺の目は誤魔化されんぞ」

「だいじょうぶ」


 いや、だいじょばないだろうって。

 でも、この子が頑張ってるのは見てれば分かるし、頑張ってる所に他人から何か言われるのが嫌って気持ちも分かる。

 ここは一つ、温かい目で見守ってあげようか。



 ………こんな事、俺が考える事じゃ無いとは思うんだけど、この子はまだ『契約』をしていないと言っていた。

 昨日、実験しに行く途中で、結構な数の学生を見た。

 彼らは、ろくろ首や一つ目小僧などの妖怪を連れ歩いていた。

 そして、連れ歩いていた人も、連れ歩いていなかった人も、右手首から糸のような物が伸びていて、それが契約した妖怪に繋がっているらしい事が分かった。

 通常では見えないその糸は、妖力を捉える意識をすれば見える、とビズから聞いた。

 しかし、この子のそばに妖怪は居ないし、右手首からは何も出ていない。

 と言う事は、この子はまだ契約をしていないという事になるし、それが周りからも見える人からは一目瞭然なわけだ。

 あと、なんか分かんないけど、この子からは『オーラ』のようなものが見えるのは気のせいか?

 ………まあ、余計なお世話かも知れないし、人には一つや二つくらいは他人に踏み込まれたく無い事があるだろうから、聞くとしたらもっと親しくなってからにしよう。




 と考え事をしている間に朝食が完成したようで、少女がリビングのテーブルに料理を並べてくれていた。

 俺へのメニューとおぼしき皿の上には、ロールパンが二つにバターが一つ、他の器にはコンソメスープとポテトサラダも入っている。

 また、ヨーグルトも出ているので、学校の家庭科の教科書に載っているような感じがする。

 それはつまり、栄養バランスが良い事が保証されている訳なので、この子は体調管理をしっかりとしているのが良く分かる。

 うん、これは確実に俺より料理が上手いだろう。

 最初から俺の入る余地は無かったと言う訳か、恥かかなくてよかった。

 一方で、テーブルの反対側、少女が座るイスの前には、お茶碗に入った白米と海苔、味噌汁に卵焼き、焼き魚など、なんだか旅館の朝食のようなメニューが並んでいる。

 何故態々全く違うメニューにしたのかは謎オブ謎。

 俺が手を洗ってからイスを引いて席に着く。


「手をあわせて」


 と少女が言うので、最初からそのつもりだけどな、と思いつつも、言われたとおりに手を合わせる。


「ほい。これでいいか?」

「ん。いただきます」

「いただきます」


 互いに軽くお辞儀をしながらと言って、ロールパンを手に取った。




 うん美味い。

 普通に美味い。

 コンソメスープはあっさりした味わいが口の中に広がり、ポテトサラダは素朴な美味しさだ。

 パンは、おそらく買って来たものをオーブンレンジで軽く焼いてあるのだろう、焼きたてのパンのような香ばしさが鼻を通って、脳に幸せを運んで来る。

 最後にヨーグルトをいただいて一息。


「美味かった。ごちそうさまでした」


 と締めくくって、俺の朝食は終了したが、目の前の少女はまだ食べている途中だった。


「これ、シンクに置いとけばいいか?」


 と、皿を指差しながら聞く。


「ぶん。ぼべばい」

「待て待て。口の中に何か含んでる時に喋ろうとするな。イエスなら首をタテに、ノーなら首をヨコに振ってくれ」


 少女はゆっくりと首をタテに振ったので、皿を持って立ち上がり、キッチンに向かう。

 シンクに皿を置いて軽く水で流し、リビングに戻り、さっきまで自分が座っていた席に座って、こう切り出した。


「ありがとな。泊めてくれたうえに、朝ご飯までごちそうになっちゃって」


 ごくんと少女は口の中のものを飲み込んだ。

 早速さっきの諫言を実行しているようで、少女のまじめさが伝わってくるようだ。


「きにしないきにしない。わたしがやりたくてやったことだし。あ、よるごはんはなにがいいかな」

「そっか。優しいな。でも、俺にも感謝の気持ちを表す手段をくれないか?」

「ぐたいてきには?」

「俺はこれから五回、君の言うことを、俺の出来る範囲で、何でも聞くことにした。それでいいかな?」


 少女はあごに手を当てて、少し考えた後に切り出した。


「いいよ。じゃあ、ひとつめ」

「なんだ?」


 一つ目の早さに驚きつつも、たとえ火の中、水の中、草の中、森の中。くらいの覚悟で身構える。


「あなたの名前をおしえて。おしえてくれたらわたしのもおしえるから」


 拍子抜け、というと失礼だが、それでお願いを消費するのはなんというかこう。


「………そんなんでいいのか?」

「うん、それがわたしのおねがいのひとつめ」

「そっか。まああと四回もあるしな。俺は『トロン』って言うんだ。君は?」

「わたし、『綿貫奏わたぬき かなで』。あなた、トロンっていうのね?」

「ああ、そうだ。改めてよろしくな。奏」

「うん。よろしく、トロ」


 『トロ』って………俺のこと?

 なんなの? 俺マグロになっちゃったの?

 『トロン』って結構気に入ってたんだけど………まあいいか。

 美少女の言うことは基本聞いておいた方が良い、という話もあるし、恩人にぐだぐだ文句をつけるほどのことでもない。


「じゃあ、トロ、二つ目」

「なんだ? 奏」

「わたしにりょうりをおしえて」


 えぇ~………俺はもうあんだけ料理上手かったら十分だと思うんだけど。

 何でも言うこと聞くと言った手前、そんな事は言えないけど。


「良いけど………俺より奏の方が料理上手いと思うぞ?」

「かまわぬよ。トロみたいなふつうの人のよくたべるりょうりがしりたいから」

「普通、って、そゆこと。オッケー、任せとけ」


 奏みたいなお金持ちの家の子供って、幼い頃から色々制限されてそうだもんな。

 ここは一つ、俺が一肌脱いでやりますかね。

 ………本当に俺が教えられる範囲はほぼないと思うけどな!


「だけど、料理はまた今度な。今日はちょっと予定があるから」

「そうなの? わかった。あしたおしえてね」

「おう、すまんな」

「ううん、きにしないで。わたしも学校いかなきゃだし」

「そうか、頑張ってな」

「ん。行ってきます」


 奏が朝食を食べ終わってから、家を出て、昨日実験した山へ向かう。

 行ってきます、ってことは………帰ってきてもいいってことなのだろうか、俺の考えすぎか?




 道中、昨日知り合ったビズへメッセージを送った。

 山の中腹でビズと合流して、実験を行う。

 今日は、感情の変化と妖術の発動についてを調べたいと思う。

 ビズに事情を説明して、手伝ってもらえないか聞いた所。


「オウ! 任しとケ!」


 と快く了承してくれた。

 本当にありがたい。

 俺の周りに優しい人が多くて良かった。

 色々とやってみた所、テンションの上下にあわせて、周りの気温が若干上下するらしい事が分かった。

 とはいえあくまで若干、意識的に制御は可能な範囲なので支障をきたすことはなさそうだ。

 と、その時、樹上から俺達を見ている気配に気付いた。

 気配のした方に振り向くと、山伏のような、あるいは巫女のような服に身を包み、カラスのような黒い翼を背中に付けて、片手に青々しいヤツデの葉を持った奴の姿があった。

 そいつは仮面に隠された顔の裏でにやりとした笑みを浮かべて。


「お~? アタシの存在に気付いたのか? コイツ、なかなか筋が良いね~」


 と、確かに俺を見ながらそう言った。

 ………どうでもいいけどその位置取りだとアレが見えそうなのでやめた方がいいとは思う。

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