第22話 ともだち

「優ちゃんってあんまり怒んないよね?」

 スコーンにクロテッドクリームを塗りたくりながら、友里がそういうと優雅な様子で聞いていた高岡が、紅茶を噴きだし、むせた。

「……っ」

「大丈夫!?」

 高岡のばあやがそそっとハンカチを背後から手渡すので、高岡朱織はそれを受け取り、唇の端をそっと抑え友里の恋人である駒井優を思い浮かべた。たしかに所作は美しく容姿端麗で道を極めた淑女……といえるが、策略家で国の転覆でもたくらんでいるかのような白磁の無表情、柔らかな対応の奥底は冷淡で、恋人の友里以外のほぼすべての人間を信頼していないかのような冷めた黒い瞳。敵ときめた相手には容赦しないはっきりとした性格。近頃は、高岡にその思考の一端をみせるようになってきたが、それも友里の友人としての信頼故だろうと高岡は考えている。

「友里にはね……」

 精一杯に気持ちを抑えながら、高岡が言うと友里はスコーンをもぐもぐと食べきってから、紅茶を飲んで、一息ついた。しかし高岡の唯一無二の親友、荒井友里はなおも続ける。

「怒られたいわけじゃないんだけど……わたしって結構、ううん、かなり?わがまま言って優ちゃんを困らせる首謀者なのに、結果、高岡ちゃんに優ちゃんが怒られることが多いじゃない?でもアハハって笑ってるだけで、わたしに八つ当たりとかしないの。人間ができてる!」


 友里がもじもじとしながら、恋人への愛を重ねる。高岡は聞きながら、はたとした。

(つまり私が、駒井優に苦言を呈すのをやめろってことかしら?)

「だいたいわたしが悪いんだから、高岡ちゃんもわたしを怒って」

 友里が、主題をようやく言ったので、高岡も真面目に向きなおった。


「優ちゃんより、高岡ちゃんのほうがわたしに甘いよね!?」

 ハッとした友里が、言葉を発してから、今気づいたように瞳を丸めた。

「友里ったら、いま気づいたのね」

「いま気づいたよ!!」

「……」

 高岡は紅茶をひとくち飲んだ後、我慢しきれず、「アハハ」と声を出して笑った。

「再会後、あまりにもひどいやつあたりであなたを苦しめたでしょ?でも、駒井優の画策で、あなたの前で素直に謝ることができた」

「うん……」

 友里は優のたくらみをある程度しか知らない。高岡と友里は、4歳から友里が事故に遭う5年生の春まで、バレエクラブでの幼馴染で戦友だった。友里の怪我を境に、お別れもせずに離ればなれになったままだったふたりを、もういちど、きちんと親友に戻してくれたのは、優だと友里は思っている。

 高岡から見た優は、ひねくれてねじ曲がって、友里にいじわるをしていた高岡の気持ちを逆なでして、元々浮き気味だった周囲からさらに孤立させ、無理やり友里に素直になれるよう仕向けたような状況で、いまだその傷は癒えず、高岡は「学園の王子様・駒井優のお気に入り」として少しだけ周囲から、睨まれたり、恨まれたりしている。


 しかし、元々他人に対して、はっきりと物言いをしてしまう高岡にとって、感情をストレートにあらわされることは、苦ではなかった。むしろ生き生きと学校生活を営むことができている。


「まあ、駒井優のことは結構憎いけれど……。友里に、また逢えなくなる日が来たとしても、今度は後悔しないかなとも思う」


 友里は首をひねる。後悔が、友里への甘さと関係しているのかどうかわからなくなったようだ。

「よくわかんない、高岡ちゃんとわたしって、もう離ればなれにならないよね」

(……6年も東京へ行くくせに)高岡はチクリと、落ち着いたはずの胸が痛む気がした。

「そうね、友人ってことを疑うことはないわ」

 ふにゃりと友里が微笑んで、高岡もつられて笑う。


「あなたはわからなくてもいいわ。多分、駒井優はわかってるから」

「あ、そういう関係もなんだかドキドキする!」

「なあに、どういう関係?明言して」

「優ちゃんと、高岡ちゃん、ふたりって、バディみたい!」

「やだ、友里……。まさか、嫉妬しているの!?」

「!!」


 話をそらされたことに気付いていない友里が、にゃあとも、やあ、とも言いかねる言葉を言って、真っ赤になって顔を覆った。

「嫉妬……!」

「そうよ、他人と駒井優の関係を羨むのは、彼女をじぶんのものだと思っている証拠よ!」

「ええ、え……!?優ちゃんはモノじゃないよ」

「ほら、友里、私しか聞いてないわ、「駒井優はわたしのもの」って言ってごらんなさい、あなた、口に出すと自分の気持ちがわかるんだから」


 完全に遊びに入っている高岡だったが、顔は真剣そのもので友里は困惑した。

「高岡ちゃん!?だって……!通じ合ってるのが羨ましくて、わたしもそう言うのになりたいなっておもうだけでェ」

「同じになってどうするの。友里は友里だから駒井優に愛されてるって自覚して。独占欲に向き合うのがヘタに見えるわ、ほら、口に出してみて」

「わ、わたしの……」

「うんうん」

「わたしの優ちゃん……」


 真っ赤なまま友里がモジモジというと、高岡は満足したように、うんうんと頷いた。

(さてこれを駒井優に報告するか悩むところね)

 高岡は思った。きっと喜んで、「もっともっと」と話を聞きたがるシチュエーションだ。もじもじと髪を掴んで、赤くなってうつむいて駒井優への愛を語る友里の様子を喜び倒す、破廉恥な駒井優を思い浮かべる。友里はきっと嫌がるだろう。独占欲を持っていることを、優に知られることを恐れているところがある。


(まったくこのふたりは)


「今夜にでも、ひとり占めしたいとでも言ってあげたら、よろこぶんじゃない?」

「ええ……ええ?いいの?そんなこと言って、我儘って言われない?」

 友里が戸惑って、うーんと悩む。

「あら、友里は結構わがままで、駒井優を困らせる首謀者なんでしょう?」

「あ!!」

 最初に言った言葉をそのまま言われて、赤い顔で、高岡をぎゅうと睨むような、高岡には敵わないという顔をした友里はウウと小さく唸って、白旗を上げた。


「ああ、いま、最高に恋バナをしているわ」

 高岡がキリリと呟くと、友里は照れて足をジタバタとさせる。


 満足している高岡は、恋をまだ知らない。

「いつか私も、友里みたいに。どうで──どうしようもないことで悩んだりするのかしら」

「いま、どうでもいいことで、って言おうとしたでしょ!」

「うっふ」

 高岡は少し笑って、頬杖をついた。さららと髪がなびく。

「ううん、ちゃんとわかってるわよ。言いたくても言えないもどかしい感じでしょう?恋をしている相手に、そんなふうになるの、楽しみ」

「はっきりした物言いが、楽なのに?」

「だからよ、無理に我慢するんじゃなくて、相手を思いやって言葉が出ない、なんて最高にときめくじゃない」

「そんなことないよ、言いたいこと言えないのけっこう苦しいんだから」

「……友里は、なにをいえずにいるの?」

「……ううん……別にないけど」

「いいなさいよ!」

「だ、だってはしたないもん」

「なによ~、いまさら!」

 キャッキャとはしゃぐようにふたりでじゃれ合う姿を、高岡のばあやが微笑ましく見守っている。高岡の母親が焼けたばかりのエッグタルトを持って、お茶会に参加してきた。


 ::::::::::::::


『友里ちゃん、なにか言ってた?』

 電話越しの駒井優に聞かれた高岡は、ツンとすまして、「なにも?」と言った。

『そう……』

 明らかにがっかりした優の声に、高岡は黙り込む。

「毎回、あなたの話をしているわけじゃないわ」とでも言って、さらに凹ませることはできたが、友里からの信頼を失いたくない高岡は、それには触れずいつも通り英語のレッスンをして、さようならの合図をした。


『まってまって、わかった、ちゃんと説明する。友里ちゃんが急にね、「優ちゃんはわたしのもの」って言ったんだ、なにか、しってる?』

(ああ、友里ったらそっちを言ったのね……)高岡は思って、はあとため息をついた。これが言いたくても言えない苦さなのかと思ったが、種類が違うだろう。


「うれしくないの?」

『嬉しいけど!高岡ちゃんの助言だったら、申し訳ないなって思って。言ってもらいたかったけど、友里ちゃんの意思がない言葉なら、意味がないし』

「わがまま……!」

『そうだよ、だって、友里ちゃんには、自由にしててほしいし』

「友里だって、そこに想いが無ければ言わないわよ、セリフを吹き込めばそのまま言うお人形じゃないのよ。駒井優が喜ぶから言うってところは、評価しなさいよ。愛でしょ」

『わかってるけど』


「じゃあなにが、気に入らないのよ」

『……気に入らないわけでは』

 モジモジうじうじと重ねる優に、高岡は、(駒井優は他人にはバッサリとやるのに、これが恋のせいなのかしらね?)と髪を一つにくくり、シルクの帽子の中に入れた。

「切るわ、おやすみなさい」


『わあ、もう、待ってよ。わたしの話だって聞いてよ』

「あなたね、甘えるのは友里だけにしなさいよ。ただでさえ、友里にバディだの思われてるのよ、可哀想でしょう」

『友里ちゃんへの想いをどう伝えたらいいのって友里ちゃんに相談しろっていうの?できないよ』

「わたしのものって言ってもらえて嬉しい、わたしは友里ちゃんだけのものだよとでも言っておけばいいじゃない」

『言ったよ、言ったら急に素面になった感じで、優ちゃんはものじゃないって言うから。だから、高岡ちゃんに言わされたのかなって』

「なるほどね、あなたが甘いと思った言葉を囁いたのに、ケンカみたいになったの?」

『う、そう言われると……。ううん、そうだよ、友里ちゃんにカッコいいと思ってもらいたくて、精一杯囁いた!でも、わたしがぽかんとしているうちに、もっと別の言葉を用意するから待っててって、それから、ずっと悩んでいるんだ』

「……あの子は全く。その辺りは本当に相談されてないわよ」

『そっかあ。もしも相談されたら、なにもいらないし、傍にいてほしいだけだって言っておいて』

「じぶんでいいなさいよ」

『わたしより高岡ちゃんの言葉のほうが届くんだよ、受け取りボックスの種類がちがうの』

 友里の中に、言葉を受け取るポストがあって、「信頼に足る」「信頼に足らない」と分けられているポストと、優の言葉は特別に「優ちゃんがやさしいからいってる」と書かれたポストに振り分けられるのだと、優はしょんぼりとした声で続けた。


「なさけない」

 優の『アハハ』という普段あまり他人から辛辣な発言を喜ぶ笑みが出たところで、高岡は今度こそ本当にお休みをして、優との通話を切った。


 高岡は、肩にかけたストールをもう一度かけ直して、友里とのトーク画面を見つめる。「駒井優はカッコいいと思われたいみたいよ」と書きかけて、ふたりの架け橋のようになっている自分を、鏡越しに見つめる。

(ずいぶん嬉しそうな顔をしているわね、朱織)


 頼られて嬉しいのか、それとも、友人の弱い部分を見ることが出来て嬉しいのか。後者だとしたら性格の悪さを思った。


「友里に、駒井優は言葉よりも、あなたの抱擁のほうが喜ぶわよと言っても、あまり嬉しくなさそうなのよね」


(せっかく友里が愛を囁くというのに、駒井優こそ、なぜ上書きをして自分こそがとやるのかしら)


 高岡はため息をついた。

(どうせ、くっだらないペシミスト発揮してるだけだと思うけど)

 モノという単語に拘っているだけならば、それを取っ払ってしまえばいいのにと思った。最後の恋人という意味で、お互いにそれ以上はいないと見つめ合っている優と友里を思い、高岡は髪をとかした。

(やめやめ、きっと勝手に解決して、明日にはラブラブよ)

 高岡は考えるのを辞めて、スマートフォンを消した。軽いストレッチをする。

 友里が、はしたないと言っていた優への希望を通せば、きっと解決してしまう。

 しかし言葉に出せない友里の前に、これからも悩むのだろう。


「友里も友里よ。「抱かせて」なんて、はしたなくもなんともないわ」

 口に出してから、やはりはしたないかしらと高岡は唇をおさえた。

(声に出して気付くなんて、友里みたいね)と、笑った。


(東京にふたりが行っても、こうして通話やメッセージでふたりの話を聞くのかしら)


 未来が見えたきがして高岡は、ふうとため息をついた。ストレッチを終え、ストールをベッドカバーの上にかけ、もぞもぞと布団に潜り込むと、ライト用リモコンで部屋の明かりを消した。

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