第15話 エイプリルフール
4月1日土曜日。早朝7時。その時はやってきた。
「駒井先輩、相変わらずお綺麗!」
「起き抜けと思えない美しさ」
「内側から輝いてるみたい!!」
20代になり、大人びた女性になってはいるが、少女のような憧れを含んだ表情のまま、元吹奏楽部員たちが優を取り囲む。友里も、ニコニコとその様子を眺めた。そんな友里を見た瞬間、ハッとして、彼女たちは仁王立ちをすると、優の腕にしがみ付いた。
「実は私たち!おふたりの結婚を許していないんです!!」
芝居が始まった。
友里は腕を引かれて、振り返ると友里が作った刺繍がちりばめられた紺色のドレスに身を包んでいる親友の
「こっちから頼んでこの役を引き受けたのよ」
小声で言う高岡に、友里が「ありがと?」と言うと、高岡は不敵な笑みを見せた。
「駒井優なんかに、友里は渡さないわ」
高らかに、バレエスクールの講師でもある高岡が、腹式呼吸で叫ぶ。友里は笑いをこらえることはできなかった。
「わたしたちだって!駒井先輩を荒井先輩なんかに渡さないんだから!!!」
そういうと、5人の女性が優をがっしりとホールドして、これもレンタルしたのだろう、紺色の大きな車に優は連れて行かれた。なすがままだ。友里と高岡に対して、小さく手を振る。高校時代、友里と逢瀬している優を親衛隊よろしく吹奏楽部の部室へ連れて行ったメンバーだと気付いて、友里はノスタルジーを感じた。
そして、その場に残された高岡と友里は、顔を見合わせるとぷぷー!と噴き出す。
「さて友里、私の車にどうぞ。足元気を付けてね。音楽はなにがいい?ワーグナーの、ニュルンベルクのマイスタージンガーが入ってるわ。友里はテンションが高いモノが好きだから」
ワクワクと運転席に乗り込む高岡に、友里は笑ってしまう。
「高岡ちゃんも参加するなんて!」
「重義先輩が、きちんと3年までペットを磨き上げた私を抜いて計画を進めているのを、望月から聞いた私の気持ちが、友里にわかるかしら」
高岡の同級生で、友里とも懇意にしている
「望月は、クルーザーのほうで準備しているわ。さすがに駒井優に恨まれたくないって」
「わたしがわ、高岡ちゃんだけで寂しかったんだけど!」
「あのね、友里、みんな駒井優に嫌われるのが怖いのよ」
友里がポカンと高岡を見つめた。
「駒井優は嫉妬深いんだから。私は、いつも言ってるからいいけど」
友里が笑うと、高岡もにやりと笑った。高岡の紺色のセダンは、本革シートで、友里が運転する軽自動車とは比べ物にならないほど駆動音が静かで、まるで音楽に包まれているかのようだ。
友里は、少しあくびをこぼした。
重義の友人である尾花駿に、元吹奏楽部員が企んでいる、エイプリルフールを装った優と友里の結婚祝いパーティーの詳細な予定を聞かされていた優と友里は、数日前から準備万端だった。皆が用意してくれる衣装を美しく着こなすために、髪も肌も、本物のウェディングコンディションだ。寝起きを装い、本気で驚いているふりをするつもりだったが、友里は朝に弱いので、ふりではなかった。
「エイプリルフールって、結構ルールが厳しいのね、午前中についた嘘は一年間叶わないとか、午後になったら嘘をついたらダメとか、明日は真実しか言ってはいけないとか、だからこんな早くになってしまって」
むにゃむにゃと目をこする友里に、高岡は少し心配そうな声になる。
「すこし痩せた?エイプリルフールのお祭りに、巻きこまれて友里もいい迷惑よね。港に着くまで2時間はあるから、眠ってていいわ」
「楽しいよ。高岡ちゃんこそ、お仕事は平気なの?土曜日なのに」
画廊のオーナーをしている高岡に、友里がむにゃむにゃという。
「まあ、これが終わったら、顔を出すわ。友里もいらっしゃいよ、私の代役で入ってる父が、待ってるわ」
「お父様にお礼しなきゃ」
「そうしてくれると助かるわ。あの人、友里のこと本当におきにいりなんだから!」
「ありがたいなぁ」
ニコニコとしている友里は夢うつつで、もう目をつぶってしまった。
高岡はそんな友里を微笑ましく見守ると、しばらく黙って音楽の音量を下げた。
「このまま、クルージングに行かないで、ふたりでどこかへ行ってしまう?」
ちょうど音楽が止まって、友里は眠気から一気に覚醒して、高岡の横顔を見た。ワーグナーの、ニュルンベルクのマイスタージンガー──詳しい内容を友里は思い出せなかったが、(確か駆け落ちを持ち出すシーンがあった気がする!)と友里の中にめぐり、ドキドキとした。
無言の友里に高岡がくすりと笑った。
「エイプリルフールよ、友里」
「びっっ、くりした!!!」
高岡はくすくすと笑う。
「あーあ、これでもう、一年はお誘いできないわね」
「嘘だよね?」
「駒井優の為にも即断なさいよ、ばかね」
「だって高岡ちゃんがそんなこと言うなんて、優ちゃんだってきっと何かあるだろうから、お話を聞こうって言うに決まってるもん」
「……」
高岡は、しばらく黙って、はあと大げさなため息をついた。
「あなたたちって本当に、ばかね」
:::::::::::::::::
港に着くと、すぐに友里はクルーザーの個室に連れてかれ、白いミニスカートドレスを渡された。自分の作ったドレス以外を着るのは久しぶりで、色々な素材に夢中になってしまったが、メイク担当の望月に急かされ、慌てて着替えた。早着替えは友里が得意とするところだ。この場には呼ばれなかった友人たちに送る写真を撮ると言われ、友里は何枚か写真を撮らされた。
デッキに上がると、優が白い光沢のあるマーメードラインのドレスに身を包んで待ち構えていた。長いまつげをそっと伏せ、ニコリと笑う姿に友里は「きゃあああああ」と声にならない声を上げて、駆けだそうとするのが、高岡に止められた。
「だって可愛すぎてっ」
「落ち着いて、友里、まだあと10分ほど小芝居があるのよ」
「ええ?!」
そこからしばらく、吹奏楽部員たちの「友里と優を祝福しない!という趣旨のうそ」が繰り広げられ、そして、12時の鐘が鳴った。
「嘘です!ふたりとも!お幸せに!!!!!!」
わっと歓声が上がり、メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れる中、紙吹雪とピンク色の花びらが晴れ渡る4月の空に舞い、目を奪われていると、ようやく友里は優の元へ行くことを許された。高岡にエスコートされ、優の横に並んだ。
「日々の幸せを大事に大切に育みなさいよ、ふたりで」
「うん、もちろん。高岡ちゃんも色々手助けしてくれたら嬉しい」
優が言うと、高岡は眉を寄せた。
「私は私で、結構忙しいんだからね?!」
「そうだよね、あんまり無理しないでいいからね」
友里に言われて、高岡はにこりと笑った。
「友里はいいのよ、いつでも声かけて」
「すがすがしいな、いっそ」
優に言われ、高岡はニッと不敵に笑った。
すてきなケーキに、シャンパンも用意され、一気にウェディング要素が増した。
::::::::::::
「ふたりの育んだ愛は、わたしたちを感動させました」
後輩のスピーチに、友里が素直に涙ぐむシーンでは、優はその姿に見惚れた。
歓談のために優は友里から引き離され、ひとりでデッキベンチに腰を下ろした。友里に謝り、笑いあう吹奏楽部員たちを見つめている。重義が近づいてきて、優は笑う。
「おい~!駒井。誕生日、嘘だったんだってな!!」
「そうだよ、友里ちゃんはもっと先」
5月25日の友里の誕生日をあくまでも口に出さない優に、重義は笑う。
「でも、ありがとう。素敵なお式で、わたしたちも感動したよ」
優雅にお礼を言う優に、重義の頬がほころんだ。
「いやマジであの日当たった数字の数倍、足がでちゃったけどな!?」
「アハハ、そういうのは言わないほうが、格好良かったのに」
「かっこわるい!?だから恋人出来ねえのかな!?」
「いや、普通に、今でも駿君が好きだからでしょう」
真面目な顔をして言う優は、そのまま、視線を吹奏楽部員たちと談笑している友里に向けて、その視線に気づいた友里が、小さく手を振った。肩が出ているドレスがよく似合っていて、優は(ああいう格好もいいな)と思った。
「そうなんだよ、全然吹っ切れない」
別の事を考えていた優だったので、重義の言葉に、一瞬なんのことかわからなかったが、すぐに駿とのことだと思い、コクンと頷いた。
「このお式も、ダシってこと?」
吹奏楽部員ではない駿が、友里と笑いあう姿を遠巻きに見つめる。
「そこまでは、ちがうけど」
「ふふ、一応、義理の姉の弟だからね、わたしの」
尾花駿の姉、尾花紀世は、優の兄の彗の妻だ。
「駿以上の人と、出会えていないだけで、俺は」
「うん」
「駿も、そうだったら、いいなっておもっていたいだけなのかもしれない」
「……わかるよ。わたしも、きっと友里ちゃんと結ばれてなかったら、そう思ってたと思うから」
優は頷きながら、重義に伝える。
「おまえは、むすばれたじゃんか~~!!」
「ごめん、そうだね、こんな素敵な式をしていただいたのに、今の言葉は軽率だった」
「まったく、ほんと、いい加減なんだからな!!友里さん以外には、ほんとにいいかげんなやつだ!駒井は!!」
「アハハ、そうだね。友里ちゃんにだけ、誠実なんだよ」
「嬉しそうに言うな!!」
夕暮れと、夜の境目の空が、緑色に光る。ライトアップされた桜の木の下を、クルーザーがゆっくりと通り過ぎ、歓声が上がる。友里の傍の尾花駿が、今日何度目の乾杯かわからない乾杯を交わす姿を、優と重義が眺めた。
「かわいい」
優が呟くと、「かわいいよなあ、くっそ~」と重義が、対象が違う言葉を放つ。
「好きなやつにだけ誠実であれば、俺もきっと、恋を叶えられていたのかもしれない」
美しい優の横顔に、なにかをぶつけるような仕草をする重義に、優はよけたふりをして、ふたりで笑いあった。
:::::::::::
「なんか優ちゃんと重義さんが近くて、アレじゃない!?」
友里の抽象的な発言に、友里が作った光沢のあるグレーのスーツに身を包んだ尾花が、あわく笑う。180cmの長身に、女性のような顔立ち、淡い色彩の髪色がライオンのたてがみのように風になびく。その大きな姿で、はかなげに佇む尾花に、友里は慰めるように微笑んだ。
「だいじょうぶ?」
「ん?なにが?」
「ずっと好きなんでしょ。重義さんが、永遠に好きなまま、でしょ?」
「……」
友里の素直な声に、駿は、口ごもる。シャンパンをひとくちであおって、友里に飲み物を追加するか問いかける。友里も、聞いてはいけない言葉だったと思い、笑顔で、ファジーネーブルを頼んだ。
「エイプリルフールについた嘘って、かなわないんだっけ?」
ドリンクを受け取りながら友里が頷くと、駿が一瞬悩んだ後、友里から目をそらして、小さな声で呟く。
「好きだよ、出来れば、一生そばにいたい」
にこりと笑う駿に、友里も笑った。
「でももう午後だから、それは嘘じゃなくなっちゃうんだって」
友里の言葉に、駿は一瞬、大きく目を開けた。慌てて重義を見やるが、遠くで優とふざけていて、動揺した駿には気付いていないようだった。駿は、大きく筋張った手の平で、顔を覆い、そのまま、髪を撫でるようにかき上げた。
「ズルいな、友里さんは」
「ふふ。でも明日なんてもっとすごいんだよ」
「なに?」
「明日の言葉は、全部本当じゃなきゃダメなんだって」
「へえ、4月2日ってそういう日なんだ。残酷じゃない?本当しか言わない人なんて、いないよ」
「優ちゃんは、ずっと、好きって言ってくれたよ」
「ごちそうさま。でもねえ、優さんだって片思いの時は、いっぱい、それこそ友里さんが思いもよらない言葉を一杯飲み込んでいたと思うよ。口に出してはいけない言葉って言うのが、この世界にはあるんだよ、友里さん」
うぬぬと悩む友里の髪が、ベールと共に風になびいた。
「でも、好きなら、好きって言い続けて、良いと思うけどな」
「……それはね、理想だよ」
友里の肩が寒そうに震えた。麗らかな陽気とはいえ、海上の風が冷たく刺さる。
「そろそろデッキから退散する?」
駿の声に、友里がそっと頷き、駿のエスコートをうける。優がそばに来て、駿から美しい所作で友里を自分の元へ引き寄せた。駿がムッとして、優を睨む。
「あのさあ、優さん。あなたが友里さんを好む相手に好かれないのって、敵意をむきだすからだってずっと言ってるでしょう、安心してまかせてよ。俺はふたりのナイトになりたいんだから」
「ナイトとか言い出す人を信用できないんだよねえ……特に駿君は大きくて」
「自分より大きい人に友里さんが持ってかれるの嫌って、野生動物ですか、あなたは」
友里が噴き出して、優の胴に抱き着いた。
「ユウチャンカワイイ!」
なにに対してなのか、駿と優は顔を見合わせて、首をかしげた。重義だけが、「わかる」と頷くので、(この二人似てるなあ)と駿は思った。
「友里さん、今日は無茶言ってごめんね、いろいろありがと」
重義があらためて友里に言う。
「ううん、こちらこそすてきなパーティをありがとう!」
「喜んでもらえて、甲斐があったよ、無茶言ったから、今後、なにか一個だけ無茶なお願い聞くぜ、えーと、雨の日に迎えに来て~とか!」
友里が優を見つめ、優も重義を見た。
「じゃあ、明日、駿君とデートして」
「は?!」
声を上げたのは駿で、重義はぽかんと友里を見た。
「いやいや、友里さん、ほら買い物で荷物が多い時に呼びつけるとかそういうのだよ!」
「お買い物も、雨の日のお迎えも全部、優ちゃんとのデートだから、平気」
「……っ」
突然惚気る友里に、優が流れ弾をうけたように胸をおさえた。
「駒井、カワイイと悶えてるトコごめん、俺、友里さんがなにを言ってるかわからない」
しばらく友里をじっと見つめていた優だったが、ハッとして重義の声にこたえる。
「つまり無茶を承知で、今日のお礼に、駿君とのデートをセッティングしたいってことかな」
「そう!さすが優ちゃん」
「いやいやいや!!困るでしょ!!ねえ!?」
重義に見つめられた駿は、戸惑って「友里さん、何で、さっきの仕返し?」と真っ赤な顔で問いかける。
「駿君は、友里ちゃんの言いつけを守るって言う意志が固いから」
「そうなの?!」
重義が優の言葉に驚いて友里を見る。(友里さんにそんな力が?!)という顔でいる。
「皆さん~~、そろそろ港に着くよ!!」
友里と優はドレスから着替えるために、慌てて更衣室へ向かった。
:::::::::::::
それから、残された駿と重義がどんな話をしたのか、友里には説明してくれなかったが、きちんとデートをしたらしく、箱根のお土産として、友里は延命長寿の黒卵を戴いた。ふたりのことは、ふたりにしかわからない。優と友里はそう納得した。それでもいつか話が聞けたらいいなと友里は思った。
「楽しいエイプリルフールだったね、優ちゃん」
「嘘はやっぱりつきたくないけど、楽しいものならばいい……ような気がするかも」
言い合うとふたりは、熱い緑茶を一緒のタイミングで手に取り、ニコリと笑いあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます