第29話 松原×林

 淡い青緑色の遮光カーテン、白い壁、女性用のオシャレなマンションの一室。

「私、林は吹奏楽部顧問の資格、「吹奏楽指導者認定試験 」に合格いたしました!!」

「おめでとうございます!!」

 ふわふわの髪に丸い華奢な眼鏡をかけた、この部屋の所有者・松原更紗まつばらさらさ先生が、笑顔でお祝いをしてくれる。いつものカルーアミルクにジンライム。松原先生のワンルームで、私たちの飲み会が始まった。


「最近、駒井優はどうですか」

 松原先生に問われて、私はクラスの中性的美少女、駒井優の事を思い出した。高校三年生になって、さらにパワーアップした……というのか、色っぽさが増した気がするとお伝えした所、松原先生もその幼馴染の荒井友里ちゃんが、可愛くなった気がすると伝えてきた。

「これまでの荒井って……いや、生徒はみんな可愛いし、ピラミッドで言えば上の方に集約しているんですけど」と前置きをして、話を続ける。


「なんだか、お花が咲いたみたいなんですよね」

「頭にですか?」

「あっはははは!!」

 酔いが回っているので、くだらないことで笑う様子は勘弁してほしい。


「お花畑って意味ではなくて、なんというか、たおやかな様子というか。それまではまあぶっちゃけてしまうと、おパンツが見えようがどうでもいいというような、粗野なようすだったんですが」

「え!そうなんですか!?こちらから見るとわりと可愛らしい……というか、商業科の生徒って全員華やかで、おしゃれなんですけど」

「うんうん、そうそう。自分に似合うオシャレをとりいれているよね」


 普通科の、特進クラスを受け持っている私は、どちらかと言えば容姿よりも勉強にこだわりを見せるタイプの生徒と交流が多い。

 荒井友里は見た目おとなしいけれど、髪は茶色だし(地毛という話)、制服は実は自作のものだし、いつもきれいに結い上げた背中までの髪が揺れている可愛い子で、荒井さんの友人の岸辺後楽さんなんて、スカジャンを着た金髪でいつでもカラーコンタクトで違う目をしているし、乾萌果さんなんて、大きなピアスに赤い口紅で真っ黒いストレートロングヘアのインフルエンサーだし。彼女たちが一緒にいる様子が、こちらからは華やかで、少し目立っているように思っていた。


「大人としてダメなことはわかってるんですけど!!!!」

「うんうん」

「めちゃめちゃかわいくなったなと思ってます」

「え!?もしかして、好きに……?」

「は!?それはないです、生徒に、懸想、だめ、ぜったい」

「ですよね、ホッとしました、は~~こわい!」


 お互いに、恐ろしい会話をした気がして、は~~とため息をついて、ごくごくとお酒を飲み干した。


「じゃあどういう意味なんです?」

「いや~、たぶん駒井とお付き合いしたんでしょうね、そして、まあ、行くとこまで行って……!そんで、おとなっぽくなったのかなぁって」

「そんなとこまで見て!!」

 けらけらと笑う。

「だってそんな、心配じゃないですか、推しが、悪い女に騙されてないか!!!」

「悪い女だなんて……!駒井の事も、ちゃんと生徒として愛してあげてください!!」

「愛してますよ、全校生徒、まさに至宝です。でもやっぱり、自分の受け持ちの生徒に愛着がわきます。勉強がおろそかにならないかも心配ですし、素行も……まあ駒井さんのほうがちゃんとしてるので、良い影響しかないと思うんですけど。こちらがあちらに影響をしてしまう分には、すみませんとしか言えないんですが」

「言っちゃいけない気がするんですけど!?」


 ひとしきり笑って、松原先生の部屋のフローリングにゴロンと横になった。


「あ、素行といえば、この間、駒井が初めて無断欠席したんですよ」

「え!あの真面目で有名な駒井優さんが!?」

「そう、あの真面目で有名な駒井優さんが。とりあえず職員室でも、もしかして誘拐なのでは!?と大騒ぎになって」

「それは……」

「大きな病院の4人兄妹の一人娘ですものね、そして色々な生徒に聞き込みをしたところ、校門まで来たところで、踵を返したそうなのです。無遅刻無欠席で、真面目な優等生が学校に来る最中にいなくなったんです、メンタル面なのかもしれないと」

「わ~進学クラス、大変なことになってたんですね」

「そうなんですよ~、でもお母様と連絡がついて……学校に行く暇もなく、連れまわしてしまったんですって」

「駒井優さんのお母さまのわりに、元気なかたなんですね?」

「ですです」

「へ~、意外」

「意外ですけど、私、すこしだけホッとしたんですよね」

 松原先生が、キョトンとした顔でこちらを見た。


「駒井優さんもきちんと青春を謳歌してるんだなって」

「ほほう」

「私から見ると勉強一色で、みんなすごく将来のためにだけ頑張ってて。今を楽しめてないんじゃないかって。いやもちろん、それは、生きていくために必要なんですけど。今は通過点じゃなくて、確かに生きてる日々なのにってちょっとだけ」

 はずかしいことを言っている自覚が出てきて、言葉尻がどんどん小さくなっていく。

「ですね」

 松原先生が、優しく微笑んでくれるので、余計に恥ずかしくなった。

「林先生は、今……どんな日々ですか?」

「え」

 ニコッと微笑まれて、言葉の意味が呑み込めず目をパシパシと瞬きした。

 相変わらず美容院に行けていない前髪を、松原先生の綺麗な指先ですくわれてドキッとした。私は、女性を恋愛対象に見ている。けれどそのことを、松原先生に言えないまま、こうして、朝まで雑魚寝のような飲み会に参加してていいのだろうかと罪悪感がよぎる。

 男性だったら、絶対こんなふうに懐に入れてもらえないだろう。


 それとも、男性だったら、こんなふうに毎回飲み会に誘われるというだけで、──気があると思っても、良いのだろうかとうぬぼれることが出来たのかもしれない。


「あ~~~、えっとまだ飲みましょうか!!実は日本酒を持ってきて、勝手に冷蔵庫に入れてたんですよ~!」

「え!それはそれは嬉しいサプライズ!!」

 ふたりで起き上がって、冷蔵庫迄歩いた。


「日本酒ってチーズあうのかな?」

「どうなんでしょう、原材料はごはんだから、ごはんにあうものはみんないけるんじゃないんですか!?」

 ワクワク言うと、松原先生が、ニコニコと目を輝かせる。もしかして、ご飯だいすきなのかも?と思って、私はありきたりな質問をしてみてしまう。

「松原先生って、ご飯に一番合うおかずって、何です!?」

「え~~~~~!!!!塩辛かなあ……まって、TKGも好き!あ、でも待って、それ以外たべちゃだめ!?最期に食べるのなら、おすしとか、あ!だし巻きも捨てがたいかも!!」

「アハハ、食いしん坊ですね!?」


 嬉しくなっちゃって、ニコニコする。

「私はそうだなあ、塩も良いけど、お豆腐……ああ、キュウリの浅漬けも好きかもです」

「林先生が痩せてる意味が分かりました」

 なにやら言われ、私は自前のお肉をつまんだ。

「これを見ても、そういうんですか!?」

 まくり上げたおへそ当たりの肉を、浮き輪のようにぴよぽよすると、松原先生は「あわわ!」と言ってすぐに服を下げられた。

「おなかを簡単にみせないの!」

 生徒に怒るみたいにして、カルーアミルクを飲み干して、松原先生がコップをきれいに洗って、プンプンした後、卵のパックを取り出して、出汁巻き卵をやきはじめた。そんなに怒られるとは……。


 松原先生お手製のだし巻き卵が焼きあがって、私たちはもう何度目かわからない乾杯をした。

「確かにだし巻き卵、合いますね!」

「甘めの日本酒、美味しいです、林先生!!」

「甘いものがお好きっぽかったので、選ばせていただきました!!!」

「林先生のお祝いなのに!!」

「私のお祝いだからです!!美味しそうな松原先生を見たかったので!!」

「!?」

 あれ、言い方がおかしかったかも。松原先生の動きが止まってしまった。

「美味しそうなって」

「美味しそうな顔をしている、です」

「ああ……!そう、ですよね、びっくりしました」


 松原先生は、赤い顔をして、頬に長い指をあてた。それはそう。驚かせてしまった。だって、美味しそうなって本人にかかる言葉だもん。

 クラっと酔いが回った気がして、言葉の意味を測りかねる。甘い日本酒だけど、16度もあるんだから、気をつけなきゃ。でもやっぱり、このお酒おいしすぎてなぁ。

「あの……林先生」

「はい」

「あのですね、もうとっくに、このような飲み会に、何度もお誘いしていることで、バレてるかもしれないんですが……」

「はい」

 なにかかしこまっている松原先生に合わせて、私も正座を直した。日本酒の瓶を胸に抱えた松原先生が、年上なのにすごく可愛らしい。ぬいぐるみみたいに抱えるなんて、よほど気にいったんだな。


「好き、なんです」

「……はい」


「え!!!!!!?」

 松原先生が、大声を上げる。なににびっくりしてるんだろう。

「日本酒がお好きなの、今日はじめて知りましたよ!おいしいですよね」

「お酒!」

「松原先生が、お酒大好きなのなんて、とっくに知ってますよ!!」

 笑いながら、松原先生の背中を叩いた。筋肉質で、素敵な背中だ。

 好きって言葉、聞くとドキドキしてしまう。

 もしかして、私、松原先生の事……?いやいや、それはそれはさすがに。良くない!今の関係が、壊れちゃう。


「あー……です、大好きで大好きで、やめられないってかんじです」

 やっぱりこちらの勘違いだったみたいで、ホッとした。先走らなくてよかった!!


「でもお互いに、肝臓には気を付けないとですね」

「そう、ですね!?」

 なんだかやけ酒のように、松原先生がお酒をあおるので、私は戸惑って首をかしげた。そんなにおいしかったかな?!まあ……美味しい大吟醸なのだけど。

「は~~~~私ほんっとヘタレなんですよね!?」

「そうなんですか」

「そうなんですよ!ああ!もう今夜は飲みます!」

「はい!嬉しい!」


 お祝いの夜は更ける。


 松原先生と飲むお酒は今まで生きてきた中で一番おいしいなと思いながら、私はまったりと、ゆっくりと、眠りについた。

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