第33話 休日

 休日。

 高校を卒業して専門学生になった友里は、刺繍針を生地に刺しながら、横目で新刊の新書を真剣に読んでいる大学生の優を見る。海外のモノだ。大判のそれは原書で、友里にはさっぱり、どこを読んでいるかすらわからない。

 友里は、刺繍の道具をローテーブルの上に置き、針をきちんとしまう。テーブルは二重になっていて、引き出しの中に刺繍道具をしまい込んだ。大学生の優はこれから長い夏休みに入り、専門学生の友里は短い夏休みを、ほとんど学校の課題作成で消える。ふたりがお互いにまったりできる休日は、本当に少ししかない。


 友里は真剣な表情の優の、長い脚に手を添え、するりと頬を優の輪郭に沿わせた。名前を呼ぶが、生返事の優。パチパチと瞬きをしてサラサラの頬をまつげでくすぐる。それでも優は、本から目をそらさない。


 すっかり恋人としての仕草が慣れたのか、高校生で付き合いたての優ならば、すぐに友里を「はしたないよ」と言いながらも赤い顔で抱きしめてくれたものだが、お付き合いをはじめてもうすぐ二年、大学生になった優と二人暮らしを始めて半年、色々なことを経験して、友里の甘えやいたずらに免疫が付いたのだろうと友里は思った。


 友里は、産毛の見える距離で優を見つめる。内側から光っているような姿は、日々美しくなっているような気がする。(おいしそう)思わず、唇で食む。


 満足。


 友里はそう思い、すっかり手仕事へ、思考を戻した。


 逆に無理やりスイッチをいれられた優は、本を手放した。実に半年前から発売を大事に待っていた本だというのに、読めずにいた。まるで気まぐれな猫のように、柔らかな体をこすりつける恋人に、集中力などとっくに削がれていた。けれど、優がすぐに飛びつくと、友里はするりとかわす。そんな友里の好きに最後までさせてみたら、どうなるのだろうという好奇心に負けて、結果、すっかり友里だけに思考を奪われた。


 友里に目線をやる。食べられた頬を抑えると、まだ友里の余韻が残っていて、あたたかい。友里のノースリーブ姿を見つめた。肩が細くしなやかだ。友里の柔らかなポニーテールが、夏の装いに緩くかかり、友里が動くたびにひと房ゆれる。真剣に刺繍の図案を見つめる蜂蜜色の瞳が、ゆれる。心の底から楽しそうに何かを夢想している。マイタケの図案で、高岡ちゃんという友里の親友のためのハンカチだった。


 友里と高岡ちゃんに、優は少しだけ嫉妬を覚える。「駒井優の為の練習」だと高岡ちゃんは鼻で笑うが、そうとは見えない時もある。


(勝手なんだから)


 そう思いつつも、愛おしさがグンと胸に積もるのを感じた。友里が押した優のスイッチを友里自身はいつも気付かない。むしろ、友里自身は押すこと、それだけで大満足で、その後に何が起こるかは想像もしていないし、それ以上望んでいないことも、長年の付き合いでわかっていた。


(友里ちゃんのスイッチを、入れてみたい)


 優は長い指を友里の首筋に回した。

「ひゃ!」

 くすぐったがりの友里が首をすくめた。言いながら、図案を丁寧にテーブルに戻した。

「も~優ちゃん、びっくりする~!駄目よ!」

 注意されて、優は少し怯んだが、片づけてくれたので、そのまま後ろから抱きしめた。少しだけ考えて、首筋にキスをした。友里のスイッチは、場所が決まっていない。

「えへへ、さっきのおかえし?」

 嬉しそうに言う友里はまだ、余裕そうだ。くるりと、優は自分の胸に友里を抱きしめた。

「んむ」

 少しだけ上唇を舌でなぞると、友里はゾクンと跳ねあがった。(ここかな?)と思うが、「あ、ちょ、優ちゃん?」などと唇が離れるたびに弾んだ声で言う友里は、まだ余裕の様子で、優を見つめている。優はお構いなしに続けた。水気を含んだ音がし出し、友里も優の呼吸に合わせるように舌を移動している。

(まだ余裕がありそうかな)優は思ったが、友里がハアハアと息を荒げてきた様子に、心が満たされる気がした。

 見つめていると、とろんと蜂蜜色の瞳が潤んで蕩けた色合いになっている。大きな胸が荒い呼吸で上下して、ソファに体を預けてぐったりしている。

「スイッチ、入れたのは友里ちゃんでしょ」

「そう……っなの?だとしても、そのお返し、すごく多くない?」

「友里ちゃんのスイッチも、押せた?」

「おしたよ、もう、本を置いたあたりで、カチって言った!」

「うそ、余裕そうだったけど」

「そんなことないもん」

 優は、自分と比べてずいぶん深い部分へ探りを入れないと現れない友里のスイッチを押せたことに、満足を覚えた。

 が、(こんなことじゃなくて、友里ちゃんがうっとりするようなことをしてみたいのに)優は不甲斐なさを感じつつも、友里の柔らかくあまい唇をもう一度味わった。


 ひとしきりくちづけを交わし、優が起き上がろうとすると、友里が優の袖を引っ張った。

「もっと」

「……?なにを」

 優は、くちづけだけのつもりだったので、心の底から何も考えずに言葉を発してから、一気に真っ赤になった友里の頬にハッとした。

「い、いじわる」

(あ、これは)

 友里は時折、「優ちゃんって言葉攻めするよね!?」と訴える時がある。優がいわゆる性的な”いたずら”を知らないせいで、友里を困惑させているのだ。それを今回もしてしまったことに気付いた。


(その先を言わせようとしている、と思われた感じかな?)

 優は、いじわるをしているつもりもなかったが、友里が少し嬉しそうなので、それについて、いつも困惑する。先を、優もしたいが、まだお昼ご飯も前で、いくら休日とはいえ、そんな倒錯的な日になっていいのか悩む。しかし優は、友里と違って、スイッチを入れたことに自覚がある。責任をとる立場だ。ごくりと息をのむ。


「なにをしたいの?」

 問いかける。こういう言葉遊びでよいのか、友里の蜂蜜色の瞳を見つめた。ゆらりと友里の瞳に涙が溜まった気がしたが、性的な興奮を感じ取って、少し照れる。

 ハッとした友里が、もじもじと体をよじった。友里が「はしたないよね」と小さく汗をかきながら言葉を言い出すような、戸惑いの表情が、優は、友里に対して申し訳ないと思いつつ、好きだ。

(だっていつも、大胆なのに)

 優の頭の中に「優ちゃん、しよ~」と、服を脱ぎ出す友里のイメージが浮かぶ。

 優は庇護欲とも加虐心とも言いづらい、小さなふわふわの生き物に触れるような気持ちになる。


「あの……さっきの続きのね」

 何度もしているのに、まるで初めてのようなことを言い出す友里に、優も少しだけ恥ずかしくなってくる。

「えっちなこと、したい、し、してほしい」

 優をまっすぐ見つめて、真っ赤な顔で言う友里に、優はドクンと心臓が揺れた。

「うう、はずかしい」

 友里はぎゅうっと優にしがみ付いて悶える。

「友里ちゃん、ごめんね、言わせて」

 心臓がドキドキと音を立てていることを、友里に聞かれながら、優は謝った。

「ううん、すごいドキドキする。優ちゃんの言葉攻め、大好き」

「……もう」


 すぐにふざけたようなことを言う友里に、いっそ友里のほうが言葉攻めなのではと優は思った。

「友里ちゃんをうっとりさせたいのに」

「してるよ、毎日!」

「そうかなぁ」


 そして、お互いに思いやるように肌に触れた。


 ::::::::::::::::



 お風呂から上がった優は、布団へ舞い戻った友里に、お昼ご飯はどうするかと問いかけた。正午を二時間ばかりすぎた時計を見やって、友里は夕飯までに軽くなにかを摘まもうと提案し、冷蔵庫にあるものを想像しながら、スマートフォンを手にして、メニューを検索する。

 隣にコロンと転がった優が、友里の肩に頬を添える。

 合図のように、ちゅ、っと甘い軽いくちづけを交わして、優は友里の頬を撫でた。

「あ、そーだ、布も注文しなきゃだ」

 すぐに違うことをやりだす友里に、優は苦笑する。


「友里ちゃんの専門学校は、順調?」

「うん!お友達いっぱい出来た!!みんな同じように、高校ではお裁縫の友達いなくてさみしかったから、なんか……なんていうか……、なにかをやるぞ~って同士感がすごい!」

「そうなんだ、いい学校でよかったね」

 優は両手で綿のようななにかをもみもみするような仕草の友里にくすくすと笑った。

「文化祭で劇とかやって、ドレスとかとか、クラT縫いたかったよね!?とかで盛り上がった」

「ああ、でも、三年は執事喫茶したじゃない。友里ちゃん」

「優ちゃんと同じクラスには、なれなかったから。綺麗なお姫様に仕立て上げたかったなぁって」

「高校、同じ学校に通えたのは、すごく嬉しかったよ」

「恋人になれたもんね」

「うん」

 優がはにかむと、友里は「ユウチャンカワイイ!」と言いながら抱きしめてキスの雨を降らせた。

「専門学校では、そういうのやらないの?」

 優は友里を押しのけ、あからさまに話題をそらした。


「んとね、発表会がいっぱいあるよ。卒業までに、何度も自分のコンセプトを出し合ったり、企業向けに作ったり……それでね」


 友里が改まって、優に向き合う。

「わたし、2年かけて、取りくみたい目標があるの」

 優も、かしこまって、ただならぬ様子の友里を見つめた。

「ウエディングドレス7days」

「な……?」

「結婚式を挙げる日までってコンセプトで」

「?」

「下着から、ドレスを着てない日常、式を挙げる日にドレスを着るまでに羽織るものや、履物、そして、当日のドレス、お色直し、新婚旅行への旅立ち」

「うん……てっきり、7日毎日結婚式を挙げるのかと思った」

「え!それもいいね!?ドレスを7着、和装ドレスを7着、色ドレスを!!」

「落ち着いて、友里ちゃんの身が持たないよ!」

 コホンと浮かれた友里が現実問題に戻るための咳ばらいをする。

「その、新婦さん役を、優ちゃんにやってほしいの」

「……」

「わたし、この2年間はずっとこのコンセプトでいく。そして、卒業制作にウェディングドレスを制作します。もちろんスーツや、和装、コンセプトが決められている回も」

「同じテーマ…」

「そう、優ちゃんが、大事で、優ちゃんと一生一緒にいたい!ってテーマ」

 優は、友里を見つめて、少し照れた。

「でもちゃんと表では、「現代に生きる女性」って日常をコンセプトに、するヨ。結婚をしない人も多いって先生には言われたけど、わたしの目標が、優ちゃんのウェディングドレスをつくることだから、そこをターゲットに絞っていきたくて」

 友里の言葉に、優はコクンと首を縦に振る。

「もちろん、友里ちゃんのために協力する」

「わあ」

「わたしも、嬉しいし、そのドレスで本物の、式を、あげたい」

「!」

何度目かもわからないプロポーズに、毎回慣れない友里は頬を赤く染めた。

「だから、友里ちゃんの分も、作って」


「女性同士の、──わたしたちのウェディングってテーマに、してもいいの?」

 友里は、優を引っ張り出すのならば、自分たちの関係を内密にする気でいた。言及しなければ、コンセプトは勝手に、異性同士のものを想定されることだろう。


「だって、優ちゃんまで、変なこと言われない?高校の時は、みんなお祭りみたいにはしゃいでくれたけど……今は、どんな人がいるか、わかんないし」

「友里ちゃんが、いやでなければわたしは気にしない」

「いやじゃない!優ちゃんとのこと、誰にだってやましいと思わない。でも」

「でも?つらいなら、それは、わたしだけの願望になるから、無視してもいいよ」

 優の柔らかな声に、友里は、蜂蜜色の瞳をくるりと光らせた。

「……やだ。優ちゃんと結婚するのは、わたしだもん」

「うん」

「ほかのだれかなんて、想定したくないもん」

「そうだね」

「我がままじゃない……?」

「全然」


 ぎゅうと抱きしめ合って、友里は少し泣いた。優は、泣き顔よりも笑顔が見たくなって、友里の前髪を撫で、丸い頬を指先で柔らかく包んだ。

「かわいい」

「かわいいのは優ちゃん!」

「じゃあカワイイ同士だ」

「!」

 友里が、目を細めて泣きながらほほ笑む。友里は、口づけをしたいような顔で優に近づきながら、もごもごとした声で言った。

「でも、わたしのドレスは一着で良いな、うん」

「え!友里ちゃんのお色直し、すごく見たいけど」

「自分の考えるのはテンションあがらない」

「ええ……友里ちゃんはどうして自分にそんなに興味がないの?わたしへの諸々を少しは自分にむければいいのに」

「じゃあ、優ちゃん考えてみる?」

 友里の申し出に、優は驚く。素人の優にいうほど、本当に自分のことはどうでもいいのかと一瞬不安に思ったが、友里を美しく着飾る機会を得たことにハッとして、背筋を伸ばした。

「いいの!?」

「うん?そんなにうれしい?」

 友里は涙を拭って、微笑む。「優ちゃんが考えてくれたってなったらテンションあがるかも!!!」と満面の笑みになる。


「素人だよ、色々手直ししてよね?」

「うん、期待してる。だって指輪だって、いろーんな思い出を込めてくれたじゃない?きっと、思い出いっぱいのドレスになりそう」

「…」

「もう思いついた顔してる」

「うん、前に、結婚式ごっこした時の友里ちゃんを思い出してた」

 友里はシーツでくるんだ自分の姿を思い出した。


「!かわいい。あ、でも結構、背中出ちゃうね、刺繍で隠そうかな」

「友里ちゃんの背中、美しいけど……友里ちゃんが気になるなら、そうだね」

「もう~、すぐ照れるようなこと言う」


 友里の傷を気にする優に、友里はバシバシと優の背中に手を当てて照れ倒す。

「こんなふうに、おばあちゃんになっても、優ちゃんといっしょにいたいなぁ」

「いるよ」

「うふふ、優ちゃんってば断言しといて寂しそう。こんなに寂しがりな人、残して死ねないね」

「友里ちゃんはいつも、怖いことを言う。そういうの死亡フラグって言うんでしょう?やめよう」

「優ちゃんは大学に行って、スラングを覚えた!よくない!」

「はしたない?淑女じゃなくなるかな」

「わたしにとっては永遠に淑女だけども!」

「残念」


 友里の中の優のイメージを覆すことができず、優はくすくすと笑った。


「さて本当にお昼どうする?」

 ふたりでこのままお家デートをしたい気持ちになったので、デリバリーを頼むことにした。近所にサンドイッチ専門店があり、地元の田舎では、チェーン店以外のデリバリーなどありえないねなどと笑いあいながらそれらを頼み、ふたりの甘い休日は、まだ昼の15時を過ぎたところだ。





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