第21話 はんぶん
幼馴染で、優が長年片思いをしていた
「優、ねむれないの?」
優に来た婚約の話を断る作戦会議がまだ続いていた母の芙美花が奥の部屋から居間へ来て、そんな優に声をかけた。優は母親の事を「魔女」だと思っている節がある。
神さまや良いモノに例えないのは、ほんの少しだけ破天荒だからだ。
「ああ……さっき友里ちゃんからメッセージが来て、それで起きちゃっただけ」
友里からのメールはいつもキラキラとしているが、今夜のものは夢うつつのようなもので、友里はもしかして、ぼんやりとしたままメッセージを打っているのかもしれないと優は心配している。
「そう。てっきりね、今夜は友里ちゃんが家に泊まると思ってたのよね」
友里のことを一番に大事に大切にしている家族に、そう言われ、優は飲み込んだ水をなんとかむせずに飲み込んだ後、唇の端の水滴を指先で拭い、はにかんでから、無言で、自分がお水を飲んだグラスを洗い、綺麗な布巾でそれを拭くと、丁寧に食器棚にしまった。
芙美花がその一連の動きの間もそっと佇んでいて、優が、母親に言わねばならないが、飲み込んでいる言葉がある様子を察していると気付いた。(やはり魔女だな)と、観念して口を開いた。
「カミングアウトして、おどろいた?」
「いいえ、でも、言いづらいことを言ってくれてありがとう」
「……お礼を、いわれることではないのだけど」
そう言いながらも、優は自分が動揺したことに戸惑った。伝えた時に言われていたら、泣いていたかもしれない。
「ううん、あの場で言えなくてごめんなさいね。作戦を思いついていて、でも、優がそれをのぞんでなければ……友里ちゃんとお付き合いしているのは、こちらの憶測だったから、余計なことになってしまうかもと思っていたから、課題がクリアされたわと先に進んでしまった」
「お母さんらしい」
優は落ち込む芙美花に、くすりと笑った。
「もっと、人の心に寄り添えるようになりたいわ。優、おめでとう」
「お母さん……」
感動で少しだけ涙ぐんでいる優だったが、次に続く言葉にその涙はスッとひいた。
「ところで朝は結婚までの大まかな流れを聞いたけど──、あのね、さっきお父さんとも相談したんだけど、近々大々的に婚約式をやりたいわ」
パーティ好きな母が真顔で、大きな会場を押さえそうな雰囲気を察し、優はごくりと息をのんだ。
「それはやめて」
「身内だけでも」
優の否定を想像していたのだろう、食い下がる芙美花に、優は目をつぶる。ううんと悩み、しかし催し物に大喜びそうな恋人の顔がちらつき、ようやく口を開く。
「この、家の中の規模で、ホームパーティなら」
「やったぁ」
子どものように両手を上げる母親に、優は困ったような顔をしてため息をついた。
「でもね、友里ちゃんに衣装つくってもらうとか、そういうのはナシだよ。彼女だって、忙しいんだからね、わたしのために、いっぱいがんばっちゃう人なんだから」
「うんうん、こちらで全部手配するし、友里ちゃんにも当日付近まで内緒にして、でもエステとか、綺麗になるための手配なら、いっぱい連れてっていいわよね?すっごい可愛いから、さらにかわいくなっちゃうわね」
「それは見てみたいけど……お手柔らかにお願いします……ほんとうにね?たのんだからね?」
やりすぎの癖がある母親に、優は念を押した。
「本当にうれしいの。優が初恋を叶えて。でも長年、言いづらかったり、たくさんの言葉を要して、伝えなければならないって言う心の葛藤を、優が、重ねてきた嘘の分だけ、こちらも大切に、丁寧にほどかねばならない糸が、ある様に思っていたのに、ダメね、嬉しさが優先して」
「そんな……」
優は考えてから、そういえばこの母親に、生まれてから一度も「好きな人はいる?」だの「恋人が出来たらどうなるかな」だのと問われたことがないことに気付いた。
「お母さんは、どちらかと言えば……」
優は、言いよどみ、しかし顔を上げた。
「ずっと友里ちゃんとの仲を応援してくれてたよね?」
「……!ええ、そう、ね」
芙美花は頬を赤らめて、うふふと笑った。恋に気付いていながら、優と同じ部屋に友里を放り込んでいたのかと思うと、少しだけ恨みがましい気持ちにもなるが、友里に対して決してひどいことをしないと信頼されていたのかもしれないと気持ちを持ち直した。しかし(異性であったらきっとそんなことはしなかっただろう)という想いが、チクリと胸を刺す。
「わたしが男性だったら、そんなことしなかったでしょ」
素直に言葉に出してみると、芙美花はスッと表情を変えた。
「優が男性だったら……?優は優と言う性別だけど……男の子……想像したことがないわ」
「……」
優はそんな母親に、無言無表情で返した。
「そうね、男の子だったら、紆余曲折はあるし、もしかしたら、男の子の優を、友里ちゃんが愛してくれるかは少しだけ心配だけど、まあ何とか優が頑張って振り向かせて、清く正しいお付き合いをして、中学生に上がった頃にはもう婚約、優が18歳になるのを待って結婚って言う流れになってたと思うわ」
「……な、な」
優はぐうの音も出ない気持ちで、周りをあっという間に囲いそうな魔女の微笑みを恐ろしく思った。しかし今の友里は女性が好きなので、優が男性であればあっという間にフラれてしまうかもしれない不安はあるため、結果として優は女性でよかったのだが。
「あの……わたしが、友里ちゃんを、好きって、いつぐらいからきづいていたの?」
芙美花は、ぽかんと目を丸め、キョロっと辺りを見回し、うーんと考えるしぐさをした。
「あなたが友里ちゃんに初めて逢った時からかな……」
「え!」
「ひとめぼれでしょ?」
「ええ?!」
「だってもう、何にも興味を示さなかったのよ、優は。小さい頃から、なんでも与えれば器用に、それはもう、もしかして何度目かの人生かしら?って程、ピアノもすぐに音階をひいたし、ヴァイオリンだって弓の持ち方もすぐわかって度肝を抜いたし、そうそう、箸も教えないで使い方がわかってね」
話が脱線しそうになって、優は眉間にしわを寄せた。
「4歳ごろにはもう色々達観していて、この子本当に将来たのしめるのかしらって思ってた頃、荒井さんが家を買って、近くなったからって、──友里ちゃんと優は、あかちゃんの頃に一回逢ってるんだけど、4歳で初めてお話したの。その瞬間、優の顔がすごく明るくなったのよ」
「……」
「そしてね、はじめましてって友里ちゃんが微笑んだら、泣いちゃったの。驚いたのねきっと。心が初めて動いたってかんじがしたんじゃあないかしら。
友里ちゃんがよしよししてくれて、ぎゅうって抱き着いたら、そのまま、うとうととして寝ちゃったの。友里ちゃんから少しも離れたくないって感じで、帰る時も、優が眠っているのを見計らって、ササっと移動したのよ。気付いた時の優と言ったら、それは火のついたようってああいうことを言うのね……。友里ちゃんの様子を見計らって逢いに行って、そのたび、離すのが大変で。初めて思い通りにならなかったんじゃないかな」
「も、もう……いいよ、そんな」
「あらまだあるのに」
「だってそんな」
「優の興味は友里ちゃん優先で、たくさん習い事をさせたし、全部すぐにマスターしたけど、友里ちゃんより夢中になるものなんてなにもなくて、優は、見つけちゃったのねって思った」
「……どういうこと?」
「半身、というか……。私ね、自分の人生において、いちばん大事にしたいものが、生き物全てにあると思っていて、それの為なら、人生を賭けられるなにかを、探すための生命だと思っているの。それは、誰かってだけでなくて、仕事だったり、趣味だったり、もちろんお金だったり、興味や好奇心を掻き立てられるなにかでもいいの。生きるための活動力というか」
優はそこまで聞いて、友里が自分にとって全てだということが、芙美花にはもうとっくにバレて、微笑ましく見守られていたことに、じわじわと足元から熱くなることを感じた。
「……少し、照れる」
「そうね、ごめんなさい」
芙美花もつられて照れた。
「だから……友里ちゃんも、優を好きになってくれて、嬉しかったの。優は、優だけの気持ちを大事にしているけれど、でも友里ちゃんが別のなにかを大事に思ってしまったら、優の気持ちは、つらいものになってしまう。悔いの残る人生になって、優が、優であることを否定したらどうしようって思った」
グッとなにかが胸を掴んで、優は涙がこぼれそうになったが、深呼吸をして耐えた。
「ご心配を……」
「10年以上、心配してたので!だから、今日、お付き合いを教えてくれて、とっても嬉しかったの!!!!だから、絶対、ふたりが幸せになるために、協力を惜しまないからね、彩り豊かな人生になるようにってのが、親の一番の願いなんだから!」
「……!」
芙美花が微笑み、握りこぶしをみせる。優は、こみあげてくるものを感じて、目をそらした。泣き虫は治っているはずなのに、涙がポロリと一粒落ちたら、とめどなくあふれてきそうで、目をつぶる。
「泣き虫を治して、友里ちゃんの王子様になるって言ったの、おぼえてる?」
優が、涙声を振り切るように言った。
「うん、小学生の頃だっけ。優らしく、ね」
「そう……わたしらしくって、言ってくれたから、わたしは、わたしで、いられたのかもしれない。色々、迷走して、すごく、悩んだりもしたし、まだ自分の人生なんて、はじまったばかりなんだけど」
「うん」
「わたしは、わたしでよかった、って思えるよ」
「それは、最高の言葉ね」
「ねえ、泣かそうとしているでしょう?」
「ええ~~、そんなことないわよ!でも泣き虫な優も、お母さんは好きよ!」
「もう!」
芙美花と優は、少し泣いて、ふたりでほほ笑み合った。
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部屋に戻った優は、当たり前のようにひとりの部屋に寂しく思った。
友里がここにいて、優を迎えてくれることが当たり前のようになるには、もう少し時間がかかる。紺色のベッドに身を沈めて、妙に大きな衣連れの音を感じながら、友里を想った。
友里の頭をそっと抱きかかえ、抱き枕のように体を覆って抱きしめる妄想をする。
友里は、おとなしく優の胸におさまり、少し自分で体の向きを変え、まるで定位置を見つけた子犬のように口元をむにゃむにゃさせてから優に抱き着くだろう。
優が起きているかと問いかけると「ユウチャンカワイイ」とねぼけた声で答え、優は夢の中の自分に嫉妬を覚えたりする、そんな、いつもの眠る前の仕草。幼馴染として、何度も経験したが、恋人として思いきり抱き締められる今、どうしてこの夜に友里がそばにいないのかと、優は歯がゆく思った。
「はあ……かわいい」
優は唸る様に、誰に聞かせるわけでもなく、夢想の友里に悶える。
子どもの頃。友里に初めて出会った瞬間から、人生の全てが輝いたこと、彼女以外、いらないとおもったこと。大嫌いがあふれている世界で、友里だけに、好きを贈りたいと思った日の事。すべて覚えている。
「……」
ごそりと天井を見上げるように上を向いた。手を組んで、神に祈るかのように瞳を閉じた。
友里がどうして、自分を愛してくれたのかは、まだ謎のままの優だったが、両親に伝えても、喜んで気持ちを受け入れてくれた友里を思い出し、愛し愛されている実感に、ふわふわと体が軽い気がした。
「半身か」
言葉にすると、優は胸がドキンと鳴って、自分の人生をかけると言った言葉を友里が重いと思わないか少し不安になった。一度眠ったら朝まで起きない恋人が、今、(夢の中でも自分と仲良くしているのかな)とふと考えた。それならば、朝いちばんに会う友里に、現実の自分は、もっと愛してることを、人生をかけて伝えていこうと思いながら、優も目をつぶった。
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