第8話 ひっこし
ミシンや、大物の布を自宅に運んだ優は、なにかほかに運ぶものがないかと、荒井家の2階へ行き、友里の部屋をノックした。
「ジャーン」
「……っ」
効果音を言ってから「ジャーンって」と赤い顔をして、うつむいた。中学時代のセーラー服を着た友里が、優のそばにトコトコと駆けてきた。
「まだ似合う?」
「かわいいけど、なに遊んでるの」
「懐かしくない?夏服が綺麗なままだったから、着てみちゃった」
「かわいいけど、遊んでたら永遠に終わらないよ、引っ越し」
2度同じことを言ってしまうほど動揺している優に気付きもせず、友里は紺色の襟と、白い制服部分を綺麗に直して、当時はやっていたリボンの結び方を見せた。
高校3年生の7月。友里と優は、ふたりの両親から結婚の許しを得た。そして本格的に友里の両親が大阪へ居を移すため、友里は、優の家に引っ越すことが決まった。
ベッドや家具などは、駒井家にあるため、荒井家において行く。床にはなにもないようにはしていたが、クローゼットには、大量の思い出が詰まっていた。明日には電気を止めたい友里の母親からのお達しで、急遽の引っ越しとなった。
「どうせなら、夏休みにしてほしかったなあ」
「でも、早く一緒に住めるのは、嬉しいよ。夏休みも、一緒に過ごせるし」
一段落という様に、優はセーラー服に驚きすぎて渡すのをすっかり忘れていたペットボトルの冷たい麦茶を友里の手のひらに置いた。友里ははにかんだ。
「もう駒井家は、友里ちゃん仕様だからね」
「リフォーム、言ってから2か月って早すぎない?!しかも来年からは東京に6年も住むのに、空家みたいにしちゃう」
「あの人リフォーム好きだから、わたしたちの為というより自分の趣味だと思う」
駒井家は大掛かりなリフォームを終えたばかりだ。
「芙美花さんってやっぱり魔法使いだよね」
「実は魔女だよ」
実母を捕まえて優が、本当か嘘かわからないような声で言う。
大きな客室を今は家を出ている長男の
最初、寝室も別にしようと提案したのだが、優が勉強中も友里の気配を感じたいと申し出て、そういう形におさまった。どうしても、友里自身が気になるというので、お裁縫部屋に収納型のベッドを用意した。もしもの時の仮眠にもよい。収納型ベッドの扉には、大きな鏡が付いていて、服を作った際の試着にも、友里のバレエのレッスンにもよく、友里は感動した。部屋は、村瀬の祖母の協力も得て、一見、友里の希望通りガランとした、なにもない部屋に見えるが、壁にしかみえない扉を縦に開くと、テーブルになり、アイロン台になり、糸や布、ミシンなどの裁縫道具がしっかりと収納されている忍者屋敷のような作りだ。
裁縫部屋からは、風呂・トイレに直接いける扉も作ってある。脱衣所で、優の部屋兼・ふたりの寝室がつながっている。
「優ちゃん、さみしがりの泣き虫だよね」
「その通りだよ」
178cmの長身、すらりと伸びた手足、サラサラの黒髪をショートカットにし、黒目勝ちで長いまつげがくっきりと、あるべきところに正確におさまった美貌。少しの動揺も見せず、麗しい声で言うので、友里は苦笑した。
「そういえば、中1の初日、セーラー服で朝、お迎えにいったら、泣き出したよね」
まだセーラー服姿の友里は言うと、優は頷く。
「歩けなかった友里ちゃんが、くるりと回って見せたから、それは感動もする」
「その節は、お世話になりました」
友里が生死をさまよう大きな事故から2年目の4月のことだった。
「ううん、実は普通に見惚れてて。可愛くて、ドキドキして、直視できなかっただけだよ。もう片思いしてたから。今も、これからもだけど」
頬の輪郭に沿って、長い指先で撫でられて、友里はぽおっと頬を染めた。優に何度も一目ぼれしているような顔で、優を見つめ、しかし言葉の意味に気付いて、しきりに照れた。
「や、そんなこと言ったら、わたしだって優ちゃんに見惚れたもん」
「友里ちゃんは全然、恋じゃなかったでしょ。いつもの実況マシンガントークで、白と紺のコントラストがとか、紺のリボンや、胸の生徒手帳になりたいとか言っていたと思ったけどな」
「そ、それは!気付いてなかっただけで、ずっと好きだもん」
「!」
動揺する優に気付かず、友里は続ける。
「だってほんと可愛かったんだもん。優ちゃんの内面の美しさが全面に出てるっていうか!もう!どっちが先に好きなったか拘り過ぎだよ、優ちゃん!」
友里が叫ぶと、優はクスクスと笑った。
「友里ちゃんにかわいいっていわれるの嬉しい」
「う」
友里は、いつもならお天気の話でもされたかのように受け流す優が突然、うっとりと言ったので、自分の発言が急に恥ずかしくなった。
「優ちゃん、ちょっと浮かれてる?」
「うん。友里ちゃんが正式にうちの住所になるから」
「……!」
「結婚、みたいでしょ」
「考えないようにしてたのに!」
「なんで?うれしくない?」
「嬉しいよ!優ちゃん!!でも。お付き合いしてることも、みんなにわかってるっぽいのに、住所まで一緒になったってことは」
友里の言う「みんな」とは、学校の生徒たちのことだ。先日、競歩大会の後、倒れた友里を背負って優が帰宅したことで、友里が、人気者の優の彼女だと大騒ぎになったことがあった。幸い、中学から優のファンをまとめていた3人と仲良くできたことで、「付き合っているふたりに余計なプレッシャーを与えない」という同盟が出来たようだった。
「そういう関係って、人に思われるのが恥ずかしいってこと?」
優が悲しそうに友里を見つめる。(公認になったことを喜んでいたのは、わたしだけなのだろうか)と、喉まで出かかっている。
「ちがううう……だって……、だって」
赤い顔で、自分の長いポニーテールを捕まえてモジモジする友里に、優は返答を待った。
「……えっちなこと、いっぱい、きかれる」
「なに?」
友里の口からとんでもない言葉が出てきて、優は目を丸めた。
「
剣持とは、優の中学からの友人兼ファンのひとりで、姉御肌の子だ。ラグビー部に所属している大柄な彼氏がいる。
「……それは」
優も、言葉に詰まる。
「口説くのはわたしだよね!?優ちゃん!」
「……あ、うん」
優は、友里の言葉に、困ったように頷いた。
「でもね、すごい、仲良しになったの!前とは比べ物にならないくらい。優ちゃんの中学時代のバスケの写真もら……っ……これは内緒だった」
「待って友里ちゃん、なんのはなし?」
優が問い詰めるが、友里は頑なに話さなかった。友里が、優の隠し撮りのような写真をたくさん持っていることは、優は知っているがその内容までは知らない。
「ところで、答えてるの?」
ドキドキとしながら、優が友里に問うた。
「まさか!!清い関係で押し通してる」
「そう、それは、よかった」
ホッとしたような、なぜか、ガッカリしたような声の優に友里は首をかしげた。
「言ったほうがイイ?色々」
「ううん、あー……ああ」
「なになに?」
「いや、友里ちゃんが、わたしの話をどんなふうにするんだろう、って気になっただけ」
「!」
友里は着席して、優の肩に寄り添った。
「優ちゃんは、ほかからわたしの話を聞くのが好きだから……」
高岡から、友里の惚気話を聞いていることを、友里がすこしだけわだかまっていることは、優も高岡も気付いていて、最近では控えていることが多くなっていた。友里の親友の高岡が、「友里から相談をされなくなる!」と優に叱り倒し、友里のプライバシーは守られるようになった。
「剣持さんから、聞いたりする?」
「イヤ?」
「いやじゃないけど!良い子に伝わりすぎて、優ちゃんの中のわたしが、いいこになりすぎるのが、嫌かも」
友里は、恥ずかしいというよりも、自分の評価が優の中で上がりすぎる事を恐れていた。
「友里ちゃんは、良い子だよ」
「はしたないし、勝手だし、乱暴だし、優ちゃんの嫌がることいっぱいするのに!?なんでホント優ちゃん、わたしのことすきなの?って思う」
「っ」
友里がわわッと叫んで、優に八つ当たりの様に言った。こういうセリフは、甘い空気の中で聞きたいものだなと優は思ったが、苦笑しながら友里の手を握った。
「ぜんぶ可愛いから」
「……うそだぁ」
「ほんとだよ、お化けの話をするのは、ちょっと嫌だったけど」
「ほら!」
「でもやめてくれたでしょう?本心から、医者になるなら克服しないとって思っていたのに、うちの親が苦手な食材は食べなくても他から栄養を取ればいいんだよとか言ったりして、徐々に、……恋人になったから、わたしを甘やかしてくれるようになったんだよね」
友里は「甘やかし、ではないけど」と言いながらも、こくりと頷いた。
「友里ちゃんが、怖い話してくれる時、耳打ちしてくれるし、ニコニコしているし、それ自体は……、実は、可愛いなって思ってたよ。ひとついやなところがあっても、かわいいで塗りつぶされちゃう」
「絶対うそだよ」
「ほんと」
優は唇を閉じて、じっと友里を見つめた。友里は、優を見て、小さく首をかしげた。
「友里ちゃんは、嫌がるかもだけど」
「うん」
「友里ちゃんの、顔も好きだよ」
「うそだあああ、それは嘘だ!!本当に嘘だよ、優ちゃん!!」
大騒ぎする友里に、優は焦って慌てた。
「顔のこと言われるの嫌だよね、内面を努力してないみたいに思われるよね」
「そうじゃなくて!そういう、美貌を持っている人のアレじゃないの~~!!」
友里は優にはわからないだろう苦悩を感じて、顔を真っ赤にした。
「あ、わかった、自分にはない顔面だからだ?!鼻ぺちゃだしモテないし」
「誤解を与えてるようだけど、本当に、友里ちゃんに見つめられるたびにドキドキするし、蜂蜜色の瞳は綺麗だし、笑顔も泣き顔も、感情が全部表情に出るのも可愛いし、頬も、唇も、ぜんぶ柔らかそうで、触れたいけれど、触れたら、汚してしまいそうで、怖いくらい綺麗で、かわいいって、出会った時から思っている」
優は、戸惑う友里に、グッと息をのんでから、今まで内緒にしていたことを言った。
「一目ぼれなんだ」
「なななな、…」
友里は、戸惑って、顔を真っ赤に染めた。照れて、わざとはしたないような言葉を言って優の気持ちをそこから遠ざけるような流れになる気がして、優は(心を動かされないぞ)と思いながら友里の顔をじっと見つめた。
「よ、汚れたりしないよ?!バンバンさわって、いいよ!?むしろわたしが」
言いかけた友里の唇を奪って、優が友里に微笑みかけた。友里が照れたようにそわそわとして、横を向く。
「中学の制服を着て、しちゃったとか、絶対人に言えないよね」
友里がポソポソっと呟くようにモジモジ言うので、優が目を丸める。
「し?!……するの?だって、埃っぽいよ」
「え!?したんだよ、キス」
「あ──」
驚いた友里の顔を見て、優はサッと真剣な顔になった。
「ごめん、勘違いした、キスのことだ」
それだけ言うと、優は赤い顔で友里から目をそらした。友里は、「キス」の件をいったが、優が、もっとその先のことを言っていることに気付いて、頬を染めた。
「優ちゃんのえっち」
「──認める」
「そうだよね、コスプレえっちの代表だもんね、制服なんて」
「ごめんってば……!」
赤い顔のままの優に、友里が抱き着いた。
「する?」
「……!!!!」
中学生の優は、友里への片思いをこじらせすぎていて、色々と黒歴史を持っている。そんな格好の友里から言われて、動揺して目をそらした。そして何回か息をのんで、呼吸を整えた後、優は全く関係ない話をしようとしたが、なにも思いつかなった。
「モテないって友里ちゃんは言うけどけっこう、モテてるんだよ」
「優ちゃんにでしょ」
「……」
優は、友里の唇を奪って、そのまま何もない床に押し倒した。友里が、体をこわばらせても、優は何度も何度も口づけをする。
「優ちゃん……」
涙目でハアハアと呼吸をする友里を見つめ、優は、中学3年生の時に友里に告白をしようとしていた下級生の男子を、陥れたことを思い出した。友里に相談という体裁で友里と親しくしていたが、友里は下心など気付かず、真剣に相談を聞いて優に紹介してきて判明した。
(彼がわたしなどを牽制せず友里ちゃんだけを見て、わたしの介入を許さなければ、友里ちゃんは彼と、付き合ったりしたのかな)
勝手に思って、優は胸が苦しくなった。いまさらに思い出したのは、友里の制服姿のせいだと思った。
「あ」
友里の胸を、自然に触ってしまって、優は手を止めた。
「引っ越しが終わってから、しようか」
「あ……うん、そだね、優ちゃん」
友里は少しだけ残念そうに、いまさら、中学の制服で駒井家に帰るわけにもいかないことを思い出したのか、着替えを探した。
一度脱いだ服は、汗でひどい匂いがする気がする。
「今日は母しかいないし、見たら喜ぶんじゃない?そのまま行けばいいよ」
「えええ、はずかしい!」
「自分で着たんでしょ」
「うううう、迂闊う……」
友里はしかし、すぐに気持ちを切り替えて歩き出す。
「優ちゃん、一目ぼれってほんと?」
「……うん」
見た目の造形について、友里は納得していないようだが、赤い顔をしつつ、優を見つめた。
「あ、でも、友里ちゃんの考え方とか、心の広さとか、ポジティブなとことか、色んな……色々知って、何年も、いまも、大好きだから、顔だけじゃないから」
「え、ええ?そっちの方が謎なんだけど」
友里は、迂闊な自分の象徴のようなスカートのすそを掴んだ。
「本当のわたしを知って、好きって言ってくれるのは、優ちゃんだけだろーな」
「だといいな」
友里の荷物は、洋服類をひとり1箱づつもてば、終わりだった。立ち上がって、友里は大物の家具に布をかけた。階段を降り、ガスや電気などの元栓を全て閉めて、母親に連絡をして、家の鍵を閉めた。
玄関で、ぺこりと頭を下げた。
角を曲がったところに、優の家がある。この家に、住んでなければ優と幼馴染ではなかったかもしれないと、友里は仄かに思った。
淡い気持ちが、そのまま本当の恋になって、一生を共にするほど離れたくないと思える相手に出会えた場所だ。
優も、一緒にぺこりと頭を下げ、ふたりで荒井家を後にした。
当然のごとく、優の母、芙美花は友里の制服姿を喜び、写真におさめられてしまった。芙美花は、喜び勇んで、娘の優にも、美しく保存してあった中学時代の制服を着せた。それには、優も驚き、友里は歓喜の拍手をした。
「さすが優ちゃんかわいい同盟!!同士よ!!!」
「でしょう!?さあ、並んで~~!!かわいい!!!かわいい!!!」
「友里ちゃん」
困ったような声を上げて、優が渋々と友里の肩を抱く。
「喜ぶんじゃない?って言ったのは、優ちゃんだよ」
「魔女……」
高校3年生の優は、中学生の時より8cm、友里は13cmも身長が伸びていて、お互いにかなりミニスカートになってしまっている。かろうじてお腹は入った。
芙美花の前で、当時流行った、手のひらを見せるタイプのピースをして、写真に納まる。すぐに父や兄から連絡が来て、友里のひっこしは、しばらく撮影会になってしまった。
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