第23話 優の誕生日

 黒曜石の瞳を開くと、見知らぬ天井。

 間接照明が薄くついたままの天井を四角くなぞった後、目線を下に落とす。真白のシーツのクイーンベッド。柔らかな肢体を晒す恋人が、ぐっすりと眠っている。

 淡い色の髪を撫でる。

「んふ」

 眠っているというのに、荒井友里は、幸せそうに笑った。


 時計は、9月27日水曜日の朝、4時30分。


 ここは、駒井家の別荘。

 今日は平日で、このまま学校へ行かねばならないので、友里を堪能するのはひとまず我慢し、優はむくりと起き上がる。真新しいパジャマを丁寧に脱ぐと、きちんとしまい、朝の支度をした後、恋人を起こさないよう、細心の注意で、眠る前の約束通り彼女にゆっくりと制服を着せた。

 それから、夕べは沢山食べたので、朝はお味噌汁とおにぎりにした。それらを簡易的に、お弁当として詰める。

 支度を終えた頃、兄が迎えに来た。

 友里はまだ眠っていて、優がそっと、宝物のように抱きかかえて車に移す。

 車の振動に気付いた友里が、ぼんやりと目を覚ました。「友里ちゃんおはよう」の声に、「おあお」とねぼけた声をだしながら、優に手をのばすと、すりすりと抱き着き、当たり前のようにちゅっと頬にキスをした。

「優ちゃん、お誕生日おめでとう」

「うん、ありがと」

 うとうとともう一度眠りにつきながら、優の笑顔にうっとりと見惚れた。

「誕生日休暇取る?」

「ないよ」ご機嫌な優が答える。

 友里はそんな兄妹の会話を聞きながら、ハッとして叫んだ。

「ここどこ!?」


「俺の車の中だよ~」

 優の兄、彗が運転しながら、明るい声で言った。

「きゃ~!」

 また彗に恥ずかしい所を見られたことに気付いた友里は、顔を真っ赤にしてうずくまった。制服を着ている自分や、それを楽しそうに見ている優にひとしきり驚いて、「昨夜のことはみんな夢!?」と叫ぶと、優がニコリとほほ笑んだ。



 ::::::::::::::


 9月26日火曜日。夕暮れ。優は、シンと静まり返った自宅で、明かりをつけ、上着を脱いで、掃除をしようと浴槽に向かうと、しっかりとお湯が張られていた。新品のような真っ白いタオル、それから、白いドレスが飾られている。

 まるでホラー小説の始まりのようだ。誰もいない豪邸に入り込んだ主人公が、今の今まで、誰かがいたような形跡に怯えながら進んでいく……。

 いつもなら、おばけの嫌いな優は不穏に思う所だが、思わずくすりと笑う。


(友里ちゃんの気配がすごい)


 どこまでもポジティブな恋人のことを思い出し、苦笑しながら、きっと明日の、自分の誕生日にあわせた恋人の計画だろうと思った。サプライズは嫌いだが、少しずつ慣れている自分にも驚いている。

(多分友里ちゃんが、毎回とても素敵に驚かせてくれるから)

 恋人をもう一度好きになるような気持ちで、身を清めた後、ドレスに袖を通した。今年のドレスは半透明の長袖の袖が付いたプリンセスライン。いわゆるシンデレラドレスだった。

(相変わらずすごい刺繍だな……)

 手触りを楽しみながら、優は苦手な鏡を見た。男性のような容姿をしていると自分では思っているので、首から上が、白いドレスと不釣り合いに感じるが、その製作者はきっと手放しで「かわいい」というのだろう。


 浴槽から出て、暗い廊下を歩く。

「ビビデバビデブウ」

 どこからか、魔法使いの呪文が聞こえた。廊下の明かりが、ひとつずつちいさくともると、ぱあっと一気に明るくなった。目が慣れず、優は慌てて瞳を閉じたが、そろそろと瞳を開く。目の前に恋人の友里が、銀色のパンツスーツに身を包んで、にこりとほほ笑んだ。

「なんてすてきな方だ!ぜひ、わたしと踊ってください!」

 あくまで王子を演じている友里に、優はきょろきょろと周りを見回す。まだ18時前後だというのに、多分両親が、居間に待っていて、そこで舞踏会のような催し物が用意されているのだろう。コンセプトは、ドレスの通り、シンデレラの舞踏会だ。


 つまり0時までと決めてのことなのだろう。優が受験だからと夜は必ず、優がひとりになる時間を作っている。

 優は友里の気配を感じたほうが捗ると散々伝えているというのに、友里が秘密主義だからか、ひとりで作業をする方が捗るに決まっていると決めつけてくるのだ。優は、友里の意思を尊重してはいるが、少し、さみしい。


 平日の誕生日パーティとしての苦肉の策だったのかもしれない。優は友里がすっかりイベント好きな駒井家に染まってしまったことに噴きだしそうになりつつ、カーテシーをした。

「駒井優と申します」

「わたしは、荒井友里です!わーいすてき!!きれい~~!!!」


 演技が外れ、感情を漏れ出して拍手をする友里に、優は苦笑する。


「あのね、わたしも着飾ったほうが喜ぶんじゃないかって言われて、ちょっとだけ頑張ってみたの」

「友里ちゃん、スーツ素敵だね、とってもカッコいいよ」

「でへへ!ああ、しまった!つづけるね!今日はね、わたしの結婚相手をさがしている舞踏会なの!優ちゃん、是非参加してくれると嬉しいな」

 顔を真っ赤にしながら、友里が脚本へ戻った。優も、アドリブ即興の芝居にのる。

「ぜひ参加したいです」

(いやと言われても)優は薄く微笑んだ。

「やった!」

 友里が手を差し伸べた。その小さな手に、優の長い指を添える。友里がぎゅっと握り、居間のドアを開くと、薔薇が敷き詰められた階段に、沢山のリボンが飾られていた。そこに、駆け寄るふたりの影。

「姫、是非わたしとおどってください!」

「友里姫、わたしと!」

 優の兄二人が、大きな声で友里にダンスを申し出た。父の病院に勤める彗はともかく、別の病院に勤務している長兄の晴がいて、優は目を丸めた。

「晴兄、仕事は!?」

 優の質問には答えず、友里だけ見つめる晴と彗。小芝居だ。優は、自分の誕生日の余興をしてくれているとはいえ、家族の小芝居を、冷めた目で見る。

「踊ってきてもいいよ、友里ちゃん、でも、かならずわたしのところに戻って来て」

「え!だめ。今日は優ちゃんと離れないんだからね?!」

 友里が慌てて優にしがみ付くと、「ああ!なんという麗しい愛だ!」

「誰にもかなわないというのか!」と兄が続けた。


「みんなもありがとう、普通にもどって。どこの王子様の設定?なんか古くない?」

「なんだよ優、遊んでくれよ」

 長兄が普段の声色に戻ってそういうので、優は「わかったわかった」と縦に頷いた。

「王子さま、わたしを選んでくれてとても嬉しいです」優は友里に微笑みかけた。友里はせっかく優が演技をしたというのに「きゃ~ユウチャンカワイイ♡」と優に抱き着いた。


 まるでヴァンパイアのような漆黒のスーツに身を包んだ優の母と父が出てきた。魔女と王様のコスプレだろうか?グダグダになっている子どもたちをみかねたようだ。

「0時になったら魔法が溶けて、友里ちゃんが作ったパジャマが用意されてたのに」

「優は普通の女の子に戻って、そこで友里ちゃんが熱烈なプロポーズをするという計画だぞ」


「ああ!なんで言っちゃうんですか~!」

 友里が慌てて二人の元へ駆け寄った。魔女の芙美花が、友里の肩をそっと撫で、言い聞かせるように話し出す。


「友里ちゃん、たぶん計画が破綻してたわ。優がノッてくれるという不確定な希望に寄り添うのはダメだったわね。来年はきちんと、計画をしましょう」

 友里がスポーツドラマの生徒のように、「はい!」という。魔女の弟子計画が進んでそうで優はどきりとした。「でもドレスと廊下の明かりがつくのは綺麗だったよ」と計画の良い所を言った。すると友里が、満面の笑みで喜んだので、破綻させてしまった計画の補填ができたようで、少しホッとした。


「あれはね、去年の優ちゃんとの別荘での色々が綺麗だったから!」

「!」

 言われて、優はドキリとして友里を見た。まだお付き合いしていない時期に事故とはいえ、唇が当たってしまったことまで、両親に言っていないかと、心臓が震えた。


「さあ、じゃあパーティを始めましょう!」

 優の気持ちなどお構いなしに、わあっと音楽が鳴り、パーティーが始まった。甘いものが苦手な優の為のケーキや、チキン、パテにグラタン、華やかなメニューが並び、シャンパンが振舞われ、思い思いのダンスをした。

 優は友里と楽しく話をしていて、気付いていなかったが魔法使いの芙美花が、杖を振るい、居間の明かりがすべて消えた。

「きゃっ」

 友里も忘れていて、小さな悲鳴を上げた。

「優、おいで」

 母親の声に、優は、友里から離された。


「優ちゃん!?」

 暗闇に友里の声が響く。

「え?!やだヤダ、優ちゃんどこ~」

 友里の声を聴きながら、優は居間から出て、廊下にいた。


「さあ、シンデレラよくおきき。王子はね、産んでくれたおかげで優ちゃんと出会たから、みんなでお祝いをしたいって言ってくれたの」

「健気で、お父さんはとても泣けた。でも恋人になって初めての誕生日だというのに、家族との誕生日会で本当に良いのか?」

「シンデレラの王子だって、シンデレラと話したくてバルコニーでふたりっきりになるのにさ」と彗


「この魔法はとけないんだから、王子を奪え、姫」と晴。


 家族につぎつぎに言われ、優は目を丸めた。


 パッと明かりがついた。不安そうな友里と、優の目が合う。優の名前を叫んだ友里がガバッと優の胸に飛び込んだ。


「さあ、姫、カボチャの馬車へ」

「え!?」

 とまどうふたりごと、家族全員で彗の車に押し込み、そして、ふたりは別荘へ連れていかれ、そこでふたりきりのバースデーパーティの用意がなされていた。


 ::::::::::


「……友里ちゃん、聞いてた?」

 ふたりきりになってから、優が友里に問う。友里も驚き、ふるふると首を横に振る。

「どうしよう、優ちゃん」

「ふたりきりにしてくれたけど明日学校。朝早く起きるようだよ、友里ちゃん……」

「どうしよう」

「ほんとうちの家族は、舵を切る方向がとんでもない。朝、友里ちゃんは眠ってていいからね。制服に着替えさせて、彗兄の車にのせるから」

 友里が、その言葉に、ぷうっと噴き出した。そんな、ずぼら人間の友里が一度ならず空想したことの夢のような朝を、優がこともなげに言い出したことも、0時には就寝し、優の体調や勉強に都合いいように計画したはずの日に、こんな夜更かしを保護者から許された状況にも楽しくなってしまい、アハハとおなかをかかえて笑った。


「優ちゃんのお勉強のために、0時までって決めたのに、も~優ちゃんって家族にすっごく信頼されてるんだね」

「そうみたい」

「ふふ」

「でもね、友里ちゃんを感じていたいって、毎晩思ってたんだ」

「え」


 家族は、優が素直になるために、この場を用意してくれたのかもしれない。優はそう思った。

「……ほんの少しでいいから、夜の時間を、わたしに」

「……」

「本当にやることがあって、忙しい時はいいんだよ、でも友里ちゃんが、我慢してわたしと離れてるなら、その時の気持ちの、倍は、わたしが寂しい時だって思ってほしいな」

「そんな!きっとわたしのほうが、優ちゃんにふれたいっておもってるもん!」

「それはないね、友里ちゃんは結構クールだもの。やらないと決めたら、それに未練がない人だよ」

「!」

 断言する優に、友里は「むう」っと腹を立てたような顔をしたが、きっと、(断言する優ちゃんかわいい!)と脳内で言っているだろうと思い、優は友里をじっと見た。

「断言するユウチャンカワイイ」

 小さな声でやはりそういうので、優は笑ってしまう。

 友里が、きょろきょろと辺りを見回す。誰に見られているわけでもないのに、友里は恐る恐る、優に近づいた。

「ぎゅっとしてもいい?」

 問われた優はコクンと頷く。

 わーいと胸に抱き着いて、優と友里はしばし、別荘の白いソファの上で抱きしめ合った。静かな空間、ふたりきりの夜。あと数時間で、優も友里を追って18歳になる。


 ふたりがあまりに動かないので、人感センサーが働き、間接照明になった。暗く、穏やかな光に包まれる。


 友里が、優のドレスの背中のチャックに手をかけた。優はドキッとして、友里をうっとりと見つめた。ドキドキと心臓が高鳴る。期待した瞳を向けてしまう。友里の蜂蜜色の瞳が、きらりと光った。

「あのね!今年はパジャマたくさん作ったの。パジャマパーティしよ」

 満面の笑みで友里がバンザイと手を上げ、持ってきた荷物の中から美しく梱包された箱を取り出す。部屋の明かりが全開についた。

 赤い顔の優が、友里の眼前に晒される。友里は、ハッとして、その顔に見惚れた。プレゼントの箱を、そっと脇に置き、そろそろと優の元へ戻る。

「優ちゃん、エッチな想像した?」

「だって、……!脱がし始めたでしょう?」

「そういうことを先に、してもいいよ♡」

「もう、友里ちゃん!」

 照れたように友里を見て、見つめる。優の友里からキスをしてほしいという気持ちは、まだ友里に届いていなかった。友里から、誕生日プレゼントを受け取り、中から紺色のパジャマが出てきた。お揃いだと友里が微笑み、ふたりで着てみることにした。


 ついでに友里はお風呂に入ると言い出し、優も友里に引っ張られ、ふたりでひとしきり浴槽ではしゃいだ後、紺色の真新しいパジャマに袖を通した。


 友里はぽつりと話す。

「わたし、優ちゃんがわたしを必要としてるんだなあって瞬間が、好き」

「瞬間なんて、寂しいこと言わないで。友里ちゃんが思ってるよりずっと友里ちゃんを好きだよ」

「わたしのほうが優ちゃんを好きだもん」

「それはぜったいない」

 ツンとして優が言うと、友里は満面の笑みで優を見つめた。

「お誕生日様に免じて、わたしの負けでいいよ」

 うふうふと笑いながら言うので、優は拗ねたふりをして、「絶対思ってなさそう」と唇をとがらせて、言った。友里はそんな優に背中から抱き着いた。

「優ちゃん、怒っちゃった?どうしたらゆるしてくれる?」

 すり寄る友里に、優は(わたしを甘やかしたいときの声だ)と思った。そしてそんな友里に、優はきちんと演技がかった声色で、全力で甘える。

「──これからも毎年、祝ってくれたら」


「優ちゃんは欲がないんだから。そんな簡単な事でいいの?」

 きょとんと友里が言った。

「わたしは、よくばりだよ」

 今度こそという気持ちを込めて、じっと優は友里を見つめた。

「友里ちゃんの全部が欲しいって、いってるんだから」

 友里は優の首筋に、チュッと音を立ててキスをした。

「……!」

「だからそれが欲がないって言ってるの」

 友里が優の合図をようやくうけとり、唇を重ねる。優の全部は友里のもので、優も友里のものだとわかるような口づけをした。


 そしてふたりは、朝まで優の誕生日を祝った。


 ::::::::::::::::


 優の兄の車の中で、経緯を思い出し、友里は頬を赤く染めた友里は、「楽しかった?」と彗に問われ、こくこくと首を縦に振ってお礼を言った。


「いーのいーの、今日が駒井家の本番だからね」

「ん?」

 優が不穏そうに声を上げた。

「姫の18歳の誕生日、コンセプトは眠れる森の美女」

「なんですか、彗さん!それ!!」

 友里がランランと目を輝かせて問いかける。

「18歳は一回しかないからね、ま、楽しみにしてて」

「なにを考えてるんだ、いったい」


 17歳の時も当日は友里と過ごしたが、「17歳は一回しかないからね!」と言っては、誕生日が過ぎてから何度も盛大なパーティーを行った家族に、優は友里に感じるドキドキとは別の鼓動がした。


「さあ学校に着くぞ!まずは学業な!しっかりお勉強しておいで!いってらっしゃい!」

 校門で下ろされ、優はもしかして、ここ数日家族たちは、優の誕生日のために仕事を休んでいるのでは!?と思って、イヤな汗をかいた。


「楽しみだねえ、優ちゃん!ほんとにおめでと」

 生まれたことを祝われることは本当にありがたいが、行く末を思って少しだけ頭が痛い気がした。しかし、恋人の満面の笑みを見つめ、優は笑顔で頷く。多分家族たちは、そんな友里の楽しそうな様子を、優に見せてこその誕生日だと思っているのだろう。

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