第9話 プレ・バレンタイン
白亜の豪邸──友里はその言葉を、高岡の家にお邪魔した際に、思った。
「こういうの……あの、ホワイトハウスで見た」
柱に触れるか触れないかと手を伸ばしつつ、友里は言った。
「なに言ってるの?エントランスでぼうっとしてたら寒いでしょ、早く中に入って」
高岡朱織に促され、友里は小走りに高岡の後を追いかけた。
家の中では、高岡の両親が待っていて、友里を大歓迎した。ばあやと呼ばれている、年配の女性がすこしだけ涙ぐみながら、友里に握手を求めた。
「お懐かしい」
どうやら幼少期に逢っているようだと気付き、友里は笑顔で握手に答えた。
「もう!!恥ずかしいからみんな、出てって!!!」
広いアイランドキッチンの内側で朱織が真っ赤になって怒ると、三人は友里に手を振って一目散に逃げて行った。
「そんなに怒らなくても」
「だって、友達が来たくらいで……そりゃ、はじめてだけど。なにもできないじゃない。ほら、エプロンつけて」
朱織は、お揃いのエプロンを友里に手渡した。ふたりで、フリルのたっぷりついたエプロンを装着する。
「たぶん、わたしが着ている服より上等なものなんだけど……」
友里がエプロンの意味を問いつつ、お揃いにご機嫌になっている朱織の笑顔に(まあいいか)と朱織の背中のリボンを綺麗に結び直した。
今日は、来る2月14日、バレンタインデーの為のケーキを、高岡家で制作する。
「家だと、優ちゃんの発表が明後日だし、ピリピリしちゃうかなって」
「まあもう受験自体は終わってるんだし、別にいいと思うんだけど」
「発表まで、やっぱり落ち着かないものよ~~、高岡ちゃん!!」
「ふうん、私の時も、友里にいてほしいけど、東京にいるのよね」
チクリと、一学年下の朱織は、友里にトゲを向けた。
「さみしい?」
「当たり前でしょ。でもまあ、いいわ。どうせ推薦で地元の大学だし」
「そうなの?」
「ええ、東京に行くメリットは友里の傍にいられるだけだもの。きっと全部、駒井優に奪われちゃうし」
「そんなことは、ないとおもうんだけどなあ」
憎々し気に、友里の恋人の名を発する朱織に、友里は苦笑する。
「今日は、駒井優に内緒だもの。悔しがる顔が、見えるようだわ!」
嬉しそうな朱織に、友里は少しだけ頬を掻いた。
「優ちゃん傷ついちゃうかな?」
「内容が、駒井優の為だもの、きっと嬉しいって気持ちの方が多いわよ、気にしないでいいわ」
クーベルチュールチップの封を丁寧にはさみで切りながら、朱織が言う。友里は、こくりと頷いて、洗ったボウルなどを水滴一つ残さないよう、丁寧に拭いた。
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優の為の甘くないケーキをオーブンに入れて、ふたりでしばし、椅子に座る。
「高岡ちゃんは、トリュフ。手作りだったんだ」
「ええ、毎年ね。父が好きな味ばっかりだわ。今年は、友里と、それからヒナにもあげようと思ってて」
「え!!ほんと!?」
「なによ、そんなに大きな声出さなくてもイイじゃない。お友達が、おかげで増えました、ありがと、友里」
友達がいない朱織は、両親にも、同じように驚かれたとぶつくさという。友里は、それとは別の意味で声をあげていた。柏崎ヒナは、友里と同級生で、高岡朱織に片思いをしている。
「ヒナちゃん、きっとよろこぶよ~~~!!」
ニコニコする頬を抑えて、友里は言う。
「そう?だと、いいけれど」
照れ気味に、「友人」を強調する朱織に、友里は嬉しくなり、朱織のトリュフをまとめるフォークの先を見守った。
「優ちゃんには?」
なんの気なしに、友人枠だと思い、友里の恋人の名前を出した。
「なぜ、わたしが、駒井優に?」
一瞬で、氷の世界に来たような気持ちになり、友里は、その話題の言い訳をした。
「だって友人が増えるのはいい事でしょ、優ちゃんもお友達に加えてあげたらいいのに。仲良しに見えるよ」
「だから友里が間にいないと、知り合ってもいないって言ってるのよ。あの人ほんと、まあお世話には、なってるんだけど。何者なのか、いまだによくわからないわ」
ぶつくさと優に対しての文句を並べる。
「優ちゃん、高岡ちゃんのことお気に入りだから、きっと嬉しいと思うんだけどなあ」
「友里、この際だから言うけど。駒井優にとって、友里の周りの人間のことは実は興味ないのよ。友里の物語のモブキャラ。高岡ちゃんが○○をした、って聞くときに高岡ちゃんが何者か、知っていたいぐらいの「お気に入り」よ」
「ええ?!そんな、ひどい人じゃないよ、優ちゃんは!」
「そのぐらい、世界の中心が友里なの!友里の世界のモブからチョコを貰うことは、解釈違いなの。だからあげないの!」
「んもう、高岡ちゃんは、きびしいんだから」
呆れながら、高岡の持論を聞いて、友里はオーブンの様子を見に行った。
2本のパウンドケーキは、片方が良く膨らんでいるが、もう片方はぺしゃんこだ。クープは入れず、自然にまかせる。
「砂糖が少ないから、どうしても膨らまない、卵白をめっちゃ泡立てたけど」
「駒井優が気にいってるなら、いいんじゃない?」
高岡が、ため息をつきつつ、言った。別に、友里と優の恋を応援していないわけではないと、言うようで、友里は「へへ」と高岡に微笑んだ。
「なに」
「高岡ちゃんって、小鳥さんみたいでかわいいなとおもって」
「……気持ち悪いわね」
「わたしをすごく大事にしてくれているってとこは、優ちゃんと同じだとおもうんだけどなあ、ふたりって、似てる!」
友里の言葉に、朱織は唸り声をあげて、否定を並べようとしたが、ぐっとこらえた。なにを言っても友里に、ポジティブに解釈されるとわかったようだった。
「……、友里の幸せを祈ってるってのは、一緒。そうね」
お互いに笑いあって、仕上げに入る。キッチンに、チョコレートの香りが広がっていく。
「別に、駒井優のことを嫌ってるわけじゃないのよ」
友里は、「え!」と戸惑いつつ、朱織の話の続きを聞いた。
「ただ、友里の恋人としては、存在がイラつくの」
(それって嫌ってるとどう違うんだろ?)友里は思ったが、こくこくと相槌を打った。
「友里の恋人のくせに、すぐ逃げようとするところとか、なんで気に入られてるかわからないとか、とにかく自信がないのがイヤ。あの陶器のように整った顔面で、自分なんて友里ちゃんに釣り合わないとか思ってるのも無理。実際は友里に上げてもらった自己肯定感がものすごいあるくせに、それを友里に発揮できないとこもダメ」
「……うん、よく見てる」
「他のことは気持ち悪いぐらい先回りして、根回しできる頭脳と行動力を持ってるくせに、友里に関してだけ、ぜんぶ友里ちゃんの思っている通りにって、後手後手に回るのが罪。できるくせにしないとこが、ポンコツ!」
「うん、うん、ごめんね、優ちゃんが悩ませて……」
「友里は謝らなくていい!でも、あんまり駒井優をからかったりしないほうがいいわよ、きっと裏があって、ひどい目にあうかもしれないんだから」
「ないよ?」
「そんなわけないわよ、友里には、かわいこぶってるの」
「高岡ちゃんは、優ちゃんのポテンシャルを信じてるんだね!」
「!!!!」
朱織が怒った猫のようになったので、友里は思わず小さな毛玉のように丸まった。
「でもね、優ちゃんはわたしを信じてくれてるの」
「……」
「優ちゃんは、わたしが、出来ることを全部受け止めてくれて、わたしがしたいことを、見守りたいんだと思う。そんで、ダメだったらすぐ助けられるようにって、自分を鍛えてて。わたしを信じてるから、ほんとなら全部自分でやったほうが楽だと思うのにわたしができるまで、待っててくれてる。待つって、すごくやさしくないと、出来ないって思う。もしも裏があったとしても、裏の優ちゃんも、わたしを好きでいてくれるといいな、って思う」
オーブンの終了音がして、友里は、そちらへ向かった。竹串を刺して、出来上がりを確認して、トンと空気を抜く。焼きたてのいい香りが広がり、朱織の表情も丸くなった。
「友里に、愛情をきちんと与えてるなら、私は文句ないのよ」
「たっぷり、いただいてます!」
「ぜったいもっと、出来るはずなのに、駒井優め!」
「あはは、これ以上貰ったら、溶けちゃう!っていうぎりぎりのとこだよ~」
ニコニコ顔の友里に、これ以上言っても意味がないと思ったのか、高岡は手を打った。
「駒井優の話なんかこの辺でおしまいにして、もっと楽しい話しましょう!」
「ええ?!楽しいよ?!」
友里の言葉は遮られ、あっという間に楽しいお茶会が始まった。
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「それでね、3段のティースタンドが出て来てね、バラの庭園で、お茶会だったの!いい香りがして、優ちゃんを思い出しちゃって、大変だった!」
「バレエのレッスン、中止だったの?」
日曜日の夜、優と友里の部屋で友里が興奮気味に高岡邸の話をするのを聞いて、優は問いかけた。
「あー、うん、そう」
友里はバレンタインケーキを作ったことは優に内緒にしていたため、歯切れ悪く、優の問いかけに頷く。
「それなら、今度は一緒に行きたいな」
「優ちゃん、寂しがらせてごめんね、3月のホワイトデーは一緒に行こ」
「え?!ああ……。そうだね」
「?」
友里がキョトンとして、優を見つめる。少しだけ悩んでから、優が口を開いた。
「ごめん。ホワイトデーは、ふたりきりがいい」
赤い顔で、優が言うと、友里は、ニコニコと優に抱き着いた。
「うん、うれしい」
「……ごめん、嫉妬したかも」
「嫉妬カワイイ」
胸に顔を抱いて、友里が言うと、優はうーんと唸った。
「ごめん、くるしい?」
「……高岡ちゃんがわたしの悪口を言った?」
「優ちゃんが素敵って話だよ」
「うそでしょう?」
「ほんと、優ちゃんが素敵だから、もっと自信もってって」
「あの高岡ちゃんが、そんなこと言うわけない」
友里の言葉はいつでも全面的に肯定する優が、めずらしくうじうじというので、友里は愛おしくなって、抱きしめる腕を強めた。
「友里ちゃん、いい匂いする」
「お土産にって、高岡ちゃんのご両親が、バラの入浴剤をくれたの、優ちゃんもあとで使ってみて」
「ん……なんだか全部、高岡ちゃんに奪われてしまったみたいだ」
「ええ?全部、優ちゃんだよ。わたしは、優ちゃんだけのわたし」
優を、友里は甘やかすように抱きしめた。推薦受験に折り合いがつかなければ、まだ1カ月は受験勉強が続くというプレッシャーが、ほんの少しあるだろうと思い、友里はいくらでも、出来る限りで優を甘やかしたいと思っていたが、高岡とあそんだだけでこんなによわるとは思ってもみなかった。
「ユウチャンカワイイ」
「どこが……?」
しかし友里から離れず、その位置をキープする優に、友里は愛しさが溢れそうになり、「うう」と唸って、やわらかく優の髪を撫でた。
2日後の発表を、合格だと信じて疑わない友里は、「大丈夫」と呪文を唱えて、抱きしめた。
「こんなに可愛いって知ったら、高岡ちゃんも優ちゃんが好きになっちゃうから、あんまり説明するのやめよ」
「……それだけは、絶対にないから」
唸り声をあげる優に、やはり優と高岡は似ているなあ、と友里は思ったが、それに関しては口をつぐんだ。優が「それなら高岡ちゃんも好きってこと?」などと言い出したら、それはそれで可愛いが、ニヤニヤして話し合いにならないと思った。
「今日はお勉強、お休みにして、このまま寝ちゃお」
「……ん、それもいいね」
「お風呂入ってきて。──ベッドで待ってるから」
「ん……ん??」
優は起き上がって、少しだけ寝癖のついた髪のまま、友里を見つめた。
「ね」
友里が含むように微笑んで、優の頬をそっと撫でる。優は赤い顔で頷き、ゆっくりと立ち上がった。
「うん。え、っと、はい」
(きっと優ちゃんは、一周まわって、ただ眠るだけの意味って、判断して、お風呂から出てくるだろうなあ)と友里は思った。
いたずら心がムクムクと沸いて、友里は、お風呂上がりにきちんと身に着けた下着などをぽいぽいと脱ぎ捨てて、少しだけドキドキしながら、優のベッドにもぐりこんだ。
(はしたないかな、でもまあ、いいか!明日は学校行かない日だし!)
ドキドキと胸が高鳴る。
(優ちゃんの驚いた顔、久しぶりにみれるかも)
カワイイとはしゃぎながら、友里は楽しくなった。
(でも痴女って思われたらどうしよう……)
高岡の忠告も、脳裏を過ぎる。(「からかいすぎないほうが良いわよ」)そもそも優は、全裸がどうしても恥ずかしくて苦手だった。それに、驚かせて、ムードもなにもないだろう。
(着よう)
はたとして、お布団からガバッと起き上がった。
そこまでに時間がたっていたのだろう、もう、お風呂から出て、寝る支度をしていた優と、目が合った。優の漆黒の瞳が丸く、友里を見つめていた。
「おおおおおおみぐるしいものをおお!!」
自分で脱いだくせに、友里は大きな声を出した。見たかったはずの、驚いた顔は、自分の方が驚いて見逃してしまった。
「ごめん、反応が鈍くて、友里ちゃんは見苦しくなんて……」
布団の中に届くように、優が気遣った声を出して、友里はよけいに恥ずかしくなった。
「違う、優ちゃんは悪くないの!わたしが裏をかこうとして!」
「うら?」
「優ちゃんおねがい!みてみぬふりをして!」
友里は布団をかぶったまま、中で叫び続けた。優が、お願いをきいてくれることに賭けた。
「ぜんぶ可愛いよ、みせて」
しかし賭けは、友里の負けだった。
「あ……脱ぐの、いやでしょ?だって、いつも」
「言ってもわからないなら、態度で示そうか」
優の甘い声がして、友里は心臓が破裂しそうなほどドキドキと音を立てた。こういう時の優は、待ってはくれない。友里の最後の砦である布団は簡単にまくられ、汗をかいている友里の背中に優が口づけをした。
「待ってちがうの!びっくりした優ちゃんがみたかっただけなの!」
「知ってる」
くすくすと笑う優に、友里はうぐぐと息をのんだ。全部わかってて、反対に揶揄われただけだと気付いた。
「合格が決まったら、ご褒美に、だきしめてもいい?」
裸体の友里の前で、優の余裕な顔を見つめて、友里は負けた気分で、上目遣いになった。余裕な優の顔を、真っ赤に染めたいと思った。
「…‥もう合格って信じてるから、先に、でもいいよ」
「!」
友里の思惑通り、優の顔は真っ赤に染まった。
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