其の二 俺、現状を確認する。

 水面に映る白九尾が俺だと認められないので、自分で自分の体をぺたぺたと触って確認してみると、指の先に、犬を触ったときのような毛並みの感触があった。

 これではまるで、自分が二足歩行の狐のようではないか。

 念のため後ろに手を回すと、きちんと尻尾が九本あるのが確認できた。


 …………どういうこと?

 ………ドウイウコト?

 ……どゆこと?

 …ドユコト?


 まあ待て。一度この状況になった経緯を整理してみよう。

 まず、俺は寝不足によって事故死し、天界的な場所で女神のイザナミさんに会って、そこで親しくなったんだった。

 次に、いくつかの選択肢の中からこの世界を選んで、この世界に転生したと。

 で、情報収集の為に道行く人に話掛けると、なんか様子がおかしかったから、一度自分の姿を確認しようとして、この池に来て水面に映る白九尾に驚いている。


 ………ごめん。さっぱりわからん。


 そういえば、と、イザナミさんに付けてもらったオプションを思い出す。

 目を閉じて、集中し、頭の中に今伝えたい事を思い浮かべる。


 《あの? イザナミさーん? 時雨新でございまーす?》


 最後だけ、あの有名な巻き貝の名前をした主婦の自己紹介を意識していた自分に、「あれ、俺案外余裕あるな?」と驚く。

 さほど間を開けずに、返事が返ってくる。

 ………にしてもイザナミさん返信早くないか?確かに既読スルーは死刑にした方が良いと思うが。


 《はい、何でしょうか?》


 何でしょうか? じゃないが、この野郎が!

 と言いたいのをすんでのところで堪えて、再び集中する。


 《あの、この世界って、俺が前生きてた世界と変わんないんじゃ無かったんですか?》

 《そうですよ? 実際に今あなたが見ている景色は生前のものと殆ど遜色ないでしょう?》

 《いや! 景色がどうこうじゃなくて! 設定とかの話をしているんですけど!》

 《? あくまでも私は、〈殆ど〉変わらないと言ったではないですか?》


 絶句である。

 てっきり、前生きてた世界に戻れたのと同じことだとばかり思っていたのに、似ているようで、まったく似ていない世界に来てしまうとは。

 だがまあしかし、いつまでも落ち込んでいても何にもならないしな。この状況を楽しむ方向にシフトしてみよう。


 《あの、もしかして怒ってますか?》


 と、イザナミさんがおずおずと聞いてきた。

 別にイザナミさんに非がある訳ではないし、もとより怒っていた訳でもないので、そう伝える事にする。


 《いえ、別に怒ってはないです。少し混乱してただけで》

 《そうですか。では、引き続き頑張って下さい》


 そう言って、イザナミさんとの会話が終了した。

 ふむ。ちょっと考えて思ったことがある。


 一つ目、世界がこんな感じだということは、おそらく俺以外にも何人か………何体か………何人かで良いか。何人か妖怪がいると言うことではなかろうか?

 二つ目、今の俺は綺麗な一文無しだ。早く仕事なり住処なり見つけなければならないのだろう。

 ………勘弁してくれよ………俺は面接やらが超苦手なんだよ………二年の冬にやった高校受験対策のときは、本当に心臓が遠距離ミサイルのように吹き飛ぶかと思ったよ………

 気を取り直して三つ目、さっき感じた違和感の正体だが、どうやらいつもよりも、和服を着た人が多いことだった。

 とりあえず、この世界について知らないとまずいという事だけは言えそうだ。

 と、その時。


「ヨォ、兄ちゃん。何か困ってんのカイ?」


 !? 

 唐突に水面に映った顔のない男。

 俺は思わず前につんのめって、思いっきり池に飛び込んだ。



「わぁーるかったヨ、兄ちゃんがそんな驚くと思って無かったんだヨ」


 俺の後ろで、さっき声を掛けてきた妖怪がしきりに喋っている。

 でも、口が無いのにどうやって喋っているのだろうか。

 こいつはどうやら、所謂<のっぺら坊>のようだ。

 パーツのまったく無い顔とつながった胴に着ている、オレンジに青色のやたらと派手な甚平の袖の先や裾には、隠しきれない筋肉が見え隠れしている。

 おまけに、俺よりも頭一つ高い長身で、まさしく屈強な大男といった感じだ。ちなみに足元には下駄。

 何にせよ、これが俺の初めての妖怪との出会いになった。


「別に怒ってねぇよ。悪気があった訳じゃ無さそうだしな」

「オォ………兄ちゃん優しいナ! オレ兄ちゃん気に入ったゼ!」


 悪い奴では無さそうだが………少々うっとうしい。

 分かりやすく言うと、元ヤンの子供好きのオッサンみたいな感じか。いや実際に会った事は無いけれど。

 嘘を吐く性格には見えないし、こいつに色々聞いてみるか。


「あの、ちょっと聞きたい事があるんだが」

「オォ! 何でも聞いてくんナ! ………っと、その前に、自己紹介がまだだったよナ。オレは<のっぺら坊>のビズって者ダ。兄ちゃんハ?」


 あれ?これって時雨新って名乗ってもいいのか? いや、違う名前を名乗った方が良さそうだな。

 ん~、『時雨新』で、何か新しい名前を......いや、この際、今までの名前はある程度忘れて、新しい人生、いや妖怪生を歩もうじゃないか。

 と、思ったところで、唸る俺の身じろぎで、足元にあった小石がコロンと転がり水面に波を立てた。

 小石がコロンと......コロンと...コロンとコロンとロンとロンと......

 閃いた。


「トロン!」

「オォゥ!? 兄ちゃん、いきなりどうしたってんだイ?」

「あぁ、名前だよ、名前。俺は<白九尾>のトロンだ!」


 これから結構長い付き合いになる名前を、こんなに簡単に決めても良かったのだろうか、とも思ったが、勢いで決まってしまった。

 時間をかけてもいいものが出来上がるわけではないし、自分でも悪くない名前だと思うので、これから変えたいと思うことは無いと思うが。


「よし、じゃあビズ、さっそく聞いてもいいか?」

「オウ! 任しとケ!」


 それからおよそ体感時間にして約一時間、俺はずっとビズの話を聞いていた。




 ビズの話をまとめると、この世界では、基本は妖怪も人と同じ扱いを受けるらしい。

 もっとも、妖怪に対する法律はいくつかあるみたいで、その中の一つに、『妖怪と人間との関わりに関する法律』なるものがあるようだ。

 この法律の一部に、『人間の子供は、基本的に中学校卒業のタイミングで、一体の妖怪と契約を結ぶべきである』というものがあるらしい。

 もっとも、『契約』なんて大げさに言ってはいるが、ビズに言わせれば『お友達契約』をするようなものらしい。

 人間側から契約を解約は出来ないが、妖怪からはいつでも解約できるそうだ。


 ………ただし、妖怪は一人ひとりに『妖力』なるものを保持しており、契約を結んでいなければ、妖力の容量が減って行くため、安易に契約を解約する妖怪は滅多にいないらしい。

 勿論生きていく分には契約せずとも問題はないが、妖力を多く保つにはほぼ必須と言って差し支えない、とのことだ。


 さらに、妖怪はそれぞれの種族ごとに『妖術』を持っており、契約した相手が指示を飛ばしたり、或いは妖怪の独力だったりで妖術を競う、〈妖技場〉なる場所が存在するらしい。

 ちなみに、妖怪同士だと、一度会ったら念じるだけでコミュニケーションが出来るようにする事が出来る。これを『結』と言うのだそうだ。

 つまり、人と妖怪の関わり方としては、『友達』であり、『駒』でもある、みたいな感じか。


 そして、俺はまず、自分の妖術をきちんと把握したうえで、誰かと契約をしなければならないと言うことか。

 ………こういう特殊能力はちょっとテンション上がる………!


 ビズの妖術は、のっぺら坊の能力を強化したような感じらしく、表情だけでなく『任意のものの感情のコントロール』らしい。

 同じ妖怪でも個体差があるようで、表情だけや、自分の感情のみをコントロールできる奴も居るらしい。

 魔物なんかは居ないとの事なので、そんなに攻撃的な妖術でなくとも別に問題はないのだろう。

 逆に攻撃的な妖術を持つ者もいるらしいが、街中で妖術を使うのは基本禁止されているから別段被害はないらしい。


 自分の妖術を把握するため、俺はとりあえず、ビズと結んでから人気のなさそうな裏山に向かい、軽く準備運動をする。

 しっかり体を動かして、新しい体に早く慣れなければ。

 と言っても、生前の身長、体重などとあまり変わらないので、それほど時間はかからないと思うが。


 ………白九尾の出来る事って何だろうか。

 特に根拠はないが、俺の中では白九尾の出来ることと言えば、『氷結』のイメージがあったので、氷を生み出すイメージで集中する。

 ………失敗だ、何も起きない。

 イメージが曖昧なのが原因なのだろうか。

 では理論的に、自分の周りの分子の動きを制限するイメージではどうだろう。

 うーむ、これは成功か? 俯いて集中していたからかも知れないが、足元の草が凍りついている。

 そのまま視線をスライドすると、視線の先の草が凍りついて行く。

 おお、すると、俺の妖術は、『任意の分子の動きの制限』となるのか、結構便利そうだ。

 テンションが上がって小躍りしていると、周りの気温が上がっている事に気付いた。


 ………まさか………


 流石にそれは無いかも、でももし出来たらと思いつつ、今度は分子の動きを活発にさせるイメージで集中してみると。

  ………成功したようで、周囲の気温が上がった。

 すげぇ、すげぇよ。まさか温度を自由自在に変えられるとは。

 この様子では、俺の妖術は、『任意の分子の動きの変化』になるな。

 いや、二度あることは三度ある、とも言うし、もう一つくらい何か出来ることはないだろうか。

 ………じゃあ、こういうのはどうだろう。




 約二時間、空がオレンジに染まるまで実験した結果、結構色んなことが出来る事が分かった。

 最初に実験したように、気温を変えられるのは分かったが、どのくらい変えられるかと言うと、だいたい100℃から0℃までだと分かった。

 実験を重ねる度に、少しずつ上限下限の範囲が広くなったので、これからも練習して行こうと思う。

 また、気温を上げ、上昇気流と下降気流を作る事により、小規模ではあるが、低気圧と高気圧を生み出す事ができる。

 つまり、風を吹かせる事ができる。これは操作が難しく、まだまだ慣れなければならないが、上達すれば、自分を浮かせる程の強風を吹かせる事が出来ると踏んでいる。

 というかそもそも、慣れたら分子がどうの、とかいう過程を飛ばして、直接風が起こせるようになったり火を灯せるようになったりするんじゃないか、とビズが言っていた。

 曰く、「妖術ッテのは出来ると思ったら案外出来るもんだゼ」とのことだった。


 さて。

 俺は実験の結果に満足して、帰ろうとしたが、よく考えたら今は自宅が無い事に気付き、当ても無くふらふらと街を歩いた。

 一応前の世界で自宅があった場所に向かってみたものの、全く違う建物が立っていた。

 家の近くのスーパーは元の世界そのままだったことから、この世界は一部が元の世界と同じ、くらいの認識でいた方がよさそうだ。

 元から存在しない土地勘が要求されずに済んでよかった、と言うべきなのかは分からないけれど。



 そうしてふらふらと当てもなく、金もなく彷徨う俺の視界に留まった、ある公園。

 ビズとも連絡が取れないし頼りに出来る相手もいない、いっそ公園で野宿でもしてやろうかと思い、自転車除けを越えて中へ入った。

 公園は前の世界で見た記憶とあまり変わらないが、そんな古ぼけた思い出を刷新するのに十分なほど鮮やかで力強く、それでいて儚い存在が、そこには居た。

 ふと見回していた目に留まったブランコに、高校生らしき制服を着た少女が、一人座っていたのだ………

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