第10話 バレンタイン・朱織とヒナ

 柏崎ヒナは、迷っていた。

 高校3年生になり、自由登校の今日、バレンタインデーにわざわざ学校へ行き、さりげなく2年生の高岡朱織に、「友チョコ」だと言い張って、デパートで、姉と姉の恋人に散々「百貨店のチョコ売り場は戦場」と言われながら、3時間もかけて吟味した、ギリギリ友チョコに見える猫がたくさんいるチョコアソートを前に、グルグルグルグル悩んでいた。


「昨日、受験が終わったんだし、行ってきたらいいじゃん?」

「そうそう、友達みんなチョコもって集まってるかもよん」

 姉たちに気軽にそう言われ、ヒナはくるりとそちらを向いた。


「駒井さんは今日合否発表で、おやすみだろうし、そうなると友里もいないし、他の友達も結構休むよ~ってメッセージが来てるんだって」


「ふうん、でも、好きな子は来てるんでしょ?」

「う」

「あ、ついでが装えないから!あはっは、ウブ~~!!」


 言われながら、姉のキヨカに頬にキスをされて、ヒナは、「うざい!」と言いながらその顔を振り払った。

「ふつーに、逢いにきたよ~!って言ったらいいんじゃない?」

「そんなの」

「いえるよ、あたしの妹だもん」


 姉のキヨカが、赤い唇をニッとして、大げさに言った。舞台女優だっただけあって、声が通る。

「送ってってあげるから、支度しなよ。もうチョコレート買った時から、行くのは決まってんのよ」


 当たり前のように言われ、ヒナは言葉を失った。


 :::::::::::


 教室は案の定、閑散としていた。いつものメンバーはお休みで、まだ受験前の子らが、ちらほらと勉強をしたり、カップルがチョコレートの為だけに、教室に来ていた。

 ヒナは、自分の椅子に座ってから、高岡朱織にメッセージを送った。

 今日、学校へ来ていることを、わざわざ言うのも、チョコレートの催促のように思え、ヒナはドキドキしながら、「一緒にお昼でも食べようよ」と気楽な様子でメッセージを送ってみた。


 すると、高岡からすぐにレスポンスがあり、OKを貰った。


 お昼までドキドキと過ごしたせいか、いつもよりもずっと時間がたつのが遅い気がしたヒナだったが、気持ちが落ち着くには充分な時間だった。


 階段の踊り場へ着くと、高岡が長い黒髪をさらりとなびかせて振り向いた。

(あ、すきだな)

 落ち着いたとおもった気持ちは、あっという間に挙動不審にふくれあがった。


 光に踊る髪、キリッとした目元が伏せられて、長いまつげがはっきりと頬に影を作る。しなやかなヒョウのように、ヒナの元へ階段をゆっくりと歩いてくる高岡に軽く手を振る。


「メッセージを貰ってから気付いたんだけど、3年生は授業がなかったんじゃない?お昼までお待たせしたわよね」

 凛とした声が、ヒナに謝罪をする。ヒナは、大げさに否定した。

「そう、なにか予定でもあったの?」

「うん、そう、久しぶりに来たし!」

「そういえば、試験お疲れさま。発表はいつなの?」

「3月6日ぐらい?封筒がおくられてくるんだって」

「ああ、封筒の大きさで合否がわかっちゃう、あの」

「それ!こわいよね」


 アハハと笑いあって、ヒナは高岡の笑顔を脳裏に焼き付けた。ここに、カメラがあればものすごい速さで連写しているところだ。


「今日ってバレンタインじゃん?気晴らしにデパートいったら、可愛いチョコがあったから、もらって」

 言い訳が長い気がしたが、ヒナはさりげない仕草でチョコレートを渡した。

「あら……!缶が可愛い。嬉しいわ。こういうの、すごい好きなの」

「え、そうなんだ!やったね」

「ごめんなさい、私、手作りだから凝ったモノじゃないわ」

「てづくり!?」

「そうよ、一昨日、友里と作ったの。早めに食べて」

「え、ええ……あの、ワタシ……今日逢えるって、思ってなかったのに」

「……」


 ヒナが言いたいことが、高岡にすぐに伝わったようで、高岡は眉間にしわを作った。


「……そうね、ヒナが来なかったら、帰宅途中にヒナのお家に届ける予定だったわ、わるい?」

 ヒナの家、柏崎写真館は高岡の住む自宅からは、反対方向、いつも高岡は、両親の車できている距離だ。そんな手間をかけて、持ってきてくれる予定だったと知って、ヒナは正直、頭の中身が沸騰しそうなほど焦った。

「んな、そうなの!?じゃあ、お家で待ってればよかったね!?」

「学校で渡せてこちらとしては助かったけど」

「え、ええ、そう、なんだ、へへ」


 ヒナは、頬が赤く熱くなっていくのが分かった。高岡朱織が、自分のために、手作りのチョコレートを「愛を伝える」バレンタインデーに、作ってくれたことに、自分でも驚くほどの喜びを感じていた。


(たとえそれが、友人だからであってもね)


「へへ」


「友里以外の友人、ヒナしかいないんだもの。仕方ないでしょ、わるかったわよ、手作りなんて用意して」

「なにもいってないじゃない」

「だって、なんだかにやけてるから……。あんまり馬鹿にするなら、返して」

「ばかになんてしてないし!これはワタシのだし!」

 慌てて大きな胸に抱えると、そこに手出しは出来ないと、高岡は手を引っ込めた。

「うれしいなあ、朱織の手作り、大事にしなきゃ」

「早めに食べてよ?トリュフだし。味は、まあ、両親も友里もおいしいって言ってくれたけど、あのふたりって私に甘いから、どんなに塩辛くても、美味しいって言い出すわ」

 高岡を愛する、そして高岡朱織にもその愛を認定されている3人と並べられて、ヒナはグッと息をのんだ。

「ワタシだって、例えダークマターでも、美味しいって食べるよ!!!」

「……そんなの、うれしくないけど」

「うう」

「美味しくない時は美味しくないって言ってくれたほうが、今後、改善が見込めるでしょう?」

「……今後も、つくってくれるってこと?」

「それは──あなたが、気に入ったらね」

「わ、わ!!じゃあこころしてたべる!!」

「リンゴのコンポートが、わりと上手にできてると思うから、それを、気に入ってくれたら嬉しいかもしれないわ、あの……得意だと思うのよ」


 照れながら、高岡がトリュフの内容の説明をはじめたので、ヒナは(こんなレアな朱織まで見せてもらっちゃっていいの?!)と頭の中から蒸気が沸いているような気持ちになった。

(こういうのって、友里がいて、友里にワチャワチャしてる朱織を盗み見るやつだとおもってたんだけど)今日はそこに、高岡の親友である、荒井友里の姿はない。


 高岡を見つめ、真剣に説明する様子に、うんうんと相槌を打つヒナ。


(幸せ……今、好きって言いたいけど、言ったらきっと、顔が曇っちゃうんだろうな……)


 高岡は、「好きと言う感情がわからない」と再三、ヒナに言っていた。好きだと伝えることで、どうなりたいのかと問われたら、付き合いたいと答えるが、真面目な高岡はきっと、ヒナと同じ気持ちになれない限り、その気持ちに答えることはないだろうと、わかっていた。


(そういうとこも、すき。あわよくば……)


「友里を差し置いて、いちばんの親友になりたいなあ」

「え」

 思わず口にでて、ヒナはハッと口をおさえた。


「や!友里には、かてないってわかってんだよ!?でも、まあ、その、なんだ。だって、ほら、友里は駒井さんがいるじゃん!?」

「駒井優になんか、負けてるつもりはないけど」

「そうですね、そうですわ。あはは、なにいってんだろワタシ」


 取り繕うように、言葉を探すも、ヒナには適切な言葉が浮かばなかった。

 恋人になりたいけれど、友人でいたいという気持ちは、もしかしたら、いけないことなのかもしれないとも、少し思った。


「友里は大事だけど、ヒナだって大事よ」

「え」

「友人に、順位付けなんかしてないのよ」

「え、だってでも、友里は特別枠でしょ?長年の、想いというか」

 初めてできた切磋琢磨できる友人と思った友里が、突然の事故で、高岡の目の前から消えて6年、探し続けて、ようやく仲直りした所だ。

「それは……っ」

「谷に落ちそうな、友里とワタシなら、友里を助けるでしょ?」


 自虐の入った声で、ヒナが言うと、さっきまで焦ったような仕草をしていた高岡がぽかんとした。


「それは、まず駒井優を呼んで、友里を頼んで、ヒナを助けるわ」

「駒井さん呼んじゃうんだ」

「あの人なら、呼ぶ前にきっと、友里を助けてるかもしれないわね」

「あっはっは!!!そうか~!」

「なによ」

「朱織にとって、友里と駒井さんってセットなんだ」

「だって、そうでしょ?」

「うん、そうかも」


 まだ笑いの残る中、ヒナはハアとため息をついた。

「ワタシは、朱織を助けるよ。何を置いても」


「……あら、ありがと。でも、自分で這い上がれるように、なりたいわ」

「それはかっこいい」

「でしょ」


 あははと笑いあって、ヒナは、今、高岡の中で特別ならそれでいいと思った。自分の恋心で、高岡の心を乱すことは、望むことではないと。


(ひとりで、どんな谷だって超えちゃう朱織の、傍にいたい)


 その力を、身に着ける間も朱織は自分をそばに置いてくれる、そんな自信が、少しだけあった。高岡は、一度懐に入れた人間を、手離すようには思えなかった。


(でもこう見えて、友人に飢えてるっぽいから、寄ってくる人間に、ササっと攫われちゃうかもしれない、そこは、注意しつつ……)

 ちらりと高岡を見ると、お弁当を食べきって、さっそくヒナのバレンタインチョコレート開け、猫のチョコレートの可愛さにうっとりしている。


 チョコレートが包まれていた袋の中に、小さな封筒がある。その中身を、ヒナも高岡も、まだ知らない。それは姉のキヨカが書いた熱烈なラブレターで、ヒナは、それが姉のキヨカの仕組んだいたずらであることを、しどろもどろに説明をして、高岡に「わかってるわ」と呆れられたことに(でも内容は事実なんだ)と、少し心を痛めるのだが、それは、明日の話だ。


 今は、片思いの相手の高岡朱織が、自分の選んだ、愛を込めたチョコレートに喜ぶさまを見て、ヒナは幸せをかみしめている。


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