第32話 21歳のバレンタインデー
親元を離れ、優と友里が同棲をはじめてしばらく。
短大を卒業し、ふたりで暮らすマンションの自室で洋裁店を開いて半年の友里は、優からの要望で、朝からチョコレートケーキを焼いている。
(パウンドケーキは得意なんだけど、やっぱお砂糖が少ないと膨らまないな)
高校2年生でお付き合いを始めてから5回目のバレンタインデー。
これで4度目のチョコレートケーキだ。
(優ちゃんは甘いもの苦手なのに、これだけは優ちゃんから、作ってって言うのよね)
友里は、焼きあがったチョコレートケーキに溶かしたチョコレートをかけ、粗熱を取ってから、冷蔵庫へ入れた。そもそものレシピは優から教わった。
自分用の甘いクリームの用意は済んでいる。優が帰宅次第、楽しいバレンタインデーの夜を迎える予定。
ピンポン。
チャイムの音に気付いて、応答をする。昨夜、親友の高岡朱織より、荷物が届く連絡を受けていたため、すぐにマンションの置き配ボックスの前に駆けていった。
段ボールの中に、高岡や高校時代の友人の柏崎ヒナからバレンタインデーの贈り物が入っていた。他にも、数個の荷物を持って、部屋へ戻る。友里も先日、高岡に注文を受けていた新しいジャケットと共に、高岡が気に入っているキノコシリーズの刺繍入りハンカチをおくったところだ。
時間を見ると16時。高岡が学校から帰宅しているか怪しい所だったのでメッセージを送ると、折り返し、高岡から通話が入った。
『友里。届いた?』
「うん!ありがとう~!綺麗なボールペン!」
『気に入ると思って。バラの香りがするそうなのよ』
「えー、そんな高貴なものを……!」
『ふふ、大事にしてよね、開業祝よ』
「はあい!」
開業祝と言って何度もスーツを頼んだり様々な贈り物をしてくれる親友に対し申し訳ないようなくすぐったい気持ちになりつつ、愛を甘んじて受けている友里は、しばらくボールペンを眺めた後、匂いを嗅いでみた。
『あ、今、はしたないことしてるわね』
「優ちゃんみたいなこという~」
友里と高岡はくすくすと笑いあった。友里からの贈り物にもお礼を聞いて、しばし近況を伝え合う。高岡は次の授業の支度をしている様子が垣間見えた。美術系の大学に通っている。
『友里は今日は駒井優のためのチョコづくり?』
「あたり!あのね、普段の優ちゃんって、友里ちゃんの好きにしていいよって言うのに、チョコケーキだけは、作ってって言うから、気合いれてたの」
蕩けるような声で言う友里に、高岡はふうとため息を吐く。
『それは独占欲ね』
「え」
『作ってる間もわたしのことを考えててほしいってやつじゃない」
「!」
『定番にして思い出作りよ。たとえお別れしても、友里がチョコレートケーキを作るたびに、ふたりのバレンタインデーを思い出すくらいにね』
こっわ、と、高岡はスマートフォンの向こうで震えるように言った。
「別れないよ!?」
『友里との時間を、何十年単位で拘束する気よ』
「ユウチャンカワイイ♡♡♡」
しかし友里が身もだえするように言うと、呆れたように「友里がいいならいいけど」とため息交じりに言った。
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「ただいま」
21時を過ぎる帰宅が続いていた優だったが、今日は一生懸命に帰宅を急いでくれたようで、18時過ぎの早い帰宅に友里も嬉しさから優に抱き着いた。
お風呂に入った後、お夕飯をふたりで作り始めた。
「チョコレートが余って、せっかくだからソースにしたの」
鳥をパリパリに焼いたものに、コンソメ味のチョコレートソースをかける友里は、かなり料理の腕前があがっている。
「美味しそう」
「優ちゃんのミモザサラダ、スキ」
「美味しいよね、ドレッシングはどうする?」
「んと、ナッツのがいい!」
「うん、わかった」
ふたりで夕食をゆっくりと囲んでも、まだ20時前。いよいよチョコレートケーキの出番だ。優が好む紅茶を煎れ、自分用の甘いクリームを用意する友里は、ふわふわと気持ちが弾み、初めて告白するような気持ちになっていた。
「優ちゃんどうぞ!今年も大好きだよ」
そう言いながら優の前に差し出すと、ケーキを見つめた後、友里に向きなおる。伸ばし始めた髪がサラリとなびいて、友里は、その笑顔に何度目かの恋に落ちた。
「ありがとう、わたしからも」そう言って、青い光沢の緑色のリボンで包まれた、白いブリキ缶を友里に手渡す。
「これからも、仲良くしてね。愛してる」
「わー……っ」
友里は優のあいしてるの言葉になかなか慣れない。真っ赤になる頬をおさえて、プレゼントを受け取った。中には、個包装になっているバラ色の正方形のチョコレートがたくさん入っていた。
「たくさん」
「お仕事で来た人にくばってもいいし……」
「え!全部自分で食べるよ!?」
「そうなの?」
「優ちゃんの愛だもん!」
「そう考えると重すぎるね……ありがと、でも無理しないで」
今月は友人の尾花製薬関係からの紹介で、入学式用の誂えが多く、お客様の大半である奥様達に人気が出そうなチョコレートだった。
「確かに、帰り際にお渡しするの、良さそう」
「変な気のまわし方して、ごめん」
「ううんうれしい!!ありがとう!!」
対面の席に座っていた友里だが、はにかむ優の隣にトコトコと歩いていく。
そんな友里の腰に、優が椅子に座ったまま抱き着く。そして口づけをすると、お互いにはにかんだ。
「優ちゃんは毎年色々考えてくれてるのに、いつも一緒で本当に良いの?」
「作るの大変?」
優が、甘えた声で友里に抱き着きながら問いかけた。
「ううん、素人の手作りケーキで申し訳ないだけっ」
「じゃあ、ずっと作ってほしい」
「ずっと?甘いもの苦手なのに?」
キョトンと友里が言う。どうせならば、高岡やほかの友人のように、洋裁のプレゼントに変更するという手もある。愛を伝えるためにチョコレートを送るのは限られた国だけだ。
「もちろん、忙しい年は良いけど」
「あ」
優の照れた様子に、友里は自分の察しの悪さを憂いた。
日本では、大事な相手にチョコレートを贈る。そして特別な相手には手作りで、気持ちを贈ろうなんて、キャッチコピーが町中に溢れかえる。ただ、優が友里からの愛を特別だと感じたいだけだと気付いて、胸がぎゅうっと締め付けられるような気持ちになった。
「ず~~っと優ちゃんが大本命だよ!」
「っ……っ」
友里は嬉しそうに優に抱き着き、小鳥のようなキスを優の頬に降らせる。優は、甘えてねだった自分に今更羞恥を覚え、居心地が悪そうな顔で赤くなった。
「お茶が冷めちゃう、優ちゃん、ケーキ食べよ!今年はね、クリームチーズを入れてみたんだよ~」
友里がパッと優から離れる。優は、物足りない気持ちで友里を抱いたまま、「楽しみ」と呟いた。
「優ちゃん」
「ね、食べさせて」
「にゃ~どしたの、甘えんぼ優ちゃんかわいい!」
友里は一応照れたような仕草をしたが、優の膝に乗せられると、嬉しそうに浮かれた様子でフォークを手にした。友里は優にかいがいしく尽くすことが好きだ。優が照れて、それを拒むことの方が多いのに、どんな風の吹き回しだろうと友里は心の中で想ったが、それを伝えると「やっぱりはずかしい」とそっぽを向かれる気がしたので、グッと黙った。20歳を過ぎて、黙ることを覚えたのだ。
「あーん」と声に出すと、桜色の唇をそっと広げて、優が友里のケーキを食む。年々増す色気のようなものを感じて、友里は(むらっとする)と思った。
「おいしい?」
「ん」
「良かったぁ、今年は、クリームチーズを入れてみたんだよ」
同じ言葉を重ねる。緊張していたのかもしれない。
「道理でコクがある」
「優ちゃんが好きなら、来年もこれにしよっ」
「うん、一年に一回なのが、残念なくらい、美味しいよ」
友里は照れたように、自分も一口食べてみた。可もなく不可もなく……という様子で、甘いクリームをつける。
「優ちゃんはお世辞が上手ね」
「本当に美味しいよ!クリームチーズはもちろん、カカオもこだわってるのがわかるし。それに、友里ちゃんと一緒なだけで、毎日、ずっと幸せだから」
「んむう~~美味しいって気持ちで言ってほしいから、つぎはがんばる!それに!それはわたしの台詞なんだから!」
プンプンと怒ったふりをする友里に、優がくすくすと笑いながら、友里を抱きしめた。口づけを交わすと、チョコレートの味がして、優はうっとりと友里を見つめた。
「媚薬だったのも、わかる気がする」
「ん?」
「今のチョコレートは、カカオ成分がとっても薄いけど、昔はここまで薄くなくて、食べると胸がドキドキするから、媚薬として用いられていたんだって」
「そうなんだあ……わたしは、優ちゃんといるだけでいつも、どきどきしてるけど」
「そんなの、わたしのほうが」
いってから、優は(なにを張り合っているのか)と少し冷静になって、友里を見つめた。くすくすと微笑む友里が、少しだけ大人っぽく見える。
「ね、わたしがチョコレートケーキを作るのは優ちゃんにだけ」
「……っ」
「って言ったら嬉しかったりするのかな」
「……う、嬉しいけど、急にどうしたの。そんなことできるの?」
「できるんじゃないかな」
自分が言い出さない限り、なにかを作る機会があるとは、友里には思えなかった。
「わたしの作る甘くないチョコレートケーキは優ちゃんだけのもの」
「嬉しいな」
「もしも、お別れすることになっても、覚えててね」
うっとりとまどろんでいるところに冷水をかけられたような気分になり、優は「!!!な、なに!?なんの話!?!?」とうろたえたが、抱きしめている友里を落とさなかったのは、手離したくない現れだ。
「今日ね、高岡ちゃんにね、わたしがチョコレートケーキを作るたびにふたりのバレンタインを思い出すために作らせてるって言われたの」
「高岡ちゃんめ」
(まだ別れさせようとしているのか)ゆだんもすきもないと優は思った。
「もしも遠く離れても、覚えててね優ちゃん」
「そんな予定があるの?」
「ないよ!優ちゃんの傍を離れる気は、わたしにはないよ」
友里の手をぎゅっと握って、抱きしめると、友里もスリスリと身を寄せる。この時間が、とても好きだ。
「わたしにもない。冗談でも、いわないで」
「はあい」
「確かにこのチョコレートケーキが定番になってほしいとは思っていた。さっき、友里ちゃんが言ってたように、ふたりの好みに合わせて構築していきたいだけなんだ」
「ん」
「思い出を毎日重ねるような関係でいたいから」
「うん」
「昨日よりも、今日のほうが好きだって、伝えたいから」
「ん……っ」
友里の頬や首筋に、優は言葉と一緒に淡く口づけを繰り返す。
「大好き」
「優ちゃん、その辺で……っ」
かああああっと真っ赤になった友里は優の膝の上でもじもじと悶えた。
「ごめん、試すみたいな発言だった、優ちゃん」
「ううん、そんなこと……」
優は言いかけて、ううんと悩んで「やっぱり試すみたいな言葉だったかも」と言った。
「うう、ごめんなさい」
「ううん、違うんだ。言われないと、自分の本心をいわないわたしがわるい」
「優ちゃん?」
「友里ちゃんが忙しいことはわかってるのに、わたしのためになにかしてくれるのが好きなんだ。わがままでごめんね」
「それってわがままかなぁ?」
「わがままでしょ……。だって既製品でももらえるだけ嬉しいことなのに」
「そう?手作りしてって言われる方が嬉しいんだけどな」
「そういう友里ちゃんに、つけいってる」
「つけ……」
「甘えてるんだ」
「甘えてよ~~~!!!!」
地の底からのような声で叫ばれて、優は面食らった。
「甘えて欲し~~、カワイイ!!優ちゃん大好き。なにもしないでって言われる方が寂しい!!」
「え……!」
「わかった?」
「う、うん!」
圧倒されたまま、優は納得させられた。
「いっぱいおねがいして!」
「どんなことでもいいの?」
膝に座っていただけの友里だったが、ハッとすると、しばらく悶々と悩むような顔をした。そして、意を決したように優の太ももを跨いで、対面に座ると、優の首に手を回し、優を抱きしめ、首筋に顔をうずめる。
「どんなことでも、いいよ」
少しだけ含みのある声で、優の耳元に呟く。子どもの頃なら、なんの意図もなくそんな言葉を言って優を惑わせていた友里だが、意味を含んでいて、優はドキンとした。
「友里ちゃん、それって」
ドキドキと優の心臓が音を立てる。(なにをされても良いという意味なのか)と、優はうろたえた。
「……うう、恥ずかしい」
しかし、言ってから、友里が真っ赤になって、へこたれている様子に、優は笑ってしまう。
「あー、優ちゃん、笑った」
「だって」
「私の方が社会人なんだからね、大学生の優ちゃんより、お姉さんなんだから、少しはセクシーにならなきゃなんだから!」
「わかった、わかったから」
「わかってないよ!先にセクシーになっちゃって」
「ええ?そんなふうにみえる?一緒に、そういうのも身につけて行こうよ」
「んむう」
納得していないような顔の友里に、とりあえずの予約のような口づけを交わして、友里がお風呂へ入る準備をした。
「そういえば、ヒナちゃんもプレゼントくれたんだった。なになに」
優も、届いた段ボールをちらりと見た。
「ヒナちゃんのお姉さんのキヨカさんと連盟だよ~。『優さんと仲良くね、きっと気に入ると思います♡』だって」
友里のスマートフォンが、何通も音を立てる。なんだろうと優は気になったが、見ることは無い。しかしさすがにブーブーと通話の連絡まで始まると、友里に渡すために手に取った。
『友里!ごめん!!!贈り物、まだあけてないよね?!姉のジョークがブラックすぎるよ~~!~!まって、開けないで~~!!!!』
柏崎ヒナからの悲痛なメッセージが、通知画面に踊る。
「友里ちゃん、ごめん通知を見てしまった」
友里のスマホを持って戻ってきた優は、友里がスケスケのレースを手に持っていたことにギョっとした。
「どっちが前だろ?」
──それはまるでセクシーな……。
セクシーランジェリーを抱えた友里は、優をじっと見つめ、少し赤い顔で自身の胸に洋服の上から当てて見せた。
「つけてみる?」
優は、真っ赤な顔で、なにも言えず、固まった。
毎年新鮮な驚きと、喜びを感じ合うふたりだったが、今年のバレンタインデーの夜も、忘れられない日になった。
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