第24話 ポッキーゲーム

 駒井優は学食でA定食を頼む。タンパク質と野菜が多めで、煮物も甘ったるくなく、甘辛しょっぱいがそろった和定食で、お魚が日替わり。そのうえぴったり500kcalなので重宝していた。

 いつものように食券とA定食を交換すると、学食のおばさまがなにかの取引のように、赤い箱のお菓子をスっと追加してきた。無言のままの彼女を優は見やったが、サムズアップで微笑まれたので、お礼を言って有難く受け取った。

 学食の席を見渡すと、優だけ特別なのではなく、他の子達にも配られているようだ。優は、中学からの友人、小峰さやか、剣持繭、竜ケ崎和美に引っ張られるように、席へ着いた。彼女たちも優を囲むように座った。

 彼女たちは、お菓子を貰っていないようだ。

「貰わなかったの?」

 優が問うと、「かわいい」と突然叫ばれた。まるで幼馴染で恋人の友里のようだと思い、(ここに友里ちゃんがいたらきっと「ユウチャンカワイイ同盟に入る!?」と喜んだだろうな)と優はふんわりと思った。友里は毎日お弁当を持参しているため、ここにはいない。


「駒井くん、今日は、ポッキープリッツの日だよ」

「11月11日」

(犬の日じゃないのか)と犬好きの優はチラリと思った。犬の日は11月1日だ。


「ポッキーを端から咥えて、キス寸前まで食べすすめて、離したほうが負けってゲームが有名なんだよ~」

 のんびりとした口調で繭がいう。

「え」

(それは口づけをするようなものじゃないのか)優は怪訝な顔で、言葉を脳内で反芻した。これは負けることが前提のゲームだと気付いて、優は話の輪に戻る。


「駒井くんが持ってるから、みんなソワソワ見てるよ」

「食堂のおばちゃん、マジで罪なことするよね」

 優は、3人に向きなおり、問いかける。

「待って、どういうこと」

「だからぁ、そのお菓子を貰った子は、ポッキーゲームを誰かとすることが出来るってこと」

(しまった、説明を受けてもまったく意味が分からない)

 優は困った顔で、3人を見つめた。

「ほら見て」と右側を指さす友人に、優は素直に従った。ポッキーを持った男子生徒が、同じく男子生徒とお菓子の両端を咥え、今にも口づけをしそうな距離まで近づいては、片方が悔しそうに立ち上がり、くるんと一回転して「負けたー!」と叫んでいる。次々と勝ち上がっていく男子生徒を、優はぼんやり見た。あの、箱をもつ者として優が選ばれたということなのだろう。

「……!」

 優は思わず怪訝な顔でため息をつきそうになるも、唇をそっと指先で押さえるだけにとどまった。

「憂い顔も素敵」

「ど~する、駒井くん、しちゃう??」

「うちらとやったら、周りもわたしも!ってきそう」


 いたずらの様に微笑まれて、優はそのまま額をおさえた。「しないからね」というと、「知ってる!」と彼女たちが笑うので、敵わないなと思った。

 言葉には出さず、友人の一人である剣持が小さなノートに虹色のペンで書いたあと、スッと優の前に差し出した。

 そこには、こう、記されている『愛しの彼女と』


「!」

 思わず優は目を丸めて、友人を見た。

 それに、竜ケ崎が追加して、「今日のおやつってことで、出せばノってきそう」と書かれた。さらに小峰が「荒井、好きそう、イベント」と書いた。

 竜ケ崎が、「荒井」の部分を慌てて手で隠した。

「名前だすなよ!」

「だって、好きそうすぎて~!!」

 3人は、優が幼馴染の荒井友里と、長年の片思いを経て付き合っていることを知ってから、ニコニコと優をからかうことが増えた。


「好きそう、わかる~~!」

 全員が声を出して、キャッキャと笑う。

 優は慣れたもので、定食を食べすすめることにした。遊びの輪に入るような性格ではなかった。

「そういえば、駒井くん」

 3人に顔をじっと見つめられて、優は、魚の骨を取る手を止めた。紙に、サラサラとなにかを書き込むので、そちらを見る。


『キスってしたの?』


 優はグッと息を飲み込んだ。

 友里が、3人に問われても、清い関係であると伝えていると聞いていた優が、首を横に振った。とっくに済ませているのに、なぜかうぶな反応をしてしまって、優は長年鍛えているはずのポーカフェイスが崩れ、頬が、赤く染まっていくのを感じた。

「きゃああ!」

 悲鳴が上がって、ちらちらと様子をうかがっていた周囲の学生たちがハッとしてそちらを見る。3人の女生徒は、優を可愛い可愛いと撫でまわして、優が困惑している様子があったので、少しだけ嫉妬の様相に変わった。


「ごはん、冷めちゃうよ」

 照れた優が言うと、3人は「はーい」と良い子の返事をして、ご飯を食べ始めた。


 :::::::::::::


 放課後、友里がアルバイト先に行く電車がでるまでの15分、という名目を利用して初めた「放課後15分」の逢瀬は、友里がアルバイトを縮小した後も「優が学校生活の思い出として」友里と空き教室で過ごしたいと恋人としてのお願いにしている。優は、いつものように空き教室で、友里の到着を待った。

 カバンの中に入ったままの赤い箱のお菓子を取り出し、はあと小さくため息をついた。

 11月の16時は、仄かに暗くなり始めていて、冬の訪れを強く感じさせる。校庭の木も色づいていて、美しいが、風は冷たい。付き合って、ちょうど1年ということもあって、毎日がお祭り騒ぎの友里を想い出す。


(こんなの見られたら──友里ちゃんはきっと、すごくはしゃぐんだろうな)


 恋人の性格がわかっている優は、グッと息をのむ。誰かにあげてしまえばよかったのに、周囲からの圧のようなものを強く感じて、カバンに押し込めただけだった。


(友里ちゃんが来る前に、しまわなければ)

 強いオーラを帯びているような箱を見つめて思い悩んでいた優は、ハッとして顔を上げた。すでに好奇心いっぱいに、蜂蜜色の瞳を輝させた友里がそこにいて、表情を変えずにスッとカバンにしまおうとしたが、間に合わなかった。


「ポッキーゲームだ!!」


 先に言われ、優は赤い顔で唇を手の甲で抑えた。「違う」と言いかけるが、内容を知ってしまっている手前、ちがうとも言い切れず、戸惑う。

「ちがうの?」と、友里が、子どものような声で優に問いかけてくる。


「おやつだよ、学食で、もらったの」

 優はひとつも嘘をついていないというのに、嘘をついているような声で言ってしまい、友里の顔が見れなかった。

 その優の様子を見て、友里が真顔になった。

「優ちゃんが、こういうの知ってるのめずらしいね」

 俗っぽい遊びは、いつも友里が優に教えている。そういう細かな遊びを知らない優を友里は「淑女だから」と説明を付けてくれるところもある。


「ああ、友達が教えてくれたの」

「まさか、して、ないよ、ね?」

「するわけないじゃない」

「よかったあ」

 えへへと笑って、不安げな表情のまま友里が、はにかむので、友里の教室まで学食での大騒ぎが伝わったのかもしれないと、優は思った。「学食でポッキーゲームの主催者に選ばれ、ワイワイしていた」とだけ聞くと、したと誤解されても仕方がない。しかし未開封のそれを見て、友里も気づいたのだろう。余計な詮索をして嫉妬をしたよと伝えることで、優を不安がらせるかもしれないと、本人は思ったのかもしれない。

(友里ちゃんが、嫉妬するのは本当は見てみたい、けど)

 欲張りな願望を想って、しかし本当に嫉妬されたらたまったものではない、優はそんな願望は遠くに投げ捨てる。


「してみたい?」

「!」

 優が問うと、友里がすこし照れてから、こくこくと縦に頷いた。

「優ちゃんの学校生活の思い出として、ここでしたいけど」

「!覚えてたの?」

「それはそうだよ、だってそんなお願い、可愛すぎるでしょ」


 友里が柔らかく微笑む。

 優は、それではと箱を開けようとしたが、ぴたりと止めた。「?」と瞳だけで友里が、優を見つめた。


「やっぱり、お家に帰ったらでイイ?」

 優が小さな声で友里に言った。

「もしもキスしたくなったら、困るから」

 優の消え入るような声に、友里はハッとして、辺りを見回した。いくらお付き合いしていることが広まっているとはいえ、今日は誰もかれもが通るような空き教室で、オープンにそう言ったことをする人は、ふたりの高校では珍しかった。そこに性別の差もなく、そのあたりの倫理感は同じだ。


 友里のアルバイトもなく、優の予備校もない日なので、すっくと立ちあがると、友里が「すぐ帰ろう!これはこれで思い出!」というので優は苦笑した。


 :::::::::::::::::


 駒井家にたどり着くと、まだ誰も帰宅していなかった。手洗いうがい後、優と友里の部屋へ行くと、友里は緊張した面持ちで、ソファに腰かけた。


「え~~っと、ネットで調べよっか」


 スマートフォンを取り出すと、やり方を検索しだすので、優は笑ってしまう。絶対に友里は知っているだろうに、緊張しているのかもしれない。

「そんなにかしこまるものなの?」

「えー、だって、やったことないもん」

 友里もしたことがないと聞き、優はなぜかホッとした。


「小峰さんたちにね、キスが出来るねっていわれちゃった」

「え」


 優の友人たちの名前が出て、友里は優を見つめた。まだ、ふたりがキスもしていないと思い込んでいる人たちに、今日、キスをしますと言ってしまったようなもので、友里は真っ赤になっていく。

「明日、聞かれるやつ?」

「そうかも」

「ええ!!どうしよう」

 友里が、先ほどまでのうかれ具合とは打って変わって、慌てだすので、優は友里をなだめる。


「じゃあ、普通にキスしよ♡」

「……!?!」


 友里にそう言われ、優は友里が、なにを考えているのかわからないままま、ソファのクッションの上に押し倒され、ちゅっとキスをされた。

「これなら、ポッキーゲームした?って聞かれたら、してないっていえるもんね」

「なる、ほど?」

 優は、唇に……全身に、友里の柔らかな感触を感じて、クラクラとしているせいか友里のトンデモ理論が一理あるような気がしてくる。天井が近いような気がした。


「だって、キスをする日だもん」

「そういう日だっけ……?」

「そうだよ♡」

 優は、浮かれ気味の恋人を、愛おしい気持ちで見つめた。(かわいい)と思う。


「じゃあ~、やろうか!ゲーム!優ちゃん、はい」

「え」

 (してないと嘘をつかないために、くちづけをしたんじゃないの?)と優が戸惑っているうちに、友里が優の唇に細いチョコプレッツェルを押し込んだ。チョコ側を優に味あわせる気遣いなのか、たまたまなのか、友里の考えはわかりかねた。


 パクリと友里が端を咥える。

 サクサクサクサクと食べすすめるので、優も合わせて食べすすめるべきだと思い、唇を少しだけ動かしたが、友里が勢いあまって優まで一瞬でたどり着きそうだと思い、立ち止まった。

 バチッと目線が合い、少し瞼を伏せると、友里がむやみに照れるので、優もつられるように照れた。


「優ちゃん!かわいい!」

 パッと友里がお菓子から口を離して、訴えるように優の名前を呼んだ。


「優ちゃんも、食べすすめないとゲームにならないよ」

「だって、友里ちゃん早いから」

「もいっかいね」

「ええ……?だってやらないって」

「そこ、とまどっちゃう?キスをね、ゲームのついでにしたって言わなくていいってことだよ、ゲームはゲームとして、たのしもうよ」


 優は(食べ物で遊ぶのが嫌だな)と思いつつも、友里が唇に押し当ててくるお菓子をすこしだけ唇を開けて咥えた。

 サク。

 優が食べると、友里も一口食べた。


(そういうつもりか)

 友里の作戦はきっと、優が食べるごとに進める気なのだろう。優は3口進めてみた。思った通り、友里も3口進める。

(その作戦は、突拍子もないことをしない限り、負けるやつだと思うんだけど)

 優が思う。プレッツェルを離した者が、負けのゲーム。友里はきっと、考えなしにやっていると思うのだが、優は少しだけ、戦いのような気持ちを覚えた。

(ゲームをしたいという気持ちが、しないとわたしに嘘をつかせる気持ちに勝ったんだろうな……友里ちゃんはまったく)


 嘘をつくことは得意な優は、明日の嘘などもうどうでもよかった。正直で無邪気な友里のいたずらな瞳を見れたことのほうに喜んだ。小さな子どもの頃のようで、胸をくすぐられる。普段の友里は、勝負事は自分から負けるような癖がある。大きな事故の前の友里は、勝負は絶対に勝つと意欲的だった。その頃の友里のようで、優は素直に嬉しい。


 もぐもぐもぐと食べすすめて、あと数ミリ残して、友里をじっと見た。ここで、友里が口を離せば、友里の負けで、優の勝ちに、友里が同じように食べすすめれば、くちづけをしてしまうあと数ミリという距離。くちづけをしてしまったら、勝敗はどうなるのだろう?


「んふ」

 友里の微笑むような呼吸が漏れて、優はドキリとした。こんなに近くで止まっているのも、初めてのような気持ちになった。

(意地でも、離さない気なのかな)

 優は自分が離すべきかと思った。

 それとも、友里の唇を奪うべきか。口の中にお菓子の欠片が入っていて、口内を傷つけないか、心配になる。チュッと唇の先だけでキスをすれば、良いのではないかと思った。


 迷っているうちに、友里がちゅるんと、お菓子を吸い取ってしまう。

「え」

「もぐもぐ」

「そういうのもありなの?わたしの負け?」

「……」

 優が言うと、チュッと友里が頬にキスをした。

「だって口の中にお菓子が入ってて、優ちゃんは淑女だから、気になるかなと思って。わたしの反則負けってことでいいよん」

 ぺろりと舌を出す友里に、優はドキリとした。

「……」

「優ちゃんと、きちんとしたキスしたいし」

 のしりと優に寄り掛かってくる友里は、肩に手を回して、優を見つめる。優の唇を奪って、友里は小さく舌を中に差し入れた。

「ん」

「甘いもの苦手なのに、つきあってくれてありがと♡」

 はにかんだ友里を、優はそっと抱きしめた。

「好きかも」

「このお菓子ならいいの?あ、そうか優ちゃんアルフォートはすきだもんね」

「ううん、友里ちゃんが」


 うっとりと友里のお菓子の余韻の残る甘いキスを受け取る優は、友里の目が妖しく熱っぽく光る様子に、ゾクリと背中を震わせた。


 :::::::::::


 次の日、ニコニコ顔の友人たちとまた学食で、優はA定食を手に、椅子に腰かけた。

「駒井くん、昨日は、どうだった?」

 からかうような声に、優は一度だけ瞬きをして、ポーカーフェイスのまま「なにが」と言った。

「なんかピカピカしてるし、お楽しみだったでしょう!?」

「今日ほんと、眩しいくらい光ってるからね!?大丈夫!?」


 平日だというのに、朝まで友里と、抱き合っていて多少のだるさと眠気に襲われているのに、光っているとはどういうことか測りかねた。


「いやでも~!恋人なのになにもできないのも捗る~~!!」

「最後まで行っちゃってても、まあいいよねえ」

 などと勝手なことを言われながら、優はA定食のメインであるサンマを黙々と食べた。


「荒井を捕まえて白状させるしかないのかなあ」

 剣持が唸るように言うので、優は本心から「やめてね」とお願いした。

 しかしうっすらと(友里ちゃんの方が、トンデモ理論でくぐりぬけちゃうかもなあ)と、苦笑した。

 負けるが勝ちを体現しては笑顔で優を抱きしめる友里を想って、次第に冬の気配が迫る、寒空を見上げながらも、ポワポワと心が温かくなるような気持ちがしていた。


 優の笑顔を、優の友人たちは、微笑ましく見守ったのだった。


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