第20話 夏の旅行
夏休みはすぐにやってきた。
優の叔母・茉莉花と、その義理の娘、クローデットは大荷物で駒井家に1か月の滞在を約束し、兄の晴の部屋を、あっという間にピンクと黒の配色に変えた。
茉莉花は前回小さな車で車中泊したことを踏まえ、ランドクルーザーをレンタルし、優に「きちんとナビをつけてね」と言われながら、江の島へ旅立つ。まだ朝の4時だが、夏の朝はもう白み始め、熱気をはらんでいた。
「友里、水着はどんなのにした~?私はねえ、こーれ!」
ほとんど紐のような、真っ白いビキニをタンクトップを剝いで見せつけるクローデットを見て、友里はねぼけ眼の顔を赤く染めた。友里はいろいろと準備はしたが、水着は親友の高岡からプレゼントされた、オフショルダーの水着を持ってきていた。荷物はトランクに入っている。
「クローデットったら、朝から着てるのよ、楽しみで仕方なかったのね」
茉莉花が、くすくすと笑い、クローデットは「だって~」と甘えた声をあげた。
「優の水着も楽しみ!!」
「わたしは、タンクトップに短パン」
「面白くない!!ビキニ買おう!!」
「いやだよ」
優が低音で答える。茉莉花が「わたしもタンキニよ~」という。183センチの大柄な様子の茉莉花は、「ライフセイバーに間違われないといいけれど」とうそぶいた。
まずは旅館にチェックインした4人は、海水浴場の使用パスなどを受け取り、部屋へ移った。ほぼ個室のような、日本家屋は、掃き出し窓からそのまま海に行ける作りになっていた。滑るように磨かれたヒノキの柱に、友里は旅費をすべて持ってくれた茉莉花とクローデットの財力を想わずにいられなかった。
(だって、旅費とかいれたら相当の…‥!)
ほとんどアルバイトで生計を立てている友里にとって、目が飛び出るような金額だろうと想像だけは出来た。
「友里ちゃん、なにか世知辛いこと考えているでしょう?」
優の言葉にドキッとなりながら、友里は慌てて手を振った。
「だって、こんなセレブな旅行初めてで~!優ちゃんは慣れてるだろうけど」
「本当は毎年、アメリカに行かないで友里ちゃんと遊びたかったんだ」
「どうして……?」
「好きだし、愛してるから」
片思いの時は、愛しているからそばにいられなかった。クローデットに、友里を愛している全てを話して、ガス抜きのような事をしないといられないほど。今は、愛しているからそばにいたい。どちらの意味もその通りで、優は首をかしげた。
「わ!!そ、そうじゃなくて!!!そういうことを聞きたかったんじゃなくてね!?」
じゃあなんだろうと優は友里をじっと見つめた。友里が赤い顔をしてなにかもごもごと言い訳をかさねているのが可愛くてどうでもよくなった。口づけをしたくて、そっと顔を寄せたが、一足先にビーチの様子を見に行っていたクローデットが、軒からせっつくように声をかけたので、唇は友里に届かなかった。
必要なものをそろえ、水着に着替えた。
「うう、ドキドキする」
友里の言葉に、言外の意味を感じた優は、そっとその肩を抱いた。
「旅館のプールからにする?」
「あ、ううん、ほら、沖縄でも、足まではつけたじゃない?水着が、ドキドキするっていうか。でも旅館からビーチがすぐなんて、一生に一度あるかないかだし」
友里が明るく答えると、優はこくりと頷いた。
「イイホテルでしょう!?茉莉花のアイデアよ!」
自分の手柄のように言うクローデットが微笑ましく、優は茉莉花を見た。
「具合が悪くなっても、すぐ戻ってこれるでしょう?」
外科だが、医者の茉莉花が、友里をちらりと見た。
「旅館の人だけのプレイべートビーチだから、気負わないでいいだろうし」
友里の背中から太ももにかけての、大きな傷に対しての配慮だと気付き、友里は戸惑いつつも、ペコリと頭を下げると、茉莉花はニコリと笑った。
「自分が気にしているわけじゃなくて、見る人の気持ちを気にしているのよね、友里ちゃんは」
「そうです、そうなんだよ優ちゃん、だから、優ちゃんも気にしないんだよ!!」
優は、友里の言葉に笑顔で答えて、こくりと小さく頷いた。
「じゃあ、行きましょうか」
大きな浮き輪に空気を入れていた茉莉花が、ボートと浮き輪を持って立ち上がった。
優と友里は顔を見合わせ、白いビキニのクローデットが優の腕を掴んで、海に駆けだした。
友里は、その後ろをそっとついていって、砂浜をはだしで歩いた。
海に飛び込んだクローデットが自由遊泳を始めたので、優は友里の傍に戻ってきた。
濡れた優がキラキラと輝いて、友里は見惚れた。
「優ちゃん綺麗」
「あはは、なに」
友里を見ると、優は微笑んだ。
「手、つないでいい?」
友里が問いかけると、優はなにも言わず友里の手を取った。海水に濡れたひんやりとした手のひらが、触れたとたん、妙に熱を帯びる。
「一緒にはいろうか?」
「うん」
ソッと波打ち際で足を付けると、海水が友里の足を撫でた。砂と一緒に、運ばれるような感覚。
「あ、待って、待って優ちゃん!」
「うん」
待つよ、いつまでも。という声色。しかし友里はずるりと滑って、しりもちをついた。優も一緒に転んで、海の中へダイブ。引き潮に攫われて、友里は腰までの高さの海の中で、くるりと横に一回転した。
「あはは!!」
「ふふ、友里ちゃんの顔」
「だって、波で勝手に回るんだもん」
そんな様子のふたりを見ていた茉莉花が、微笑しながら、大きな浮き輪を友里に投げた。
「それに乗って、優に引っ張って貰ったら」
「うわー、良いな、友里。優!あとで私にもして!!」
茉莉花とクローデットの声に、優と友里は顔を見合わせ、優が頷くと、友里は覚悟を決めた。
「足がつかない感覚こわい~」
「そうだね」
「でももうちょっとがんばってみてもいい?」
「もちろん」
ぷかぷかと浮いている友里の腕を、優がやさしく撫でた。刺すような、太陽の下、どこまでも碧い海が広がっている。ザザと波の音と、どこかでウミネコの鳴く声がした。
「たのしいね、優ちゃん」
「よかった」
キラキラと雫をまとう優に、友里はまた見惚れる。
「宝石みたい」
「海、本当に綺麗だね」
「ううん、優ちゃんが」
照れてほほ笑む優に、友里は抱き着きたい衝動でムズムズした。
「怖いけど、入ってしまえばユラユラして、ふわふわで、楽しいの、優ちゃんみたいで、好き」
「そ……、そう、よかった」
広大で美しい海に例えられた優は、ほんの少し照れて、「友里ちゃんは、ほんとに」などとブツブツ言った。そして、浜辺の方へ戻ろうと泳ぎ出した。
「あのね、さっきの。夏に友里ちゃんとこうして遊んだら、好きの気持ちを隠し切れなくなってしまうんじゃないかって、怖かったから、逃げてたんだ」
「え」
友里が聞き返す。
「毎日少しずつ、友里ちゃんを好きになるのにイベントのたびに好きが漏れてしまいそうで」
「……じゃあ、優ちゃんの夏の好きを、いっぱい取りこぼしてたってことか~!」
「え?」
友里はふにゃふにゃと難しそうな顔をする。
「これからの人生でとりかえさなきゃ!夏祭りに、花火に、あとなんだろ?夏だけじゃなくて、春夏秋冬、いっぱいいっぱい、わたしもそのたびに、優ちゃんを好きになるし、すきになってもらえるってことだ」
ニコニコと笑顔になる友里に、優は胸がいっぱいになる思いがした。
今までの後悔ではなく、未来を愛せる友里に、優は(敵わないな)と思った。
「……」
「あれ、優ちゃん、あっちだよ」
少しだけ逸れて、岩場の方へ泳ぎ出した優に、友里は方向を指示した。
「ちょっとだけ、ふたりきりになりたい」
「……!!」
照れた優に言われ、友里も意味に気付き、バタ足で応援した。
「ちょっと!どこにいくの?!」
しかしクローデットに捕まって、ふたりの目論見は削がれた。仕方ないことだが、なかなかふたりきりにはなれない。
「そろそろおひるよ!海鮮丼たべるんだから!!」
「クローデット、生ものいけるの?」
「当たり前よ、友里。ホタテが好き!!」
「おいしいよねえ」
「……」
赤い顔の優を置いて、ふたりが親友のように話し出す様子を、茉莉花が呆れた顔で見た。
:::::::::
「ちょっとクローデット、借りるわねえ」
至る所で邪魔をされつくした優に、茉莉花がそう言ってクローデットを連れ出したのは、夜の21時のことだった。アイスクリームを買いに行こうと言って、茉莉花に言われ、なにか文句を言っているようにも感じたが、茉莉花のウインクに、優は素直にぺこりと頭を下げた。
「……」
突然、宿の一室にふたりきりになった優と友里は、沈黙した。
「海、楽しかったね、またこよう。高岡ちゃんとも、遊びに来なきゃ」
友里が、早口で言うと、優がこくりと頷いた。
あまりに朝からクローデットに邪魔され過ぎていて、触るのももどかしくなっていたふたりだったが、友里が優の胸にコテンと寄り添うと、それを皮切りに、優も友里の肩を抱きしめ、そのまま、優しいキスをした。
「……キス、ままならなかったから、どきどきするね」
友里が言うと、優は話す時間も惜しいとばかりに唇を奪った。今日だけでなく、何年もの夏の分を重ねるような焦燥感に駆られたくちづけを繰り返す。
「ん、優ちゃん」
ごくりと息をのむ音がして、優が、友里を押し倒した。多少の珍しさを感じながら、友里は優の首に手を回し、畳に横になって、何度も唇を重ねる。
ごろりと優が友里を抱きしめながら、横を向く。無言でもう一度キスをした。
「優ちゃん」
指を絡め、ぎゅうと抱きしめ合う。頬や、首筋にもキスをして、優は友里の頬をそっと撫でた。
「友里ちゃん、大好きだよ」
「ん、優ちゃんスキ……っ」
「前、ここに来た時は、キス、出来なかったから、その分も」
優がそういうと、思い出した友里は、頬を染めて優を見つめた。茉莉花と泊った日。優が友里をじっと見つめ、茉莉花が部屋に入ってきて飛びのいた事件があったのだ。
「やっぱりあのとき、わたしにキス、しようとしてたの?」
「……うん」
友里は優の答えに、ドキドキと胸が高まるのを感じた。
まだ、恋人ではない、けれど、なにか芽生え始めていた時期。あの時、優に口づけをされていたらと思うと、友里は、ごくんと息をのんだ。
「もしも、されてたら、きっとずっと、早く恋人になってたね」
「そうかな?友里ちゃんは、わたしに怯えて嫌ったんじゃないかな」
「きらわないよ~!?」
「どうかな、だって、友里ちゃんはわたしのこと、ただの幼馴染だとおもっていたでしょう?」
「ただの幼馴染じゃ、ないかもって、思い始めてたもん」
「うそ」
「嘘じゃないよ!?ドキドキするって言ったのに、優ちゃんが「まだ椅子でいさせて」って抱きすくめるから、もう、わたし、どうにかなっちゃいそうだったんだから!」
「ええ?!あれは完全に幼馴染モードだったよ!」
くすくすと優が笑うと、友里も、つられて笑いながら、優の浴衣の胸に顔をうずめた。ほのかに、お互いの香りが混ざり合って、漂う。少しだけ日焼けした肌が、ピリピリとして、それでも、抱きしめ合う。
「海、優ちゃんみたいだったね」
「友里ちゃん」
「ふわふわで……もっと、ほしくなって‥‥‥」
ふわりとした空気の中、見つめ合う。衣擦れの音がして、友里の太ももがモジっとゆれた。唇をもう一度かさねたら、我慢できないかもしれないと、ふたりとも思って、しかし目をそらすことが出来ずにいた。
「アイス!!!買ってきたわよ~~~!!!」
クローデットの声に、ふたりは慌てて起き上がった。友里は座布団にしがみ付き、優は広遠に立ちすくんだ。
「……なにしてんの?」
「いや、別に」
ふーんとクローデットはジトっとふたりを見た。
「優は甘いもの苦手だから、オカキにしたわよ。友里は、クッキー&クリームよ、好きでしょう?キャラメルソースたっぷりですって!」
「わ、ありがとう、うれしいなぁ、オカキだいすき」
「うわあ、甘そう、うれしい!!いっぱいたべる!」
「なんなのよ、ふたりして、お夕飯が足りなかったの?」
その様子を、茉莉花は困ったように眺めた。
夏休みは、口の中に広がるアイスの余韻のように、甘く続く。
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