第31話 智宏と芙美花~出会い編~
「日野芙美花さん、妹さんは素晴らしいのに、あなたときたら」
新任の社会科の先生は、いつも一学年下の妹、茉莉花を引き合いに出して、そういった。全部が白いセーラー服だったんだけど、それも私の学年で終わりで、茉莉花は人気ブランドの黒いブレザーにチェックのリボンをつけて、文武両道を地で行くような子だから、あっという間に学園の王子様のようになっていた。
(先生まで味方につけて)
高校2年生の私にとっては、先に入学しているのに、目の上のたんこぶみたいなものだった。
「ひどい、おねえちゃん」
都合の悪い時だけ妹ぶるのも、良くない。かわいいけれど、その気質は治ることはないみたい。普段は芙美花ってよびすてにしているくせに。
当時の私には、なにもなかった。ただの高校生で、将来は薬学部に入りたいけど、まだB判定。目標は立派だけど、やり方を知らなかった。茉莉花はとっくに、海外で外科医になるんだって決めてた。先生が私へのお小言中に聞く事ではないとは思ったけど、あの子なら、そのぐらい出来るでしょうって普通に思ったりして。あの子だって高校生なんだから、まだまだ不安もいっぱいあったでしょうに。
当時の茉莉花は日に焼けてて、襟足を刈り上げた、今でいうツーブロックって髪型をしてたの。廊下であうと、白い歯を見せて駆け寄ってきた。
183cmの高身長は、160cmそこそこの私のとって、圧迫される高さ。
茉莉花は、中学まで海外で暮らしていた。
5歳ぐらいかな、その辺りで親が離婚して、茉莉花は母についてフランスへ、私は父と日本に残り、私が中2の時に、仲直り再婚。また一緒に日本で暮らすことになった。
そのせいだと本人は言い張るのだけど、本人の気質ね。すぐに抱き着いて、頬にキスをする。優も嫌っているけど当時は私にだけするものだから、親衛隊の人たちに「お姉さまでなかったら、どうなってたかわかりません」なんて宣言されたものよ。でもね、茉莉花の親衛隊なんて、時折落ちてくる、ツユクサの雫ぐらいのものだった。
私の隣の席に、空席ができたその日、
クラスのざわめきがすごすぎて、誇張じゃなく窓が揺れたわ。田舎の進学校に、この顔よ。ジャガイモ畑の胡蝶蘭よ。黒目勝ちの瞳は、キリリと麗しく、スッと光がさすように入った鼻のラインは高く、彫が深い。淡い桜色の唇、どこか愁いのある仕草で、額の中央で綺麗に別れた短い黒髪がサラリとなびく。新1年生はブレザーだけれど、2.3年生は真っ黒い学ランで、のり弁とタワーマンションを比較しているみたいだった。スラリと長い手足に黒い学生服がとても似合っていて、黒の光沢が違うように思えた。
あれって結局生地が違ったんでしたっけ?頷くところを見ると、そうみたい。
そうそう、誰かが悲鳴を上げて倒れた。未だに信じられないのだけど、美しいからって、昏倒したの。そんなの、テレビの中だけだと思っていた。辺りが騒然となる中、駒井くんは倒れた彼女を抱きかかえると、「保健室はどこですか」と問いかけた。まるで映画のワンシーンのようで、先生や、クラスの男子全員の心臓に矢が討たれたのを見たわ。感嘆のため息をついて、誰も駒井くんに返事しなかった。
「芙美花さんには、刺さらなかったけど」
智宏さんは、そういうけど、あとでちゃんと恋の矢は刺さるので安心して。数日の誤差よ。
さて話の続きね。私は、級長をしてたから、とりあえず立ち上がって、私が案内すると、駒井くんがゆっくり後ろをついてくるものだから、重いのかなって手伝おうとしたら、「いえ、ゆれると悪いので」とか言うから、紳士なのねと感心したものよ。
クラスの女子を保健室へ預け、教室へ戻る道すがら、私は彼に問いかけた。
「こういうの、よくあるの?」
「……どういう?」
声が、低音で響く。世界的なバリトンを初めて聞いた時のように体の芯がざわついた。髪がサラサラとなびいて、黒目勝ちの瞳が、野生の小鹿みたいっておもった。こんなの野に放ってていいのかしら?って。親鹿のいない小鹿なんて、心配しかない。
駒井くんは、少し戸惑って、「こんな時期に転校してきたから」とかのんきなことを言ってたけど、野生に放たれた小鹿はこんなものかもしれないと思った。
田舎だけど、結構な進学校なので、途中入学は大変だというのに、聞けば、都内の有名私立高校に通っていたという。実家は病院。彼は御曹司だ。
「そんな、大したものではないよ、僕は、兄のスペアなので」
言ってから駒井くんはハッとして、白い肌を紅潮させて、長い指先で唇をおさえた。なにその仕草、かわいい。
──後々判明するんだけど、智宏さんはお義父様と毎年遊びにいってるアメリカに住んでるお母さまの子で、お兄様の浩嗣さんが、お義父様とお義母さまの間に生まれた子。お義母さまは智宏さんの優秀さを認めていたけど、あくまでも浩嗣さんのスペアというスタンスを崩さなくて、私との出会いを良しと思って下さらなかった。
まあ、私も彼女と張り合ったおかげで医学部に入れたし、良かったんだけど。
あとで茉莉花が、アメリカの家を気にいって、おかげであちらに入り浸るようになるんだけど、その話はまた今度ね。
続きを話すわ。
「初対面なのに、こんなこと言ってごめんね。なんだか、日野さんは話しやすくて。女の子と、こんなに長い会話したの初めてだ」
「あっはは、まあそうでしょうね!」
私にとっては、きれいだとは思うけど、緊張して倒れるほどではなかった……というと、語弊がありそうね。駒井くんは大変麗しいし、顔というか、全部が美しすぎるということは、わかる。あとで彼は彼で苛烈な部分があることを知るけど、この時はすごく大人しそうなのに、この外見だなんて、大変だなと思って、心配しちゃっていた。はかなげで、消えそうな、……そう、樹齢何百年の桜の木みたいで、圧倒はされるけど、単純にはしゃぐわけにもいかないような、保護の気持ちになってた。
きっとこの時の駒井くんは人生を色々諦めていたんだろうな。
なにももってない私と、持つことをあきらめた駒井くんって感じで、丁度波長が合ったのかもしれない。
転校以来、駒井くんは、あっという間に人気者になったんだけど、私に懐いて、色々なものを持つことをあきらめない華やかな茉莉花もいたでしょ。さっき言った親衛隊が、黙ってなかったの。校内で美しさを二分するふたりを抱える私は、鬱積した感情のるつぼに晒されることになった。
放課後、そんな鬱積した感情を煮詰めて、蟲毒にしたような団体に呼びだされた。
2人の、目立つタイプの女生徒が表立って話してて、あとの10人、え、智宏さん、なに?「15人いた」?ほんとに?まあその子たちは後ろで頷く感じの囲みだった。
そう、30年前はそういう雰囲気がまだあったのよねえ、今の子はわりと尊重し合うイメージだけど、30年前は和からはみ出すような真似をする人を、許さないような重苦しい空気があったわ。男女ともに。
まさに般若のような表情の女生徒に囲まれた私は、かごめかごめの中央にいる感じで、校舎の壁へ追い詰められた。
「茉莉花さんは、妹さんだから、貴女に懐くのも分かる。けれど駒井くんはゆるせない」というような言葉を、手を変え品を変え、私が「狸顔のブス」という言葉を添えながら、まるでわんこそばのように次々と……頭の中で、ワンコガールズたちが、お蕎麦という名の罵詈雑言を私の中に渡しているかのようだったわ。罵詈雑言って、おなかにたまるのよ。
「単純に、迷惑」
言い返したのは、その一言だけ。でもその一言が、彼女たちの怒りをMAXにした。それはそうよね、親密になりたい相手の愛を、迷惑だなんて。今ならわかるんだけど。私って、人の心の機微に疎い所があるのよ。うっかりしていたら、頬をしたたかに打たれた。初めて顔を殴られて、目の前がチカチカしたわ。それから、おなかを蹴られて、ちょっとしんどくなって丸くなった。
「やめろ」
声の方向に向くと、駒井くんがいた。美形の人が怒ると、青白い光が周りに見えるよう。
私の白い制服はボロボロになってしまっていた。余談だけど、確か買い直したのよ。新規制服になったおかげで、もう昔の型はないって言われて、駒井くんのご両親のつてをたどって洋裁店で作ったのよね。痛い出費だった。
そんなわけで、色々はだけていたせいで、駒井くんは、学ランを脱いで私に羽織らせてくれた。華奢に見えていたけれど、その制服はぶかぶかで、私の前に立つ背中は、大きくて、でも襟足の髪がサラサラしていて、綺麗だなと思って、そこではじめて、今まで感じたことない不思議な気持ちになった。多分ここで、恋の矢が刺さった。
囲みの彼女たちは大失敗ね、こんな暴力事件がなければ、駒井くんを好きになってなかったかもしれない。
「え!?」
「お父さんは、少し黙ってて、お母さん、続きは?」
はいはい。えーと、そうそう、駒井くん、すごくかっこよかったのよ。
「日野さんに、どんな落ち度があったというんだ」
駒井くんの質問に、女の子達は涙目。可哀想に、きっと一度もお話したこともなかったのに、初手から大嫌いという顔で怒鳴られたら、泣きもする。
私は、今にも殴りそうな駒井くんの背中に抱き着いて止めた。
「駒井くん、違う。彼女たちは、君が好きすぎて、暴走しただけ」
「僕が好きな相手を攻撃するような人間に、好かれても嬉しくない」
駒井くんの大きな背中をしゃがんだまま、見上げた。太陽光に照らされて、なにも見えなかったけれど、守られているんだと思って、心臓がドキドキと音を立てた。
「日野さんは、僕の大事な人だ。これ以上手を出したら、許さない」
「いやあああ!!」
女の子達は、泣きながらダッシュで逃げて行ってしまった。私も逃げたかった。なに言ってるんだこの人って思った。
「あの」と声をかけると、まだ怒ったように眉間にしわが寄ったまま、しゃがんで目線を合わせてくれた。多分、怖がらせてはいけないと思ったのよね。そして私に学ランを綺麗に着せて、前を止めて、髪についた草や、ごみを丁寧に取り除いてくれた。
「……僕のようなものからの、好意は迷惑かもしれないが、覚えていてくれたら嬉しい。僕は、日野さんが好きだ。だから、危ない時は僕を呼んで」
「う、うん」
この時の駒井くんには、実は婚約者がいて、自分の人生を選べないと決まっていたから、それは決死の告白だったのだけど、私は単純に、友人として駒井くんが私を助けてくれたと思ってすごく軽く頷いたのよね。でも駒井くんにとっては、人生をかけた戦いが始まった瞬間だった。眩しい笑顔が精悍にかがやいてたわ。
「でも駒井君のせいでこうなっているんだから、あまり孤高にならないで、誰とでも仲良くしてほしい!」
そんな感じにお願いして、駒井くんはそれから、友人を作ることに奔走するんだけど、なかなかうまくいかないのよね。結局茉莉花に協力してもらって、ある程度三人でいるのが普通ってなったら、親衛隊の皆さんも私を含んでくれたりして和解にむかったわ。
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「その後、智宏さんの兄のスペアって本当の意味を知って、この人を守らなきゃって思う事件があって、智宏さんの愛の告白が、本物だったことを知って、お付き合いが始まったのだけど、兄の浩嗣さんが、好きな人と逃げちゃって、智宏さんが病院を継ぐことになって、私は義母とバトル後、一度身を引くことになって……智宏さんから喫茶店でプロポーズされて、その辺りから、やり方を覚えて戦う術を得るようになっていったのよね」
ふんふんと興奮気味に聞いていた荒井友里は、きゃああっと手のひらを芙美花の方へ向けた。
「お義母さん、急いで言い過ぎです!」
「ええ」
「出会い編、お付き合い編、お別れ編!再度プロポーズ編で聞き分けたいので!!」
「そうなの?友里ちゃんってば面白いわね」
紅茶を煎れ直して、優が友里のとなりに座った。
「父は転校生だったんだ」
「そう、シティボーイだったのよ、お父さん。懐かれちゃって」
「芙美花さん、本当に凛々しかったんだよ、凛とした竜胆の花のようで、一目ぼれしたんだ」
父の智宏に、優が軽く頷く。
「一目ぼれって、どうしようもないよね、お父さんだって、ふたを開けたらまさかこんな魔女とは思わなかったでしょ」
優が言うと、芙美花が「あら」とまんざらでもない顔をした。
「茉莉花さんの影に隠れて自分の才能に気付いてなかった時も、もっと素敵な人だって気付いた時も、ただ好きになる起爆剤にしかならなかったな」
「恥ずかしいな、父は……」
少しバカにしたような優の声に、父がコホンと咳ばらいをする。
「でも芙美花さんはいろいろ省いて、私ばかり褒めているけど、彼女だってすごかったんだよ、進学校で級長を務めて、その采配は他校にも知れ渡るほどの……!」
ちらりと智宏を見る芙美花の瞳が輝いた気がして、智宏はだまった。
「なあに、優は。友里ちゃんに一目ぼれしたこと、言ったの?」
話をそらすように、芙美花が優をからかうように言う。優は慌てるが、友里がうんうんと首を縦に頷く。
「聞きました!うそみたい!まさか4歳からとか!!」
「友里ちゃん!」
「一目ぼれは、やっかいだよねえ」
キチンとやり返された優に、同じく弱い智宏が相槌を打つ。
「別にわたしは、友里ちゃんとの出会いを後悔してないけど」
「私だって、芙美花さんと出会ったことを後悔なんてしてないよ。優みたいなすてきな子にも出会えたしね」
パチンとウインクをする父に、優は「ふうん」と言った。
友里はそんな優を見て、にこにことする。少し投げやりに優と父が会話をする様子が、好きだ。
夕食のあと、団欒をしていた四人だ。
やさしい時間が、そこには流れていた。
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お風呂へ入り、ふたりの部屋へ戻ってきた優と友里は、結婚祝いに貰ったお揃いのパジャマを着て、ベッドへ入った。
「ねえ優ちゃんも、わたしにウィンクして!」
「こう?」
「キャ~~カワイイ!!!」
ものすごいファンサを受けて、寝ころんだまま友里が喜んで手を叩いた。
「どうして、親の出会いを聞きたがるの」
さすがに、実の親の惚気話は、居心地が悪いような気持ちになると優は友里の髪を撫でながら問いかけた。
「だって、優ちゃんがこの世に生まれてきたことを、全部祝福したいし」
二人が出会わなければ、優は生まれていない。友里とも出会っていない。そして、今のこの瞬間もなかった。優をだいすきだからこそ、芙美花と智宏の出会いを、聞きたいと力説する友里の言葉を、優は火照るような気持ちで聞いた。友里の手をそっと握る。
「友里ちゃんの未来に、あったかもしれない、素敵なであいを、わたしのために無くしていたら、ごめんね」
「ん?」
「……子ども」
「優ちゃんの子どもならわたし、すっごく逢ってみたい!」
「……わたしも友里ちゃんの子ども、きっと大好きになるよ」
「でもね、芙美花さんが言ってたよ。出会いは、どんなことがあっても、決まってるんだって」
「ん」
「きっとわたしは、どんな運命をたどっても、優ちゃんと生きてく決意をするの」
「……そうかな、このめぐり逢いは、奇跡だと思うんだけど」
「ふふ」
「友里ちゃんは、わたしがいなければ……きっとすてきな人と……」
「うふふ」
「もう、どうして笑うの」
「だって、すごく愛されてるなぁと思って」
「ええ……今の話のどこで」
「わたしにはいっぱい可能性があるって信じてくれてて、可愛いなと思って。優ちゃん、大好き」
笑顔の友里が、胸に抱き着いてきて、優は、ぐうと黙り込んだ。無言で友里を抱きすくめる。友里のぬくもりが、愛おしくなり、ぎゅうと抱くと、友里は優の胸の中でキャッキャと笑った。
「愛してるよ」
「わたしも愛してる」
緩やかな口づけをかわして、すべての出会いに感謝をした。
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