第7話 中学生


 中学3年生の9月のある日、友里は生徒会の最後の仕事を請け負って、書類をまとめていた。セーラー服の襟が風ではためく。秋とは思えないほどの強い南風は心地よいが、書類が飛んでしまうので、窓を閉めた。

 10月1日付で新しい生徒会長が立ち、生徒会長の任を解かれる駒井優もそこにいる。ふたりは幼馴染。新しい会長の男子生徒が、友里に好きな花の色を聞いた。

「優ちゃんはピンクだよ。リボンは濃い紺色にしたらいいと思う。卒業式用だよね」

 友里は優の好みを話し出す。

「あ、でも、ちゃんと優ちゃんに聞いて。全部わかってるわけじゃないから」

 友里はぶつぶつと、(全部わかったような顔をするのはおこがましい)というようなことを、新生徒会長に説明した。

「友里ちゃん、彼は友里ちゃんの好みを聞いてるよ」

 優が友里の耳にそっと唇を押し当てて囁いた。

 ポカンとしてから、友里がスマートフォンで調べ出す。友里は花の名前を知らないので、写真をちらりと見て、黄色いガーベラを指さし、「これ」と無邪気に言った。


 次々と引継ぎが終わり、友里の書記作業だけが難航している。2年生の南場なんばは、涙目で「こんなにやることがあるなら、書記を引き受けるんじゃなかった」と呟いた。

「大丈夫、生徒会長が助けてくれるから」

「優先輩と、新しいやつはタイプが違います!」

「僕だってちゃんと手伝うが!?」

 わいわいと騒ぎだすも、優が手助けをして、なんとか終わらすことが出来た。他の生徒は帰宅し、新会長と優が、最後の引継ぎをしている様子を、友里だけが待っている。


「あとは卒業式に送辞を読むぐらいかな」

「楽しみ!そうだ、優ちゃん、高校はどこ?」

 友里が笑顔で優に言うと、優は少し困ったように微笑んだ。

「実は、まだ決まってないんだ」

「一緒の高校に行けたらいいね、うちの高校、おばかなわたしが入れる商業科だけじゃなくて、超進学コースがあってね、よければ……」

「うん、出来れば、そうしたいな」

「わあ、楽しみ!一緒に通ったりしたいね!!放課後はいっぱい遊んで!!」

「うん」


「優ちゃん、楽しみと言えばあと3日で誕生日だね、なにかほしいものってある?」


 ポンポンと話題の変わる友里に微笑んで、優は書類を新生徒会長の確認の元、もとの位置に戻し、それで仕事は終わった。片付けと、鍵の返却などを手配して、全員で文房具などを自分のかばんにしまい、帰宅の支度をし始めながら、優は、先ほどの友里の質問にようやく答えた。


「プレゼント、新しいシャーペンが欲しい。すぐ折れちゃうから」

「優ちゃんてば、怪力」

 友里はくすくすと笑って、帰りに文房具屋さんで強いシャーペンを探そうと思った。趣味のお裁縫でシャツを縫ったが、今年もとても、大好きな幼馴染に似合うような美しいシャツは作れているとは思えず、お蔵入りする予定は、まだ優には教えられない。


「友里先輩、もう一期、書記をやりませんか」

 すっかり存在を忘れていた新生徒会長に声をかけられて、友里はポカンとした。引継ぎの小一時間はなんだったのか、全く理解できず、彼なりの冗談かと思って、噴き出した。

「あとはお若いみなさまで」

 仲人の様に友里がニコニコというと、彼も困ったように笑う。


 友里は立ち上がった優に視線を向ける。

「中学3年間で10cmも伸びたのに、優ちゃんの身長は越えられなかったなあ!」

「178cmだよ」

「きゃー!!!負けた!163cmだから、15cmは埋めらんない!」

 友里は死ぬほど悔しいという声を出して、じたばたした。

「僕は170cmです、優先輩はさすがスタイルがいいな、王子様って言われてるの、知ってます?」

「優ちゃんはお姫様なの!わたしこそが王子様でいたいのにな!」

「身長って関係あるの?友里ちゃん」

「だって姫の隣は、背が高くないとって感じしない?!」

「……友里ちゃん」

「優ちゃんは、誰がなんと言おうと、ずうっと昔から、わたしのお姫さまだからね」

 優がにこりとほほ笑む。友里は満足したように、優の腕に絡みついた。

「でも、抱き着くとき、楽でいい」

「歩きにくいよ」

 優が言うが、言うほど優が振りほどこうともしないので、友里はそのまま優にしがみついている。と、新生徒会長が口を開いた。


「優先輩の様に平然としていられるには、どうしたらいいですか」

「どういう意味?」

 優が友里に問いかけるので、友里は自分への質問とはわからず、首をかしげた。

「あ、生徒会長としての心得?前に不安だって言って、手をぎゅうって握ったりしたもんね」

 友里が言うと、優は彼をじっと見つめた。


「いつでも、心を凪の様に保って、自分がしたいことよりも、相手のことを第一に考えたら冷静でいられるんじゃないかな」

「……」

 バチバチとなにかが飛び散った気がして、友里は目をこすった。

「ケンカしてる?」

「していません、友里先輩」

「そうだよ、後輩とケンカするわけないでしょう」

 優が、ふわりと花の様に微笑むので、つられて友里も、にへっと笑った。


「友里先輩、少しの間、優先輩を貸していただけますか?」

 放課後の帰宅時間はとうに過ぎていて、優と文房具屋さんに行く予定だと思っていた友里は、それでも後輩のために、(優ちゃんはどう?)という顔で優を見上げた。


「いいよ、友里ちゃんが待っててくれるなら」

 友里は頷いて、男子生徒と優を、図書館で待つ約束をした。


 ::::::::::


「単刀直入ですが、友里先輩に告白しようと思ってます」

 生徒会室から友里が出て、足音が消えた途端に言われ、優は慣れた様子でカバンを机に置いた。

「へえ」

「いや!聞いてくださいよ、他の生徒よりは友里先輩と仲がよい自負があります。友里先輩が、少年のような印象から女性らしくなったのって、僕の為かなとも思いますし、優先輩が、いなければ、友里先輩は、僕を好きになる気がします。だから、優先輩が友里先輩を好きじゃないのなら、僕に協力してほしい、お願いです」


「いやだね」


 優は言い放った。優しい先輩の顔など、一瞬で捨てていた。

「わたしの推薦だなんて口にしたら、絶対に許さない」


「……っ」

 ごくりと息をのんで、男子生徒は目をそらした。

「髪型を変えたのは、わたしが夏休みに友里ちゃんにヘアアレンジをしたからだよ。こうしてほしいって言うと、変えちゃうんだ。だから、滅多なことを言えない。ポニーテールがイイと言えば、明日にも変わってしまうよ」

「そんなわけ」


(ない)とは言い切れない気がして、言いよどむ。優も言いながら、友里からの絶対の信頼を他人に言うことが恥ずかしくなってきた。ただの幼馴染の自分が、友里の全てを知っているというような口ぶりは、攻撃としてとても稚拙だ。


 ため息をついて、優は髪を掻き上げた。夏休みが明け、すらりと身長が伸びた友里がぼさぼさのおだんご頭から、髪を下ろしてハーフアップにし始めた頃だった。やんちゃな印象から、清楚な様子に見えるようになったからだろう。しかし全員が、「あんなじゃじゃ馬でちんちくりんな子を好きになるのは自分だけだ」という思いこみがひどく、優は呆れている。


「友里ちゃんはモテるなあ、キミで3人目だよ」


(お前だけじゃない)と繰り出した口撃パンチは彼をしたたかに殴ったようだった。


「生徒会運営の心配はやっぱり、嘘か。君たちに言いたいんだけど皆、わたしに言って、どうするの。友里ちゃんに直接言えばいいのに。多分、むげにはしないよ」

「……おつきあいしてるんじゃないんですか?」

 優は、男子生徒の言葉に、丸いカーブを描く美しい額をおさえた。


「ただの幼馴染だよ」

 その低音に、それ以上の意味を抑え込んでいるように感じて、彼はほんの少し怯んだ。

「友里先輩は、優先輩しか見ていません」

「……友里ちゃんは、わたしを守ってくれているの。わたしが弱いから」

「意味がわかりません」

 男子生徒の言葉に、優は首をかしげた。

「これ以上の意味はないよ。そして、幼馴染という関係以外に、わたしたちにはなにもない。友里ちゃんとお付き合いしたいなら、自分の意見だけ言うんじゃなくて、友里ちゃんが、どう思っているか確認して、そして伝え方も、彼女が喜ぶのかどうか考えてから。その位の頭は働かせてね、本心だとしても、少年のようとか、彼女にいわないで」


「言い回しや、僕たちの関係は、優先輩には関係ないでしょう」


「いやまさか、自分が好きだから、これから恋愛として好きになってくださいとでもいう気?友里ちゃんの意思を、自分の身勝手な感情で、曲げようという魂胆?」

「……それが、恋愛じゃないんですか?付き合ってみなければわからない」


「愛されるという自信がないから友里ちゃんに変わってもらおうとしてるの?」

 優が言うと、男子生徒は図星の様に顔色を変えた。


「やっぱり、優先輩も、友里先輩が、好きなんですか」

 しかし、優の心情など分かってもいない相手にはダメージを負わせたようで、瀕死の状態で問われて優は、じっと男子生徒の目を見た。

「なぜ、キミに言わなければいけない」

「僕は言ったのに、フェアじゃないと思って。あなたの目がどんな感情を持っているか、友里先輩を好きな者には、わかりますよ」

「フェアの意味を調べたらどう?」

「それは友里先輩が、望む姿でそばにいるから、言いたくないってことですか」

 優は男子生徒を見た。男子生徒は、睨まれたと思ったのか、少しだけ後ずさった。


「ズルい、狡猾ですよ、友人の地位を、利用している」

 しかし、彼はさらに優を傷つけようと言葉を吐いた事に気付いて、優は薄く笑った。

(そんな言葉、自分でも何度も思ったよ)


「……わたしの立場になれば、わかるよ」


 優は、時計を見て、すっと背筋を伸ばした。充分な時間が過ぎたと思い、帰宅の支度をする。

「僕、もし告白にして断られても、諦めませんから。絶対、同じ高校受けますし」

「ふうん、頑張ってね」

 興味もないという顔で、優は言った。フェアと言った手前、このまま帰るのは忍びない気持ちなり、答え合わせだけはしていこうと思った。


「キミは失敗したよ」


 にこりとほほ笑んで、優は呪いをかける。


「どういう意味ですか」

「友里ちゃんはわたしのことを万能と思ってる。どんなに、わたしに釘を刺しておきたかったとしても、「心配を解決してもらう」なんて嘘をつかなければよかったんだ。これからどんな話を友里ちゃんに持ち掛けても「優ちゃんのほうが頼りになるでしょ」って聞いてももらえないと思うよ」

「は……?」

「だから、懐の広い、頼れる先輩の友里ちゃんを、大事にしておけばよかったのに。友里ちゃんが「万能:優ちゃん」をおススメしても、それでも友里ちゃんが特別って言えば、全力できみのために動いてくれたのに。今後はどんなに下心を隠して友里ちゃんに近づいても、わたしにパスされるし、震えてしがみ付いても、よしよしもしてもらえないんじゃないかな」


 男子生徒は、ぽかんと目を丸めた。友里を好きだと言いながらも、友里の性格全てを把握していなかったことを指摘されて、上から見下ろされ、バカにされたと感じたのだろう。生徒会長に選ばれるような子なのだから、手を出してくることはないだろうが、優は一瞬だけ、彼が握りこぶしを握った様子を捕らえた。

(ますます友里ちゃんの相手としては下の下だな)

 侮蔑の瞳は彼にも伝わって、握りこぶしは解かれた。優が微笑むと、彼は淡く口角を上げた。

「でも、それを教えてくださったので、対処もできます。そのうち、告白はしようと思います、卒業式には」

「遅いよ、さっさとしなよ。友里ちゃんも、人に愛されていやな気はしないでしょ」

「え、言ってることが矛盾してません!?」

「してないよ、友里ちゃんに誰からも愛されるんだよっていう、自信をつけてあげて」

「だって推薦はしないって!絶対、ふられるって言い分じゃないですか、少しでも確率が上がるよう、優先輩がイイと言ったと口添えが欲しいです」


「もしも嘘をついて友里ちゃんを手に入れたら、絶対に許さない」


 呆れたように、優は彼を一瞥した。


「誠実な人でいてよ、友里ちゃんが好きなんでしょう?友里ちゃんが好きな相手は、嘘つきじゃ、困るよ。彼女のこと、自分よりも、大事なんだ」

 優は、自分がその相手ではないという気持ちを込めて、彼に微笑んだ。


「そのうえで、友里ちゃんが君を選んだなら、わたしは祝福するから」

 彼は優の笑顔に一度見惚れたようになって、それから俯いた。それが、嘘だとわかり、自分は友里にふさわしくないうそつきだと、言っている優に、同情のようなものをしたと感じ、優は無表情に戻った。


「……友里先輩のこと、だいすきじゃないですか」

「……」


 答えることはなかった。

 彼を生徒会室に残して、友里の元へ走った。


 :::::::::::::::::::


 図書館で待ちぼうけていた友里は、めずらしく本など読んでいて、「優ちゃん!」と笑顔で叫び、司書に怒られて、優も頭を下げて、夕暮れの図書館を後にした。


「文房具屋さんに行って待ってればよかった!」

 友里はそう言って、ふてくされたが、読んでいた本を借りてご機嫌だった。

「なんて本?」

「『さかさ町』。全部がさかさまなの。子どもが働いていて、大人は遊んでる。フルコースはデザートからで、ケーキもひっくり返って出てくるんだよ」

「児童文学だ」

「さかさ町なら、お姫様のほうが背が高いのが普通になるかな?それとも、お姫様同士でも、普通かな?」

 笑顔の友里に、優も合わせる。お姫様の隣がお姫さまでも誰からも祝福をうける街に、早く行きたいと思った。


「新生徒会長のお悩み、解決しました?」

「ううん、誰かの答えや、誰かの威光を借りるんじゃなくて、自分なりに正解を導けばいいって言ってきた。それが正しいでしょ」

「そんなの、わたしじゃ思いつかない。さすが優ちゃんだね」

 友里が全幅の信頼を寄せてほほ笑むので、優は、言い方を変えただけで「つきはなしてきたよ」と言ったというのに、(彼に幸あれ)という気持ちで微笑んだ。


「思ったんだけど、お誕生日シャーペンは優ちゃんが選んで。驚かせたいけど、強度とかわかんないし!ね!文房具屋さんデートしよ♡」

 優の腕を抱きしめて、友里が言った。優の片思いを、友里は知らない。デートと言う単語ひとつで、優の心音が高まることも、気付いていない。


「ありがと」

「先にお礼言わないで、まだなんだから」

 友里が頬を膨らませて、怒るが、優は友里との時間全てが贈り物と思っているので、苦笑するしかなかった。

「じゃあ、色は友里ちゃんが決めてよ」

「うん!ラッピングもさせて!!優ちゃん、大好き。生まれてくれて本当にありがとう~~!!」

「こちらこそ、ありがと」


 誕生日はまだ先だというのに、友里はきっとこの先、何度も言うのだろうなと優は思った。



 友里と文房具屋デートを終え、自宅に帰った優は、両親とディスカッションというよりも、ケンカのようになっていた進路について、思い切って友里と一緒の高校に行きたいと言ってみた。あっさりと両親の承諾が得られ、優も拍子抜けするほどだった。

「友里ちゃんと一緒にいたいと言えば、こんなに話し合いの場を設ける必要もなかったのに」とまで言われ、黙り込むしかなかった。


 優の恋は、少し注意深く見ていれば、誰にでも気づかれてしまうのかもしれないと思った。友里以外には。



 :::::::




 ペンケースには入っていたものの、受験の時にだけ使った友里からのプレゼントのシャーペンを見つけて、18歳の優は、ニコリと笑った。紺色のそれを、もう一度そちらに入れて、友里からのプレゼントの棚に綺麗にしまった。


「優ちゃん、これどこに置いたらいい?」

 恋人の友里は、ひっこしの荷物を持って、右往左往している。友里の鏡台兼勉強机を、ベッド脇に異動して、真帆に貰った化粧道具などを並べるとすっかりキラキラ女子のような部屋になった。


「優ちゃんって、お化粧品どこにおいてあるの?」

「持ってない」

「うそ……」

 友里に驚愕されてしまったが、優は化粧水などは洗面所にあると伝えた。

「それでこの美貌。優ちゃんは神様が審議を重ねて作り上げた一級品だなあ」

「……友里ちゃんこそが、そうだと思うけど」

 友里に自分を卑下したなにかを言われると思ったが、優は思ったことはキチンと口に出した。友里が、一度だけポカンとして、ニコリと口角を上げて、目をぱちぱちとして、優の懐に飛び込んできた。チュっと柔らかな唇が、頬に当たる。


「ありがと!」

「……!」

 友里は、いつも否定していた優からの想いを、いつのまにか美しく受け取って、喜びに変換していた。嬉しいが、そんな仕草にいちいちときめいて、好きだと自覚して、また、友里を好きになっていて、自分ばかりが、初恋の気持ちのまま一生行くのではないかと、優は少しだけ思った。


「そうだ、後輩がうちの高校にいるって話、きいたことある?」

 優が、ソッと思い出した彼について、友里が思い出さない程度に問いかけた。


「あるかもだけど、逢ったことないね!」

 友里があっけらかんと答え、優は、友里の片思いしていた子の恋をこっそりと偲んだ。

「大人げなかったな」

「なにが?」

「ううん、ほんとうに、嫉妬深くて、ごめんね」

「ん????」


 友里が疑問を抱えた顔で、優を覗き込む。

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